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2015年10月31日

第十章第二節 川島芳子の立ち往生

方おばあさんと生活していた期間に、張玉は方おばあさんがいくらか奇妙だと感じることがあった。彼女は嬉しい時には躍り上がってはしゃぎまわり、気に入らないことがあると泣き叫んだ。よく一人で座っている時には長い間ボーッとして、長時間にわたり口をきかないこともあった。張玉はまた時折方おばあさんが夜に泣いているのを見たが、こうして心の中の煩悶と悲しみを吐露していたのである。このことに留まらず、さらに奇妙なことがあった。ある時に張玉があちこち物を探していて、方おばあさんに怒られた。少し経つと方おばあさんは機嫌を直して、一碗のスープを作り、彼女を宥めるために、彼女を「波濤ちゃん」と呼んだ。「波濤ちゃん」はまだ怒っていたので、唇をとがらしてスープを飲もうとしなかった。「あなたは何が飲みたいの?」と方おばあさんが尋ねた。「おばあちゃんの血なら飲んでもいいよ・・・・」と張玉はすねて小声で言うと、方おばあさんは良く聞こえないともう一度彼女に言わせた。「波濤ちゃん」はこんどは大声で「おばあちゃんの血が飲みたいの!」と言うと、思いもかけず方おばあさんは声も出さず、立ち上がって机の傍に行くと、引き出しから果物ナイフを取り出し、本当に彼女の人差し指と中指を切りつけてた。血が指からあふれ出してきたが、なんと方おばあさんはその血をスープの中に注いだ。この短い間に出来事に、張玉は驚き入ってしまった。方おばあさんは人が変わったようになっていたが、張玉は飲もうとしなかった。
「さあ、このスープを飲みなさい!これは命令よ。」方おばあさんは厳しく言いつけた。
張玉は仕方なく、作戦を変えて引き伸ばすことにした。「水の中に落とした血なら飲む」。それを聞いた方おばあさんは部屋を出て行くと、井戸ポンプのある部屋にいくと一桶の水を持って帰り、それをお碗に注ぐとまた手を洗いにいった。手の指にはまだ血が流れており、方おばあさんは指の上にある血を再びお碗にたらすと、お碗を張玉の前に持ってきた。「波濤ちゃん」は愕然として方おばあさんを見て、再びその血がたらされた水を見て震え上がって一言も言葉が出てこなくなった。
方おばあさんの怒りに燃えた目に促されて、「波濤ちゃん」はやむを得ず彼女の地が入った水を飲んだ。方おばあさんは声を和らげていった。
「お前は私の一番大事なものよ。私の血が飲みたいなんて言わないで。お前には私の命をあげたっていいのよ・・・・。」
「私の小さな天使ちゃん。お前が一日一日と大きくなるのを見て、おばあちゃんはどんなに嬉しいか。・・・お前のこんなすねたところを見ると、おばあちゃんが小さかった頃にお前のようにお転婆だったのを思い出すわ。」
張玉はこのことを語ると、とても感情が高ぶったようで、目の周りを真っ赤にして、このことは一生忘れられないと言った。
歴史的記述によれば、若い頃に川島芳子は「恋愛感情」のこじれから、自分の左胸に向けてピストルを打って「自殺」しようとしたことがある。どうやら、川島芳子が幼い頃にとてもお転婆であったというのは事実で、張玉の身に自分の幼年時代を重ねたのであろう。

