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2014年11月03日

そうだ学園祭にいこう

みなさんこんにちは晴れ

いい天気ですねexclamation

三連休楽しんでいますかexclamation&question

初日は雨だったですが昨日今日は天気が回復しましたね。

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さて私は昨日、母校の大学学園祭に久々に行ってきました。

有名芸能人が来たり。テレビの収録があったりと多く賑わっていました。

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全日本大学駅伝お疲れ様exclamation×2。来年の箱根駅伝がんばれexclamation×2


U型ケーブルのイヤホンが絶滅しちゃう!



「Y型か、それともU型か。あなたが好きなのは、どっち!?」

関口宏&三宅裕司風に聞いてみましたが、「そんなことより何の話してるの? 何でもっと分かりやすく書かないの? バカなの?」と困惑&お怒りの人も多いでしょう。

すみません、イヤホンのケーブルの話をしています。イヤホンのケーブルは、先端のプラグからしばらく先までは1本で、途中から右耳、左耳に向けてケーブルが2本に分かれていく……というのはみなさんご存じでしょう。

その2本に分かれたケーブルの長さが均等なのが、いわゆるY型。右耳、左耳にイヤホンを入れて、ケーブルを体の前に垂らせば、ケーブルの形が「Y」になりますよね。だからY型! 分かりやすい!

一方のU型は、二手に分かれたケーブルのうち片方が長いタイプ。「何でわざわざ違う長さにしてるの? 設計ミスなの? バカなの?」と怒らないでください。長さを変えているのは、首のうしろからケーブルを通すためなんです。

Y型ではケーブルが身体の前でぶらぶらした状態になりますが、首のうしろを通せるU型では、そのぶらぶら感がありません。この安定感&安心感がU型の特徴であり、その片側がぶらーんと垂れ下がった形状から「U」型という名称で呼ばれているのです。

……と、説明が長くなりましたが、体の前でケーブルがぶらぶらするのが大嫌いな筆者は、熱狂的なU型の支持者。ケーブルが断線したり、イヤーピースをなくしたりして買い替えを迫られるたびに、U型のイヤホンを買い求めてきました。が、しかし。近年のイヤホン売り場からは、そのU型が姿を消しつつあるのです!

数百種類のイヤホンを扱う家電量販店で「U型のイヤホンを探してるんですけど……」と聞いてみたところ、「U型ですか……」と店員さんは軽く困惑。「オーディオテクニカのこの2つと、あとはフィリップスのこれと……」と紹介してくれた商品は、たったの5つほどでした。

聞けば今は9割以上のイヤホンがY型ケーブルだそうで、「昔はU型のほうが多かったんですが、Apple製品に付属のイヤホンがY型だったこともあってか、Y型のほうが優勢になってきたんですよね」とのこと。

何で!? U型の方が使い心地がいいのに! と納得がいかない筆者は、続けて専門店にも直撃。新品イヤホンだけでも1000種類を扱うイヤホン・ヘッドホン専門店「eイヤホン秋葉原店」に訪れてみましたが、ここでも取り扱うU型ケーブルのイヤホンは数種類のみでした。

「売り場に並べているものは、ほぼ全てがY型ケーブルですね。U型で今でも人気が高いのは、フィリップスの『SHE97xx』シリーズくらいでしょうか」

そう話すのは同店広報の松田信行さん。なぜそんなにもU型が減ってしまったのでしょうか。

「一つ可能性として考えられるのは音質の問題ですね。人の耳で感知できるレベルではないですが、ケーブルの長さが左右で異なるU型では、数値上では片方で音の遅延が起こりえます。また、ケーブルが体などに当たって起こるタッチノイズも発生しやすいと言えます」(松田さん)

細かな音質にこだわりはじめると必然的にY型を選ぶことになる……というわけなんですね。

「またU型ケーブルのイヤホンは、2000〜3000円程度の比較的手軽な価格帯のものが中心ですが、1万円以上するような商品になると、ほぼ全てがY型になります。イヤホンでも音質にこだわる人が増え、Y型の人気が上昇し、生産ラインを効率化するためにY型を増やして……という流れがメーカー側にもあったのかもしれませんね」(松田さん)

なお、筆者がU型を熱愛するあまりにU型の良さばかりに触れてきたが、同店の店員さんに聞いてみると、Y型にも「外しやすい」「長さが同じなので巻き取りやすい」「取り扱いがしやすいぶん、断線や劣化も起こりにくい」などのメリットがあるそう。ぐぬぬ……という感じだが、自然淘汰で敗れていった現状を見ると、U型の負けを認めざるを得ない。

それでもU型信者の筆者としては、その布教を諦めるわけにはいかないので、オススメのU型イヤホンを教えてもらった。

「先述のフィリップスの97シリーズの『SHE9713』ですね。5年以上前に発売された商品ですが、2000円程度という価格の手頃さと、それに見合わない音質の良さから人気が続いているイヤホンです。スマホなどに付属のイヤホンだとちょっと……という方には最初にオススメできる商品ですね」


え!Windows 7のメインストリームサポートは来年1月13日で終了?次々とやってくるWindows製品のサポート終了



2014年4月8日、Windows XPのサポートが終了した。しかし、これは始まりに過ぎない。これから、マイクロソフトの製品は、次々とサポート終了を迎える。直近は、来年1月13日のWindows 7だ。「えっ」と思ったら、マイクロソフトの製品サポートについて、最低限の知識は身につけておいた方が安心だ。

