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2015年10月30日

第四章第一節 川島芳子と秀竹

段連祥が臨終の遺言の中で告白したところによれば、直接に川島芳子の護送に参加し長春新立城へ向かったのは三人の男たち、すなわち秀竹(老七)と于景泰と段連祥であった。一九四八年末、于景泰は秀竹と川島芳子を連れて瀋陽の段連祥の元を訪ね、それから四人で一緒に于景泰の長春市郊外新立城に住む姉の嫁ぎ先である逯家に向かい、そこで段連祥(易に通じていた)に「風水」を占わせた後、そこを川島芳子の長期滞在先とした。それから于景泰と段連祥は部屋を片付けるために長春に残り、秀竹と川島芳子は再び南方へ向かった。年を越えて一九四九年の春になってから、川島芳子と秀竹は于景泰と段連祥の三人を引き連れて、馬車で生活用品を持ってきて新立城斎家村に隠れ住み、そこで三十年後に逝去するまで生活した。その長い歳月のうちに、秀竹は「神出鬼没」的に姿を現し、毎回一定期間共に居住し、川島芳子を于景泰と段連祥に託して、再び神秘的に姿を消すのであった。一九六六年に于景泰が原因不明の死を遂げると、「文化大革命」の発生により社会が混乱したため、秀竹も「別れを告げ」て、それ以来音信がなかった。
これらのことよりわかるのは、川島芳子を長春新立城に護送し匿ったのは彼らの「義侠心」や「同情心」などではなく、綿密に計画し組織的な手配の上で、一歩一歩組織的に行為が実行されたと言うことである。さらに方おばあさん(川島芳子)が一九七八年に死去して三年後(一九八一年)に、浙江省国清寺から僧侶(おそらく秀竹と同一人物)が来て遺骨を持ち去ったことからも、その組織的計画の厳密性が伺える。
では秀竹とは一体何者か?
段霊雲が新立城で方おばあさんと共に生活していたころ、よく彼女が《七叔》と呼ぶ人が来た。顔つきはとても元気よく、背格好は普通でやや太り気味であった。しかし方おばあさんの周囲の人たちの秀竹を呼ぶ名前は異なっていた。

【方おばあさんは《老七》《秀竹》と呼ぶ】
秀竹は川島芳子を長春新立城に護送する際の責任者で、川島芳子を保護して三人組の中でリーダー的役割を果たしていたことからすると、方おばあさん(川島芳子)との関係もただならぬものを感じさせる。段霊雲の記憶によれば、彼女はまだそのころ年齢が小さかったため、《七叔》と方おばあさんがどんな関係かはわからなかった。しかし《七叔》がやって来ると、方おばあさんは興奮剤を飲んだかのように、にわかに元気になった。段霊雲がまだ記憶しているのは一九五五年の夏に、父親の段連祥は彼女を方おばあさん家に送り届けて自分は家に帰ったときのことである。二日目に、《七叔》が何処からかやってきたが、灰色の半そでを着て、汗だくになって、手には一匹の鶏、一籠の卵、また二瓶の白酒、一袋のシイタケと一袋の果物を持っていた。方おばあさんはちょうど部屋の中で餃子を作っていた。方おばあさんが部屋の外の物音を聞きつけて、頭を挙げて《七叔》を見ると、すぐに手にしていた箸を手放し、オンドルから飛び降りると、まるでチョウチョが舞うように走って行き、《七叔》の手から差し入れを受け取りながら、喜んで嬉しそうに叫んだ。
「秀竹、帰ってきたのね!」。
ある時には、方おばあさんは父親と于景泰の前で彼のことを《老七》とも呼んでいた。
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