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2021年08月20日

【映画感想】吉原炎上



『吉原炎上』1987年6月公開

監督:五社英雄
キャスト:名取裕子、二宮さよ子、藤真利子、西川峰子、かたせ梨乃、根津甚八

【ストーリー】
十八歳のときに吉原に売られて花魁の最高位“お職”になり、なじみ客に身受けされて倖せを掴んだ、久乃。したたかに生きる久乃を中心に、ひたすら男を楽しませることだけに生きるお職・九重、酒と情人に狂う花魁・吉里、無理がたたって入院し無残な死を遂げる花魁・小花、中梅楼から河岸見世に住み替えとなる安女郎・菊川ら、遊郭に生きる女たちの華麗にしてドラマチックな人生を、美しい四季の移ろいの中に赤裸々に描く。


感想


五社英雄作品の中で、これまで私が見たことのある映画は「鬼龍院花子の生涯」と「陽暉楼」の2つでした。この二つの作品は公開前から相当話題になっていたと思うのですが、時期が離れているせいか、「吉原炎上」に関してはあまり記憶にありませんでした。

鬼龍院花子の生涯陽暉楼の三作品は、映画監督:五社英雄と、原作:宮尾登美子とのコンビ作品ということで有名なわけですが、三作品を合わせて「高知三部作」と言われています。この中の「櫂」だけは松たか子主演のドラマ版を観ています。

三作を映画公開順に並べてみると、
  • 鬼龍院花子の生涯(1982年6月)
  • 陽暉楼(1983年9月)
  • 吉原炎上(1987年6月)
となります。

「陽暉楼」と「吉原炎上」の間には「櫂」があったり、あの「極妻」こと「極道の妻たち」があったりします。

濃いなぁ〜。

実は、U-NEXTの無料キャンペーンを利用して久しぶりにドラマ「仁 -JIN-」を観ました。

「仁」は昨年のコロナ自粛のタイミングに再放送されて話題になりましたが、22話を6夜にまとめたため、かなりの場面を編集されてしまい、見たかったシーンを観ることができずに消化不良をおこしていました。

無料の間にザザッと一通り見てみようと思ったところ、結局全話をしっかり観てしまったのですが、なんといっても「仁」に登場する吉原の花魁「野風」の存在があまりにも魅力的で、吉原、吉原、、、と思っているうちに、この「吉原炎上」に辿り着いてしまいました。

正直、ストーリーとしては「鬼龍院花子の生涯」と「陽暉楼」のほうが面白いと思います。また、それぞれの主演である夏目雅子や池上季実子に比べると、迫力という意味では名取裕子は少し物足りなさを感じたりもします。

名取裕子さんは、金八先生(1979年)でマドンナ役として登場したことで世間的な認知度が上がったと思いますが、調べてみると、当時の彼女は22歳位でした。その頃の演技はどことなく未熟な感じがしてましたが、少しずつ円熟味を増していき、着物の似合う女優さんとしては当時抜きん出ていたと記憶しています。

最近では検事だったり解剖医だったりと、事件ものを扱うドラマでお会いすることが多いですが、この映画が公開された当時は30歳?撮影時にはギリギリ20代というところでしょうか。

本来なら遊郭に身を置く10代〜20代前半の女優さんを使ったほうが、現実に近い若々しい雰囲気を出せた気がします。先輩花魁にしても「とうが立った」と言われながらも実際には25、6才のはず。

だけど、なにせ「酸いも甘いも嚙み分ける」世界を演じ、あの凄みを出すには余程の演じ手でなければ嘘っぽくなってリアリティに欠けますし、あれだけ豪華なセットを用意しながら下手な学芸会を見せられるほど無駄なものはありません。しかも最大の見せ場となる花魁道中に映える姿となれば、脂の乗った30手前の名取裕子は適任だったといえるのでしょう。


