2017年03月22日
ショーペンハウアー『根拠律の四つの根について』@
哲学をするうえではまず、自らの思考の基盤をつくらなければなりません。
しかし著名な哲学者でさえも、その基盤がしっかりしないままに考察を進めていっている場合が多々あるように感じます。
ショーペンハウアーは自らの哲学の基盤を、まず初めに(26歳という若さで!)極めて明確につくりだすことに成功しました。そしてそれを『根拠律の四つの根について』という論文にまとめて発表しています。
冒頭で記したような、基盤の安定しない哲学。ショーペンハウアーは本書でまず、なぜそのような事態が生じるかを分析し、その元凶は多くの場合以下の2つを取り違える事にあると指摘します。
A 認識根拠(―帰結) … ある与えられた概念のうちにある
B 原因(―結果) … 外部から作用する
私たちは「根拠」とか「原因」とかをもちだしてものを考えていますが、それらの働き方、用い方には実は微妙な差異があって、それらをしっかりと区別する事が肝心なのです。
すなわち私たちは、あらゆる認識における根本原則:根拠律を確立しなければならない。ショーペンハウアーはそう提言しています。
根拠律は、「証明」されるのではなく、「表現」されなければなりません。
なぜなら「証明」とは「言表された判断の根拠を明示すること」であり、「根拠律に対する証明」はすでに「根拠律が真であること」を前提とし、それに依拠しているからです。これは明白な循環論です。
したがって根拠律は、あらゆる判断に対して根拠を求めるというこの要求(「証明」のこと)の表現でなければならないのです。
さて、前述のAとBに則して考えると、根拠律は以下の2つに適用されます。
a 判断(認識根拠―帰結)
b 実在的な客観の変化(原因―結果)
しかし、「なぜ?」と問う事ができるのは本当にこれらだけでしょうか?
例えば「この三角形の三辺はなぜ等しいのか」という問い。
この問いにはAでもBでも答える事ができません。
なぜなら「三辺が等しい」という判断の根拠は「角の等しさ」という概念ではないし、ここでは何らの変化も生じていないため、原因も結果もないからです。
こうした例外は他にもたくさんあるはずなので、それらを一定のグループにわけ、すべての「なぜ?」に包括的に答える事ができる根拠律の体系をつくる必要性があるわけです。ショーペンハウアーはすべての根拠律に共通のものとして、「根拠律の根」を定義したうえで、それを4つの類に区分できる(すべき)と主張します。
その4つとは一体なんなのか?
この本は非常に重要なので、当ブログではこれをテキストの一つとし、数回に分けてじっくり解説していきたいと思います。
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