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2015年02月28日
みんな気になるサッカーの移籍金の裏について
日本における移籍金ビジネスの現在
2009年11月に施行されたFIFAルールによって契約が満了する選手の移籍が自由化されることになり、当初は日本代表クラスの選手たちまでもが「0円移籍(フリートランスファー)」で欧州に移籍する事例が相次いだ。
それまでの日本国内は、契約が満了となる選手に対してもローカルルールとして基本報酬に移籍係数を掛けることで算出される移籍金が生じていたため、FIFAルールの導入はある意味で移籍の流動化、正常化を促すものであり、クラブに圧倒的に有利かつ“過保護”なルールが国際的ルールへと標準化されたにすぎない。
それから5年が経過した今、Jリーグの少なくないクラブがFIFAルール導入を悲観的に嘆くのではなく、恩恵を受けるような策を練り始めている。
今回は、日本国内の移籍金ビジネスの現状や可能性を解説してもらうべく、青山敏弘(広島)、レアンドロ・ドミンゲス(元柏)、レナト(川崎)といった大物選手のエージェントを務める稲川朝弘氏に話を聞いた。
――FIFAルールが導入されて5年が経過しましたが、Jリーグにおいて移籍金ビジネスの考え方は浸透してきましたか?
「我々エージェント側とクラブ側では全く見解が異なると思います。クラブ側にとっては少し楽になったところもありますが、契約満了になるとフリー(0円)で出て行ってしまうので儲かりません。
どのように折り合いをつけていくのかというところで、それができているクラブとできていないクラブで今、差が出てきています。当然、フリーの選手がたくさん出ることで移籍は活性化します。
ただ、フリーになって仕事に就けない選手も多くなりました。受け皿が多くなったこと自体は悪い話ではないと思いますが、確実に給料は落ちています。ですから、一長一短といったところでしょうか」
Jクラブにとって「アンダーマネー」はダーティー
――移籍金の生じる国内移籍が少ない一番の理由は資金不足ですか?
【検証】移籍金ビジネス。代理人に聞く、Jクラブが選手の“売って”儲ける方法
横浜F・マリノスのファビオ。マリノスにとっては“お買い得”な選手だと言える【写真:田中伸弥】
「移籍金を払ってでも獲りたいと思う選手がいないわけではないですが、今はフリーの選手がたくさんいるので、情報だけ持っていれば移籍金をかけなくてもいいわけです。
1人の選手を獲って2、3年プレーしてくれたら良いというのが基本だと思います。選手に関しては3年契約くらいか、そうでないと単年になりますが、3年契約でも1年終わった段階で巻き直すというのはやっています。
そういう時代だからこそ、昔と違うのが(契約期間内に移籍する場合の契約解除に伴う)違約金設定で、海外向け、国内向けというかたちで、それぞれ契約に付けるようになっています。
あとは、出場率に合わせて移籍ができるという契約もあります。(契約時に設定した)出場率に達しなかったら、あるいは2部落ちしたら移籍することを容認して欲しいなど、細かい条件を付けるエージェントが私も含めて増えています」
――例えば、欧州では移籍金のかからないフリー移籍の場合、選手の年俸にサインボーナスのような上乗せをするクラブもありますが、日本ではありますか?
「そういうことはないですね。基本的にはそういう考え方を受け入れないし、それこそ欧州や南米のようなアンダーマネー(裏金)はないですから。
別にそれを推進するわけではないですが、そうした上乗せなどがないと、選手の獲得を目指すクラブが他クラブと差を付けにくくなります。移籍の決め手になるのは、本当にそのチームが好きかどうか、移籍するチームのポジションが空いているかどうかくらいです」
次回へ続く。。。
2009年11月に施行されたFIFAルールによって契約が満了する選手の移籍が自由化されることになり、当初は日本代表クラスの選手たちまでもが「0円移籍(フリートランスファー)」で欧州に移籍する事例が相次いだ。
それまでの日本国内は、契約が満了となる選手に対してもローカルルールとして基本報酬に移籍係数を掛けることで算出される移籍金が生じていたため、FIFAルールの導入はある意味で移籍の流動化、正常化を促すものであり、クラブに圧倒的に有利かつ“過保護”なルールが国際的ルールへと標準化されたにすぎない。
それから5年が経過した今、Jリーグの少なくないクラブがFIFAルール導入を悲観的に嘆くのではなく、恩恵を受けるような策を練り始めている。
今回は、日本国内の移籍金ビジネスの現状や可能性を解説してもらうべく、青山敏弘(広島)、レアンドロ・ドミンゲス(元柏)、レナト(川崎)といった大物選手のエージェントを務める稲川朝弘氏に話を聞いた。
――FIFAルールが導入されて5年が経過しましたが、Jリーグにおいて移籍金ビジネスの考え方は浸透してきましたか?
「我々エージェント側とクラブ側では全く見解が異なると思います。クラブ側にとっては少し楽になったところもありますが、契約満了になるとフリー(0円)で出て行ってしまうので儲かりません。
どのように折り合いをつけていくのかというところで、それができているクラブとできていないクラブで今、差が出てきています。当然、フリーの選手がたくさん出ることで移籍は活性化します。
ただ、フリーになって仕事に就けない選手も多くなりました。受け皿が多くなったこと自体は悪い話ではないと思いますが、確実に給料は落ちています。ですから、一長一短といったところでしょうか」
Jクラブにとって「アンダーマネー」はダーティー
――移籍金の生じる国内移籍が少ない一番の理由は資金不足ですか?
【検証】移籍金ビジネス。代理人に聞く、Jクラブが選手の“売って”儲ける方法
横浜F・マリノスのファビオ。マリノスにとっては“お買い得”な選手だと言える【写真:田中伸弥】
「移籍金を払ってでも獲りたいと思う選手がいないわけではないですが、今はフリーの選手がたくさんいるので、情報だけ持っていれば移籍金をかけなくてもいいわけです。
1人の選手を獲って2、3年プレーしてくれたら良いというのが基本だと思います。選手に関しては3年契約くらいか、そうでないと単年になりますが、3年契約でも1年終わった段階で巻き直すというのはやっています。
そういう時代だからこそ、昔と違うのが(契約期間内に移籍する場合の契約解除に伴う)違約金設定で、海外向け、国内向けというかたちで、それぞれ契約に付けるようになっています。
あとは、出場率に合わせて移籍ができるという契約もあります。(契約時に設定した)出場率に達しなかったら、あるいは2部落ちしたら移籍することを容認して欲しいなど、細かい条件を付けるエージェントが私も含めて増えています」
――例えば、欧州では移籍金のかからないフリー移籍の場合、選手の年俸にサインボーナスのような上乗せをするクラブもありますが、日本ではありますか?
