2015年02月14日
人生の分かれ道・・・選んだ道を成功に変えるメンタルA
「いつかまた前田が欲しいと言ってもらえるような選手に」
2年続けて得点王に輝いた実績があるが、決してエゴをむき出しにするタイプのストライカーではない。
2トップを組むパートナーはもちろん、2列目の選手を生かすため、スペースを作ったり、チャンスメイクしたりする能力にも長けている。それが本田圭佑、香川真司、岡崎慎司が2列目に並んだザックジャパンで重宝された理由でもある。
チームの勝利が第一という考えは、磐田でもFC東京でも変わらないという。だが、続けて口にした言葉がとても印象的だった。
「結果を残さないとこのチームにはいられない、ってことも分かっています」
プレッシャーをしっかりと感じている、とも言ったが、その表情や口調に悲壮感は感じられなかった。
退団が発表された昨年12月29日、磐田の公式ホームページに掲載された「いつかまた前田が欲しいと言ってもらえるような選手になれるよう頑張ります」とのコメントから推測すると、望んだ移籍というよりも、せざるを得なかった移籍だったのかもしれない。
だがひとつ確実なのは、今年34歳になる彼が環境を変え、自分を変えたいと思っていることだ。
もうひとり、変化を心から求める男がいる。
前田が新たな冒険のスタートを切った日、小平の練習場にはもうひとり、変わろうとしている男がいた。
新シーズンのメンバーリストを眺めていて目に止まったのは、ヴィッセル神戸に移籍した渡邉千真が付けていた「9」だ。そこには新加入選手ではなく、'07年から8シーズンにわたって「13」を背負ってきた選手の名前が記されていた。
今年、30歳を迎える平山相太である。
この変更は、自ら望んだものだったという。
「背番号を変えることで自分にプレッシャーを掛けるというか、自分の責任をもっと大きくしたいと思いました」
'06年に加入したものの、高校時代やオランダ時代の1年目のような輝きを放てていなかった平山に、復活の兆しが見え始めたのは'09年夏以降だった。当時、チームの指揮を執っていた城福浩監督に促され、意識改革に取り組んだ。
それまでは気分屋で、「どうにかなる」という甘い考えを持っていた男が、練習後に黙々と走り込み、万全の準備をして試合を迎えるようになった。
完全復活、そして度重なる怪我。
そうした努力が大舞台で実る。'09年11月のナビスコカップ決勝でゴールを奪うと、年が明けた1月、日本代表のイエメン遠征で、デビュー戦にしていきなりハットトリックを成し遂げる。
「あの年、僕はプロとして本当のスタートを切れたと思います」
完全復活を誓った'10年、チームはJ2降格の憂き目に遭ったが、彼自身はプロキャリアにおいて初めてシーズンを通して主力として出場し、7ゴールをマークした。
ところが、エースとしてさらなる活躍が期待された'11年、脛骨・腓骨の骨折でシーズンを棒に振ると、翌年にも腓骨・短腓骨筋を挫傷して離脱。その結果、'11年は1試合、'12年は4試合の出場に留まった。
二度にわたる大ケガを克服した'13年は途中出場が続いたが、昨季はエドゥーと熾烈なポジション争いを繰り広げ、先発出場の回数を増やしていた――。
試合中に危険なタックルを浴び、右足首を骨折したのは、そんなときだった。
「ケガが続いてチームに迷惑をかけているんで、恩返しというか、チームに貢献したいと思っています」
殻を破る必要があるのは、クラブも一緒。
環境を変えた前田は言う。
「やれる自信があるから、ここに来ました。ただ、J2で1年やったというのも事実。J2とJ1とではやはりレベルが違うんで、早く慣れて、自分の力を発揮できるようにしたいと思います」
背番号を変更した平山は言う。
「ふた桁は取らないと、チームの優勝に貢献できないと思うんで、そういうノルマを自分に課したいと思っています」
30代にして自分を変えるというのは簡単なことではないだろう。だが、それでも変わりたいと願うふたりの新シーズンをこの目で見届けたいと思う。
エースストライカーの座をめぐる彼らのハイレベルなポジション争いが、チーム躍進の原動力になるかもしれない。
もっとも、殻を破る必要があるのは、彼らだけではない。
FC東京は首都のクラブという圧倒的なポテンシャルを持ち、新旧の日本代表を数多く揃えながらも、毎年のようにリーグ優勝から程遠い順位に甘んじてきた。
クラブもまた変わらなければならない時期を迎えている。
