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2015年10月17日

地球市民新聞・013号・「怒り」という感情を食い止めることができた修行者は、幸いである。




・心のプレーゼンテーション・人間寺




新しい自分に変わる・ブッダの言葉


ブッダのアドバイスの言葉


蛇の章・蛇


蛇の毒が体じゅうに広がるのを薬て食い止めるように


「怒り」という感情を食い止めることができた修行者は、幸いである。

蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように、この修行者は超越した存在になる。


スッタニパータのなかの「蛇の章・蛇」において、ブッダは「人間は、悩み苦しむ自分から、心らかな幸福感に満ちた新しい自分へと生まれ変わることができる・と教えています。


ただし、新しい自分へと生まれ変わるためには、いくつかの条件を満たさなければなりません。

その条件として、最初にブッダがあげるのが、「怒りを捨てさること」です。

★ 条件思いどう折にならないことがあっても、怒らない。

★ 他人から悪口をいわれても、怒らない。

★ 人の過ち、遇がさ、未熟さえを見ても、怒らない。

★ ふがいない自分自身にして、怒らない。


「怒らないことを心に決め、怒らない生活を実践すれば、まったく新しい人間として生まれ変わることができる。

そして、その新しい人生においては、平和で、おだやかな安心感に溝ちた暮らしを送れるようになる」

「怒りを捨てる」と、口でいうのはカンタンですが、実践するのは難しいことかもしれません。


世のなかには、ついカッとなることが、たくさんあるからです。


園でも!本書の教えを元に、怒らないことに挑戦してみましょう



その一歩から、必ずいい人生が開けていきます。

・まず、「怒らない」と決める

明日に続く
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さて本日も心のプレゼンをはじめましょう。

心のきれいな生活を送る方法


菩薩行道 以下の記事に付いて


固定観念と固定概念からの自立


[心の使い分け]

【1】「客観的」は、第三者の視点に立って物事に対して自分を見ること。

【2】「主観的」は、自分だけの視点に立って物事を見ること。

述べているのが解脱つまり御本人が元もと持っている 本当の自分の心を理解する意味です。



仏陀真理のことば


第一章ひと組みずつ

第一章では、二つの詩が対になっています。


同じ事を反対側から見て説いています。



この詩は、汚れた心の場合と、清らかな心の場合の二つの方向から見て説いています。


ものごとは全て心によって作り出されている、とされています。


この全てのものごとと言うのは、ここでは森羅万象全てのことと捉えるのではなく、人の考え方や行動と言う範囲について説いていると見たほうがよく分ります。


唯心論の世界のように、心に思い描くことが出来るからこそ万物が存在しうるのだと言うような意味にはとらないほうが良いでしょう。


犬猫にしても、心を持っているものは全てかもしれませんが、少なくとも我々人間の言動は心が先にあり、心が主体となっていることに間違いはありません。


右に行きたいから右に行き、楽しいから笑い、悲しいから泣くのです。

一般的にその反対は考えくいですね。


特殊な例を引いて、思いもしないのに体のほうが先に動くことがあるではないかと、言われるかもしれません。

仏陀の今ここで言いたかったことは何だったでしょうか。


宗教家として言いたかったことは何だったかと言うことです。


数学的、あるいは科学的な論をしているのではありません。



人々はどうあらねばならないかを説いていると思います。



人の言葉というのは実に怖いものであると言う一面を持っています。


他人をののしれば、大抵は明日から絶交状態になってしまうでしょう。


仏陀はずばりそう言っていると思います。


汚れた心で話すならば、そこから苦しみが始まってしまいます。


汚れた心で行動するならば、やっぱりそういう結果になるでしょう。


逆に、清く正しい語りをし、行動をするならば、慕われ、尊敬され、皆と仲良く暮らしていくことができるでしょう。

だから、人々よ、先ず第一に心を清く正しくしなさい。

そうすれば自ずと、言葉も清く正しくなり、行動も清く正しくなるのだよ、と説かれていると思います。

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本日のコレクション



聴くたびに好きになる洋楽集 (日本語字幕付き)
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「心の逃走」 〜人はなぜ苦しみ悩むのか〜

 私たちは、この世に生を受けてからというもの常に悩みごとに見舞われています。

物ごころのついたそれこそ子供のころからお小遣いが少ないとか、 もっとおもちゃが欲しい、学校の成績が悪く勉強が好きになれない、また大人になっても器量が悪い、恋人ができない、

仕事がうまくいかない、給料が低い、好 きな人に気に入ってもらえない、裕福な暮らしができない、病気ばかりしている、夫婦の相性が悪い、友達がいない、老後が寂しい……何とまあ、人間の一生と いうものは悩みごとや苦しみの連続であることか! 