張玉の証言によれば、彼女が幼かったある朝に、方おばあさんの庭の生垣の隅で用を足していると、隣の家の犬が彼女に向かって走ってきて、当時張玉は驚いて恐怖の叫びを上げた。方おばあさんはちょうど部屋の中で朝ごはんを作っていたが、叫び声を聞くと手に火かき棒を持って、庭にすっ飛んできて張玉の目の前でその火かき棒で犬を叩き殺してしまった。このことで隣の家の人が訪ねてきたので、大家の逯家が顔を出して、賠償として二袋のトウモロコシを差し出して事なきを得た。今思い返してみると、方おばあさんが当時身のこなしが敏捷で、犬を殺すほど叩いたことは、張玉に普通の農村のおばあさんが出来ることではないという印象を与えた。この小さな事件からも、方おばあさん(川島芳子)が若かった頃の面影を見ることが出来る。
張玉の母親段霊雲の記憶によれば、一九六六年に于景泰が死んだ後に、方おばあさんはとても悲しんで感情を吐露するために、ある夜に方おばあさんは段霊雲を連れて新立城ダムに魚釣りに行こうと、彼女たちは自転車に乗って方おばあさんの家から十数キロ離れた新立城ダムに行った。ダムの傍で方おばあさんは魚釣りをするでもなく、なんとダムの傍にあった木に登り、両足を木の枝にかけて逆さづりになって、手を開いて段霊雲を手招きすると石をひろって手渡すように言った。方おばあさんは一つ一つ石を水に映る月に向かって投げ、心の中の悲しみを発散しているようであった。すでに六十歳を過ぎた老婦人がこのような身のこなしをすることに、当時の段霊雲は奇妙な感じがした。今から思い返せば、彼女が川島芳子だったとするならば、このような奇妙な行動も不思議ではない。
我々が後に知ったのは。一九二二年に川島芳子が十六歳の時に日本松本女子高等学校を退学したのち、養父川島浪速はその実父粛親王善耆の遺言に従って、王女としてまた女スパイとして任務を果たせるよう川島芳子を訓練し、彼女に騎馬・剣道・自衛・突発事件への応対など各種の危険を伴う技術を教え込んだ。それでこのような基礎があったために、方おばあさんの身のこなしは普通の人から見れば少し不思議な行動と見えることがあったのであろうと考えられる。

張玉の記憶によれば、方おばあさんは背丈は普通で、比較的やせており、皮膚は白く、大きな目が特別に光っており、耳がめだって大きくて突き出ており、髪の毛は少なく、頭の後ろに束ねて髷にしていた。来ていた服は普通だったが、いつも小奇麗にはしていた。話す言葉は北京なまりがあった。
張玉の感じでは、方おばあさんの性格は変化が激しかった。ある時には方おばあさんは張玉の目の前で、彼女を聞分けのよい子と褒めて次のような話をした。張玉が三歳の時(張玉には記憶がない)、あるとき方おばあさんが風邪で熱を出してオンドルの上で寝込んでしまったとき、張玉はそれを見て、タオルを洗面たらいでぬらして、方おばあさんの頭の上に置いた。それで方おばあさんはとても感動して、病気が少なからず軽くなったのであった。しかし、ある時に張玉が幼いため、学習に興味がもてないときには、方おばあさんが彼女に字を書かせようとしても書こうとせず、彼女に詩を覚えさせようとしても憶えようとしないと、方おばあさんはとても怒り、彼女の母親段霊雲に対するほど酷くはなかったものの、方おばあさんは手を出してビンタして教育しようとすることがあり、これは張玉に方おばあさんの厳しい一面を感じさせた。
張玉が今でも覚えているのは、彼女が幼い頃に方おばあさんの家で次のような情景を見たことがある。部屋に方おばあさんと祖父段連祥の二人しかいなかった時に、祖父の段連祥は満州族の儀礼方法で、片足をひざまづいて、方おばあさんに挨拶をしているようであった。さらに彼ら二人はよく日本語で話をしていた。祖父段連祥と方おばあさんがどうしてそうしているのか、彼らの間に何か他人に知られたくない秘密があったのかは、張玉にもわからない。
張玉がまだ覚えているのは、彼女が幼かった頃に方おばあさんと同じオンドルの上で寝て、ある時夜に起きてみると、月の光に照らされて方おばあさんが涙を拭っているのが見えた。彼女には方おばあさんが泣いたばかりのようであるように感じられた。方おばあさんが家族を思って泣いていたのか、はたまた昔のことを思い出して泣いていたのかは知る由もない。