「そういうことはないですね。基本的にはそういう考え方を受け入れないし、それこそ欧州や南米のようなアンダーマネー(裏金)はないですから。
別にそれを推進するわけではないですが、そうした上乗せなどがないと、選手の獲得を目指すクラブが他クラブと差を付けにくくなります。移籍の決め手になるのは、本当にそのチームが好きかどうか、移籍するチームのポジションが空いているかどうかくらいです」
次回へ続く。。。
2015年02月26日
みんなが意外と知らないシンガードについて
サッカーシューズ以上に悩ましいのがすね当ての選択ですね。
ショップで見かけるすね当ての様々な姿カタチは、サッカーシューズの種類による違い以上に我々を困惑させます。
■
「いったい、どれを買えばい〜の?」
■
sそこで、ここでは、すね当ての種類と選び方を紹介します。
■
まず、競技規則ではすね当て(原文では"Shinguards")についてどう書かかれているか見てみましょう。
■
第4条 競技者の用具
安全
競技者は、自分自身あるいは他の競技者に危険となるような用具やその他のもの(装身具を含む)を身につけてはならない。
基本的な用具
■
競技者が身につけなければならない基本的な用具:
● ・・・・・
● すね当て
● ・・・・・
■
すね当て
● ストッキングによって完全に覆われている
● 適切な材質(ゴム、プラスチック、または類似のもの)で作られている
● それ相応の保護に役立つ
■
「それ相応」とは、持って回った言い回しで、なんだかよく判らないですよね。良いシューズについてはいろいろな本やウェブサイトで解説を読むことが出来ますが、すね当てについての解説はほとんど見かけません。本ページは、欧米のウェブサイトで書かれているものをまとめ、翻訳・掲載します。
■ 競技規則の精神
競技規則に書かれているとおり、公式戦のピッチに足を踏み入れる者は全員、すね当ての着用を義務づけられています。すね当てを着用していない選手は試合に出場できません。
■
競技規則の根本精神は公平と安全です。すね当ては競技者の健康を守り、ゲームの安全を保証するものです。すね当てはハード・タックルによる負傷の危険から脚を守ります。
■
競技者の年齢、プレー・スタイルおよびポジションによって、様々な素材・形状から最適なすね当てを選びます。
■ 素材
すね当てには、衝撃をそらすタイプと吸収するタイプの2種類があります。
すね当てはプレーの邪魔にならず、快適なものでなければなりません。
すね当ては、グラスファイバー、スポンジゴム、ポリウレタン、プラスチックおよびEVAフォームなどの素材から作られています。
■
● グラスファイバーは軽量かつ堅牢で、優れた保護性能を持っています。
● スポンジゴムは軽く成形しやすい素材です。しかし、保護性能は若干劣ります。
● ポリウレタンはやや重く、また成形しにくい素材です。しかし、最強の保護性能を有しています。
● プラスチックは一般に廉価なすね当てです。
● EVAフォーム素材やライクラ素材は一般に快適さを保つためにすね当ての裏地として用いられます。
■ 年齢/ポジション
● 若い競技者は、優れた保護性能を有し、他の素材より軽いグラスファイバー製のすね当てを選んだほうが良いでしょう。
● いくつかのすね当ては使用者の脛の形状に合わせて成型することができます。
■
● ディフェンダーは重くても、より堅牢なすね当てを選ぶべきです。
● ミッドフィルダーは、堅牢さと軽さのバランスが良いものを選ぶ必要があります。
● フォワードは軽いすね当てを必要とし、かつ足首の保護性能が優れたものを捜すべきです。
■ 構造
【足首の保護】
● 多くのすね当てが、下部に足首を保護するプロテクション・パッドを有しています。
● それらはハードタックルから足首とアキレス腱を十分に保護しますが、それでいてプレーの邪魔にならないようソフトかつフレキシブルに出来ています。
● 足首の保護パッドは、特に12歳以下の競技者に強く推奨されます。
■
【すね当ての固定】
● 最も良いすね当ては脚を包み込んで後部で固定する、調整可能なマジックテープと輪状のひもが付いているものです。
● それ以外の多くのものは固定用のベルトが無く、単にストッキングの内側に差しこんでおくだけのものです。
■ サイズ
すね当てが十分な保護性能および快適さを有すためには、使用者の脚にフィットすることが重要です。そして、すね当ては、足首から膝までほとんどのそのエリアをカバーする大きさであるべきです。
■
まず、自分の脚のサイズを知りましょう。
■
● 自分のすね(シューズの上端から膝下までの長さから3cm差し引く)を測ってみましょう。
■
これが自分のすね当ての最適な長さです。
■■
ショップでは次のことに注意してください。
■■
● いくつかのメーカーの製品には、年齢によってすね当てのサイズ・ラベルが付いています。
● 大人用(あるいは単に『大』サイズ)のすね当ては、一般的に身長165cm以上の競技者のために設計されています。
● 少年用(あるいは『小』サイズ)のすね当ては、身長165cm以下の競技者のために設計されています。
2015年02月22日
沖縄県民なら知ってて当たり前?知らない人はチェック!沖縄年間行事
●旧暦1月1日〜20日
・旧暦1月1日・・・旧正月(ソーグヮチ)
一家の主人または長男が仏壇のある家や親戚(特にお年寄りのいる家)に挨拶周りを行います。
新暦の1月1日の正月を祝うのが主流ですが、現在でも旧暦の1月1日になると、昆布まきや中身汁の具材などの正月料理の食材がひっそり並びます。中国、台湾や韓国の場合、旧暦のお正月が新暦よりも一番盛大に行われるそうです。
・旧暦1月3日・・・初起こし(ハチウクシ)
新年の仕事初めの儀式を指します。一年の無事や安全、豊作を祈願します。この日は本格的な仕事をしないとよく言われます。
・旧暦1月4日・・・火の神迎え(ヒヌカンウンケー)
旧暦の12月24日に昇天した火の神(ヒヌカン)を家の守り神として迎える儀式。線香とお供え物を添えてヒヌカンにウートートー(祈り)します。
※ウンケーとは「迎える」という意味です。
・旧暦1月7日・・・七日節句(ナンカヌシク)
七草粥を仏壇やヒヌカンに備えて無病息災を祈願します。この日の沖縄の学校給食は七草粥が出てきます。七草は高菜やダイコンの葉、フ―チバ―(よもぎ)などの野草を使い、雑炊のようにして食べます。
・旧暦1月吉日・・・生年祝い(トゥシビー)
自分の生まれた干支の年を沖縄では厄年としており、ヒヌカンやご先祖に健康祈願をします。高齢になるほど盛大に祝う傾向があって、ホテルで食事会を開いたり、貸衣装を着て写真を撮ったりします。
・旧暦1月16日・・・十六日祭(ジュールクニチ)
この日はあの世(グソー)のお正月と言われており、親戚で集まって祖先や家族や身内で亡くなった方の仏壇にお供え物をして供養します。供養した後は、親戚同士で仏壇のお供え物を食べたり団らんをします。
・旧暦1月20日・・・二十日正月(ハチカソーグヮチ)
