2024年08月10日
1238 位置情報
別荘を構えていた人達が果たして別荘が必要なのだろうか。
全国の民宿や旅館を利用する事によってもっともっと観光が楽しくなるのではないだろうか
今後高齢化が進み70代80代の人でもペーパードライバーでも車が自由に利用出来るという事。
若ければ自動運転のキャンピングカーを買いな・・
自動運転の車を一家で所有していれば、主人の駅までの送り迎え、奥さんのパートへの送り迎え、爺ちゃん婆ちゃんの病院や郵便局、買い物なども車を自由に使えます。
場合によっては子供の学校の送り迎えも車が自動的にするでしょう。
過疎地での年寄りの買い物の足が問題になっていますが、そういう問題も全てクリアされる事になるでしょう。
レンタカー事業やタクシー産業にも余程の知恵を絞らない限り存続出来なくなる可能性もあるのではないか。
タクシーは従来のように流すのではなくスマホの位置情報で近くのタクシー会社へつながり自動的にタクシーを呼ぶというスタイルでなんとかクリア出来ます。
レンタカーについては,民宿やホテルが進出して来る為、余程知恵を絞らないと存続が難しくなるのではないだろうか
農業についても大きな変化が見られると思います。
例えば長野で玉ねぎを生産したとしましょう。
東京のマルエツに1トンの玉ねぎを納入する場合、畑から夕方トラックに乗せてマルエツへ自動運転で送り出します。
夜中高速道路を通って明け方3時にマルエツの駐車場へ到着。その荷物を確認し降ろして5時にはその車を返します。
道路が混雑する前に都心を抜ければ当然農家の駐車場にその車は着く。
そのように物流に大きな変化が出てくるという事です。
当然そこには GPS の位置情報、或いは電波を使ったメールや電話等による連絡網が自在に出来る。
時代の流れを読む、これも重要な事ではないだろうか。
日本は島の多い国で、島部では港の送り迎えや観光等、車が少ない為、自動運転車はGPSという空間を使った次世代産業の発展モデル地区として急速な変化が予測されます。
近い将来、GPS電動車椅子が有望視される。
連続走行50キロ前後で、自宅のソーラーで充電、近郊の買い物や病院等、高齢者でも自動運転方式が目前でしょう。
若い人は時代を読む訓練も大事でしょう。
1237 空間産業
テレビは60年前やっとカラー放送が始まりました。この60年間の激変ぶりは目を見張るものがあります。
テレビに遅れること5年、今度は航空産業が軌道に乗り出します。
さらに25年前今度は携帯電話が世に出てきます。
この3つの産業の発展ぶりは自動車が出現した同等の社会的な変化をもたらしました。
現在携帯やスマホは殆んどの人が持っており、この2次産業としてアマゾンや楽天等、通販産業の物流変化です。
テレビが出、たった50年で何万年も続いた人間社会に激変が起きた。
これから5年先とんでもない激変が予測されます。果たして皆さんはお気づきでしょうか。
テレビや携帯が世の中に大きなインパクトを与えましたが、原因はと言うとこれは電波という空間を使う事です。
土地や建物は法律によって個人や企業の所有物です。
ところが電波は空間を使うため全ての土地やトイレの中まで入ってきます。
航空産業も同じで自分の土地の上を飛ぶなと言っても自由に飛びます。
近い将来激変が起きる、と言うのもやはり空間利用に関わります。
日本は現在GPS衛星を機打ち上げ、四機体制が完成。位置情報の精度が格段に上がりました。
既にテストは行われておりますが自動車や農業機械の完全自動化が出来るという事です。
1年後にはハンドルのない自動車が間違いなく発売されるでしょう。
農業機械も完全に自動化され24時間稼働させる事が出来るでしょう。
なぜそれが激変に繋がるかというと、例えば青森へ旅行した場合、民宿に自動運転車が導入されていれば新幹線の駅までこの車が迎えに来ています。
お客はその車に乗って観光ポイントを回って夕方民宿入りします。
