大学生時代に留学したスウェーデンで日本の性に対する知識の与え方も避妊などに対する選択肢も海外とまったく違って遅れていることに気づいた福田和子さん。帰国してから「#なんでないの」というプロジェクトをはじめ、正確な情報と手段が共有される必要性を訴えてきた。
福田さんは今もスウェーデンにて大学院に入り、セクソロジーを学んでいる。そこで出会ったフィンランドのトンミ氏から教わったのは、「フィンランドでは5歳から性教育をしている」ということだった。5歳からの性教育? しかしそこには「性教育とは何か」を根本から明らかにするヒントがあった。
「性教育」は性行為そのものではない
最近、「性教育」が「セクシュアリティ教育」と呼ばれ始めているのをご存知だろうか? 「性教育」というとどうしても、性行為そのものや性感染症や避妊をイメージしがちだ。しかし本来はそれだけでなく、互いの関係性の構築や多様な性のあり方、性暴力、ジェンダー観など、性に関して扱うべき分野は多岐にわたっている。そして、それらがよりポジティブに、オープンに語られることが本来は重要なのだ。
性教育の国際標準ともいえるWHO(世界保健機関)やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が共同発表する『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』によると、セクシュアリティ教育は5歳から始まる。今回記事で触れたフィンランドでもそれは例外ではなく、幼稚園からセクシュアリティ教育を実施するべく、多くの人が動いている。
しかし、「幼稚園児に性教育!?」とか、「性に対してよりオープンでポジティブな社会ってどうなの」と動揺や不安を覚える人も多いと思う。私も以前はそのひとりだった。そこで今回は、セクシュアリティ教育先進国ともいえるフィンランドの現場でどんな教育が行われているか学ぶため、フィンランドの性教育を50年にわたって支えてきたセクスポ財団代表のトンミ・パーラネン氏に話を伺った。
スタートは、性でなく人の関係性にフォーカスする
「幼少期からセクシュアリティ教育を始めることは重要ですが、幼児に、性行為自体を直接的にフォーカスして教えることは、まずあり得えません。それでも、子どもたちは大人が思っている以上に、気持ちのこと、からだのことに興味を持っているし、それに関して伝えるべきことはたくさんあります」とトンミ氏は言う。
幼稚園児ぐらいの年齢でも、「一緒に遊びたい!」だけでなく、そこから少し発展して、「大好き!」「一緒にいたい!」「手を繋ぎたいな」といった思いを抱いたりする。それはとても自然なことだ。だからこそ、その気持ちや行動とどう向き合ったらいいのか、学んでいくのだという。
フィンランドのカリキュラムでは、「悲しいときはどんな感じ? 怒ってるときは? 楽しいときは? 誰かを好きと思ったときは?」といった「気持ちに気づく」ところから始まるという。
「例えば、自分が楽しく遊んでいたおもちゃを急に取られてしまう気持ちを想像してもらいます。このとき“悲しい”、“嫌だ”、“怒る!”といったいろんな感情が湧き上がる。そんな様々な感情について一緒に考えながら、急におもちゃを取って相手に悲しい思いをさせてしまう前に、“自分もこれで遊びたいな”とか、“このおもちゃ使ってもいい?”とか、まずは聞くことが大事ということを伝えていきます。
“いいよ”って言ってもらえたら一緒に遊べるし、“だめ”って言われたら、待ったり、他のもので遊んだりしようね、と。それから、嫌だって言ったのに、相手に聞いてもらえなかったりしたら、大人に相談しようね、ということも伝えていくのです」(トンミ氏)
性の話は、子供のおもちゃの話と同じ
ここまでは、日本の幼稚園や保育園でも伝えているシナリオかもしれない。でもこれにはもう少し続きがある。
「じゃあ、他の人に急にからだを触られたらどうしようか、ということをいっしょに考えます。自分のからだは自分のものだから、他の人が勝手に触っちゃいけないし、他の人のからだも勝手に触っちゃいけない。嫌だったら嫌って伝えようね、と。それでも聞いてもらえないときには、安心して伝えられる大人に相談しよう、ということを話していきます。それじゃ、誰かを好きだなって思ったとき、手を繋ぎたいなと思ったときには、どうしようか? そういうときも、おもちゃのときと同じで、ちゃんと相手に聞いて、いいよと言われてからじゃないとね、と理解を広げていくのです」
最初、なぜセクシュアリティ教育でおもちゃの話!? と思った人もいるかもしれない。でも、おもちゃも性的同意の話も同じなのだ。性の話も実は日常の平凡なルールの延長線上にあり、「軽くならいい」「冗談ならいい」など、そこだけ特別なルールが適用されるわけではない。だからこそ、性の話だけを抜き取らないことも重要だし、こうやって日常に起こるプロセスを踏んで伝えることで、「性が特別なことではない」ことを自然と理解できるようになるのだ。
「幼児ぐらいの年齢から、自分と他者との境界線をはっきりさせながら、コミュニケーションや交渉のスキルを小さいうちから練習します。そうすることで、将来もっと大きな複雑な人間関係や出来事でも、対応できるようになるのです」(トンミ氏)
これこそが、幼児へのセクシュアリティ教育の根幹だ。トンミ氏の話を伺いながら、幼児だけでなく、職場で一方的なボディタッチなどを平気でやってのけてしまう方々に是非この話を聞いて頂きたい、と思ったのは、きっと私だけではないだろう。
性にポジティブ、オープンであることの本当の意味
