2015年10月29日
学歴コンプレックスについて
ヤフーの質問掲示板をのぞいてたら、こんな質問がありました。
「私は、それほど偏差値が高くない(とはいっても無名ではない)大学に通っているのですが、学歴コンプレックスに悩んでいます。・・・(中略)・・・
偏差値の高い大学生相手だとどうしても一歩ひいてしまうし、好きになった女性が自分より偏差値の高い大学だと、それだけで、自分なんてと感じてしまい、アピールできません。
こんなことなら高校の時、だらだら過ごさず、もっと一生懸命勉強しておけばよかった・・・今から、大学受けなおそうかとさえ考えてます。
でも、実際問題、そんなの無理だろうし・・・。それに、20すぎの新入生なんて、それもどうかと思うし。
一生このままなんでしょうか?どうすればこのコンプレックスを解消できるのでしょうか?」
僕も気持ちはすごくわかります。
やはりいろんな方が関心のあるテーマなのか、数多くの回答が寄せられていました。
「今からでも大学受けなおせば?実際今は、20代の大学入学者多いみたいだよ。」
「何か資格取れば?」
「あなたは自分が好きでないんですね。仮にもしあなたに学歴があったとしても多分同じ。もっと、ありのまま自分を好きになっていくことが大切なんではないでしょうか?」
「社会人になれば、学歴なんてそんな関係ないし、そんなん自然に消えるんじゃない?」
「結局あなたは、なにがしたいの?それをはっきりさせずに学歴にこだわってもしょうがないんじゃない?」
他にも色々な回答があったんですが、これらを分類すると、大きく分けて3つのタイプにわけられるかと思います。
タイプ1 もう一回いい大学入りなおすか、または自慢出来るような難関資格を取得する。
多くの人がまず考えるのはこれかと思います。
僕もまだ強くコンプレックス持っていた頃、やはり大学再受験したり、難関資格をとりに専門学校へ通ったもんです。
「受かればなんとかなるだろう。というかまずは受からないと俺の人生始まらない。」などと考えて、そもそも別にやりたい職業でも入りたい大学でもなかったのに、無理やり気力を振り絞ってました。
しかし今から考えると視野がとても狭かったと思いますし、自分自身に勝手にいろいろな制約をかけてしまっていたように思います。
こうすべき、ああすべきなんて本当はないのにね。自分の好きなように生きていいのに。変な見栄とか常識捨てれば、生きてく方法なんて、他にいくらでもあるのに。
「これでダメならもうやめる!」と最後の一年頑張ったんですが、結果×でしたのですっぱりと諦め、自分の本来やりたかった道をまい進することにしました。
結果として、それで本当によかったと思います。(まあ、多少負け惜しみ入ってるのも認めますけど。)
自分の性に合ってて、人様に喜ばれる仕事が出来ればコンプレックスは自然と消えます。
というわけで、僕の個人的な意見になってしまいますが、コンプレックス解消のためだけに、難関大学受験とか難関資格を取得するのは、あまりお勧め出来ないです。(ちゃんと目的があってやるのならそれは全然別。)
”自分の人生の目的とか幸せだとかは、まずは受かってから考える”というのも一つのやり方ではあると思いますし、小器用に生きれるタイプの人なら、それでもなんとかなるとは思いますが、そういうタイプでない人の場合、チャレンジする前によくよくご自分のことを考えたほうがよいと思います。
それは、本当に”あなた自身の願い”なのか?知らず知らずのうちに親や周りの期待に添おうとしてしまっていないか?何か自分の別の問題から逃げるために、学歴・資格取得に走ってしまっていないか?