翌日もその車で登録された観光ポイントを自在に回って駅で車を乗り捨てると車は民宿の駐車場へ自動的に戻ります。
観光産業が飛躍的に伸びて来るでしょう。
若い人には未来を見る目が大事です。60年前、地べたではなく空間を使う放送や航空産業に目を向けた事。
これからはGPSやドローン等空間産業に注目すべきでしょう。
2024年08月09日
1236 拒否感
現役時代、部下で課長をさせていたY君が夏のお盆休みを取らずに仕事をすると言い出した。
年は48歳で福島の田舎へ帰ると、親兄弟が見合いを進め、嫌なので帰らないと言い出した。
ひかるは二日間ぶっ続けで説教をしてやった。
定年迄は仕事があるからいいが、それ以降は会社から放り出される。
年金を積立、これから第二の人生、楽しい人生が始まると言うのに君は一人でごちょごちょ料理を作り、洗濯をし、夜は一人で膝を抱いて寝るのか。
これからでも遅くない、私の言う通り結婚をしろ。
親兄弟から言われると、先に拒否感が出る。
上司から言われたのでしぶしぶ了解をしてお盆休みに故郷へ帰った。
報告があり、結婚を決意したとの事であった。
相手は寮母をし婚期を逃した。四十代なので子供は出来ないかも知れないが、二人で結婚生活をするとの事だった。
暫らくして女房と二人の貯金を合わせ、五千万の土地付き一軒家を現金で買ったと言う。
当時としては大金である。
ひかるはローンで苦しんでいると言うのに、俺の上手を行くのか、と冗談交じりに怒ってやった。
定年後、先日、Y君が会いたいとの事だったので会った。
自分は片方の耳が聞こえなくなり、肝臓を患い病院通いだと言う。
しかし女房が炊事洗濯病院の付き添い等、食べ物もちゃんと医者の言いつけを守って作ってくれると言う。
あの時、結婚の決意を促してくれたおかげで、今自分が生きていられる。
結婚をしていなかったら、とっくにあの世へ行っていたであろう。
涙を流して喜ぶ姿に思わず貰い泣きをして抱き合った。
焼き鳥屋で七十男の老人が二人、涙を流して抱き合う姿、周りからは異様な光景に見えたのではないだろうか。
皆さん結婚は素晴らしい、是非伴侶を見つけて欲しい、と言うのが私の願いである。
また私の結婚当初は苦労しましたが夫婦の故郷が離れていた事は、今では最高の良い条件です。
女房の実家東京に自宅があり南の小さな島に生家の別荘があります。
200人の島人は知人で、島ごと別荘のようなもので管理見守ってくれます。
世界中を見ても男と女、結婚をし子供を育てるのは当然であり、当たり前だと思います。
お互い己の鼓動を引き継いで行く、この素晴らしさを多くの皆さんには一度考えて頂きたいなと思います。
鼓動哲学を展開する上で前にも記した通り、心の鏡であったり、脳内酵母論であったり、土俵結婚論であったり、
今まで聞いた事がないような論理も組み合わせ、己の人生を考えてみる必要があるのではないだろうか。
私は80歳ですが、足腰もままならず昼寝や横になっている時間が増えましたが、若い頃世の底辺を這いずり、
文無しで女房と明け暮れていたシーンや、どうやって子供を学校へ行かせるか等、更に孫とハイハイ競争等、
人生のアルバムやシーン等が止めどなく次々と再現。己主役独演人生ドラマ上演は金もかからずエネルギーも不要。
やっぱり相棒が必要です。苦労を苦とせず拒否せず人生ドラマの相棒、相手を見つけ鼓動を続けましょう。
1235 土俵
結婚とは、育ちも境遇も違う者同士が、二人だけのルールの土俵を作るという事だ。
当然双方の親との事もあるので、更に土俵の外に大きな輪が出来る。
二人だけの土俵、子供が出来れば当然膨らむ事は事実である。
離婚劇というのは夫婦が描く土俵の形が、いびつになっているという事である。
二人で話し合い、丸い土俵に直せば良い事ではないか。
その努力をせず相手を罵るだけでは丸い土俵にはならない。
相撲はちょっとでも俵から出れば勝敗がつく。
夫婦の場合勇み足をしたとて、土俵を確認し維持していく確認が取れれば解決出来る。