一九七〇年代のある年の夏の夜に、新立城の家には方おばあさんと張玉の二人だけだった。方おばあさんはお碗と箸を片付けた後に、いつものようにレコードの箱の中から一枚のレコードを取り出し、手回し式の蓄音機の上に置いた。レコードから歌声が聞こえて来て、張玉は京劇であることが聞いてわかったのでこう尋ねた。
「おばあちゃん。この歌っている人は誰?教えて頂戴?」
方おばあさんは軽い感じで答えた。
「これは京劇の大役者馬連良が歌う淮河営の歌よ。」
彼女は張玉にさらに紹介して、彼女が最も好きなのは馬連良の歌う男役であると言った。
張玉は続けて尋ねた。
「おばあちゃん。この馬連良さんを知ってるの?」
この時、方おばあさんの顔色が突然に重く固まった。この時、彼女はつばを飲み込み、寂しそうにまた声を落として言った。
「話すと長くなるけどね、馬連良の歌声を聴くと、胸がいつも苦しくなるよ。波濤ちゃん、お前が大きくなって、もしいつか馬連良さんに会うことがあったら、私の代わりに『ごめんなさい』と言っといておくれ。」
こう言い終わると、涙が方おばあさんの二つの目から溢れ出していた。彼女は身をめぐらすと、すぐに部屋を出て行った。方おばあさんは張玉に自分が涙を流す姿を見せたくなかったのである。張玉は自分の質問の何かが悪くて方おばあさんの心の傷に触れたのかと後悔して、すぐに庭へ追いかけていき、稚拙な言葉で方おばあさんを慰めようとした。この時の方おばあさんは張玉に情緒不安定な様子を見せまいと、涙を服の袖で拭うと、張玉に笑いながら言った。
「波濤、もう二度と聞かないで。言ってもお前にはわからないことよ。全てはみな過ぎ去ったことよ。世の中は思いどうりにはならないの・・・・・。」
方おばあさんはむりに笑い顔を取り繕い、歌を口ずさみながら、張玉をあやして彼女の胸の中で寝かせた。
この生活の中の小さな一コマから、見て取れるのは方おばあさん(川島芳子)が「大役者」馬連良とかつて交流があったということである。我々が資料の中で見つけたのは、川島芳子が一九四〇年代初めに、以前の勢いを失って北京に戻った後、金を巻き上げるために馬連良を脅迫したことがあるということだ。それで、三十年を隔てた後も、方おばあさん(川島芳子)が馬連良の歌声を聴くと、昔のことを思い出して、内心苦しく感じたのであろう。
その後、一計を案じた張玉は、方おばあさんに内緒であの馬連良の京劇のレコードを祖父の段連祥に持って帰らせて、再び方おばあさんが心を痛めることがないようにした。


張玉は毎年早く夏が来るのを待ち遠しかったが、天気が温かくなれば、方おばあさんに会えるからであった。彼女は方おばあさんと家の前にある古い楡の木に登って本を読むのがとても好きだった。方おばあさんは彼女を先に木の枝の上にあげて、それから自分も上に登ってきた。彼女と方おばあさんはとてもこの古くて皮の厚い楡の木がお気に入りだった。この木は大して高くなく、とてもごつごつしていて、枝にはたくさんの葉が茂っていた。木の枝に座ると両足を前の木の枝にかけることができ、青空を見つめながら日光浴したり、吹いてくる清らかな風が周りの木の葉をサラサラと鳴らすのを聴くと、さながらリズムのある音楽を聴いているようだった。方おばあさんは彼女の真向かいに座り、体を木の幹に預けて手には悠然と本を持って、張玉にモンゴルや日本の昔話を聞かせてくれたり、彼女にシャーマン歌を覚えさせたり、手を伸ばしては楡の実を一つ一つ取っては、彼女の口に食べるように渡すのであった。あの香ばしくてすっきりした味は今でも彼女の心に甘い思い出となっており、彼女がそのことを思い出すたびに、口の中のつばを飲み込むのである。いまはもう張玉が時折、あの方おばあさんの家の楡の実を食べて、方おばあさんの話を話を聞き、一緒に歌を歌うことが出来るのは夢の中だけになってしまった・・・・・。