正月行事を締めくくる最終日にあたり、正月の飾りを片づけたり、仏壇やヒヌカンに簡単なお供え物をして正月を終えます。
別名「終わり正月(ウワイソーグヮチ)」とも呼ばれています。
●旧暦2月1日〜15日
・旧暦2月1日・・・屋敷の御願(ヤシチヌウグヮン)
2月1日から10日の間に行われ、家内安全をお祈りします。一年に2月・8月・12月(御願解きの前)の3回行われます。
・旧暦2月吉日・・・彼岸
祖先供養の行事だが、墓参りに行かずに、仏壇にご馳走を備えて祖先を供養します。ご馳走は主に三枚肉、かまぼこ、あげ豆腐、昆布の煮付け、ごぼう、魚のてんぷらをいただきます。
・旧暦2月15日・・・二月ウマチー(二ングヮチウマチー)
ウマチーとはお祭りという意味で、麦の初穂を仏壇に供えて今後の豊作祈願を行う行事です。
●旧暦3月3日〜吉日
・旧暦3月3日・・・浜下り(ハマウリ)
この日は女性が海で身を清めて健康を祈願する日と言われていますが、現在はこの日が海開きに当たるので、子供たちが海で遊んでいる光景を見かけます。
・旧暦3月15日・・・三月ウマチー(サングヮチウマチー)
麦の収穫を祝うお祭りで、麦の穂を仏壇に供えて他の農作物の収穫を祝い感謝する行事です。
・旧暦3月吉日・・・清明際(シーミー)
シーミーは沖縄の年中行事では欠かせない大事な行事です。祖先供養の行事で祖先のお墓に家族、親戚が集まり、各家庭で持ち合わせたお供え物をお墓の前に供えて、供養後にいただきます。
このシーミーは中国から由来していると言われています。
・旧暦4月14〜15日・・・畦払い(アブシバレー)
害虫を駆除するための行事で畦の草を刈り虫払いを行います。
●旧暦5月4日〜15日
・旧暦5月4日・・・四日の日(ユッカヌヒー)
四日の日は豊漁と海の安全を祈願して各地でハーリーが行われます。ハーリーとは沖縄伝統の漁船「サバ二」に大人11人が乗り、他の漁船とスピードを競いあう競争を言います。
最近は漁村だけでなく企業もハーリーに参加しています。
・旧暦5月5日・・・五月五日(グングヮチグニチ)
五月五日に菖蒲の葉をあまがしと一緒に仏壇や火の神にお供えし、菖蒲の葉をスプーン代わりにしてあまがしを食べると邪気を払うと言われています。
・旧暦5月15日・・・五月ウマチー(グングヮチウマチー)
稲の初穂を仏壇に供えて今後の豊作祈願を行うお祭りです。地域によって名称が異なり、稲穂祭、シチマ、三穂祭とも言われています。
●旧暦6月15日〜吉日
・旧暦6月15日・・・六月ウマチー(ルクグァチウマチー)
稲の収穫を祝うお祭り。豊作に感謝してこれからの繁栄を祈願します。
・旧暦6月25日・・・六月カシチー(ルクグァチカシチ―)
カシチ―とは強飯(堅いご飯)のことを言います。取れたての稲からできた新米を強飯にして仏壇や火の神にお供えします。
・旧暦6月吉日・・・プーリィ
八重山諸島で行われる豊年祭で国の選定無形民族文化財にも選ばれています。この豊年祭は今年の収穫をクロマタやアカマタと呼ばれる神と一緒に感謝し、来年の収穫を祈願する行事です。
●旧暦7月7日〜吉日
・旧暦7月7日・・・七夕
沖縄の場合、七夕は墓掃除をしてお盆が近いことを報告する日を言います。
・旧暦7月13日・・・旧盆(迎え日 / ウンケー)
ウンケーは祖先や亡くなった家族、身内など親交があった人をお迎えする日です。
仏壇には花や果物、ウンケージューシーと呼ばれる炊き込みご飯をお供えします。夕方からは玄関に線香をたいて、提灯に灯りをつけてお迎えします。
・旧暦7月14日・・・旧盆(中の日 / ナカヌヒ―)
旧盆の中日は、仏壇にあの世から祖先や亡くなった家族が来ているので、朝昼晩の三食をお供えします。
・旧暦7月15日・・・旧盆(送り日 / ウ―クイ)
この日は親戚一同がウンケーで迎えた方々をあの世へ見送る日です。ウ―クイの時は玄関で人数分の線香を供えてウチカビと呼ばれるあの世の紙幣を焚き、祖先や亡くなった家族を見送ります。
・旧暦7月吉日・・・シヌグ / 海神祭(ウンジャミ)
シヌグは男性が中心となり、ウンジャミは女性が中心となり海の神様に五穀豊穣を祈願するお祭りです。
●旧暦8月8日〜吉日
・旧暦8月8日・・・米寿(ト―カチ)
米寿は数え年が88歳の方をお祝いすることです。ト―カチという名前は、沖縄ではこんもり盛った米の山に「斗かき」という竹を斜めに切った竹筒を挿し、祝いに来てくれた客に土産として渡したことに由来します。
・旧暦8月10日・・・屋敷の御願(ヤシチヌウグヮン)
屋敷の神へのお礼と家族の繁栄と安全を祈願します。ゲーンと呼ばれるススキの葉に桑の葉で結んだ魔除けを駐車場や門、家の四隅において屋敷の御願を行います。
・旧暦8月15日・・・十五夜(ジュークヤ)
この日はフチャギと呼ばれる小豆をまぶした餅を仏前に備えて上半期の家族の健康、安全、仕事の成功の感謝を仏壇や火の神に捧げます。
・旧暦8月吉日・・・彼岸
祖先供養の行事だが墓参りは行かずに、仏壇にご馳走を備えて祖先を供養します。旧暦2月の彼岸と同様ご馳走は三枚肉、かまぼこ、あげ豆腐、昆布の煮付け、ごぼう、魚のてんぷらをいただきます。
8月の彼岸は屋敷の御願で自宅を清めてから行いましょう。
●旧暦9月7日〜9日
・旧暦9月7日・・・カジマヤー
カジマヤ―とは風車のことで、数え年97歳の方をお祝いすることです。祝いの時には風車を飾り、車で近所をパレードします。カジマヤ―と呼ばれるのは、この年齢になると人は子供のように純粋になり童心に帰ると言われているからです。
・旧暦9月9日・・・菊酒(チクザキ)
この日は重陽の節句と呼ばれて健康祈願を行います。重陽とは陽の数字が重なることを表し、奇数であり陽の数でもある九が連続で重なると長久に繁栄するという意味があります。
菊酒は菊の葉を三枚浮かべて仏壇や火の神にお供えし、家の繁栄と安全の御願をお祈りします。
・旧暦10月1日・・・かままわり(カママーイ)
カママーイは火事を防ぐために、村長や町長が各家の火元を見て周り火の用心を呼びかける日です。
・旧暦11月19日・・・冬至(トゥンジー)
冬至は最も夜が長い日で、夕食に炊き込みご飯(ジューシー)を作り仏壇や火の神に冬の訪れを伝えお供えします。
●旧暦12月8日〜31日
・旧暦12月8日・・・鬼餅(ム―チー)
ム―チーは魔除けに効果のある月桃(カーサ)やビロウ(クバ)で包んで蒸した餅を言い、食べると厄払いや、悪霊払いの効果があります。また仏壇や火の神にも供えて健康祈願も行います。
この日の沖縄の学校給食にはム―チーが必ず出てきます。
・旧暦12月24日・・・御願解き(ウガンブトゥチ)
この日は身近な神様である火の神が天に帰り、天の神に一年間の出来事を報告する日とされています。
家を清めて焼香をあげて、この一年の幸せだった出来事には感謝し、災害や不幸な出来事には解消するように願い、火の神が天の神に良い報告をしてもらうように祈ります。
・旧暦12月30日・・・年の夜(トゥシヌユル―)
年の夜は大晦日の事を言います。正月の準備を済ませたら家族や親戚とソーキ汁や三枚肉を食べて過ごします。
2015年02月18日
沖縄グルメのまとめサイト
ハイサイ!こんばんは!
