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2015年10月31日

第十二章第一節 川島芳子と小方八郎

段連祥が臨終の前に、「獅子像」を指して養孫の張玉に次のように語った。「方おばあさんは元秘書の小方八郎をとても気にかけていた。将来機会があれば、この物を小方八郎に渡して、《形見の品物》として欲しい。」ここからすると、小さなこの七宝焼きの獅子像は相当重要なものであるらしかった。この小さな七宝焼きの獅子像は、それから数年後に、日中の専門学者から新たな解釈を与えられ、さらに底の封印を解いた時に人々を驚かせる発見があったのである。

方おばあさんの遺品の中で、手紙として渡すように遺言された七宝焼きの獅子像があった。詳しく我々の前に置かれた獅子像の大きさを観察すると、獅子像の高さは十センチ、長さは九・五センチ、幅は六・三センチである。獅子は細い銅線を組み合わせ、外側を景泰藍の外面で包まれており、その外表面の厚さは約二ミリで、中は空洞になっている。獅子の底の部分はすでに泥とニワカを固めたもので封じられており、中に何が入っているかは当初分からなかった。
獅子像

この獅子像は情報によれば明朝時代に制作されたもので、獅子の体はステンドグラスのような透明な結晶体に鮮やかな色彩を帯び、遠くから見ると深緑色に見えるが、近くから見ると緑、青、赤、紫、黒、黄色など多種の色が斑点模様にちりばめられている。顔は黒い眼玉に、緑の眼底、黒の眉毛に黄色の髭と丁寧に色分けされている。二つの赤い花が耳の辺りを覆っているのが目を引く。獅子の体全体に赤い花や緑の葉が象嵌されており、質感の美をあらわすと共に、光に当てるとまばゆいばかりの光を放つ。正面からみると、この獅子像は怖い凶暴な動物ではなく、ユーモラスなかわいらしい表情をしている。

この芸術的工芸の技術を見ると、この七宝焼きの獅子像は透き通るような輝きと、精巧な細工が見事で、また生き生きと表現されており、全く珍しい歴史的文物である。この獅子像は室内に置けば魔除けにもなり財と福を招くとされている。一見して、普通に手に入るおもちゃや土産物の類ではない。

川島芳子と小方八郎との関係について話すには、七・七盧溝橋事件から話さねばなるまい。一九三七年七月早朝に、ちょうど日本で外傷性の脊椎炎を治療していた川島芳子は、ラジオで日本軍が七月六日に宛平城外で発砲し、一人の日本兵が失踪したことを理由に盧溝橋に砲弾で攻撃をしたとのニュースを聞き、敏感に日中全面戦争が始まったことを意識した。彼女は傷がまだ癒えないうちに川島浪速夫婦に別れを告げて帰国の途についた。川島芳子が長崎に立ち寄った際に、彼女を特に慕う日本の青年小方八郎に出会った。ちょうど、川島芳子は適当な秘書が欲しかったので、しばらく様子を見てから真面目で誠実なこの青年が気に入り、彼を連れて中国に戻ったのである。

小方八郎

天津の東興楼の食堂時代から北平の東四牌楼の九条公館時代まで、八年の長きにわたって小方八郎は芳子の秘書となり、公館の財務を管理したり芳子の世話をするために生活と起居を共にした。その忠実で誠実な性格により、彼は深く芳子から信頼をされていた。一九四五年八月十五日に日本の敗戦によって、九条公館の川島芳子の周りの人々にも去るものがいたが、小方八郎は変わらず主人の芳子に付き添って守っていた。一九四五年十月十一日夜、国民政府北平当局「漢奸粛清」組長馬漢三が行動開始して第一の目標としたのが川島芳子を逮捕することであった。川島芳子の逮捕の際に芳子をかばおうとした小方八郎も一緒に身柄を拘束された。

その日は憲兵が川島芳子の寝室に突然入り込んできて、有無を言わせずに彼女に手錠を掛け、また黒い布で彼女の頭を覆うと、小方八郎は平素のおとなしい秘書の態度とは一転して激怒して憲兵たちに抗議した。「あなたたちの任務執行を妨げるわけではないが、このようなやり方は無礼すぎるではないか。何も言わずに女性の寝室に入ってきて、病気で寝ている婦人に手枷をつけて、服を着替える暇も与えずに連行するとは何事か!」
小方八郎は憲兵たちの威嚇をものともせずに、従容と芳子の衣服を探してきて、彼女を着替えさせようとした。おそらく小方八郎の態度に圧倒されたのか、憲兵たちも一歩引いて小方八郎が主人のために行う最後の奉公を見つめていた。さらに連行される車の中で、小方八郎は川島芳子の隣で彼女の慰めてこう言った。
「何処に行こうとも、私がきっとあなたを保護します。しっかりしてください、大丈夫です。」
拘留されている時にも、小方八郎は川島芳子を極力弁護して、「金璧輝は女性で、中国生まれながらも、日本で育ちました。さらに今は病気の身です。どうぞ、彼女にご配慮を・・・。」と述べた。
一九四七年二月八日、北平地方法院は小方八郎の尋問を行い、裁判官は被告の申し出を受けて、川島芳子が出廷して証言することを許した。二人は別れて一年余り経っていたが、主従は法廷でまた見えることが出来たのである。小方八郎のすっかりしょげて元気のない様子を見ると、川島芳子は小方八郎を励まして、さらに何のためらいもなく全力で小方八郎を弁護しようとした。法廷で、川島芳子は小方八郎のために証言をしたが、実際に彼女は内心から小方八郎を守るために大声で釈放を求めた。川島芳子はこう証言したのである。「小方八郎の行動はすべて、彼が自発的にしたものではなく、すべて僕の命令に従ったに過ぎない。もし罪ありとするならば、罪があるのは僕であって、彼は何の関係もない。もし私の罪を問うというならば、彼は即刻釈放されるべきだ。」

