2019年09月15日
沖縄県の医療史について(その3)
以前、沖縄県立那覇病院が那覇市与儀にありました。
現在は、県立南部医療センター・こども医療センター(南風原町)として開設されています。
県立那覇病院は、琉球政府立那覇病院として開院されました。
本土復帰時に、一度琉球大学医学部附属病院に吸収されましたが、那覇市と南部地区の救急医療体制の不足から再開院したそうです。
当時の大先輩方のお話だと、一か月家に帰れなかったとか、全ての診療科を対応しなければならなかったなど、非常に過酷な状況だと聞いています。
特に那覇市や浦添市など人口が激増していた時代でした。
那覇市の那覇病院か沖縄市の中部病院に行かざるを得ない時代です。
まだまだ道路状況も良くなかったと聞いています。
那覇市与儀にある沖縄赤十字病院の土地は、琉球大学医学部附属病院→県立那覇病院→沖縄赤十字病院と那覇市の重要な病院としてその歴史を刻んできており、沖縄医療史にとって重要な場所と言えます。
その土地の歴史を知ると、今を生きる人達の思いを知ることができます。
また、それぞれの医師、病院そのものの思いを触れることは転職の際にも役立ちます。
現在は、県立南部医療センター・こども医療センター(南風原町)として開設されています。
県立那覇病院は、琉球政府立那覇病院として開院されました。
本土復帰時に、一度琉球大学医学部附属病院に吸収されましたが、那覇市と南部地区の救急医療体制の不足から再開院したそうです。
当時の大先輩方のお話だと、一か月家に帰れなかったとか、全ての診療科を対応しなければならなかったなど、非常に過酷な状況だと聞いています。
特に那覇市や浦添市など人口が激増していた時代でした。
那覇市の那覇病院か沖縄市の中部病院に行かざるを得ない時代です。
まだまだ道路状況も良くなかったと聞いています。
那覇市与儀にある沖縄赤十字病院の土地は、琉球大学医学部附属病院→県立那覇病院→沖縄赤十字病院と那覇市の重要な病院としてその歴史を刻んできており、沖縄医療史にとって重要な場所と言えます。
その土地の歴史を知ると、今を生きる人達の思いを知ることができます。
また、それぞれの医師、病院そのものの思いを触れることは転職の際にも役立ちます。
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