シエスタ読谷広報担当です!
本日は、シエスタ読谷メンバーが試合の帰りに食事に行くときに困っている皆さんへお届けする「まとめサイト」です!
優柔不断なメンバーが周りに多いそこのあなた!
是非これを活用して、今後は決めきれる人になりましょう!
http://matome.naver.jp/topic/1M5BZ
↑
登録おすすめです!
シエスタ読谷広報担当です!
本日は、シエスタ読谷メンバーが試合の帰りに食事に行くときに困っている皆さんへお届けする「まとめサイト」です!
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是非これを活用して、今後は決めきれる人になりましょう!
http://matome.naver.jp/topic/1M5BZ
↑
登録おすすめです!
2015年02月14日
人生の分かれ道・・・選んだ道を成功に変えるメンタルA
「いつかまた前田が欲しいと言ってもらえるような選手に」
2年続けて得点王に輝いた実績があるが、決してエゴをむき出しにするタイプのストライカーではない。
2トップを組むパートナーはもちろん、2列目の選手を生かすため、スペースを作ったり、チャンスメイクしたりする能力にも長けている。それが本田圭佑、香川真司、岡崎慎司が2列目に並んだザックジャパンで重宝された理由でもある。
チームの勝利が第一という考えは、磐田でもFC東京でも変わらないという。だが、続けて口にした言葉がとても印象的だった。
「結果を残さないとこのチームにはいられない、ってことも分かっています」
プレッシャーをしっかりと感じている、とも言ったが、その表情や口調に悲壮感は感じられなかった。
退団が発表された昨年12月29日、磐田の公式ホームページに掲載された「いつかまた前田が欲しいと言ってもらえるような選手になれるよう頑張ります」とのコメントから推測すると、望んだ移籍というよりも、せざるを得なかった移籍だったのかもしれない。
だがひとつ確実なのは、今年34歳になる彼が環境を変え、自分を変えたいと思っていることだ。
もうひとり、変化を心から求める男がいる。
前田が新たな冒険のスタートを切った日、小平の練習場にはもうひとり、変わろうとしている男がいた。
新シーズンのメンバーリストを眺めていて目に止まったのは、ヴィッセル神戸に移籍した渡邉千真が付けていた「9」だ。そこには新加入選手ではなく、'07年から8シーズンにわたって「13」を背負ってきた選手の名前が記されていた。
今年、30歳を迎える平山相太である。
この変更は、自ら望んだものだったという。
「背番号を変えることで自分にプレッシャーを掛けるというか、自分の責任をもっと大きくしたいと思いました」
'06年に加入したものの、高校時代やオランダ時代の1年目のような輝きを放てていなかった平山に、復活の兆しが見え始めたのは'09年夏以降だった。当時、チームの指揮を執っていた城福浩監督に促され、意識改革に取り組んだ。
それまでは気分屋で、「どうにかなる」という甘い考えを持っていた男が、練習後に黙々と走り込み、万全の準備をして試合を迎えるようになった。
完全復活、そして度重なる怪我。
そうした努力が大舞台で実る。'09年11月のナビスコカップ決勝でゴールを奪うと、年が明けた1月、日本代表のイエメン遠征で、デビュー戦にしていきなりハットトリックを成し遂げる。
「あの年、僕はプロとして本当のスタートを切れたと思います」
完全復活を誓った'10年、チームはJ2降格の憂き目に遭ったが、彼自身はプロキャリアにおいて初めてシーズンを通して主力として出場し、7ゴールをマークした。
ところが、エースとしてさらなる活躍が期待された'11年、脛骨・腓骨の骨折でシーズンを棒に振ると、翌年にも腓骨・短腓骨筋を挫傷して離脱。その結果、'11年は1試合、'12年は4試合の出場に留まった。
二度にわたる大ケガを克服した'13年は途中出場が続いたが、昨季はエドゥーと熾烈なポジション争いを繰り広げ、先発出場の回数を増やしていた――。
試合中に危険なタックルを浴び、右足首を骨折したのは、そんなときだった。
「ケガが続いてチームに迷惑をかけているんで、恩返しというか、チームに貢献したいと思っています」
殻を破る必要があるのは、クラブも一緒。
環境を変えた前田は言う。
「やれる自信があるから、ここに来ました。ただ、J2で1年やったというのも事実。J2とJ1とではやはりレベルが違うんで、早く慣れて、自分の力を発揮できるようにしたいと思います」
背番号を変更した平山は言う。
「ふた桁は取らないと、チームの優勝に貢献できないと思うんで、そういうノルマを自分に課したいと思っています」
30代にして自分を変えるというのは簡単なことではないだろう。だが、それでも変わりたいと願うふたりの新シーズンをこの目で見届けたいと思う。
エースストライカーの座をめぐる彼らのハイレベルなポジション争いが、チーム躍進の原動力になるかもしれない。
もっとも、殻を破る必要があるのは、彼らだけではない。
FC東京は首都のクラブという圧倒的なポテンシャルを持ち、新旧の日本代表を数多く揃えながらも、毎年のようにリーグ優勝から程遠い順位に甘んじてきた。
クラブもまた変わらなければならない時期を迎えている。
2年続けて得点王に輝いた実績があるが、決してエゴをむき出しにするタイプのストライカーではない。
2トップを組むパートナーはもちろん、2列目の選手を生かすため、スペースを作ったり、チャンスメイクしたりする能力にも長けている。それが本田圭佑、香川真司、岡崎慎司が2列目に並んだザックジャパンで重宝された理由でもある。
チームの勝利が第一という考えは、磐田でもFC東京でも変わらないという。だが、続けて口にした言葉がとても印象的だった。
「結果を残さないとこのチームにはいられない、ってことも分かっています」
プレッシャーをしっかりと感じている、とも言ったが、その表情や口調に悲壮感は感じられなかった。
退団が発表された昨年12月29日、磐田の公式ホームページに掲載された「いつかまた前田が欲しいと言ってもらえるような選手になれるよう頑張ります」とのコメントから推測すると、望んだ移籍というよりも、せざるを得なかった移籍だったのかもしれない。
だがひとつ確実なのは、今年34歳になる彼が環境を変え、自分を変えたいと思っていることだ。
もうひとり、変化を心から求める男がいる。
前田が新たな冒険のスタートを切った日、小平の練習場にはもうひとり、変わろうとしている男がいた。
新シーズンのメンバーリストを眺めていて目に止まったのは、ヴィッセル神戸に移籍した渡邉千真が付けていた「9」だ。そこには新加入選手ではなく、'07年から8シーズンにわたって「13」を背負ってきた選手の名前が記されていた。
今年、30歳を迎える平山相太である。
この変更は、自ら望んだものだったという。
「背番号を変えることで自分にプレッシャーを掛けるというか、自分の責任をもっと大きくしたいと思いました」
'06年に加入したものの、高校時代やオランダ時代の1年目のような輝きを放てていなかった平山に、復活の兆しが見え始めたのは'09年夏以降だった。当時、チームの指揮を執っていた城福浩監督に促され、意識改革に取り組んだ。
それまでは気分屋で、「どうにかなる」という甘い考えを持っていた男が、練習後に黙々と走り込み、万全の準備をして試合を迎えるようになった。
完全復活、そして度重なる怪我。
そうした努力が大舞台で実る。'09年11月のナビスコカップ決勝でゴールを奪うと、年が明けた1月、日本代表のイエメン遠征で、デビュー戦にしていきなりハットトリックを成し遂げる。