小方八郎は何度も法廷で発言しようとしたが、そのつど川島芳子に遮られるのであった。彼女は小方八郎に何の罪をもかぶせようとはしなかったのである。間もなくして、小方八郎は保釈されて日本に帰国した。川島芳子は一九四七年七月に小方八郎が日本の長崎から寄せた手紙を見て、始めて小方八郎が釈放されたことを知った。そしてすぐに小方八郎に返信を書いている。川島芳子が一九四七年七月に小方八郎の日本からあてた手紙を受け取ってから、一九四八年三月二十五日に「死刑執行」されるまでの八ヶ月の期間中、彼女は頻繁に日本の知り合いに連絡を取り、釈放されるための手段を積極的に指示していたが、それらはすべて小方八郎との手紙の遣り取りによって進められた。小方八郎は自分のかつての主人を救うために、出来ることは何でもやり川島芳子に対する忠誠のほどは誰にも真似できないほどであった。それで死刑を免れた後の川島芳子は三十年後にも、なお彼女のかつての秘書を忘れられず、七宝焼きの獅子像を形見として残して小方八郎に渡すように託したのである。ここからも主従二人の感情の深さがうかがえるだろう。

一九四八年四月、小方八郎は日本で川島芳子が「死刑執行」されたというニュースを聞いたが、一九四八年四月二十日に川島浪速にあてた手紙の中で、芳子に対する切実な思いを語り、芳子が「死刑」とされたことを悲しみ、川島芳子が中国でなしたことについて弁解をしている。さらに、もし当局の許しが得られれば、川島芳子の遺体を粛親王王府の墓地あるいは川島浪速の傍に葬って欲しいと書いている。このことは彼の芳子への思いをよく表しているといえるだろう。

川島芳子と小方八郎の主従の感情と友情がこのように厚かったのであれば、どうして七宝焼きの獅子像を送る必要があったのか。獅子は中国でとても尊崇されており、多くの企業の門前には日本の狛犬と同じように獅子像が据えられており、魔除けとされている。さらに家の中に小さな獅子像を置くのもやはり同じ魔除けの意味である。一九四八年三月二十五日以後に川島芳子と小方八郎は別れ離れとなり、お互い合うことも連絡を取ることもできなくなった。であるから形見として送るべきものは決して適当に選ばれたわけがない。ならばどうして「虎」や「象」や「豹」やその他の物ではいけなかったのか?方おばあさんがそうしたものを選ばずに、なぜか獅子を送って小方八郎に渡させようとしたのも、やはり魔除けと財と福を招くためであったのであろうか。

野崎はこの点を推理した後に述べた意見は我々が参考に値するものである。野崎によれば、獅子の日本語の発音は、「子子」あるいは「死し」に非常に近い。それゆえ、この獅子像を小方八郎に渡す者すなわち張玉が川島芳子の養孫であるということを伝えるとともに、芳子はすでに「死し」て灰になったということを伝えようとしたのではないかと推理した。小方八郎は生前に川島芳子の「処刑」後の写真を見て、髪が長いことを不審に思い、あれはきっと替え玉で川島芳子はどこかで生きていると信じ、彼女からの便りを待ち続けたという。張玉の回想によれば、方おばあさんと山に登ったときに、方おばあさんは山の上で「オーガーター」と大きな声で叫んでいたという。これらのことは、方おばあさんが川島芳子であり、川島芳子と小方八郎の主従がそれぞれ別れ離れになっても三十年の長きにわたって互いを思い続けていたことを証明している。

著名な骨董品の鑑定家郭相武先生は吉林省所蔵家協会の創始者で、吉林省民俗学会の名誉理事長でもあり長年にわたり各種の民間の骨董品数十万点を鑑定し、清朝の歴史にも大変詳しい。彼が七宝焼の獅子像の「真相」について異議を提出した。景泰藍はまた「焼青」と呼ばれ、ガラス質の釉薬を銀(銅)の土台の上に焼き付けて製作するエナメル質の美術工芸品である。明の代宗皇帝景泰年間に流行し始めたので、景泰藍と呼ばれる。
銅(銀)の土台の上に銅(銀)線を嵌めこみ、斑状にしてから、窪みにガラス粉を埋め込み、釜に入れて焼き、さらに表面を磨いて作成する。ガラス粉はほとんどが緑色か青色で、花瓶や碗や皿やコップなどを製作する。清朝から民国に至るまで、土台には銅銀以外に、磁器、陶器、紫砂などが使われた。しかし、これらは本当の意味での景泰藍ではない。

獅子は一目見て日本風であり、土台は瑠璃ガラスで、そのなかにある金属質の線があるが景泰藍の工芸とは異なる。景泰藍の場合は、銀や銅の器の表面に金・銀・銅などをまず嵌めこんで、磨いた後で色をつけて焼く工程により製作される。だから、この獅子像は伝統的日本の工芸品あるいは置物である。おそらく日本が中国に進出し、開拓団がわたってきた時に中国にもたらされたものであろう。吉林省は日本の侵略の中心地区であったので、戦後も様々な物品が残されている。郭相武先生の獅子像が日本の物であるという鑑定は、我々を興奮させた。ここから、さらに方おばあさん(川島芳子)の日本への思いと小方八郎との関係がさらに証明できる。検証によってさらに「真相」に近づき、結論はさらに合理的になった。
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