人間は毎日、毎日その不平、不満をくり返すのです。


 私たちはこの世に“生”を受けたと同時に、確実に“死”という現実に直面します。


そしてこの “死”に対して人間の“生”とは何と弱いものなので しょう。


例えば、胎児は母親のお腹のなかにいるあいだ、母親のちょっとした不注意からすぐ流産してしまいます。
科学の驚くべき進歩で宇宙を征服するような 技術をもつ人間が、ミクロという目に見えない細菌(ウイルス)であっけなく命を失います。



正常な細胞が突然癌細胞に変わる。

白血球が多くなっても少なくなっても生命の危機に陥る。頑張って仕事をしていてもいつ過労死につながるかわからない。


輪禍に遭 う可能性だって非常に高い。


こうして見ていくと私たちの身の回りは、命を奪う凶器ばかりのように思えます。

そうした凶器に対して人間の“生”ははなはだ弱く、生きていることそのことが奇蹟と言っていいくらいです。

人間は決して“死”に勝つことはできません。しかし、人間の歴史は“死”への敗北から逃れようとする闘いの歴史でもあるのです。

“死”を避けようとする必死の努力が人間の生き方の全てだと言っていいでしょう。

これまでの人間文明の歴史を見てもそれは明らかです。


古今東西を問わず、人間は“死”から逃れるために、科学を発展させ、さまざまな宗教に縋(すが)りつき、はてまた淫祠邪教(いんしじゃきょう) の 類(たぐい)をつくりだしてきたことは、世界の文明史、歴史的産物によって証明されています。

また、これから発展、変化をつづけていく世界でも、この、敵わぬと知っていながらも空しく“死”から少しでも逃れようとする人間の切望的な闘いはつづくことでしょう。

 問題は、人間がこの切望的な闘いが絶望であることと知っているだけに、闘いながらひとりひとりの心のなか奥深くに、絶望感、不安感、不満、いらだ ちなどの苦しみを、無意識のうちに育てていることにあるのです。

この事実に、たいていのひとは(いや、すべての我々は)残念ながら気がついていないので す。心は、こうした苦しみや、悩みで徐々に膨らんでいくのです。

こうして蓄積された心のなかの苦しみ、悩みは、本人は無意識でありながら社会のなかでいろいろなトラブルの因子を作りだしていきます。


このトラブ ルはひとつは対人関係に表れ、もうひとつは自分一個人の精神的、心理的なトラブルとなって表れてくることになります。



この無意識に起こる反応は何も悪いトラブルだけではありません。



人間は生きる苦しみを癒すためにスポーツや芸術などの世界に遊ぶことを知っていま すし、哲学や宗教も苦しみからの開放を命題としてきました。

「歌は人間の泣き声である」と言ったのは釈迦尊ですが、歌声に秘められているのは、人間が普遍 的に感じている心の苦しみなのです。


心の苦しみの表現として歌を作り、それを歌って心の傷を癒したいのです。

鳥もおなじなのです。心の不満を表現して歌っ ているのです。

歌うことによって心の苦しみを和らげたいのです。

「踊りも人間の奇矯な振るまいである」とも釈迦尊は言いました。

舞踏をどんなに芸術的表現だと言ったところで、その根本は人間の心の傷を癒し、和らげるためなのです。

人間は酒を飲んでは心を和らげ、映画を見ては和らげ、絵画を見て和らげているのです。

人間の文化すべてはそのようにして出来上がってきたのです。 人生とはしょせん割れもののようなものです。
傷だらけでいつも修復しなければならないのです。

人生はいつも傷だらけですから、歌を作り踊りを踊って、絵を 書き、建造物を建てたりしていったのです。苦しみがあるからこそ、頑張ってきたとも言えるでしょう。文化や科学などのすべては、人間の苦しみから生まれた 産物なのです。

では悩み深き心を救うにはどうしたらいいのでしょう? まず、無意識下に表れる不安、不満、生きていたいという存在欲、そして意識として表れる嫉 妬、恨み、憎しみ、怒り、自我中心的想念などで占められている心の汚れを取りのぞかなければなりません。


それがまた私たちの最終目標である“解脱”への避 けては通れない道なのです。

しかし人間には、心を清らかにしようとするプロセスからどんどん逃げようとする悲しい習性があるのです。勉強することがいまの自分にとっては正しい心であっても、そこから逃げて遊びに夢中になる子供のように。

他人の窮状を知って手助けできるのに、手を汚すまいと見てみぬふりをした過去の自分に思い当たりませんか? 

心は、正しき心になる努力から巧みに逃げるのです。


人間は悪いこと、楽なことはすぐ行動するくせに、良いこと、心にとってプラスになることは知っていてもなかなか実行しません。

自灯明法灯明を実践すれば、心が実践に逆らおうとすることがよくわかります。冥想中に出てくる眠気、痛み、妄想、雑念、理屈がその証拠です。


人間は、人への慈しみ、優しさ、助け合い、小欲知足の生き方などの善意を行おうとすると心は反対方向へと向いてしまいます。嫌になったり、苦しくなったりするその心を、いま善いことから逃げはじめたと自覚して、忍耐、辛抱、精進の努力を奮い立たせてください。


善行為こそ、心の汚れの一切を取りさる最短の幸福への道であることを知ってください。心の弱さに負けないように!