自分は本当は何に向いてるのか?(人よりやすやすと要領よく出来ることは何か?減点法の現代日本においては、自分の短所をなおすことばかりに目が向き、長所は当たり前のものとして無意識になってしまっていることも多い。)
タイプ2 コンプレックスというのは心の問題。そこを解決しないと多分何も変わらない。
実際、世間を見ると、超高学歴の人でもコンプレックスに悩まされてる人って多いみたいなんですよね。
一ツ橋大学という、日本で5本の指に入るであろう、超名門国立大学があります。
これほどの名門なんだから、学歴コンプレックスとは無縁だろうと、多くの人が考えると思います。
でも、そうでもないみたいなのです。
「僕の成績やったら、本当は東大入れたんだよね。高校時代の東大模試でも、常にA判定だったし。」
とかなんとか言い続けて、4年間を過ごす一ツ橋大学生も、少なからず存在するみたいなんです。
学歴とか資格とかって上を見出すとキリがないとこがあります。
ですので、どっかの段階で開き直りが必要かと思います。
無い物ねだりせず、今自分が持ってるもので、どうすれば人様に喜んでもらえるか。自分にとっての幸せはなんなのか。
ちなみにこの質問のベストアンサーに選ばれてたのは、このタイプの回答でした。
タイプ3 社会人になれば、学歴なんてどうでもよくなる。
(一部例外はあると思いますが)どの業界でも最終的に問われるのは、資格でも学歴でもなく実際どれだけ仕事が出来るかだと思います。いくら立派な資格や学歴があっても、現場で結果を残せない方を上司も使おうとは思えないですし、お客さんもついてこないでしょう。自分の自信にもならないでしょう。
話しは全く全然変わりますが、コンプレックスはその人のいる環境とか身近な人の価値観次第といったところも大きいと思います。
僕は20代前半あたりまで、割と重度の学歴コンプレックスでした。うちの両親など身近な人にもそういう価値観の人多かったと思います。
で、30すぎた今は、「全くなくなったわけでないけど、それほどでも。」といったところだと思います。
でも、そういうのがゼロになったわけでもありません。何かの折には刺激されます。
私は時々、デイサービスなどの老人施設にボランティアに行くのですが、ご老人の中には、「孫は京大出身で、司法試験に関西で一番で受かって、新聞にのった。」とか、「息子は、慶応でて、今は○○会社の取締役やっとる。」などと言った話が大好きな方がおられます。
別に、それだけならいいのですが、だいたいそういう人って「あんたは、どこの大学でてんの?」って聞いてきます。
で私が「高卒やねん。」と答えると、「別に学歴がどうだろうと、胸はって仕事することが大切なことなんだよ。」とか励まし?てくださったりします。
・・・いや、まあ、そりゃあごもっともなんですがね・・・
正直言いますと、そういう時はよっぽど、「俺も京大出身やねん。」とか嘘ついてやりたい衝動にかられます。困ったもんですね。
とまあ、人間は社会的動物でもあるわけですし、コンプレックスって環境次第、相手次第というのも大きいかと思います。
まとめのようなもの
結局は、その人がその人らしく、人様のお役に立てる仕事をすることが一番大切なことだと思います。そうすれば自信も自然についてきますし。コンプレックスも消えていきます。
本来、学歴なり資格取得なりはそのためのもんです。自分の目指す職業がそういったものを必要としてないものなら、別にそれにこだわる必要なんて全くないと思います。
ただ、問題は”自分に合ってて、かつお金になる仕事”を見つけるというのが、制約のいろいろ多い現代においては、とても難しかったりすることです。
そこに触れだすと話しがまた別のテーマになってしまいますので、別の機会があれば、ということで。
「私は、それほど偏差値が高くない(とはいっても無名ではない)大学に通っているのですが、学歴コンプレックスに悩んでいます。・・・(中略)・・・
偏差値の高い大学生相手だとどうしても一歩ひいてしまうし、好きになった女性が自分より偏差値の高い大学だと、それだけで、自分なんてと感じてしまい、アピールできません。
こんなことなら高校の時、だらだら過ごさず、もっと一生懸命勉強しておけばよかった・・・今から、大学受けなおそうかとさえ考えてます。
でも、実際問題、そんなの無理だろうし・・・。それに、20すぎの新入生なんて、それもどうかと思うし。
一生このままなんでしょうか?どうすればこのコンプレックスを解消できるのでしょうか?」
僕も気持ちはすごくわかります。
やはりいろんな方が関心のあるテーマなのか、数多くの回答が寄せられていました。
「今からでも大学受けなおせば?実際今は、20代の大学入学者多いみたいだよ。」
「何か資格取れば?」
「あなたは自分が好きでないんですね。仮にもしあなたに学歴があったとしても多分同じ。もっと、ありのまま自分を好きになっていくことが大切なんではないでしょうか?」
「社会人になれば、学歴なんてそんな関係ないし、そんなん自然に消えるんじゃない?」
「結局あなたは、なにがしたいの?それをはっきりさせずに学歴にこだわってもしょうがないんじゃない?」
他にも色々な回答があったんですが、これらを分類すると、大きく分けて3つのタイプにわけられるかと思います。
タイプ1 もう一回いい大学入りなおすか、または自慢出来るような難関資格を取得する。
多くの人がまず考えるのはこれかと思います。
僕もまだ強くコンプレックス持っていた頃、やはり大学再受験したり、難関資格をとりに専門学校へ通ったもんです。
「受かればなんとかなるだろう。というかまずは受からないと俺の人生始まらない。」などと考えて、そもそも別にやりたい職業でも入りたい大学でもなかったのに、無理やり気力を振り絞ってました。
しかし今から考えると視野がとても狭かったと思いますし、自分自身に勝手にいろいろな制約をかけてしまっていたように思います。
こうすべき、ああすべきなんて本当はないのにね。自分の好きなように生きていいのに。変な見栄とか常識捨てれば、生きてく方法なんて、他にいくらでもあるのに。
「これでダメならもうやめる!」と最後の一年頑張ったんですが、結果×でしたのですっぱりと諦め、自分の本来やりたかった道をまい進することにしました。
結果として、それで本当によかったと思います。(まあ、多少負け惜しみ入ってるのも認めますけど。)
自分の性に合ってて、人様に喜ばれる仕事が出来ればコンプレックスは自然と消えます。
というわけで、僕の個人的な意見になってしまいますが、コンプレックス解消のためだけに、難関大学受験とか難関資格を取得するのは、あまりお勧め出来ないです。(ちゃんと目的があってやるのならそれは全然別。)
”自分の人生の目的とか幸せだとかは、まずは受かってから考える”というのも一つのやり方ではあると思いますし、小器用に生きれるタイプの人なら、それでもなんとかなるとは思いますが、そういうタイプでない人の場合、チャレンジする前によくよくご自分のことを考えたほうがよいと思います。
それは、本当に”あなた自身の願い”なのか?知らず知らずのうちに親や周りの期待に添おうとしてしまっていないか?何か自分の別の問題から逃げるために、学歴・資格取得に走ってしまっていないか?