張玉が十二歳になる前には、毎年夏になるといつも方おばあさんに会うことができ、方おばあさんの家で一、二ヶ月住み、ある時には三ヶ月ともに過ごした。あの頃の日々は彼女にとって自分の家の中にいるのと同じだった。なぜなら彼女は幼い頃から人見知りのしない子供で、知らない環境でもすばやく適応できたからであった。方おばあさんと一緒にいると、いくらか寂しくはあったが、その寂しさのために却って話がしたければ幾らでも長く話し、話がなければ別に話さなくても気兼ねがなかった。おそらく彼女と方おばあさんは早くから気が合ったのであろう、互いの一挙手一挙足がすべて互いの目に止まり、いつも気にかかり、この一分を知れば後の一分がわかるという具合であった。
「私は方おばあさんの腹の中の虫でした」
張玉はこのように自分と方おばあさんの関係を形容している。
方おばあさんは彼女の周囲を見回してこれは何かと次々と尋ね、その折に人差し指と中指で張玉の鼻をつまんで、彼女の鼻は小さいなと言った。そこで張玉は方おばあさんに尋ねた。
「禅知内供(芥川龍之介の小説に出てくる鼻の長い和尚)の鼻が大きいと言うけれど、おばあちゃんは私の鼻をつまんであの禅智内供のような大きな鼻にするつもり?」。
方おばあさんはこれを聞くと意地悪そうな笑顔を浮かべて、彼女を「頭の良く回るガキだ」と言った。
また張玉が「私は斎天大聖だ。妖怪をやっつけるぞ。」といってオンドルの上に登って方おばあさんの大きな鼻をまじまじと眺めた。方おばあさんは怒らないだけでなく、面白がって張玉にどうして自分を「妖怪」と呼ぶのか尋ねた。張玉は答えて「おばあちゃんが年をとってもまだ化粧をするのは、妖怪じゃなかったらなんなの?」と言って、張玉は方おばあさんの体の上で空手の真似事をして、また土間に下りては木の棒を孫悟空のように回して遊び始めた。すると方おばあさんは急いで降りてきて、部屋の中で遊ぶと部屋の中のものを壊すといけないからと、張玉をせかして外の庭に連れて行って言った。「おばあさんの武道を見せてあげよう」。方おばあさんは朝の体操に使う木の棒をとると、雑技団のように木の棒を振り回し始めた。張玉は傍らで拍手をしながら「すごい、すごい!」と叫んだ。