●Windows 7のサポートが来年早々に切れる?
「Windows 7のサポート終了が来年の1月13日に迫っている!」と書いたら驚くだろうか。ただし、ここでいうサポートは「メインストリームサポート」のことだ。

マイクロソフトの製品は10年間サポートされるが、前半の5年を「メインストリームサポート」、後半の5年を「延長サポート」と呼び、サポートの内容が異なっている。違いは以下の表のとおりだ。






メインストリームサポートでは、すべてのサポートが受けられるが、実は、延長サポートに入ると、仕様や新機能のリクエスト、無償サポートなどが受けられなくなる。

Windows 7は、2015年1月13日にメインストリームが終了し、延長サポートに入る。つまり、新機能等のリクエストは終了されるのだ。ただし、セキュリティ更新プログラムは提供されるので、安全面については安心してほしい。

とはいっても、Windows 7の延長サポートも、東京オリンピックが開催される2020年の1月14日には終了するのだ。つまり、2020年の年明け早々、Windows 7はセキュリティ更新プログラムの提供が終わる。

オリンピック開催前に、Windows XPと同じ騒ぎが起きなければいいのだが……。

●VistaとOffice 2007の延長サポート終了はそろそろ
Windows Viataについては、メインストリームサポートは、2012年4月10日にすでに終わっている。延長サポートが終了するのは、2017年4月11日だ。あと、2年半ということになる。Office 2007も、Vistaから半年遅れで延長サポートの終了を迎える。

VistaとOffice 2007のユーザーは、今から意識しておいた方がいいかもしれない。


毛利元就の「三本の矢」は、作り話だって本当?


戦国大名、毛利元就(もうりもとなり)。教科書などではあまり触れられることはないが、ドラマや小説などに取り上げられることが多く、歴史にあまり興味がなくとも、名前を聞いたことはあるだろう。

この元就の有名な逸話と言えば「三本の矢」である。一本では折れてしまう竹の矢も、三本合わせれば折れない、という話はご存じだろう。しかしこの美談はどうやら作り話。晩年に三人の息子を集めて、竹の矢で実演した風に伝えられているが、長男・隆元はこの頃すでに他界しているので参加不可能。

この内容は約三メートルもの手紙で個々に送られたものだったのだ。

■元就は説教がお好き

「三本の矢」は、元就が死の間際、三人の息子を呼び遺言として聞かせたとされている。しかし、史実と照らし合わせると、その場面はありえない。元就が死去したのは1571年。それより八年も前に長男は亡くなっているからである。

ではどこから「三本の矢」の話が出て来たのかというと、元就が家督を長男に譲った際、兄弟の結束を呼びかける手紙に書かれていた内容だった。これは「三子教訓状(さんしきょうくんじょう)」と呼ばれ、「本家・毛利のために尽力しなさい」というものだった。

跡継ぎの長男・隆元(たかもと)はきちんと読み込んだ上で承諾したが、次男・元春(もとはる)、三男・隆景(たかかげ)はこの内容に消極的であった。

なぜなら二人は、すでに養子として他家に入っていたため「実家のために頑張りなさい」と言われても、心情的にも立場的にも快諾できるはずがないのだ。

結果的に、次男・三男は父から送られてきた超長い手紙=説教くさい教訓状に「わかりました」と返事をするが、長男のようにきちんと読み込んだ形跡はなく、ただ形式的にサインしただけだった。三男・隆景に至っては、教訓状にあるように、何かあると毛利の屋敷を訪ねて来たのは良いのだが、そこにかかった費用として屋敷などの見返りを要求する始末。

さすが知略策謀の将と呼ばれる元就の息子である。西のことはコイツに任せとけば大丈夫と豊臣秀吉に高く評価されていた小早川隆景は、タダでは動かないのだ。

■実際は毛利家思いだった次男と三男

この「三子教訓状」をどう捉えていたのかは謎だが、長男・隆元の死後、次男・三男は毛利家跡取りの輝元(てるもと)をしっかりと支え、毛利家の黄金期は元就の死後も続いていた。ただ、輝元はいわゆるおぼっちゃまで、天下をおさめるに値するような器の人物ではなかった。

そこが懸念されていたのは間違いない。

毛利家の行く末を憂慮した三男・隆景は、自身の遺言の第一条に「天下が乱れても領国の外に欲を出してはならない。領国を堅く守ってこれを失わないことに力を注ぐべき」と、輝元の行動を戒める内容を残している。本当のところ、父に諭されなくとも実家を思いやる気持ちを強く持っていたのだろう。

残念なことに、三男・隆景亡き後、小早川家を継いだ秀秋(ひであき)は関ヶ原の戦いで、豊臣から徳川に寝返り、豊臣の西軍の大将となった輝元を裏切る形になった。領国の外に出すなという遺言を守ることができなかった輝元にも問題はあるだろうが、戦いの最中に君主を裏切る秀秋も武人としてはあまりに残念すぎる。

戦に敗れた毛利家は、120万石からたったの36万石に減らされたため、大々的なリストラがおこなわれた。領民への税の締め上げもきつくなり、その結果、山代一揆(やましろいっき)が起こるなど、完全な悪循環に陥っていった。

悲しいくらいに落ちぶれていく毛利家だが、その後は独自のシステムを作り上げ、見事に持ち直しただけでなく、明治維新を主導する人物を多く輩出する「長州藩」へと成長していくのだ。


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