自分は本当は何に向いてるのか?(人よりやすやすと要領よく出来ることは何か?減点法の現代日本においては、自分の短所をなおすことばかりに目が向き、長所は当たり前のものとして無意識になってしまっていることも多い。)
タイプ2 コンプレックスというのは心の問題。そこを解決しないと多分何も変わらない。
実際、世間を見ると、超高学歴の人でもコンプレックスに悩まされてる人って多いみたいなんですよね。
一ツ橋大学という、日本で5本の指に入るであろう、超名門国立大学があります。
これほどの名門なんだから、学歴コンプレックスとは無縁だろうと、多くの人が考えると思います。
でも、そうでもないみたいなのです。
「僕の成績やったら、本当は東大入れたんだよね。高校時代の東大模試でも、常にA判定だったし。」
とかなんとか言い続けて、4年間を過ごす一ツ橋大学生も、少なからず存在するみたいなんです。
学歴とか資格とかって上を見出すとキリがないとこがあります。
ですので、どっかの段階で開き直りが必要かと思います。
無い物ねだりせず、今自分が持ってるもので、どうすれば人様に喜んでもらえるか。自分にとっての幸せはなんなのか。
ちなみにこの質問のベストアンサーに選ばれてたのは、このタイプの回答でした。
タイプ3 社会人になれば、学歴なんてどうでもよくなる。
(一部例外はあると思いますが)どの業界でも最終的に問われるのは、資格でも学歴でもなく実際どれだけ仕事が出来るかだと思います。いくら立派な資格や学歴があっても、現場で結果を残せない方を上司も使おうとは思えないですし、お客さんもついてこないでしょう。自分の自信にもならないでしょう。
話しは全く全然変わりますが、コンプレックスはその人のいる環境とか身近な人の価値観次第といったところも大きいと思います。
僕は20代前半あたりまで、割と重度の学歴コンプレックスでした。うちの両親など身近な人にもそういう価値観の人多かったと思います。
で、30すぎた今は、「全くなくなったわけでないけど、それほどでも。」といったところだと思います。
でも、そういうのがゼロになったわけでもありません。何かの折には刺激されます。
私は時々、デイサービスなどの老人施設にボランティアに行くのですが、ご老人の中には、「孫は京大出身で、司法試験に関西で一番で受かって、新聞にのった。」とか、「息子は、慶応でて、今は○○会社の取締役やっとる。」などと言った話が大好きな方がおられます。
別に、それだけならいいのですが、だいたいそういう人って「あんたは、どこの大学でてんの?」って聞いてきます。
で私が「高卒やねん。」と答えると、「別に学歴がどうだろうと、胸はって仕事することが大切なことなんだよ。」とか励まし?てくださったりします。
・・・いや、まあ、そりゃあごもっともなんですがね・・・
正直言いますと、そういう時はよっぽど、「俺も京大出身やねん。」とか嘘ついてやりたい衝動にかられます。困ったもんですね。
とまあ、人間は社会的動物でもあるわけですし、コンプレックスって環境次第、相手次第というのも大きいかと思います。
まとめのようなもの
結局は、その人がその人らしく、人様のお役に立てる仕事をすることが一番大切なことだと思います。そうすれば自信も自然についてきますし。コンプレックスも消えていきます。
本来、学歴なり資格取得なりはそのためのもんです。自分の目指す職業がそういったものを必要としてないものなら、別にそれにこだわる必要なんて全くないと思います。
ただ、問題は”自分に合ってて、かつお金になる仕事”を見つけるというのが、制約のいろいろ多い現代においては、とても難しかったりすることです。
そこに触れだすと話しがまた別のテーマになってしまいますので、別の機会があれば、ということで。
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