「あの年、僕はプロとして本当のスタートを切れたと思います」
完全復活を誓った'10年、チームはJ2降格の憂き目に遭ったが、彼自身はプロキャリアにおいて初めてシーズンを通して主力として出場し、7ゴールをマークした。
ところが、エースとしてさらなる活躍が期待された'11年、脛骨・腓骨の骨折でシーズンを棒に振ると、翌年にも腓骨・短腓骨筋を挫傷して離脱。その結果、'11年は1試合、'12年は4試合の出場に留まった。
二度にわたる大ケガを克服した'13年は途中出場が続いたが、昨季はエドゥーと熾烈なポジション争いを繰り広げ、先発出場の回数を増やしていた――。
試合中に危険なタックルを浴び、右足首を骨折したのは、そんなときだった。
「ケガが続いてチームに迷惑をかけているんで、恩返しというか、チームに貢献したいと思っています」
殻を破る必要があるのは、クラブも一緒。
環境を変えた前田は言う。
「やれる自信があるから、ここに来ました。ただ、J2で1年やったというのも事実。J2とJ1とではやはりレベルが違うんで、早く慣れて、自分の力を発揮できるようにしたいと思います」
背番号を変更した平山は言う。
「ふた桁は取らないと、チームの優勝に貢献できないと思うんで、そういうノルマを自分に課したいと思っています」
30代にして自分を変えるというのは簡単なことではないだろう。だが、それでも変わりたいと願うふたりの新シーズンをこの目で見届けたいと思う。
エースストライカーの座をめぐる彼らのハイレベルなポジション争いが、チーム躍進の原動力になるかもしれない。
もっとも、殻を破る必要があるのは、彼らだけではない。
FC東京は首都のクラブという圧倒的なポテンシャルを持ち、新旧の日本代表を数多く揃えながらも、毎年のようにリーグ優勝から程遠い順位に甘んじてきた。
クラブもまた変わらなければならない時期を迎えている。
2015年02月11日
人生の別れ道・・・選んだ道を成功に変えるメンタル
10代の頃からよく知る友人の変化を、FC東京の石川直宏は感じ取っていた。
「自分のことを黙々とこなすタイプで、マイペースなところは昔と変わらない。でも、十数年いたクラブを出るというのは相当な決意だと思うし、変わりたいっていう想いもどこかにあるんじゃないかって感じます」
石川が語るのは、今季からチームメイトになる新加入選手についてだ。やや穏やかだったストーブリーグの数少ない主役のひとり、元ジュビロ磐田のエースストライカー、前田遼一のことである。
東京の暁星高から磐田に加入したのが2000年だから、15年にわたってサックスブルーのユニホームをまとってきたことになる。
前田遼一の起伏に富んだサッカー人生。
'01年のステージ優勝や'02年の完全優勝はベンチやスタンドからゲームを見つめ、黄金期を築いた先輩たち――中山雅史、藤田俊哉、名波浩、福西崇史、服部年宏らがチームを去ってからは、クラブのバンディエラ(旗手、チームの顔)としての重責を一身に背負ってきた。
'03年の天皇杯優勝、'08年のJ1・J2入れ替え戦、'10年のナビスコカップ優勝、'13年のJ2降格と、良い時も悪い時もチームの最前線に立ってきた。
その間、彼自身も日本代表選出、2年連続得点王獲得、J1ベストイレブン選出、ワールドカップメンバー落選と、起伏に富んだサッカー人生を歩んできた。
昨季J2を戦った磐田はJ1復帰に失敗したが、それでもチーム最多の17ゴールを記録した前田が新シーズンもチームをJ1に導くために戦うものだと勝手に思い込んでいた。
ところが、彼は移籍という道を選んだ。
「さらに成長したいという想いで移籍を決断した。全試合に出場して、チームのタイトル獲得に貢献したいと思っています」
FC東京の真新しい練習着に身を包んだ彼の所信表明である。
前田「この年齢で黙々とやるのはどうなのかなって」
「成長」という点についてさらに突っ込んでみると、彼の思い描いていることが、もう少し具体的に見えてくる。
「そこには、選手としてはもちろん、人間としてっていう意味があって。選手としてはやっぱり全体的にもっともっとレベルアップしたい。それに人間としての部分でも、新しい環境で経験を積んで、成長していきたいって思っているんです」
そこで友人の言葉を伝えると、彼は二度うなずいて、こう言った。
「たしかにナオの言うとおりで、この年齢になって黙々とやるのはどうなのかなっていうのを自分自身感じているし、やっぱり盛り上げないといけないっていう気持ちがある。そういう意味でも、少しずつだけど、声を出していきたいと思っています」
寡黙でマイペース――そんな自分を変えようとしている男が、そこにいた。
この移籍をきっかけに、選手としての成長と同じくらい大事なものを手に入れようと心に決めているのだろう。
「自分のことを黙々とこなすタイプで、マイペースなところは昔と変わらない。でも、十数年いたクラブを出るというのは相当な決意だと思うし、変わりたいっていう想いもどこかにあるんじゃないかって感じます」
石川が語るのは、今季からチームメイトになる新加入選手についてだ。やや穏やかだったストーブリーグの数少ない主役のひとり、元ジュビロ磐田のエースストライカー、前田遼一のことである。
東京の暁星高から磐田に加入したのが2000年だから、15年にわたってサックスブルーのユニホームをまとってきたことになる。
前田遼一の起伏に富んだサッカー人生。
'01年のステージ優勝や'02年の完全優勝はベンチやスタンドからゲームを見つめ、黄金期を築いた先輩たち――中山雅史、藤田俊哉、名波浩、福西崇史、服部年宏らがチームを去ってからは、クラブのバンディエラ(旗手、チームの顔)としての重責を一身に背負ってきた。
'03年の天皇杯優勝、'08年のJ1・J2入れ替え戦、'10年のナビスコカップ優勝、'13年のJ2降格と、良い時も悪い時もチームの最前線に立ってきた。
その間、彼自身も日本代表選出、2年連続得点王獲得、J1ベストイレブン選出、ワールドカップメンバー落選と、起伏に富んだサッカー人生を歩んできた。
昨季J2を戦った磐田はJ1復帰に失敗したが、それでもチーム最多の17ゴールを記録した前田が新シーズンもチームをJ1に導くために戦うものだと勝手に思い込んでいた。
ところが、彼は移籍という道を選んだ。
「さらに成長したいという想いで移籍を決断した。全試合に出場して、チームのタイトル獲得に貢献したいと思っています」
FC東京の真新しい練習着に身を包んだ彼の所信表明である。
前田「この年齢で黙々とやるのはどうなのかなって」
「成長」という点についてさらに突っ込んでみると、彼の思い描いていることが、もう少し具体的に見えてくる。
「そこには、選手としてはもちろん、人間としてっていう意味があって。選手としてはやっぱり全体的にもっともっとレベルアップしたい。それに人間としての部分でも、新しい環境で経験を積んで、成長していきたいって思っているんです」
そこで友人の言葉を伝えると、彼は二度うなずいて、こう言った。
「たしかにナオの言うとおりで、この年齢になって黙々とやるのはどうなのかなっていうのを自分自身感じているし、やっぱり盛り上げないといけないっていう気持ちがある。そういう意味でも、少しずつだけど、声を出していきたいと思っています」
寡黙でマイペース――そんな自分を変えようとしている男が、そこにいた。
この移籍をきっかけに、選手としての成長と同じくらい大事なものを手に入れようと心に決めているのだろう。
2015年02月08日
オーストラリアサッカーの未来は明るい!!!
