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子供たちの未来を思うと、
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子供たちの為に・・・。
日々起きる問題を、検証することで、
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2019年05月15日

親の責任は、子供を一流大学や一流企業に入れることではない

子どもへの愛情が、親の「エゴ」になってしまっている例があります。
子どもへの愛情を、勘違いしないようにしなければいけない。
そのいい例です。


母親に、ひきこもりの時限爆弾を埋め込まれた

【新連載スタート】母親の希望通りに一流大に合格、大企業の内定を得てひきこもりになった理由とは/両親には虐待の認識なし

この男性は、うつ病を発症し、生活保護を受給しながら都内で生活しています。一方で「ぼそっと池井多」の名前でブログを書くなど、ひきこもり当事者の実態を伝える活動もしています。

 彼が育ったのは父親が会社員、母親が自宅で学習塾を開く中産階級、外見的にはいわゆる「普通の家庭」です。彼自身も、著書がジャーナリズムの賞を取るほどの優れた文才を持ち、4カ国語の読み書きができてバイオリンとピアノも弾けるなど、多くの才能に恵まれています。そんな彼がどうして、ひきこもりになったのでしょうか。


自分を責める「お母様」、緊張の連続だった子ども時代

 「母は常に、ピキッとした顔で自分を責めてくる存在。家に安らぎなどありませんでした

 子ども時代の池井多さんの日常は、ヒステリックな母親に戦々恐々とし、「交感神経が働きっ放しの、過剰な緊張状態」の連続でした。

 幼い頃は、「この子を殴って」と言う母親の言葉に従い、父親が池井多さんをベルトで殴るといった身体的な暴力も頻繁にあったといいます。しかし、池井多さんが本当に傷ついたのは暴力ではなく、あらゆる面で意思を押し付け、失敗した責任はすべて彼に負わせる母親の言葉でした。夕食一つとっても「スパゲティが食べたいならそう言いなさい!」と無理やり池井多さんが「望んだ」ことにされ、食が進まなければ「あんたが食べたいって言ったから作ったのに!」と激昂。そして父親のせっかんが始まる……。万事、この繰り返し。

 母親は進路についても、幼い息子に言い続けました。

 「一橋大に行きなさい。お父様みたいに学歴はない、収入は低い、地位もない人になったらおしまいよ


夫婦間の尊敬など、欠片もありませんね。

これは子供にとっては一番つらいことかもしれません。


 小学校3年生から、連日深夜1時、2時までの受験勉強が始まりました。成績が振るわない時、母親は彼をたたいてこう叫びました。「あなたが怠けたら、お母様は死んでやるからね!」。実際にテストの点数が悪いと「海へ行きます」と書き置きを残して外出し、自殺するそぶりを見せることもありました。「母は『死への恐怖』を使って、私を支配しようとしていました」と池井多さんは話します。


この時のお母さんの心理は、一体どう状況だったのでしょうか?


強迫性障害で「井」の字が書けない 暗黒時代だった小学校高学年

 池井多さんは非常に早熟で、「幼稚園で小6までの漢字もローマ字も理解できた」ほどだったそうです。当時から友達といるより一人遊びを好み、恐怖心やこだわりも強い傾向がありました。そして受験勉強が本格化した小学校5、6年生の時、幼い頃から兆しのあった強迫性障害の症状が強まったのです。「人生の暗黒時代。我ながらよく生き抜いた」。本人がそう振り返るほど、つらい時期でした。

 特に困ったのが、漢字の「井」や「田」などの字が正しく書けなくなったことだといいます。「四辺を線で囲まれた空間ができると、真ん中に点を打たないと気が済まないんです。そうしないと真ん中の空間が破裂して、母を乗せた霊きゅう車が飛び出してくるという妄想にとらわれていた。自分でもなんてばかなことを考えたのか、と今は思うのですが……」

 例えば「井」が正解だと分かっていても「丼」と書かずにはいられない。そんな状態のため、漢字テストはいつも大幅に減点されました。「暗に母の死を願う自分と、母は僕のためにやってくれているのだから、そんなことを思ってはいけないと止める自分との葛藤があったのです

 一家は父親の転勤によって、5年生で東京から名古屋市へ引っ越します。しかし池井多少年は毎週末、新幹線で東京の塾へと通わされました。上京のたびに母親に「この金食い虫!」とののしられ、「ごめんなさい」と泣きじゃくりながら……。


この母親は、相当問題アリですよね。
子供にお金を使うことが出来る慶びを知らないんですね。
絶対にこんな事を言ってはいけない。


「母親へのプレゼント」で大学合格、しかし母は…

 池井多さんは名古屋市にある中高一貫の進学校に合格し、高校では生徒会長も務めました。成長とともに暴力を振るわれることはなくなりましたが、母親の罵詈(ばり)雑言や、日記を盗み見るといった過干渉は続きました。

 池井多さん自身、学校ではうまくやっているように見せていたものの、相変わらず強迫性障害の症状に悩まされていました。「母親は依然として自分に覆いかぶさる、巨大な権力でした。今も完全に逃れたとは言えません」

 一橋大を受験し合格したのは「母へのプレゼントのようなもの」だったと言います。母親に出された「人生の宿題」を果たした。当然褒められ、感謝されるだろう、そう考えてお祝いの席に着いた池井多さんに、彼女は言い放ちました。

