2017年10月03日
『訳す』 中日翻訳の高速化−比較言語学からの考察2
1 中国語と日本語の違いを把握する
言語の研究とは、ことばの習得とその運用を対象とし、それぞれに理論と実践がある。言語の習得の場合は、理論も実践も概ね単文で研究される。一文一文が入力と出力となって連鎖をなすという考え方があるからだ。一方、運用論は、話しことばも書きことばも対話、段落そしてテキストが研究対象となる。この小論では、中国語と日本語を比較するために語順を取り上げる。語順には、言語の習得にも運用にも欠かせない重要な問題が含まれているからだ。(例えば、発想の問題)
言語には、語順が自由なものと固定のものとがある。しかし、大半はその中間に位置する。前者の代表としてはラテン語が、後者の代表としては中国語があげられる。日本語は、語順がかなり自由な言語である。また、ドイツ語やオランダ語などのゲルマン系の言語も類型論的には部分的に語順が自由な言語と見なされている。周知の通り、中国語の語順はSVOであり、日本語やドイツ語はSOVの言語となる。また、文法関係を表す際、中国語は語順を頼りにするが、日本語や韓国語は助詞(てにをは)を用いる。これが中国語は孤立語で、日本語は膠着語と呼ばれる理由である。中国語の語順は確かに英語に近いが、語尾変化や活用はない。日本語のようなSOV型は世界の言語の約半分、英語や中国語などのSVO型は35%、ポリネシア語などのVSO型は10%余りを占めるという。
こうした語順の違いは、言語的な発想にも影響を及ぼす。中国語は、主語のすぐ後に述語が来るので、話し手や書き手の意図が肯定なのか否定なのかは、すぐに明らかになる。一方、日本語は、述語が最後に来るため、話し手や書き手の意図が肯定なのか否定なのかは、最後まで行かないとわからない。(山本哲也 2002)そのため、中文から日文へ翻訳をする場合には、語順のみならず推論も重要なポイントになる。
発想は、抽象から抽象へと進む推論で、一般的に発見とか発明に見られるものだ。しかし、文章を書く際にも、語順とか段落の作り方または話の流れに言語上の小さな発想があると考えられる。発想は文系と理系とで異なるし、組み立て方やまとめ方もそれぞれ違う。これを調節するためにシナジー・共生がある。それ故に、シナジーこそが発想の原点と思われる。(5.「分野の背景知識の調節法」を参照すること。)
その他の推論としては、演繹と帰納が知られている。演繹は、抽象から具体へと進み、帰納は、具体から抽象へと進んでいく。例えば、演繹は、アスリートが試合に備えてイメージトレーニングをする際に使用され、帰納は、語学の練習の中で単語や表現を入れ替えながら、ある場面のイメージを作る際に使用される。つまり、これらの3つの推論は、三角形をなして人間の脳の中をものすごい勢いで回っている。
花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より
言語の研究とは、ことばの習得とその運用を対象とし、それぞれに理論と実践がある。言語の習得の場合は、理論も実践も概ね単文で研究される。一文一文が入力と出力となって連鎖をなすという考え方があるからだ。一方、運用論は、話しことばも書きことばも対話、段落そしてテキストが研究対象となる。この小論では、中国語と日本語を比較するために語順を取り上げる。語順には、言語の習得にも運用にも欠かせない重要な問題が含まれているからだ。(例えば、発想の問題)
言語には、語順が自由なものと固定のものとがある。しかし、大半はその中間に位置する。前者の代表としてはラテン語が、後者の代表としては中国語があげられる。日本語は、語順がかなり自由な言語である。また、ドイツ語やオランダ語などのゲルマン系の言語も類型論的には部分的に語順が自由な言語と見なされている。周知の通り、中国語の語順はSVOであり、日本語やドイツ語はSOVの言語となる。また、文法関係を表す際、中国語は語順を頼りにするが、日本語や韓国語は助詞(てにをは)を用いる。これが中国語は孤立語で、日本語は膠着語と呼ばれる理由である。中国語の語順は確かに英語に近いが、語尾変化や活用はない。日本語のようなSOV型は世界の言語の約半分、英語や中国語などのSVO型は35%、ポリネシア語などのVSO型は10%余りを占めるという。
こうした語順の違いは、言語的な発想にも影響を及ぼす。中国語は、主語のすぐ後に述語が来るので、話し手や書き手の意図が肯定なのか否定なのかは、すぐに明らかになる。一方、日本語は、述語が最後に来るため、話し手や書き手の意図が肯定なのか否定なのかは、最後まで行かないとわからない。(山本哲也 2002)そのため、中文から日文へ翻訳をする場合には、語順のみならず推論も重要なポイントになる。
発想は、抽象から抽象へと進む推論で、一般的に発見とか発明に見られるものだ。しかし、文章を書く際にも、語順とか段落の作り方または話の流れに言語上の小さな発想があると考えられる。発想は文系と理系とで異なるし、組み立て方やまとめ方もそれぞれ違う。これを調節するためにシナジー・共生がある。それ故に、シナジーこそが発想の原点と思われる。(5.「分野の背景知識の調節法」を参照すること。)
その他の推論としては、演繹と帰納が知られている。演繹は、抽象から具体へと進み、帰納は、具体から抽象へと進んでいく。例えば、演繹は、アスリートが試合に備えてイメージトレーニングをする際に使用され、帰納は、語学の練習の中で単語や表現を入れ替えながら、ある場面のイメージを作る際に使用される。つまり、これらの3つの推論は、三角形をなして人間の脳の中をものすごい勢いで回っている。
花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より
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