2015年11月11日
読書感想文『禅を暮らす』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、玄侑宗久様の「玄侑和尚と禅を暮らす」です
玄侑宗久様。1956年福島県生まれ。慶応義塾大学文学部中国文化卒業。臨済宗妙心寺派福聚寺副住職
気になる文章
●ある老師が法話をされた時、聴く人を「ザル」とおっしゃったことがある。底が抜けたザルのように、今いい話だと思っても、すぐに忘れてしまうことを揶揄されたわけだが、老師は続けて「それでいいんじゃ」とおっしゃった。「ザルにも繰り返し水を注いでいれば、そのうち水垢ができて、だんだん抜けにくくなるじゃろう」
○小谷中広之の感情・・・本も同じかもしれない。読書を始めた当初よりも今のほうが記憶に残りやすくなっているのではないだろうか
●「寒さ」と「涼しさ」とは、実は根本的に違う状況なのだとご理解いただきたい。それは温度の差なのではなく、温度が低いという現状を、その人がどう受け止めているか、という区別なのである
現状に否定的、つまり温度が低い事を嫌がっていれば「寒い」となるし、場合によっては「凍えそうだ」なんて云うこともあるだろう。しかしその寒さを肯定し、どこか楽しむ気分であれば「涼しい」と表現される。つまり「涼しい」と思えば「寒さ」も和らぐのである
○小谷中広之の感情・・・起きてしまっていることは変えられないが、受け止め方は変えられる
●周囲のあらゆるものだけでなく、自分の考えさえも、実体がないと思えるほど流転し続けている。本当の意味での現実と呼べるのは、無限の関係性の中での一瞬の出来事だけだ
意識の終点を「今」という一点に絞ると、大概のことは次の一瞬にはすでに変化している。存在し続けているのは、頭の中に残る部分的でしかも変質した記憶にすぎない
「今」この瞬間に、何か大問題があるかどうか、それだけ気にすればいい
過去を思い悩み、未来を勝手に描いて不安になるのは、これ以上ないほどのエネルギーの無駄遣いなのである
お釈迦さまは、そんな時は自分の死を思えとおっしゃったらしい。自分がまもなく死ぬという場面だとしても、今怒っていることはそんなに許せないことか、と見直す。すると、大概のことは許せてしまうということだろう
○小谷中広之の感情・・・今抱えている悩みは、たとえ人生最後の日でも深刻ですか?死ぬ気で「今」を生きてみよう、死なないから
●「未来を生きる」なんて言うけれど、君たちが生きるのは常に「今」だ。「今」は感じ味わうことで君のモノになる。思考を始めてた君はすでに「今」にいないのだ
○小谷中広之の感情・・・「いま」、とパソコンで今打ったことすら、すでに過去になっている。だからこそ「目の前の今」を一生懸命に生きよう。目の前の仕事を常に意識して一生懸命仕事しよう
●一瞬、あちこちに友人が多い人が有利に感じられるかもしれないが、そういう友人が一人近所にいれば事態はさほど変わらない
○小谷中広之の感情・・・多くの友人を持つよりも、多くの友人を持つ本当に心から信頼できる数少ない友を大切にしよう
●我々坊さんは、いわゆる修行という事をするけれど、滝に打たれたり眠らずに座禅することが何の役に立つのかと思うだろう。しかし体験してみて思うのは、それをやり続けることで自分の新しい能力が目覚めたように思えることだ。身体も変わるし考え方も変わる。そしてそうした自分の変化で、どんどん自分は自由になっていく気がする
○小谷中広之の感情・・・瞑想を続けることでどのように自分が変わっていくのか、もしかしたらすでに変わり始めているのか、考えるだけでワクワクする。これは個人的な体験からだが、一日一食を始めて3か月たったある日から、月に平均25冊読書が勝手に始まった気がする。それまで月に一冊読めばいい方だった読書スタイルが一気に変わった。そして100冊を超えたあたりから一日一冊以上の読書スタイルになっている。生活習慣の中で大切だと思うことをやめれば、そこに新しい習慣が入ってくるというのは、本当のようです
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
