僕の出身地、青森県も八戸光星、青森山田が敗れたとネットニュースになった。どちらにも勝ち、青森県代表を勝ち取ったのは聖愛高校。(メンバーに知人の子供がいて、とても嬉しい。)
僕が弘前にいた頃はまだ女子校。(甘酸っぱい思い出よ…。)
そこが青森出身者だけで近年甲子園にも行き、地区大会では常に上位に食い込むようになったのは監督が良いからだと聞くが、教えているのは野球だけではないように思う。
メダルラッシュに沸く東京五輪。
オリンピックに目を向けても思う。
どうやら人間はプレッシャーを感じないで生きた方がいいのではないか、と最近思う。
つまり目の前の事だけを考える集中力を手に入れるといいのではないかと思うのだ。
甲子園地区大会で有力校が敗れるのは実力もあるだろうが、周りから甲子園に出て当たり前というプレッシャーを感じてしまったりするのではないだろうか。その点において青森山田サッカー部が2000年から地区大会でずっと負けなしというのは凄いと思う。
東京五輪では卓球、水谷隼・伊藤美誠ペア決勝の時の中国ペア。
男性の方に欠点を見いだし、集中攻撃した結果ミスが目立ち、明らかに様子がおかしくなっていった。その様子を見る伊藤選手の眼光は凄まじいものだった。
ソフトボール決勝の決勝打を打った藤田倭選手。
打席に入った時から、落ち着いていて他の選手とは次元が違っていた。しっかりボールが見えていたと思う。打っている姿を見ても落ち着いて逆方向に打ち返していた。
野球一戦目のドミニカ戦、最終回サヨナラの場面でもメンバーに同様の落ち着きがあった様に思う。
似たような事が芝居でもある。
オーディションの時、
演出家、監督のダメ出し、要求に思うように応えられない時、
本番でミスした箇所で、またミスした時、トラウマを抱えた時などなど。
「失敗したらどうしよう」というマイナス思考が殆どだが、これも自分で作るプレッシャー。
プレッシャーの意味を調べると圧力。
日常的には精神的圧力を感じた時に使う事が多い。
良い結果を残した選手が試合後に「自分の〇〇(競技)が出来た。楽しめた。」とよく言うのはプレッシャーを感じないで出来た気持ち良さからくる達成感ではないだろうか。
芝居は出来が点数に表れないし、相手役やカンパニー全体で創るものだから「自分の芝居が出来たからそれでいい」とはならないから難しい。
スポーツと同様とはならないが、表現の世界に身を置く上で一つのヒントになりそうだ。
プレッシャーを感じてチカラに変えるか、
感じないでチカラを発揮するか。
あなたはどっち?
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