よく性格が合わない、生活のすれ違い等と言うが、そんな事は結婚する前から分かっていたはずである。
丸い土俵を維持する努力を怠って罵る顔は見苦しいとしか言いようがない。
確かに土俵の上では睨み合いや突っ張り等、夫婦生活の中では結構バトルもあるかとは思います。
結婚生活そのものが一つの土俵であるという土俵論をしっかり持っていれば多少の事があっても土俵は保たれると思います。
親子川の字で寝ると言う例えもありますが、場合によって夫婦は川の字の片方が逆さまになったり、そういう事も起こり得るかも知れません。
土俵からはみ出したとしても同じ土俵で生きていく事を話し合うのも大事な事である。
結婚は素晴らしいと言う例を挙げてみよう。
1234 鬼嫁
数年後女房を連れて島へ行った。
すると島のおじさんやおばさん達が私の女房を鬼嫁と呼んでいる。
東京から来た鬼嫁の顔が見たいから夜行くぞと言う。
鬼滅の刃と関係が有るのか、何んで鬼嫁にされたのか理由を聞くと、両親が上京した際、女房は私が夜な夜な焼き鳥屋で酒を飲んでいる体の為にと一生懸命野菜サラダを作って食卓に出していたのだ。
その野菜サラダがなんと鬼嫁の原因だった。
島では暑い為、腐るのが早い。取り立ての魚の刺身は生で食べるが、他は大体火を通して食べる習慣がある。
女房が一生懸命体の事を考えて出した、あの野菜サラダなるものは見た事も食べた事もない食べ物だった。
島へ帰ると、東京の嫁はあれは鬼嫁だ、葉っぱを水でチョロチョロと洗ってそのまま、料理もせずに食卓へ出す。
親を何んと思っているのか。
うさぎじゃないんだから、生の葉っぱを食えとはあまりにも酷過ぎる。
このままでは殺される、と急いで帰って来た、と言ったそうだ。
それで女房は鬼嫁という事になり、島中に伝わっていたのである。
夜、ひかるは必死で女房にだけは鬼嫁が耳に入らないよう冷や汗を流した。
習慣の違いと言うのは恐ろしい。
テレビでよく泥沼離婚劇が報じられる。
何を考えているのか、と言いたくなる。
1233 食器洗
吊り合いが取れない、習慣が違うという面ではいくらでも書きたてられる。
ひかるの田舎では人が亡くなった場合、頭を西向き、太陽が沈む方向にするのだ。
女房は北向きだと言う、さて布団やベッドにしても西向きと北向き、縁起が悪いので我が家ではやってはいけない事になる。
お互い譲らなければ夫婦喧嘩に発展する。
それでは子供達にどう教えようかという事になるが、我が家ではお母さんが亡くなった時は北向き、お父さんが亡くなった時は西向きにしろと言ってある。孫達の教育は自分達で判断しろ、と。
ひかるは長男なので南の島に住む両親の面倒を見ようと考え、まず一ヶ月間東京で同居する事をテスト的に試みた。
広い庭を用意、農業で長年生活した両親に家庭菜園をさせれば何んとか成るだろうという事で呼び寄せた。
すると、生活環境の違いがモロに出てきた。
周囲が12キロの小さな島、井戸はあるが汲み上げると海水だ。
現在のようにポリ容器のない時代だから飲料水は瓶に貯めて大事に使う。
それこそお金よりも一滴は貴重である。
水道が無いので食後の食器洗いも溜まり水で洗う。
呼び寄せた母親は、せめて食器洗いはさせてくれと言って、女房に一生懸命気を使う。
ところが水道を使った事がなく、ジャージャー流して洗う事は考えられない。
溜水で油ものの食器なども洗う。
女房がお願いだから、お母さんに食器洗いを止めさせてくれ、とてもじゃないが油がギトギトしていると言う。
下手をすると女房とのバトルへ展開する。
母に東京は水道料が基本料金で、いくら使っても料金は上がらない、流しぱなしでも問題ないと言って、何んとかバトルにならなかった。
共働きで子供達は学校、昼間隣近所に話し込む訳にもいかない。
退屈したのだろうか10日もすると島へ帰ると言い出した。
タイミング的にまだ早過ぎたかと考え、とりあえず島へ返した。
1232 交番
昭和30年代から40年にかけて沖縄出身者の心はかなり荒んでいた。
パスポートや離島と言う経済的なハンディ、或いは孤独や孤立等が原因だったでしょう。