映画は名取裕子が演じる久乃という少女が、親の借金のかたに遊郭「中梅楼」に売られるところから始まります。遊郭を取り仕切る「遣り手」のおちか(園佳也子)が、久乃に先輩花魁を紹介したり遊郭のしきたりを教えて回るのですが、その場面のおかげで視聴者側も自然に「なるほどねぇ〜」とその仕組みを理解していくことができます。

久乃が売られた中梅楼の花魁は九重、吉里、小花の三人。そこに女郎の菊川を加えて、遊郭に身を沈めた女たちの生き様を、それぞれの出来事を四季ごとにわけて描き出していきます。

久乃→若汐→紫(お職):名取裕子
九重(一番花魁・お職):二宮さよ子
吉里(二番花魁):藤真利子
小花(三番花魁):西川峰子
菊川:かたせ梨乃

映画は、遊郭で生きるこの五人の女たちを、それぞれの四季になぞらえて描く短編の集まりになっていました。

桜の開花に合わせて紫(久乃)が吉原に入り、桜の散るころに九重が去っていく。

夏には吉里、秋には小花。

壮絶な二人の生き方を見せられた後、菊川が幸せを掴んで吉原を出ていくのだけど…。

菊川を冬の季節に持ってきているところが、彼女の運命とシンクロしています。

さて、若汐という名で店に出ることになった久乃ですが、器量よしは最初から恵まれています。身売りされたときは800円という破格で、遊郭に来た当初から周りの期待は大きいものでした。

すぐに上客がついたこともあり、周りの予想よりも早くにお職(店のトップ)の座に就きます。自分を大切にしてくれた若様と別れることになってもすぐに新しい客が付きます。先輩4人の悲しい人生とは違い、運を持って生まれた子なんですよね。

おかげで夢でもある花魁道中まで実現し、中梅楼だけでなく吉原遊郭の頂点に上り詰めるわけです。右も左もわからぬ田舎娘が自身の不幸を乗り越え、先輩女郎の姿を見ながら、実は一番したたかに吉原を生き抜いたということになります。

ただ、個人的にどうしても納得いかないのが、野風と紫が同じ土俵にいること。

「花魁には教養も求められた」と聞いていた身としては、紫が教養を身に着ける間もなくトップに立ってるというのは違和感があります。特にドラマ「仁」の野風を見た直後なので、あまりにも次元の違う立ち居振る舞いに、これで上客がつくっていうのがあり得るのだろうかと思っちゃうんですよね。

それでわかったのが、時代の違い。

「仁」は江戸時代。「吉原炎上」は明治の後半。

この映画を観るまで考えたこともなかったけど、時代の変化とともに吉原の在り様もかなり変化してて、しきたり自体が相当変わってたと思ったほうがいいみたい。

2時間ほどで5人のエピソードを語るわけですから、ストーリーの膨らみが足りないと感じるのは無理もないことかもしれません。

それでも花魁役の女優陣の体当たり演技は、今ではとても無理だろうなぁと思う凄まじいものばかりです。

中でも西川峰子が演じた小花の最期は、恐ろしさ、美しさ、哀しさ、地獄道の行き着く先を描き出した名シーンだと思いました。

凄いぞ峰子!と唸らずにはいられません。


平成で吉原を扱った映画として記憶にあるのは「さくらん」ですが、こちらは「色」の鮮やかさで豪華絢爛な雰囲気を演出し、土屋アンナ演じる威勢のいい花魁が啖呵を切る姿でスカッとさせるものでした。

あの鮮明で美しい映像と比べると、暗くザラついたように見える昭和のフイルム映像は地味で薄暗く感じられ、若い人からはどうしても敬遠されそうな気がします。ですが、遊郭内の暑苦しさや気怠さのリアリティは吉原炎上のほうにこそ感じることができますし、吉原遊郭という「文化」を知る意味で、とても意義のある作品だと感じます。

男衆の働き具合も見えてきて、明治期の吉原遊郭を知りたいと思うなら、是非とも観ておきたい映画であることは間違いないです。




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吉原遊郭独特の「ことば」


映画を観ていると吉原独特の聞き慣れない言葉が飛び交います。折角なのでいくつか調べてみました。

◆ 遣り手(やりて)


