2024年01月29日
■鈴鹿 庄野宿
ショーを始めた頃
東海道五十三次の
庄野宿の本陣跡
といわれる所で
仕事をさせて
頂いた事があります
現在は
公民館になっている
ようです。
記録によりますと
以前は
鈴鹿川の近くに
あった宿場が
川の洪水で
現在の場所に
移転されたとか‥。
隣の石薬師の
宿場から
あまり離れていなく
旅籠の数は
わずか10軒で
農業主体で
生活されて
いたそうですョ。
名物は
焼米俵
焼いた米を
手のこぶし大の
小さな
俵につめたもの
だそうです。
近くに
宿場があるのなら
どちらも共存できるように
どうして
真ん中に
大きな宿場を
作らなかった
のでしょうか?
地理的にか
お互いに
やって
行けなかったのか
むつかしい
問題が
あったのでしょうね。
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