先ほど「性に関することも日常のいたって平凡なルールの延長線上」だと述べたが、実はもうひとつ重要な意味がある。それは、他の事柄と同じように「性に関わることも話してもいいこと」として学んでもらうことだ。
最近は「性にオープンに」とか「セックス・ポジティビティ」とか、そういうフレーズも囁かれるようになった。みなさんはその言葉に、どんなイメージを持たれているだろう?「性にオープン=ヤリマン」、「なんでもあっけらかんと話すこと」とか、そう思っている人は少なくないように感じる。もちろん誰と何をしても、何を話してもそれは個人の自由ではあるけれど、ここでの「性にオープン、ポジティブ」というのはそれとは違って「必要な時にきちんと恥の概念なく話せること」を意味する。
フィンランドにも、「トイレットワード」と呼ばれ、いわゆる「恥ずかしいから人前で言ってはいけません」とカテゴライズされる言葉がある。そこには、性器を形容する言葉なども含まれる。しかし、トンミ氏は、それらを単に「恥ずかしい」とカテゴライズすることに毅然と反対する。
幼少期に植えつけられる性のスティグマ
「性器は恥ずかしいものだから、人に話しちゃいけません、と教えられた子供が、誰かから意に反して触られたり、からかわれたりしたとしたら、どうでしょう!? どうやって信頼できる大人にそれを相談できますか? 恥の概念なく、生殖器も自分のからだの一部として認識できていたら、他者に好きにさせないと言う意味でも、誰かに相談するという意味でも、安全を守るスキルにも繋がるのです」(トンミ氏)
確かに、20代になっても性器周りのことだから恥ずかしい、と病院に行くのをためらう友人もいる。また。性暴力被害の訴えにくさにもこの「恥」「触れてはいけないこと」「人に悟られてはいけないこと」という概念は大きく影響している。
とはいえ、性にポジティブ、オープンに、と言っても、分別なくどこで何をしてもいいというわけではもちろんない。公共の場と、プライベートな場は分ける必要はある。例えば、子どもはよく裸で走り回ったり、ところ構わず性器いじりをすることがある。そういうときも、ただ「ダメでしょ」怒鳴るのでは、からだや裸そのものを恥ずかしいもの、いけないものと認識しかねない。
そうではなくて、「確かにそれは気持ちのいいことかもしれないけど、自分の大切なものだから、自分の部屋でだけにしようね」というふうに、恥を植え付けず、それでいて境界線をはっきり認識してもらえる言い方で伝えるのが理想的だとトンミ氏は言う。
そして、日本の現状を改めてみてみると……
トンミ氏は、大切なことをたくさん語ってくれたが、私自身、いまだに自分の感情を相手に伝えることが苦手だ。フィンランドの幼児が学習する、はじめの一歩の「感情に気づく」がまずできない。というより、無意識に消してしまう。なぜなら、相手の反応が怖くて、相手とは異なる自分の感情を言えなかったとき、「嫌だ……」と思い続けながら相手に合わせることはとてもつらい。
でも、相手に言ったところで聞き入れてもらえる気もしない。だからはじめから自分の思いはなかったものにしてしまうのだ。そうして後から猛烈に苦しくなったりする。「#なんでないの」の活動を通じて多くを学び、だいぶ改善されたが、それでも長年生き延びる術として染みついた習慣を変えるのは容易ではない。あぁ、私もこんな習慣がつく前にフィンランドの教育を受けたかった。
しかし、そういう感じる人は私だけではないらしい。最近、私もアクティビストの一人として参加する国際NGO JOICFPが、国際ガールズデーに合わせ、「性と恋愛2019」という調査を発表した。そこには、こんなデータがある。
■相手に気に入られるために、合わせる!?
男女関わらず、なんと約4人のうち3人が、相手を慮り相手に合わせている。
■気が乗らないのにしたことがある?
そして性交渉に関しても、女性は特に、気が乗らないのに性交渉に応じた経験がある人が半数を大きく超える。その上で、避妊という性交渉の中でも基本的なことすらほぼ話し合えていないのが現状だ。
いつまで日本は「変わらないでいい」を続けるの?
これってまさに、5歳児頃にあるべき教育がすっ飛ばされたまま、恥の概念だけは脈々と受け継がれてきた結果とはいえないだろうか。自戒も込めて、そろそろこの流れを断ち切らなければ。
日本はフィンランドのような幼児期のセクシュアリティ教育は組まれていない。教育が違う、性に対する価値観が違う、で流してしまうのではなく、どんな年齢からでも、自分の感情を掴み、伝え、聞き入れられる経験、それを積み重ねることに意味があると私は感じている。性に関わる事柄も大切なことで、話していいと知っていれば、最低限必要なときに必要なことを少しずつでも話せるようになるはずだ。
先のアンケートによれば、女性の4人中3人は、相手に合わせるため自分の思いを消したことがあり、2人に1人は気が乗らないにも関わらず性交渉に応じたことがあると答えている。どちらもかなりつらい。しかし、ひとりひとりのあと一歩の理解と勇気でこういった現状は少しずつでも変わる可能性がある。
実際私自身、前に記事も書いたが、性的同意をいっしょに考えられる相手と出会ったことで、本音をきちんと伝えられたという経験がある。次世代のために、今後の教育システムを変えていくことももちろん必要だが、それ以上に、私たちひとりひとりが“社会の空気”を変えていくことも。大きな始まりにつながると私は信じている。
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