赤き炎に包まれる愛染明王
密教寺院の奥深く、香煙が漂う本堂には、一体の像が静かに佇んでいた。全身を燃え立つような赤で彩られたその姿は、見る者の心を捕らえる圧倒的な存在感を放っている。像の名は愛染明王――愛欲を仏の悟りへと導く力を持つ、東洋の愛の神である。
その目は三つ、どれも深遠でありながら燃えるような情熱を宿している。六本の手には様々な象徴が握られ、特に弓矢はその中でもひときわ異彩を放つ。西洋のキューピッドが愛を射抜くのと同じく、この弓矢も人々の心をつなぐための道具であると伝えられている。
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「オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク……」
静寂の中で響く真言。僧の声が、愛染明王の像へとしみ込むように響き渡る。本堂の空気は次第に変わり始めた。燭台の火が揺れ、赤い像がまるで生きているかのように輝き出す。
「師匠、この明王様は、なぜ煩悩を司りながらも仏なのですか?」若い僧侶が問いかけた。
師である老僧は静かに目を開き、穏やかな声で答えた。「煩悩は本来、捨てるべきものだとされている。しかし、密教ではこう教える。煩悩があるからこそ、人は悟りを求めるのだ、と。愛染明王はその象徴だよ。愛欲という激しい感情を否定せず、それを悟りへの力に変える存在なのだ」
若い僧侶は目を輝かせながら聞いた。「では、この弓矢は?」
「人の心を結び、良縁を導くためのものだ。愛染明王のご利益は恋愛や結婚だけにとどまらない。夫婦の絆を深め、病を遠ざけ、命を長らえる力もお持ちだ。それに、水商売や染物屋の守護神でもある。すべては、人々の悩みを救うための力だよ」
若い僧侶は像を見つめ直した。その赤き姿は、ただ美しく、力強いだけではない。どこか温かな慈悲の光を放っているようにも見えた。
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夜が更け、祈りが終わった頃、愛染明王の像は再び静寂の中に沈んだ。しかし、その赤き炎は、訪れる人々の心に新たな希望を灯し続けるのだった。
2024年12月02日
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