 「お前の英語力じゃとても授業についていけないから、明日からは英語を勉強しなさい。そして一流企業に入りなさい。怠けたらだめよ」。褒め言葉は一言もありませんでした。


これは、子供にとっては「地獄」です。
自分の見方になってくれるはずの「親」が、一番の敵になっている。


仕込まれた「うつ・ひきこもりの時限爆弾」、両親には虐待の認識なし

 その後、20代のうちは海外を放浪し、30代半ばからはアパートにひきこもりました。どこにいても、社会とつながりを断って生きていることは変わらず「そとこもり」と「うちこもり」の繰り返しだったといいます。池井多さんにとって、母親の虐待は「うつ・ひきこもりの時限爆弾を、体に埋め込む行為」でした。爆弾は就職という「ゴール」が見えてきた瞬間に爆発し、その後の人生をむしばみました。

 両親と最後に会ったのは19年ほど前です。池井多さんは当時、家族との対話によって、うつ病から回復できないかという望みを抱いていました。しかし子ども時代に受けた暴力や言葉の数々を伝え「虐待したことを認めてほしい」と訴えると、父親は言いました。

 「それって、虐待か?」

 母親にも「虐待した」という認識はなく、謝罪の言葉もありませんでした。池井多さんは、80歳を超える母親を今も許せずにいます。「母はずっと『人間は自分の責任を取るものだ』と言って私の責任を徹底的に追及し、処罰しました。私は今、精神疾患を抱えて働くこともできません。私にした虐待に向き合い、責任を取ってから死んでくださいと言いたい」


恨みの根は、相当深いものになってしまっています。
虐めや虐待は、加害者にその意識がない事が、多いようです。

子どもの立場を考える視点になれないのです。

こういう親は、意外と多いようです。

私自身、良かれと思ってやっていることが、子供に余計な負担をかけていた。
何てことは、結構ありますから・・・。
無意識の間に、子供を傷つけているかもしれません。


「子どものさまよう場所に立ち、心を通わせて」親たちへのメッセージ

 実は今、池井多さんのように50代を迎えたひきこもり当事者と、80代の親を巡る「80・50問題」がクローズアップされています。当事者が高齢化し、老いた両親の介護や看取り、死後の相続問題、残された子どもがどのように生計を立てるのかなど、多くの課題をクリアする必要が出てきたためです。

 池井多さんは昨年12月、横浜市内で行われた講演で、中高年のひきこもり当事者を持つ親たちへ語りました。「私の両親と違い、皆さんは必死に子どものためを思っているのだと思います。それでもコミュニケーションが取れないなら、子どもの側に『分かってもらえた』という実感がないのかもしれません

 「いい加減に仕事をしなさい、もういくつだと思ってるの」「私たちが死んだらあなたはどうするの」――。親は焦るあまり、子どもを問い詰めたり、責めたりしがちです。しかし池井多さんは言います。「正論を振りかざして親の役割を演じるのは、対話とは言えません。子どもがさまよっている場所に自分も立ち、一人の人間として本音で心を通わせてほしい

 偶然にも講演会場は、池井多さんの両親が余生を送るマンションの近くでした。彼はおどけて窓のほうを向き、見えない親に向かって叫びました。「おーい、聞いてるかー」

 彼の言葉は、すべての親への問いかけのようにも聞こえました。


子供の為を思うなら、「子どもは何をしたいのか?」を
考える必要があります。
親の希望ではなく、子供の意思を考えるべきなんですね。
子どもの人生であって、親の人生ではないので・・・。

子供が好きな事をやって、人生で転んでもそれは、自業自得ですが
親に押し付けられた人生で転んでも、子供は、責任の取りようがないかもしれません。
「親の言うとおりにやって、こうなった。」としか思わないでしょう。

これでは、子供はもちろん、親も不幸にしかなりませんね。

ここに参考になる活動をしている団体があります。
ご一読ください。


|高校生の心に、火を灯す授業|キャリア学習プログラム「カタリ場」

「カタリ場」とは、主に高校生の将来への可能性を引き出し、将来への行動へと動機付けることを目的とした、キャリア学習プログラムです。


授業を行うのは、大学生を中心としたボランティア・スタッフです。

利害関係のある“親”でも“先生”でもない、毎日付き合う“友達”でもない、少し年上の「先輩」だから、高校生たちも本音を話しやすいのです。

このような「ナナメの関係」によって生まれる“憧れ”や“刺激”、
そして対話のなかで引き出される“自己理解”や“意欲”を最大限活用するため、
カタリ場の授業は、「座談会」「先輩の話」「約束」の主に3つのパートで構成されています。

「座談会」では、生徒にスタッフが質問していくことで、生徒が好きなこと、嫌いなことを言語化するとともに、未来の夢や漠然とした不安などを引き出していきます。生徒の自己理解を促します。

「先輩の話」では、スタッフ数名が、「部活」「進路」「友人関係」などのテーマで、紙芝居形式のプレゼンテーションを行うので、高校生は興味のある話を聞きにいきます。内容は、今打ち込んでいることや夢、進路選びの失敗談や、高校生のときの失敗談や自分への後悔などさまざま。

「約束」では、これまで見つけた憧れや、見えてきた自分の興味関心などを行動につなげるために、今日からできる小さな行動をカードに書き込みます。
スタッフと「約束」をすることで、授業の興奮を日常生活につなげます。


「ナナメの関係」を実践する、認定NPO団体です。


       BY いいとこどり


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