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2017年04月15日
マトゥラーナ&バレーラ『知恵の樹』
認識について知ること。
これは私たちにとって最も重要なことでありながら、最も困難なことでもあります。なぜなら私たちはいつも、当然のごとく何かを認識をしていますが、認識している自分自身を客観的な認識対象にすることはできないからです。ものを見る自分の眼それ自体を、見ることができないのと同じように…。
こんな困難な課題に勇猛果敢に挑んだのが、チリの神経生物学者、ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラです。
彼らは、オートポイエーシス理論という画期的なアイデアの生みの親です。本書『知恵の樹』は、分かり易い文体で書かれたオートポイエーシス理論の入門書でありながら、遺伝、発生、進化、行動、神経、社会、言語と多岐にわたって論を展開してゆき、最後に再び「認識」の問題に迫る壮大な知的冒険の書です。
「オートポイエーシス」とは、「自己創出」のこと。
簡単に言うと、自らの作動によって自らを維持するシステムのことです。
生命はこのようなオートポイエーシス・システムとして定義されます。彼らによるこの定義は、客観的・科学的に最も合理的なものであると私には思われます。
生命の本質であるDNAの驚異的な能力は、自己複製することです。DNAの構造に刻まれた暗号によって合成されるタンパク質の機能は、DNA自身の構造を維持します。同じように細胞も、細胞内のシステムの作動自体が、細胞の構造を維持しています。生物(個体)も同様です。外部からの助けがなくても、自律的にシステムを維持することができます。
生物はこのように、「閉じた円環」としてイメージできる、オートポイエース・システムだと、彼らは考えます。
私たち人間にとっても、生きるということはすなわち、自分自身というシステムを維持することなのです。したがって、「認識する」という行為自体も、自分というシステムの作動に他ならず、その行為を外部から認識することはできません。
それゆえ認識というのは必ず「誰かの認識」である他なく、あらゆる行為もまた同様です。この文章を書いているのも、私(グサオ)というシステム以外にあり得ません。
こうして、認識するという行為自体が、オートポイエースのような円環を辿って、認識する自分自身を認識します。そして認識とは行為であり、システムを維持すること、すなわち生きることと同じであるということが洞察されるのです。
なんだか頭の中をぐるぐると混乱させてしまったかもしれません。しかしこの理論の性質上それは仕方のないことで、この本を精読すれば著者らの主張が極めて革新的なものであることが分かるでしょう。
この本でなされるオートポイエーシス理論の展開はどれも非常に重要なので、今後も少しずつ掘り下げてゆきましょう。