2021年09月18日
極東にあった奇跡の捕虜収容所とは
極東にあった奇跡の捕虜収容所とは
〇ドイツ軍俘虜(捕虜)と歴史
第一次世界大戦時、日本はイギリスの同盟国としてドイツと交戦した。主にドイツ軍が支配する東アジア植民地を攻撃した。この時多くのドイツ人が捕虜となり日本に送られる。
四国では愛媛県の松山市、香川県の丸亀市、徳島県の鳴門市に捕虜収容所がある。
この中で、徳島県の捕虜収容所が最も本格的な収容所である。この収容所は手狭になった各地の収容所を一カ所に集めて、本格的な設備を整えた作りとなっている。
日本人はドイツ人捕虜を人道的に扱った。この様子は映画化もされた。(バルトの楽園)
香川県の丸亀市の捕虜収容所の場所は塩屋別院である。丸亀市民は「同情を込めて、心から歓迎します。」と示し、ドイツ人と交流した。ドイツ人捕虜はオーケストラの演奏会を開き地元住民と触れ合った。
一般的には、戦争時には捕虜の人権が守られないことが多くある。そんな中、日本は国際法を厳守してドイツの捕虜を人道的に扱った 。
〇捕虜の虐待
捕虜は犯罪者ではないので、その人権は守らないといけない。捕虜に対しての人権侵害は国際法で禁止されている。しかし、歴史的に捕虜の人権は守られないことが多い。
捕虜は敵国の兵士、自国の兵士を殺している憎き存在として扱われる。捕虜の虐殺や強制労働など捕虜虐待の事例は多い。
〇国際法とハーグ陸戦条約
各国が守るべきルールを定める、これが国際法である。戦争時でも守るべきルールがある。
ハーグ陸戦条約は捕虜の虐待を禁止した条約である。日本はこの条約を批准した。この条約の原則をきちんと守ったことになる。
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