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2021年09月17日
捕虜の生活とはかけ離れた丸亀のドイツ捕虜の収容所での生活とは
捕虜の生活とはかけ離れた丸亀のドイツ捕虜の収容所での生活とは
ドイツ捕虜が家族に出した手紙によって読み取れる。
ドイツでは家に入るときは靴をはく。しかし、日本では家に入るときはくつを脱ぐ。この文化の違いにもす
ぐに適応して、わらじ調達して快適に暮らした。
コーヒーや紅茶を飲み、音楽家たちはバイオリン演奏や歌を歌った。
〇日程
6時半…起床
7時半…整列後、朝食、慰問品の到着、自由時間
9時…教練
10時…各自の仕事、勉強、自由時間など
12時…朝食
3時…商人による販売、散歩
4時…午後のコーヒー
6時…夕食
9時…就寝
・週2回は風呂
〇ドイツ人捕虜の生活とは
以上のように、ドイツ人捕虜は一般的な捕虜の生活とは縁が遠い暮らしをしていた。自由時間が多く、強制
された時間が少ない。また、3時から4時までの間は、約1キロの道路を行き来することが許されていた。
地域の住民と接触することも可能と言える。
地域の住民と一緒に写っている写真も多くある。
〇イベントや行事など
・クリスマスには行事が開かれた。丸亀では、捕虜はお寺に収容されていたが、クリスマスを敷地内で祝うことを許されている。寛大な処置だと言える。
・音楽隊が組織されて、演奏会が開かれた。
・展覧会が開催されて、ドイツ捕虜の作品が展示された。
・捕虜達が作成した新聞が発行されていた。
・捕虜達が海水浴をしていた。
〇捕虜の給与など
・階級の高い捕虜将校には給料が現金で支払われた。
・一般兵には、食事、衣服、寝具などが現物支給された。
・親からの仕送りや勤務先からの給与など、現金収入のある者が、収入が無い者に対して、仕事を与えて、給与を与えていた。お互いが助け合う仕組みが収容所内であった。
以上のように、捕虜たちにある一定の自由認められた板。一般的な捕虜のイメージとはかけ離れた、人権が守られた生活を送っていた。