2年続けて得点王に輝いた実績があるが、決してエゴをむき出しにするタイプのストライカーではない。
2トップを組むパートナーはもちろん、2列目の選手を生かすため、スペースを作ったり、チャンスメイクしたりする能力にも長けている。それが本田圭佑、香川真司、岡崎慎司が2列目に並んだザックジャパンで重宝された理由でもある。
チームの勝利が第一という考えは、磐田でもFC東京でも変わらないという。だが、続けて口にした言葉がとても印象的だった。
「結果を残さないとこのチームにはいられない、ってことも分かっています」
プレッシャーをしっかりと感じている、とも言ったが、その表情や口調に悲壮感は感じられなかった。
退団が発表された昨年12月29日、磐田の公式ホームページに掲載された「いつかまた前田が欲しいと言ってもらえるような選手になれるよう頑張ります」とのコメントから推測すると、望んだ移籍というよりも、せざるを得なかった移籍だったのかもしれない。
だがひとつ確実なのは、今年34歳になる彼が環境を変え、自分を変えたいと思っていることだ。
もうひとり、変化を心から求める男がいる。
前田が新たな冒険のスタートを切った日、小平の練習場にはもうひとり、変わろうとしている男がいた。
新シーズンのメンバーリストを眺めていて目に止まったのは、ヴィッセル神戸に移籍した渡邉千真が付けていた「9」だ。そこには新加入選手ではなく、'07年から8シーズンにわたって「13」を背負ってきた選手の名前が記されていた。
今年、30歳を迎える平山相太である。
この変更は、自ら望んだものだったという。
「背番号を変えることで自分にプレッシャーを掛けるというか、自分の責任をもっと大きくしたいと思いました」
'06年に加入したものの、高校時代やオランダ時代の1年目のような輝きを放てていなかった平山に、復活の兆しが見え始めたのは'09年夏以降だった。当時、チームの指揮を執っていた城福浩監督に促され、意識改革に取り組んだ。
それまでは気分屋で、「どうにかなる」という甘い考えを持っていた男が、練習後に黙々と走り込み、万全の準備をして試合を迎えるようになった。
完全復活、そして度重なる怪我。
そうした努力が大舞台で実る。'09年11月のナビスコカップ決勝でゴールを奪うと、年が明けた1月、日本代表のイエメン遠征で、デビュー戦にしていきなりハットトリックを成し遂げる。
「あの年、僕はプロとして本当のスタートを切れたと思います」
完全復活を誓った'10年、チームはJ2降格の憂き目に遭ったが、彼自身はプロキャリアにおいて初めてシーズンを通して主力として出場し、7ゴールをマークした。
ところが、エースとしてさらなる活躍が期待された'11年、脛骨・腓骨の骨折でシーズンを棒に振ると、翌年にも腓骨・短腓骨筋を挫傷して離脱。その結果、'11年は1試合、'12年は4試合の出場に留まった。
二度にわたる大ケガを克服した'13年は途中出場が続いたが、昨季はエドゥーと熾烈なポジション争いを繰り広げ、先発出場の回数を増やしていた――。
試合中に危険なタックルを浴び、右足首を骨折したのは、そんなときだった。
「ケガが続いてチームに迷惑をかけているんで、恩返しというか、チームに貢献したいと思っています」
殻を破る必要があるのは、クラブも一緒。
環境を変えた前田は言う。
「やれる自信があるから、ここに来ました。ただ、J2で1年やったというのも事実。J2とJ1とではやはりレベルが違うんで、早く慣れて、自分の力を発揮できるようにしたいと思います」
背番号を変更した平山は言う。
「ふた桁は取らないと、チームの優勝に貢献できないと思うんで、そういうノルマを自分に課したいと思っています」
30代にして自分を変えるというのは簡単なことではないだろう。だが、それでも変わりたいと願うふたりの新シーズンをこの目で見届けたいと思う。
エースストライカーの座をめぐる彼らのハイレベルなポジション争いが、チーム躍進の原動力になるかもしれない。
もっとも、殻を破る必要があるのは、彼らだけではない。
FC東京は首都のクラブという圧倒的なポテンシャルを持ち、新旧の日本代表を数多く揃えながらも、毎年のようにリーグ優勝から程遠い順位に甘んじてきた。
クラブもまた変わらなければならない時期を迎えている。
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