「この国のサッカーは発展する。上に向かっていくのみだ」
オーストラリアで開催されたアジア杯は、開催国オーストラリアの優勝で幕を閉じた。サッカーが最もポピュラーなスポーツではないオーストラリアだが、初のビッグタイトル獲得によって人気の上昇と競技レベルの向上が期待される。
オーストラリアのアジア杯制覇は歴史に残り、それはサッカルーズ(豪州代表の愛称)にとって初のメジャータイトルとなった。延長の末2-1と勝利した韓国との決勝戦は、サッカーが国内でより広く認知される絶好の機会となり、試合後のFWティム・ケーヒルは誇りに満ち溢れていた。
「オーストラリアの人々は(パレードの先頭の)楽隊車の上で跳ねるように騒ぐだろう」と以前エバートンに所属していた同選手は試合後の心境を語る。
「我々はサッカーを愛する者と愛さない者の両方を知っている。しかし、今夜の結果はオーストラリアスポーツ界に起きた大きな出来事の一つであることは間違いない。難しいアジアでの大会で優勝することができたのだから」
ケーヒルが一体誰に向かって毒づいているかは明らかではないが、野球がスポーツ最高位を支配する日本と同じように、オーストラリアでもサッカーがナンバー1のスポーツとういわけではない。
豪州式フットボールやラグビーはいまだに多くのファンやメディアの注目を集め、クリケットや全豪オープンに代表されるテニスもサッカーより人気は上だ。
DFジェイソン・デイビッドソンも大会制覇の重要性を主張する。この国のスポーツ界の序列のなかで、サッカーに対する人々の意識を確立する次の段階に入ったことを感じているようだ。
「W杯に出場し続けることは代表チームの成長を助ける一方、我々は今回のアジア杯で、世界的スポーツで母国開催優勝の喜びを味わうことや、緑と金の髪飾りを付けた衣装、オーストラリアの国旗やスカーフ、膨張性のカンガルーなどを使ってサッカーを楽しむことを、この国の人々に伝えることができたと思う」とウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンのSBは語る。
「この結果はオーストラリアサッカーの成長を助けてくれるに違いない。どれほど多くの熱狂的なサッカルーズサポーターがいるか見ただろう。間違いなくこの国のサッカーは発展する。上に向かっていくのみだ」
豪州の粘り強さに胸を張るデイビッドソン
韓国代表のMFキ・ソンヨンは敗北の中でも気高く、学生時代をオーストラリアで過ごした若き主将は、バランスのとれた観点からピッチ上のプレースタイルに焦点を当てて試合を振り返った。
「私が10年前に暮らしていた頃は、オーストラリアのサッカーはこのような手法をとっていなかった。しかし彼らと試合をすると、ロングボールやフィジカルサッカーに頼らない、小気味よくボールを回すサッカーをし始めているのが分かる。彼らはそのスタイルを持ち込んだ良い監督に恵まれ、チャンピオンに価するチームだった」
ケーヒルもまたポステゴグルー監督に対し尊敬の念を向け、特に代表歴の浅い若手選手を途切れることなくチームに融合させる手腕に感服する。
「オーストラリア人として、我々を異なるレベルに引き上げてくれるボスの存在を本当に誇りに思う」
デイビッドソンは最後に一番実りの多いコメントを口にした。それはサッカーと他のボールゲームを区別するより、同じような競技として人々が捉えてくれることを期待しているようだった。
「我々は粘り強かった。オーストラリアのサッカー選手は皆そうだ。全てのオーストラリアスポーツメン、スポーツウィメンも同じ。必要な時に粘り強く戦える」
結局その通りのプレーを披露したからこそ、彼らは偉業を達成できたのだ。
オーストラリアで開催されたアジア杯は、開催国オーストラリアの優勝で幕を閉じた。サッカーが最もポピュラーなスポーツではないオーストラリアだが、初のビッグタイトル獲得によって人気の上昇と競技レベルの向上が期待される。
オーストラリアのアジア杯制覇は歴史に残り、それはサッカルーズ(豪州代表の愛称)にとって初のメジャータイトルとなった。延長の末2-1と勝利した韓国との決勝戦は、サッカーが国内でより広く認知される絶好の機会となり、試合後のFWティム・ケーヒルは誇りに満ち溢れていた。
「オーストラリアの人々は(パレードの先頭の)楽隊車の上で跳ねるように騒ぐだろう」と以前エバートンに所属していた同選手は試合後の心境を語る。
「我々はサッカーを愛する者と愛さない者の両方を知っている。しかし、今夜の結果はオーストラリアスポーツ界に起きた大きな出来事の一つであることは間違いない。難しいアジアでの大会で優勝することができたのだから」
ケーヒルが一体誰に向かって毒づいているかは明らかではないが、野球がスポーツ最高位を支配する日本と同じように、オーストラリアでもサッカーがナンバー1のスポーツとういわけではない。
豪州式フットボールやラグビーはいまだに多くのファンやメディアの注目を集め、クリケットや全豪オープンに代表されるテニスもサッカーより人気は上だ。
DFジェイソン・デイビッドソンも大会制覇の重要性を主張する。この国のスポーツ界の序列のなかで、サッカーに対する人々の意識を確立する次の段階に入ったことを感じているようだ。
「W杯に出場し続けることは代表チームの成長を助ける一方、我々は今回のアジア杯で、世界的スポーツで母国開催優勝の喜びを味わうことや、緑と金の髪飾りを付けた衣装、オーストラリアの国旗やスカーフ、膨張性のカンガルーなどを使ってサッカーを楽しむことを、この国の人々に伝えることができたと思う」とウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンのSBは語る。
「この結果はオーストラリアサッカーの成長を助けてくれるに違いない。どれほど多くの熱狂的なサッカルーズサポーターがいるか見ただろう。間違いなくこの国のサッカーは発展する。上に向かっていくのみだ」
豪州の粘り強さに胸を張るデイビッドソン
韓国代表のMFキ・ソンヨンは敗北の中でも気高く、学生時代をオーストラリアで過ごした若き主将は、バランスのとれた観点からピッチ上のプレースタイルに焦点を当てて試合を振り返った。
「私が10年前に暮らしていた頃は、オーストラリアのサッカーはこのような手法をとっていなかった。しかし彼らと試合をすると、ロングボールやフィジカルサッカーに頼らない、小気味よくボールを回すサッカーをし始めているのが分かる。彼らはそのスタイルを持ち込んだ良い監督に恵まれ、チャンピオンに価するチームだった」
ケーヒルもまたポステゴグルー監督に対し尊敬の念を向け、特に代表歴の浅い若手選手を途切れることなくチームに融合させる手腕に感服する。
「オーストラリア人として、我々を異なるレベルに引き上げてくれるボスの存在を本当に誇りに思う」
デイビッドソンは最後に一番実りの多いコメントを口にした。それはサッカーと他のボールゲームを区別するより、同じような競技として人々が捉えてくれることを期待しているようだった。
「我々は粘り強かった。オーストラリアのサッカー選手は皆そうだ。全てのオーストラリアスポーツメン、スポーツウィメンも同じ。必要な時に粘り強く戦える」
結局その通りのプレーを披露したからこそ、彼らは偉業を達成できたのだ。
2015年02月04日
強豪復活の旗揚げ!?鹿島の小笠原が奮起!