時はあっという間に流れて、一九七九年正月十五日に、方おばあさんは四平に遊びに来て、張玉は方おばあさん臨時の住所である新立屯で方おばあさんと一緒に住んでいた。その日の夕暮れに、方おばあさんはちょうど李香蘭のレコードを聞いていたが、彼女は小銭を出して張玉に与え、街に行ってタバコを買ってくるように言いつけた。張玉は方おばあさんのくれたお金が五銭余っていたので、自分で爆竹と飴玉を買い、飴玉を食べてからようやく方おばあさんの家に戻ってきた。張玉が方おばあさんの家の近くまで来ると、部屋の中から仏教の菩薩を唱える声が聞こえてきたので、方おばあさんが念仏を唱えているのだろうと思った。そのとき道端では二人の友達が爆竹を鳴らしていたが、彼らは張玉を見ると一緒に遊ぼうと言ったので、彼らとしばらく遊んだ。張玉は少したつと遊び疲れたので方おばあさんの家に戻った。部屋の中に入ると驚くべき光景が目に飛び込んできた。方おばあさんが指揮棒をついて、大きな机に背もたれて、立ったまま動かなくなっていたのである。両目は目の前の仏像をじっと見つめて、仏壇の香炉に点けられた火はいまだ燃え尽きてはいなかった。
香の煙が部屋の中に立ち込めていたが、窓は何処もしまっていた。張玉は方おばあさんが吸うタバコのパイプが彼女の後ろにある大きな机に置かれているのを見たが、パイプの中のタバコはみな灰になっており、その灰が机の上に散らばっていた。彼女の傍らにはただ蓄音機がカラカラと回っていた。張玉はすぐに大変だと思って、叫んだ「方おばあちゃん!方おばあちゃん!・・・」。方おばあさんに駆け寄った。彼女が手で方おばあさんの顔に触れるとまだ暖かく、目もまだ湿り気があり、首も湿っていて、背中の上着も汗でびしょびしょになっていたが、もうすでに言葉を発することはなかった。
この時に屋外から急ぐような足音が聞こえ、張玉が戸を開けてみると、祖父がお米と小麦粉を担いで入ってきた。祖父は方おばあさんが立ったまま動かなくなっているのを見ると、お米と小麦粉を投げ捨て、前に向かって歩み寄ると、方おばあさんを抱きながらおお泣きに泣いて、方おばあさんを抱いてオンドルの上に載せると、上から白いシーツを全身にかぶせた。
方おばあさんは別人の名前で四平の火葬場で荼毘に付された。方おばあさんを荼毘にふすその日は、ただ張玉と祖父段連祥だけが方おばあさんを見送り、その他の数人はみな手伝いに雇った人だった。
四平の火葬場の庭で、祖父は方おばあさんの遺骨箱を持って来て、張玉に手渡した。すでに天候は寒くなっており道が凍っており、気持ちもそぞろであったので、張玉は誤って滑って転げてしまい、遺骨箱を地上の落として、遺骨を外に半分ほど散らしてしまった。祖父は怒って彼女を平手で打った。張玉は小さい時から祖父から打たれたことはなく、これが始めてであり、また唯一のビンタであったので、彼女は今でもはっきりと憶えている。彼女が忘れられないのは祖父の段連祥が方おばあさん(川島芳子)に忠義を尽くし、その死に至るまで忠実にお供したということである。

前述したように張玉が美術専攻の大学を受験するために絵を描いた際に、祖父段連祥の意思に従って、方おばあさんが世に残した唯一の一寸角の白黒写真をもとに、白黒の油彩画の肖像画を拡大して画いた。この方おばあさんの白黒画像を四寸角の写真に焼いたものが、現在でも残っている。
この方おばあさんつまり川島芳子晩年の油絵の写真を、我々は川島芳子の若いときの写真と比較したが、この写真と川島芳子本人とはとてもよく似ており、そうでなければ段連祥も今まで残すことはなかったであろう。
この写真は二〇〇七年末に、段霊雲と張連挙の夫婦が四平に父親段連祥の三周忌に行った際に、息子の張続宏の家から持って帰った段連祥の残した手提げ金庫の中から見つかったものだ。
それ以前に、我々の手には方おばあさん(晩年の川島芳子)の写真がなくて遺憾に感じていたので、張玉がかつて二〇〇七年十月、自分の記憶と方おばあさんへの深い印象を頼りに、とくに方おばあさんの人を見抜くような大きな目と、大きな「福耳」の特徴を捉えて、彼女の画家の技術を生かして六寸角の方おばあさんの彩色画を描いた。この方おばあさんの肖像画を、張玉は以前に公主嶺仏教協会釈正成会長に見せたことがある。正成法師は、画像にある老婦人はとても彼が写真で見た《方居士》に似ていると述べた。彼女の母親の段霊雲も張玉の描いた方おばあさんの彩色画を見て、とても方おばあさんに似ていると述べた。
張玉の二枚の白黒の油画と彩色画の方おばあさん(川島芳子)の肖像画が新立城に住んでいた方おばあさんと同一人物かどうか確かめるため、我々は特にこの写真を持って別々に方おばあさんにあったことのある逯興凱と陳良に見せると、二人とも写真の肖像画の人物は方おばあさんであると確認した。
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