(法句経Dhammapada Nos. 33-36参照)

●心を正す実践をするときは、まずこう考えてみましょう。

• 心そのものが激しく、悩んで、痛んでいる。安らぎを求めて、心が叫んでいる。

• 真の安らぎを与えてあげようとすると、巧みに逃げていく、無知で無邪気な心よ。

• 苦しみを乗りこえる道は、忍耐も、精進も必要であることを知っておこう。

• 仏教の実践方法は決して厳しいものではなく、厳しいものだとただ心が誤解しているのだ。

明日の記事まで考えて見ましょう。

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妙法・あなたが生まれた意味と理由



生まれ持った特徴を、生かして、生きる。


生まれ持った特徴を、生かして、生きる。


生まれてきた理由はありません。


しかし、自分の特性を見つけ、従う生き方はできます。


特性を生かす生き方が、最も自然であり、自分を最大限に生かす生き方です。


たとえば、鳥に生まれるか、魚に生まれるかの違いです。


鳥として生まれた鳥は、生まれつき空を自由自在に飛ぶ能力があります。

魚には、いくら努力をしても、空を飛ぶことはできません。


水の中を自由に泳ぎ回る能力がもともと備わっていても、大空を自由に飛び回ることができる能力はありません。

鳥は、努力も気合も必要なく、生まれつき、空を飛ぶ能力が備わっています。


鳥は鳥として生きることが最も自然であり、最大限に自分を生かした生き方です。


 
一方、魚は水の中を自由自在に泳ぐ能力が、生まれつき備わっています。


鳥は、水の中に潜ることができません。


そもそも水の中で生きるような作りではないため、水の中で生活をすることはできません。

鳥とは違い、魚にはえらがあり、水中の酸素を取り込む能力があります。



生まれつきの生物的な違いです。

鳥には鳥の能力があり、魚には魚の能力があります。

生まれつきの違いに従って生きることが、最も自然であり、自分を生かした生き方となります。


魚は魚らしく生きることが一番いい。


鳥は鳥らしく生きることが一番いい。


あなたも、あなたらしく生きることが一番いいわけです。


今は「鳥」と「魚」ということで、分かりやすく説明をするために、大変に極端な例をあげました。

この考えをそのまま、人間に対しても当てはめてみましょう。

たとえば「土肥六実」と「あなた」です。

私もあなたも、同じ人間です。


2人とも二足歩行ができ、考えたり、話したり、笑ったりと、能力に大きな差はありません。


「鳥」と「魚」のような、極端な生物的違いはありません。


手足も、生き方も、さほど大きな違いはないでしょう。


しかし「大きな違い」はないだけであり「小さな違い」はたくさんあるのです。




たとえば、私は生まれつき「考えることが好き」という性格があります。


なぜ自分がそうした性格なのか、自分でも分かりません。


鳥はなぜ空を飛べるのか、魚はなぜ泳ぐことができるのか分かりません。

私も、なぜ考えることが好きなのか、分かりません。



もともと、生まれつき備わっている「性格」です。


また機械関係に強くて、コンピューターとは相性がいいようです。

運動神経は昔から良いほうで、学生時代の運動会では、特に努力をすることもなく、いつも一番でした。


自慢ではありません。



私がそう望んで生まれたわけでも、身につけたわけでもありません。



ただ「そうなの」です。

私にもあるのですから、あなたにもあるはずです。

ちょっと自分を振り返ってみましょう。

なんでもかまいません。


「走るのが速い」

「粗探しがうまい」

「面倒なことが嫌い」


「せっかちな性格だ」


「友人を作るのがうまい」



「ピアノに関しては、上達が早い」

「アロマが好き」

「話すのが好き」

「きれい好き」


「おおらかな性格」

「几帳面な性格」

「かっとしやすい」

思いつくままに自分が「頑張らなくてもできること」「はじめからある性格」を書き出してみましょう。



はじめからできることです。



あなたが持つ、生まれつきの特性です。


私もあなたも同じ人間同士ですから大きな生物的な違いはないでしょう。


しかし、小さな性格的な違い、能力の違いは、それなりに数多くあります。

私とあなたは大きな違いはありませんが、小さな違いはたくさんあります。


その小さな違いを、大きく役立てるのです。


自分が生きる目的を定めるための、ヒントにするのです。

上手に生きるということは、その自分の特性に気づき、伸ばし、社会のために役立てることです。



冒頭で言いました。


生まれてきた理由はありません。


しかし、生まれつきの能力はあります。


それを生かすのです。


生かしきって、社会のために役立てるのです。



私には考えること、書くことが好きという特質があります。

それを生かしHappyLifeStyleを通し、社会の役に立てています。


あなたも自分の特性を生かしそれを通して人生を生きるのです。


それが生まれてきた理由を、自分が作るということです。


生まれてきた理由はない代わりに、生まれつき持っている特質、能力、体格、性格の違いがあります。

それらを上手に生かして、人生の武器にしてしまいましょう。

生まれてから自分で目的を作り、自分の物語を作っていくことです。


鳥に生まれたら、鳥の物語を書けばいいのです。



魚に生まれたら、魚らしい物語を書けばいいのです。

あなたに生まれたら、あなたらしい物語を書けばいいのです。

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埋もれ鎖骨がよみがえる!美デコルテを叶える簡単エクサ

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