「疲れているから動けないわけではないし、サッカーができないわけでもない。もちろんそれでミスが出るわけでもない。そういう甘い考えなら試合に出なければいい。選手である以上はみんなが90分間出たいと思っているはずだし、俺はその欲がなくなったら終わりだと思う」
1日に行われた大分トリニータとの「Jリーグ・スカパー!ニューイヤーカップ」初戦を戦い終えた小笠原満男は静かに、しかし強い口調で語った。
1月中旬のチーム始動からフィジカル中心に鍛えてきた鹿島は、この大分戦が初めての対外試合。疲労のピークにある状況とボールを使った練習時間の短さからコンビネーション不足は仕方ないように思われた。ただ、安易な連係ミスで開始早々に先制点を献上していたのも事実。より高みを目指す小笠原は「もっと良いゲームをしたかった。まだまだ良くしなければいけない部分が多くて……。もっと試合の中でやらなきゃいけない。『疲れている』とは言っちゃいけないし、そういうことを言うのはありえない」と厳しい意見を口にした。
昨シーズン限りで同期加入の中田浩二が現役を引退。若手が多いチームをともに背中で引っ張ってきた盟友がピッチを離れ、小笠原自身も“勝者のメンタリティー”を継承する伝道師としての責任をさらに強く感じているではないだろうか。ピッチに立てば年齢は関係ない。どんな状況でも内容や結果を追い求め、決して言い訳はしてはならない。勝つための手段と考え方を伝えるために――。鹿島が“常勝軍団”でありつづけたポイントを伝えたいと、彼は日常の練習から行動で示してきた。
この日の試合終盤に印象的なシーンがあった。ユース所属でトップチームに帯同していた田中稔也が高い位置でドリブル突破を仕掛け、相手に奪われてカウンターを食らいそうになった瞬間、背番号40がボールを持った相手選手へ猛然とプレスを仕掛け、何ごともなかったかのようにピンチの芽を摘んだ。試合後、このプレーについて問うと、「誰か一人を責めるのではなくて、ミスは減らさなきゃいけないし、ミスがあってもチーム全体の問題だと思って誰かがカバーしなければいけない」と答えてくれた。
小笠原は以前もこう話している。
「若手の良さをどんどん引き出したいし、それが彼らの成長につながる。『俺がフォローしてやるから、どんどん積極的に仕掛けろ』って。同じことを何回も繰り返していたらダメだけど、やりながら仕掛けるタイミングを知ればいいし、そこもしっかり伝えていきたい。俺も若い頃はそうやって伸び伸びプレーさせてもらったから」
これもクラブに代々受け継がれてきた伝統の一つなのだろう。
鹿島はアジアカップの日本代表メンバーに柴崎岳、昌子源、植田直通の3選手が招集され、昨年のJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞したカイオ、さらにトップ下で存在感を強める土居聖真など、若さと勢いがクローズアップされがちだ。だが、その一方で“常勝”を知る小笠原が伝えるべきことは、まだまだ少なくない。試合後の「もっと試合の中でやらなきゃいけない」というコメントには、チームとしても個人としても、もっとできたはずという自戒の念と向上心が込められていたようにも感じる。
大分戦ではチーム最年長ながら今シーズン初の対外試合でフル出場を果たしたが、試合出場に対するこだわりは誰よりも強い。公式戦はもちろん、練習試合でもフル出場し続けたいという。もちろんチームの勝利は意識するものの、どんな試合でも自分が出続けて結果を残したいと考えるのは、彼にとっては当然のことなのだろう。
今年4月で36歳になる。昨年はJ1新記録となるリーグ戦16シーズン連続得点を達成し、新シーズンはその記録更新も期待される。これも彼が残してきた偉大なる足跡だ。チームに勝利をもたらすために、そして再び鹿島を“常勝軍団”に押し上げるために。小笠原満男が自身にも周囲にも高い意識を求め続ける。
1日に行われた大分トリニータとの「Jリーグ・スカパー!ニューイヤーカップ」初戦を戦い終えた小笠原満男は静かに、しかし強い口調で語った。
1月中旬のチーム始動からフィジカル中心に鍛えてきた鹿島は、この大分戦が初めての対外試合。疲労のピークにある状況とボールを使った練習時間の短さからコンビネーション不足は仕方ないように思われた。ただ、安易な連係ミスで開始早々に先制点を献上していたのも事実。より高みを目指す小笠原は「もっと良いゲームをしたかった。まだまだ良くしなければいけない部分が多くて……。もっと試合の中でやらなきゃいけない。『疲れている』とは言っちゃいけないし、そういうことを言うのはありえない」と厳しい意見を口にした。
昨シーズン限りで同期加入の中田浩二が現役を引退。若手が多いチームをともに背中で引っ張ってきた盟友がピッチを離れ、小笠原自身も“勝者のメンタリティー”を継承する伝道師としての責任をさらに強く感じているではないだろうか。ピッチに立てば年齢は関係ない。どんな状況でも内容や結果を追い求め、決して言い訳はしてはならない。勝つための手段と考え方を伝えるために――。鹿島が“常勝軍団”でありつづけたポイントを伝えたいと、彼は日常の練習から行動で示してきた。
この日の試合終盤に印象的なシーンがあった。ユース所属でトップチームに帯同していた田中稔也が高い位置でドリブル突破を仕掛け、相手に奪われてカウンターを食らいそうになった瞬間、背番号40がボールを持った相手選手へ猛然とプレスを仕掛け、何ごともなかったかのようにピンチの芽を摘んだ。試合後、このプレーについて問うと、「誰か一人を責めるのではなくて、ミスは減らさなきゃいけないし、ミスがあってもチーム全体の問題だと思って誰かがカバーしなければいけない」と答えてくれた。
小笠原は以前もこう話している。
「若手の良さをどんどん引き出したいし、それが彼らの成長につながる。『俺がフォローしてやるから、どんどん積極的に仕掛けろ』って。同じことを何回も繰り返していたらダメだけど、やりながら仕掛けるタイミングを知ればいいし、そこもしっかり伝えていきたい。俺も若い頃はそうやって伸び伸びプレーさせてもらったから」
これもクラブに代々受け継がれてきた伝統の一つなのだろう。
鹿島はアジアカップの日本代表メンバーに柴崎岳、昌子源、植田直通の3選手が招集され、昨年のJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞したカイオ、さらにトップ下で存在感を強める土居聖真など、若さと勢いがクローズアップされがちだ。だが、その一方で“常勝”を知る小笠原が伝えるべきことは、まだまだ少なくない。試合後の「もっと試合の中でやらなきゃいけない」というコメントには、チームとしても個人としても、もっとできたはずという自戒の念と向上心が込められていたようにも感じる。
