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2022年05月27日

それは瞑想からはじまる  It starts with meditation



超能力の秘密  8.png
『間脳思考』で、エレクトロニクスと霊性を結 ぶものはなにかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

そのあと、話がだいぶ進んでから、 「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」

と聞かれた。わたくしは、 「いいえ」

とかぶりをふった。 「瞑想じゃないのですか?」 「いいえ」 とわたくしは、これにもかぶりをふった。 彼は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。 そこでわたくしは答えた。

「それは瞑想からはじまるのです」 なるほど、というように彼はうなずいた。わたくしは説明した。 それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。霊性の完成は、瞑 想だけでは不可能なのである。心の安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程 度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいで は、絶対に行き着くことのできない次元なのだ。

なぜか? 霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。 カルマとはなにか?

いうならば、地球における引力のようなものである。 地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力 から逃れることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって 成り立っているのである。

人間におけるカルマもそのとおりである。人はすべ て、輪廻のカルマの絶対的な規制を受けている。このカルマから、もろもろの 「因縁」が生じて、人間を繋縛しているのである。いや、カルマと因縁によて、人間が成立しているのだ。

このカルマと因縁の繋縛から完全に解脱したとき が、霊性の完成である。

いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なの だ。その修行によって自分の存在の次元が変わるのである。

存在とはなにか? それは究極のところ,波動である。"自分"という波動 を変えてしまうのだ。それにより カルマ」という波動を越えてしまうのである。

人間という存在の波動を変える原点は、間脳の視床下部にある。

ここの波動を 変えることにより、全身の波動が変わり、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在 になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた異なった、高 度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。

これが成就すると、特 殊な「霊光」が発生するようになる。

この特殊なオーラの発生は、全身の波動が 変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオー ラの発光源は間脳なのである。

瞑想だけでは、以上のような次元の変化" は 不可能である。もちろん、心の安定、集中、まったく新しい高い次元へのメディ テイト等、瞑想はこの修行に絶対必要なものである。

しかし、それはひとつの手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができない。

だ から瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは 発生しない。

したがって、カルマを越えることはできないのである。 では、なにが必要なのか? 特殊なtapas(練行)である。

学者はtapas を苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そ してこの練行が絶対に必要なのである。

思念による王者の相承

チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説 いている。

ギャル ワゴン ペ - ギ ュ - パ一、思念による王者の相承

(じみょうしや 二、象徴による持明者の相承

rgyal ba dgongs pa'i brgyud pa rig ’dzin brda'i brgyud pa

ガンザクニェン ギ ギュ - パ 三、耳を通した言葉による人の相承――gang zag snyan gyi brgyud pa

である。

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いている。




一の「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴と いう媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、 心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきで ある。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、と いう所以である。

二の  「象徴による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、あ る言葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものを いい、また、持明者(rig'dzin)とは、純粋な心で実相をそのまま見るこきる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真如の 理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の深奥に到達 する教法を授けられるのである。

以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、ま た象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラ マが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。

いわゆる「口頭伝授」である。

これが、三の「耳を通した言葉による人の相 承」である。 以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。




一、思念による王者の相承

二、象徴による持明者の相承間脳系=霊的バイブレーション 新皮質系=マントラ、タントラ、言葉、 音楽、象徴 - 大脳辺縁系=言葉、マントラ、音楽

三、耳を通した言葉による人の相承




これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極 至上 のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なの である。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 tapas である。

だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必 要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高 理想のものを受けるために、tapas は必要なのである。

練行とはなにか

では、その練行tapas とはどんなものか? それには、ひとつの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと 思われる。

It starts with meditation
posted by gomabon at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 運命学
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