遊郭内を差配している女性で、映画内のおちかによれば「司令塔」とのこと。
もともとは遊郭で女郎として働いていた者が、年をとってから遊郭の雑事に回ることもあるそうで、遣り手の中にもそういう事情を抱えている人がいるのかもしれませんね。

◆ 張見世(はりみせ)


遊郭前の道路に面した店先に居並び、格子の内側から自分の姿を見せて客を待つ場所。

◆ 引手茶屋(ひきてぢゃや)


ランクの高い店の遊女と遊ぶには、まず引手茶屋に遊女を呼んで宴席を設け、その後に遊女屋へ登楼する流れになっていた。花魁と遊ぶには客側が財力を示す必要があったというわけですね。

◆ 俄(にわか)


俄とは即興劇のこと。今回、吉原俄として調べてみると、8月の晴天30日に行われたと紹介されていることが多かったのですが、「吉原炎上」の中では「10月の晴天15日間」とナレーションされています。


即興劇と言われても、それがどんなものかを想像しづらいものですが、実はつい最近読んだコミックス「青楼オペラ」に登場していたので「あれのことだ!」と判りやすかったです。検索すると出て来る浮世絵よりもよっぽどわかりやすいので、興味のある方はこのコミックスはお勧めですョ。

「花魁」と「芸者」の違い


陽暉楼では芸妓の世界を描き、芸事の手習いに精を出している様子も伺えたのに対して、吉原炎上に出て来る花魁は客待ち以外に何をしているのかしらと思うほど何もしていない。

「あ、そもそもあっちは芸妓でこっちは花魁か!」と気づいてみると、そういえば「花魁」と「芸妓(芸者)」の違いって何?という基本的な疑問にぶちあたりました。

一番わかりやすかったのは
「色を売る遊女」と「芸を売る芸者」
という説明ですかね。

「花魁」とは遊女の最高位にある人のことなので、まさに「色を売る遊女」なのですよね。

他方、地域によって「芸者」と言ったり「芸妓」と言ったりするようですが、芸を売るほうは踊りや三味線を披露することで客をもてなすのがお仕事。

基本は上記の通りですが、吉原ができた江戸時代には花魁にも教養が必要とされており、子供の頃から教養や芸事を仕込まれます。

ですが時代と共に遊郭内の遊女の数が増えたり事情も変わってゆき、次第に教育が追い付かなくなってきたため、芸を披露することを専門にする職業が生まれ、それが「芸者」になったのだということです。

とはいえ陽暉楼などを見ていると芸者も色を売っていたように思うのですが、その辺の線引きは店によるのか、時代によるのか、、、こちらが思うほどスパッとした線引きは無いのかもしれません。

ですがこのことを調べてみると、野風と紫の違いがハッキリとわかり、スッキリしました。

当時の「800円」


主人公・久乃は800円で吉原に身売りされているのですが、この金額が今でいうと一体どのくらいの値になるのか気になりますよね。

映画の舞台となっている明治時代の1円は、現在の2万円位の価値になるようです。単純に計算しても1600万円とは、なんとも恐れ入ります。

最後に・・・


「吉原炎上」にはあまり深いストーリーは期待しないほうがいいかもしれません。遊郭に身を沈めた女たちの様々な生き様を描いているといっても、吉原を扱う作品は大抵似たような結末を迎える話になるので、「どこかで見たような…」となります。

ストーリーにあれこれツッコミを入れるより、どんな女優さんがどんなふうに美しく花魁を演じているのかを楽しむ芸術作品だと思って観たほうがモヤモヤすることは少ないかもしれません。


吉原を舞台にしたコミック


リアリティのある文学作品を書こうとする小説よりも、コミックのほうが自由な発想で描かれている分、内容が面白いこともあります。吉原を舞台にしたこちらのコミックは、ある事件の謎解きを絡めた内容となっていてドラマや映画でみたことのある吉原モノとは少し違った角度で楽しめました。お勧めですョ♪




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