2016年02月18日
清原容疑者 前妻は気付いた夫の異変
〈また夢になるといけねぇ〉で下げとなる、古典落語「芝浜」が頭を過(よぎ)ったのかもしれない。かつての盟友、桑田真澄氏は「清原逮捕」を受け、〈夢であってほしい〉と口にしたのだった。翻って清原夫妻の場合、この噺のように依存症を断ち切る夫婦愛の物語を完結させることは叶わなかった。14年9月に結婚生活は破綻。亜希前夫人(46)も夫の異変に気づいていた1人だったが、シャブ抜きは奏功せず、不幸な結末に至ったのだ。
***
アルコール依存症と対峙する夫。彼に嘘をつくなど策を弄して更生を支える妻。この「芝浜」のみならず、アルコールを覚醒剤に置き換えた立川談笑のその名も「シャブ浜」は、美談佳話に他ならない。
そもそも人は、やすやすと変わることなどできない。
それでも、こういった仮構に一時でも身を委ねたいと願うのは真率な感情である。要するに、「人は変わることができる」という奇跡を夢みてのことなのだ。
果たして、変わることができなかった清原の異変を前妻が最初に察知したのは2000年ごろ。それはこんなことがきっかけだった。
「亜希さんが、当時巨人に所属していた清原のスーツを片付けていたところ、ポケットからレシートが出てきた。それは東京ドームホテル近くのコンビニのもので、明細はポカリスエットの1・5リットルボトルを3本、アルミホイル、ストローとライターを各5個という内容だったのです」
とは芸能関係者のひとり。東京慈恵会医科大の柳田知司客員教授によると、
「クスリをあぶって吸うために揃えたのでしょう。アルミホイルで覚醒剤をくるみ、そこへストローを差し入れ、ホイルをライターであぶります。すると覚醒剤の成分が蒸発してくるので、ストローで吸い込むのです」
ちなみにポカリスエットについては、
「覚醒剤を服用すると、汗が出て喉が渇きます。ですから、飲用のために買ったと判断するのが自然です」(元近畿厚生局麻薬取締部長の西山孟夫氏)
ともあれその後も、清原は覚醒剤のぬかるみにどんどん嵌っていく。その一方で、焦慮を抱えながらも、「人は変わることができる」という一念でもって見守ってきた亜希さんが、矢も楯もたまらずSOSを発信する。それが12年春のことだった。
■錯乱した状態
別の関係者が打ち明ける。
「当時のキヨさんは、家をいったん出ると1週間は戻ってこないこともしばしば。帰宅したかと思ったら自室に閉じこもっていて、覗くと、隅っこで三角座りをしてボーっとしているような状況だったのです」
前妻は、2人が共に頼みとする実業家に相談し、結果、精神科医を中心にサポートチームが結成された。
「そこでのカウンセリングがキヨさんと波長があったようで、胸襟を開いてあれこれと話していた。“厚い雲がさーっと晴れて太陽が見えてくる。そんな気持ちよさです”と、覚醒剤の使用感について触れていました。それに加えて、“自分は『番長』なんて呼ばれていますが、本当はビビりでちっちゃな人間なんです”などと、素直な言葉を漏らしてもいました」(同)
快方へ向かうかと思われた折、“事件”は起こった。
「医者に話を聞いてもらうようになって1年くらい経ってからなんで、13年のことです。キヨさんはまたクスリに手を出してしまった。ホテルに何人かで集まって覚醒剤を打っていたら、変な風にキマってしまいましてね。見回りに来たマネージャーが慌てて奥さんに電話したんです」(同)
亜希さんはチームに緊急連絡し、医師の判断で足立区の精神科病院へ緊急搬送されることとなった。シャブを抜くことでは名の知られたこの病院の関係者は、
「覚醒剤の急性中毒のせいで、かなり昂ぶっていて錯乱した状態でした。したがって、電気ショック療法を行ない、それを緩和しようとしたのです」
とし、こう説明する。
「まず、酸素吸入をしながら麻酔薬を、意識がなくなったら筋弛緩剤を投与します。その際、口腔内を傷つけないようにマウスピースを咥えさせ、頭部から脳に数秒間電気を流す。そうすると、患者は数十秒から1分ほどけいれんを起こします。これによって精神の安定を取り戻し、依存からの離脱を早めることができるのです」
その代わり、一時的に記憶喪失に陥ることもあるというからすこぶる荒療治に違いない。しかるに、再び覚醒剤へ尻尾を振って近づいて行ったわけで、「やすやすと変わることができない」人の性分をはしなくも物語っている。
詩人の吉野弘さんは「過」という作品にこう綴る。
〈日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか/生きることは/そのまま過ちであるかもしれない日々〉