犯罪のニュースには沖縄の苗字が結構出てきたのである。
それが偏見となってアパートには沖縄出身者の入居お断りという看板が出ていた程である。
ひかるは結婚にもろに反対され、最後は「犬や猫がくっつく訳ではない、式くらい挙げたらどうか」という相手の言葉に了解が取れたと飛び上がらんばかりに喜んだ。
しかし一緒にいたい気持ちが先走りし、結婚式の事など全く考えていなかったのです。
急ぎ結婚式を挙げなければと考えるのですがまったく金がありません。
悩んだ末、交番へ駆け込みました。
まだ24歳で明らかに田舎っぺの顔、沖縄の顔つき。
式を挙げなければ結婚出来ない、深刻に結婚したいと言う悩みは、なんと奇跡が起きたのです。
交番のお巡りさんが任せておけ、と引き受け警察官の専用結婚式場になっている虎ノ門ホールを保証人となってキープしてくれたのです。
考えられない奇跡です。パスポートを見、親身になっての計らい事でした。
今でもお巡りさんを見る度に、ご苦労さん、有難うといつも手を合わせています。
私はいかような事があっても、手錠を嵌められるような人間にだけは絶対にならない、と心に決めております。
警察関係者がこのブログを見、当時の担当者をルール違反だから、と罰せないでくださいね、もう時効ですから。
パスポート結婚、当時は珍しい国際結婚だった。
結婚の相談を交番に持ち込んだのは、ひかるくらいのものかな・・
1231 価値感
最初から結婚をしないと決め込んで生きて来た友人を数多く知っておりますが60代になって大きな分かれ道が出てきます。
経済的にも余裕が出来これから友人仲間と数多く付き合って人生楽しむという事になるのですが、ところがどっこいそう簡単には行きません。
周りの話題は子供や孫の話、嫁さんの悪口であったり亭主がどーのこーのであったり、病気の話題であったり殆んど話題に入っていけません。
結果的に同年代の人達と輪になって楽しむ、が人間性や価値感に大きな違いが出、孤立して行きます。
若い時には予測出来なかった事が目の前に出てきます。
ですから年寄りの言う事と聞き流さずに、人生の総仕上げ、出来れば結婚をするのが一番ベターではないかと言います。
結婚感についても、例えばイケメンである程度金持ち、ちょっと条件を付け過ぎではないだろうか。
若い時から金持ちと言うよりは、二人でゼロから築き上げる過程が一番楽しいのではないだろうか。
また結婚する場合性格が違う、と心配する向きがあると思いますが、個性が合わない者同士がお互い欠点をカバーし合う事でより素晴らしい家庭が出来ます。
勇気を持って一歩踏み出して欲しいと思います。
私の場合沖縄本島から450キロ南の小さな島で育ちました、女房は代々江戸っ子です。
合うの合わないのと言うと、性格や個性、習慣、全く合いません。
しかし月日が経てばお互いの欠点は分かり切っており、其々欠点を補い合う、あうんの呼吸というものが出来ます。
むしろ性格や個性が離れていた方が結婚生活は楽しいのではないかと思うくらいです。
つり合いが取れない、という言葉があるが私の場合は全く取れなかった。
女房の実家はあの時代劇に出てくる昔からの大棚である卸問屋であった。
女房の母は末娘として初の高等女学校出、勿論学校の送り迎えも用人が付く、習い事や躾などはかなり厳しく育っていたのである。
かたやひかるの母は学校も出ていない為、読み書きは出来なかった。
ひかるは南の小さな島で子供の頃は、裸足でそれこそ完璧なるフルチンで魚のように海を泳ぐ。
透明度が良いためゴーグルは不要、裸眼で海面を叩くと魚が穴へ入る。
魚を素手で取り、生きたままむしゃむしゃ食べて育つ野性そのものの育ち方をしている。
ひかるの事を全く躾がなされていない島ザル、と呼び塩を撒かれたのも、誰が見ても頷ける状況である。
そんな中でひかるは結婚する。
そして十年間、実家との絶交を女房に言い付け、子供が出来、孫をかすがいに実家との付き合いを円滑にしていったのである。