大分戦ではチーム最年長ながら今シーズン初の対外試合でフル出場を果たしたが、試合出場に対するこだわりは誰よりも強い。公式戦はもちろん、練習試合でもフル出場し続けたいという。もちろんチームの勝利は意識するものの、どんな試合でも自分が出続けて結果を残したいと考えるのは、彼にとっては当然のことなのだろう。
今年4月で36歳になる。昨年はJ1新記録となるリーグ戦16シーズン連続得点を達成し、新シーズンはその記録更新も期待される。これも彼が残してきた偉大なる足跡だ。チームに勝利をもたらすために、そして再び鹿島を“常勝軍団”に押し上げるために。小笠原満男が自身にも周囲にも高い意識を求め続ける。
2015年02月03日
今後も重要なサッカーとSNSメディアの密接な関係
フットボールに寄せる世界の関心の高さに、他のスポーツはまったくかなわない。グーグルによれば、2010年のワールドカップについての検索数は、ロンドン・オリンピック(2012年)とスーパーボウルとツール・ド・フランスの検索数の合計より多かった。昨年のワールドカップ・ブラジル大会も、テレビ視聴者数やインターネットのクリック数で測れば、史上最大のメディアイベントだったはずだ。この大会について目立った事例を、グーグルのリポート「グーグル・トレンズ」からいくつか拾ってみると──
●アルゼンチンのアンヘル・ディ・マリアが決勝トーナメント1回戦のスイス戦の延長で決勝ゴールを決めた直後、グーグルでは彼の名前の検索数が同じアルゼンチン人である法王フランシスコの4倍に及んだ。
●ベルギーのケビン・デ・ブライネが決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で先制ゴールを決めた直後、彼に顔が似ているイギリスのヘンリー王子の検索数が44倍増加した。
●グループリーグのドイツとの試合が始まってから、アメリカでは自国代表チームの検索数がすべてを追い抜き、断然トップになった。
しかも、フットボールへの関心は増す一方だ。ヨーロッパのビッグクラブは、中国やインド、アメリカやインドネシアにもファンを増やしている。この4カ国だけで、実に世界の人口の約45%を占める。ソーシャルメディアは彼らをつかまえるための手段だ。
けれどもフットボールクラブは、新しいテクノロジーに臆病な組織の典型例だ。今ならテレビ放映権はクラブの大きな収入源になっているが、1990年代までは大半のクラブがテレビを脅威とみなしていた。テレビで試合を放送すれば、ファンはスタジアムに来なくなるのではないかと考えたのだ。
これと同じようにフットボールクラブは、長年にわたってソーシャルメディアを脅威とみなしていた。新しいものに飛びついても、どうせ失敗しかねないし、スキャンダルのタネにもなりかねないし、ハッカーに攻撃されるかもしれない……。マンチェスター・ユナイテッドはフェイスブックの導入に「非常に慎重だった」と、アーノルドは言う。ユナイテッドがフェイスブックを導入したのは2010年、ツイッターにいたっては2012年のことだった。
●アルゼンチンのアンヘル・ディ・マリアが決勝トーナメント1回戦のスイス戦の延長で決勝ゴールを決めた直後、グーグルでは彼の名前の検索数が同じアルゼンチン人である法王フランシスコの4倍に及んだ。
●ベルギーのケビン・デ・ブライネが決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で先制ゴールを決めた直後、彼に顔が似ているイギリスのヘンリー王子の検索数が44倍増加した。
●グループリーグのドイツとの試合が始まってから、アメリカでは自国代表チームの検索数がすべてを追い抜き、断然トップになった。
しかも、フットボールへの関心は増す一方だ。ヨーロッパのビッグクラブは、中国やインド、アメリカやインドネシアにもファンを増やしている。この4カ国だけで、実に世界の人口の約45%を占める。ソーシャルメディアは彼らをつかまえるための手段だ。
けれどもフットボールクラブは、新しいテクノロジーに臆病な組織の典型例だ。今ならテレビ放映権はクラブの大きな収入源になっているが、1990年代までは大半のクラブがテレビを脅威とみなしていた。テレビで試合を放送すれば、ファンはスタジアムに来なくなるのではないかと考えたのだ。
これと同じようにフットボールクラブは、長年にわたってソーシャルメディアを脅威とみなしていた。新しいものに飛びついても、どうせ失敗しかねないし、スキャンダルのタネにもなりかねないし、ハッカーに攻撃されるかもしれない……。マンチェスター・ユナイテッドはフェイスブックの導入に「非常に慎重だった」と、アーノルドは言う。ユナイテッドがフェイスブックを導入したのは2010年、ツイッターにいたっては2012年のことだった。
2015年02月01日
名護市長杯 VS やんばるFC
ハイサイ!こんばんは!
シエスタ読谷広報担当です。
本日シエスタ読谷は、金武火力発電所にて、名護市長杯に参加してきました。
この名護市長杯はシエスタ読谷が前回大会から参加している催しで、結果から言うと2年連続で優勝することができました。
先週から開催しているこの名護市長杯!
先週は2試合あり、
初戦・琉球大学医学部 0−4 〇
2回戦・名護スポーツ 1−5 〇
でした。
本日は、
決勝・やんばるクラブ 0−4 〇
でした。
本日は実はシエスタ読谷メンバーは、職域サッカー大会やお仕事があり5名・・・。
ほとんど助っ人の即興チームで挑みました!
前半1−0
後半3−0
と特に危なげなく勝利することができたものの、攻撃面で決定力不足を露呈する形となりました。
後半に入ってからは攻撃が活性化するも3点どまり、決定機のからすると相手を圧倒しなければならない試合でしたが、オフシーズンということで目をつむりましょう!
来週からは金武火力発電所で沖縄電力さんとの練習試合も週間ローテに入ってくるので、試合、練習不足のチームにとってはプラスに働くかと思います!
でわでわ〜♪
シエスタ読谷広報担当です。
本日シエスタ読谷は、金武火力発電所にて、名護市長杯に参加してきました。
この名護市長杯はシエスタ読谷が前回大会から参加している催しで、結果から言うと2年連続で優勝することができました。
先週から開催しているこの名護市長杯!
先週は2試合あり、
初戦・琉球大学医学部 0−4 〇
2回戦・名護スポーツ 1−5 〇
でした。
本日は、
決勝・やんばるクラブ 0−4 〇
でした。
本日は実はシエスタ読谷メンバーは、職域サッカー大会やお仕事があり5名・・・。
ほとんど助っ人の即興チームで挑みました!
前半1−0
後半3−0
と特に危なげなく勝利することができたものの、攻撃面で決定力不足を露呈する形となりました。
後半に入ってからは攻撃が活性化するも3点どまり、決定機のからすると相手を圧倒しなければならない試合でしたが、オフシーズンということで目をつむりましょう!
来週からは金武火力発電所で沖縄電力さんとの練習試合も週間ローテに入ってくるので、試合、練習不足のチームにとってはプラスに働くかと思います!
でわでわ〜♪