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決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、玄侑宗久様の「玄侑和尚と禅を暮らす」です
玄侑宗久様。1956年福島県生まれ。慶応義塾大学文学部中国文化卒業。臨済宗妙心寺派福聚寺副住職
気になる文章
●ある老師が法話をされた時、聴く人を「ザル」とおっしゃったことがある。底が抜けたザルのように、今いい話だと思っても、すぐに忘れてしまうことを揶揄されたわけだが、老師は続けて「それでいいんじゃ」とおっしゃった。「ザルにも繰り返し水を注いでいれば、そのうち水垢ができて、だんだん抜けにくくなるじゃろう」
○小谷中広之の感情・・・本も同じかもしれない。読書を始めた当初よりも今のほうが記憶に残りやすくなっているのではないだろうか
●「寒さ」と「涼しさ」とは、実は根本的に違う状況なのだとご理解いただきたい。それは温度の差なのではなく、温度が低いという現状を、その人がどう受け止めているか、という区別なのである
現状に否定的、つまり温度が低い事を嫌がっていれば「寒い」となるし、場合によっては「凍えそうだ」なんて云うこともあるだろう。しかしその寒さを肯定し、どこか楽しむ気分であれば「涼しい」と表現される。つまり「涼しい」と思えば「寒さ」も和らぐのである
○小谷中広之の感情・・・起きてしまっていることは変えられないが、受け止め方は変えられる
●周囲のあらゆるものだけでなく、自分の考えさえも、実体がないと思えるほど流転し続けている。本当の意味での現実と呼べるのは、無限の関係性の中での一瞬の出来事だけだ
意識の終点を「今」という一点に絞ると、大概のことは次の一瞬にはすでに変化している。存在し続けているのは、頭の中に残る部分的でしかも変質した記憶にすぎない
「今」この瞬間に、何か大問題があるかどうか、それだけ気にすればいい
過去を思い悩み、未来を勝手に描いて不安になるのは、これ以上ないほどのエネルギーの無駄遣いなのである
お釈迦さまは、そんな時は自分の死を思えとおっしゃったらしい。自分がまもなく死ぬという場面だとしても、今怒っていることはそんなに許せないことか、と見直す。すると、大概のことは許せてしまうということだろう
○小谷中広之の感情・・・今抱えている悩みは、たとえ人生最後の日でも深刻ですか?死ぬ気で「今」を生きてみよう、死なないから
●「未来を生きる」なんて言うけれど、君たちが生きるのは常に「今」だ。「今」は感じ味わうことで君のモノになる。思考を始めてた君はすでに「今」にいないのだ
○小谷中広之の感情・・・「いま」、とパソコンで今打ったことすら、すでに過去になっている。だからこそ「目の前の今」を一生懸命に生きよう。目の前の仕事を常に意識して一生懸命仕事しよう
●一瞬、あちこちに友人が多い人が有利に感じられるかもしれないが、そういう友人が一人近所にいれば事態はさほど変わらない
○小谷中広之の感情・・・多くの友人を持つよりも、多くの友人を持つ本当に心から信頼できる数少ない友を大切にしよう
●我々坊さんは、いわゆる修行という事をするけれど、滝に打たれたり眠らずに座禅することが何の役に立つのかと思うだろう。しかし体験してみて思うのは、それをやり続けることで自分の新しい能力が目覚めたように思えることだ。身体も変わるし考え方も変わる。そしてそうした自分の変化で、どんどん自分は自由になっていく気がする
○小谷中広之の感情・・・瞑想を続けることでどのように自分が変わっていくのか、もしかしたらすでに変わり始めているのか、考えるだけでワクワクする。これは個人的な体験からだが、一日一食を始めて3か月たったある日から、月に平均25冊読書が勝手に始まった気がする。それまで月に一冊読めばいい方だった読書スタイルが一気に変わった。そして100冊を超えたあたりから一日一冊以上の読書スタイルになっている。生活習慣の中で大切だと思うことをやめれば、そこに新しい習慣が入ってくるというのは、本当のようです
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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