突っかえ棒の前妻と過ごした時間のうち、どの過ちが清原の頭を過るのか。
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アルコール依存症と対峙する夫。彼に嘘をつくなど策を弄して更生を支える妻。この「芝浜」のみならず、アルコールを覚醒剤に置き換えた立川談笑のその名も「シャブ浜」は、美談佳話に他ならない。
そもそも人は、やすやすと変わることなどできない。
それでも、こういった仮構に一時でも身を委ねたいと願うのは真率な感情である。要するに、「人は変わることができる」という奇跡を夢みてのことなのだ。
果たして、変わることができなかった清原の異変を前妻が最初に察知したのは2000年ごろ。それはこんなことがきっかけだった。
「亜希さんが、当時巨人に所属していた清原のスーツを片付けていたところ、ポケットからレシートが出てきた。それは東京ドームホテル近くのコンビニのもので、明細はポカリスエットの1・5リットルボトルを3本、アルミホイル、ストローとライターを各5個という内容だったのです」
とは芸能関係者のひとり。東京慈恵会医科大の柳田知司客員教授によると、
「クスリをあぶって吸うために揃えたのでしょう。アルミホイルで覚醒剤をくるみ、そこへストローを差し入れ、ホイルをライターであぶります。すると覚醒剤の成分が蒸発してくるので、ストローで吸い込むのです」
ちなみにポカリスエットについては、
「覚醒剤を服用すると、汗が出て喉が渇きます。ですから、飲用のために買ったと判断するのが自然です」(元近畿厚生局麻薬取締部長の西山孟夫氏)
ともあれその後も、清原は覚醒剤のぬかるみにどんどん嵌っていく。その一方で、焦慮を抱えながらも、「人は変わることができる」という一念でもって見守ってきた亜希さんが、矢も楯もたまらずSOSを発信する。それが12年春のことだった。
■錯乱した状態
別の関係者が打ち明ける。
「当時のキヨさんは、家をいったん出ると1週間は戻ってこないこともしばしば。帰宅したかと思ったら自室に閉じこもっていて、覗くと、隅っこで三角座りをしてボーっとしているような状況だったのです」
前妻は、2人が共に頼みとする実業家に相談し、結果、精神科医を中心にサポートチームが結成された。
「そこでのカウンセリングがキヨさんと波長があったようで、胸襟を開いてあれこれと話していた。“厚い雲がさーっと晴れて太陽が見えてくる。そんな気持ちよさです”と、覚醒剤の使用感について触れていました。それに加えて、“自分は『番長』なんて呼ばれていますが、本当はビビりでちっちゃな人間なんです”などと、素直な言葉を漏らしてもいました」(同)
快方へ向かうかと思われた折、“事件”は起こった。
「医者に話を聞いてもらうようになって1年くらい経ってからなんで、13年のことです。キヨさんはまたクスリに手を出してしまった。ホテルに何人かで集まって覚醒剤を打っていたら、変な風にキマってしまいましてね。見回りに来たマネージャーが慌てて奥さんに電話したんです」(同)
亜希さんはチームに緊急連絡し、医師の判断で足立区の精神科病院へ緊急搬送されることとなった。シャブを抜くことでは名の知られたこの病院の関係者は、
「覚醒剤の急性中毒のせいで、かなり昂ぶっていて錯乱した状態でした。したがって、電気ショック療法を行ない、それを緩和しようとしたのです」
とし、こう説明する。
「まず、酸素吸入をしながら麻酔薬を、意識がなくなったら筋弛緩剤を投与します。その際、口腔内を傷つけないようにマウスピースを咥えさせ、頭部から脳に数秒間電気を流す。そうすると、患者は数十秒から1分ほどけいれんを起こします。これによって精神の安定を取り戻し、依存からの離脱を早めることができるのです」
その代わり、一時的に記憶喪失に陥ることもあるというからすこぶる荒療治に違いない。しかるに、再び覚醒剤へ尻尾を振って近づいて行ったわけで、「やすやすと変わることができない」人の性分をはしなくも物語っている。
詩人の吉野弘さんは「過」という作品にこう綴る。
〈日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか/生きることは/そのまま過ちであるかもしれない日々〉
突っかえ棒の前妻と過ごした時間のうち、どの過ちが清原の頭を過るのか。
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