2017年07月18日
ヨイトマケの唄
ここに来られる方は、「ヨイトマケの唄」ってご存知ですか?
数年前、紅白歌合戦で美輪明宏さんが歌っていましたね。
つい先日、書きました「LEON」でも触れましたが昭和50年、毎晩のようにラジオを聞いていたとき、この歌を知ったのだと思います。
昭和39年発表、41年のヒット曲だといいます。
題名は知らなくても、メロディは知っていたから曲名を聞いて、また、歌詞を聞いて「おお!」と思ったのだと思います。我々同世代なら、誰もが知っているメロディ、フレーズ。
その後、たまたま叔母の持っていた五木ひろしさんのアルバムに収録されていたのをしっかりと聞きました。
ウィキペディアによると、美輪明宏さんが幼少期の友人から聞いた、亡き母を詩にしたのだとか。
日雇いの母が男たちと一緒に力仕事をしている。
ある日、友人の少年は学校からの帰り道、働く母の姿を見ます。
母がヨイトマケであることからいじめも受けていたのでしょう。
なにか事情があって、例えば母一人、その友人を育てなければならない境遇にあったのかも知れません。
過労だったのか、何だったのか、
母を亡くした美輪明宏さんの友人は、「勉強するよ」と言いながら、学校へ帰った。
という歌です。
☆話はそれます。☆
今年の春から北のミサイル、あるいは核武装の話を見ることが多いことで、私の見ているYouTubeには関連動画として、北や、南、中国の話題がよく出てきます。
少し違うかもしれませんが、ついさっき、
「70年代の日本」
というタイトルがあったので、見てみました。
当時の日本はまだ、高度経済成長期。
その中で、工業、農業、漁業の日本を紹介していましたが、特に工業。
ダムの運用に日本の工業技術がチラッと映っていました。
きっと、日本独自の技術です。
我々の先輩たちは勉強したんです。
南や中国のパクリ。
特に南は独自の技術を持つことができない、他人任せの文化が根付いているようですね。
そんな中、中国や軍事大国のアメリカまでも、その実力を恐れているという自衛隊。
他に頼らなかった国民性、勤勉性がなせたのだと思います。
☆話を戻します。☆
その動画を見ていたら、ふと、ヨイトマケの唄を思い出しました。
「勉強するよと言いながら。」
その後、歌では友人がエンジニアになったといいます。
いまでは数多いエンジニア。でも当時は誇らしい職業だったでしょう。まして高度経済成長期。
歌は1964発表ですが、美輪明宏さんの子供の頃ですから、まさに高度経済成長期の始まりだったでしょう。
さらに、ときおり憲法第9条が話題になる現在です。
「日米安全保障条約 = 安保」というのは今さら説明はいらないと思います。
安保強行採決が行われたとき、これは団塊世代の時代です。
私よりかなり先輩の時代です。
その頃の空気を感じ取ることはできないにせよ、昭和50年、私が夕方からラジオを聞いていた時代から少し大人に近づいて、深夜放送を聞くようになったとき、
「安保強行夜の記録」
というレコードを聞きました。
いつの間にか、YouTubeから探せなくなっています。
機会があれば、ぜひ聞いていただきたいと思います。
いろんなことがあって、現代の日本があるのですね。
数年前、紅白歌合戦で美輪明宏さんが歌っていましたね。
つい先日、書きました「LEON」でも触れましたが昭和50年、毎晩のようにラジオを聞いていたとき、この歌を知ったのだと思います。
昭和39年発表、41年のヒット曲だといいます。
題名は知らなくても、メロディは知っていたから曲名を聞いて、また、歌詞を聞いて「おお!」と思ったのだと思います。我々同世代なら、誰もが知っているメロディ、フレーズ。
その後、たまたま叔母の持っていた五木ひろしさんのアルバムに収録されていたのをしっかりと聞きました。
ウィキペディアによると、美輪明宏さんが幼少期の友人から聞いた、亡き母を詩にしたのだとか。
日雇いの母が男たちと一緒に力仕事をしている。
ある日、友人の少年は学校からの帰り道、働く母の姿を見ます。
母がヨイトマケであることからいじめも受けていたのでしょう。
なにか事情があって、例えば母一人、その友人を育てなければならない境遇にあったのかも知れません。
過労だったのか、何だったのか、
母を亡くした美輪明宏さんの友人は、「勉強するよ」と言いながら、学校へ帰った。
という歌です。
☆話はそれます。☆
今年の春から北のミサイル、あるいは核武装の話を見ることが多いことで、私の見ているYouTubeには関連動画として、北や、南、中国の話題がよく出てきます。
少し違うかもしれませんが、ついさっき、
「70年代の日本」
というタイトルがあったので、見てみました。
当時の日本はまだ、高度経済成長期。
その中で、工業、農業、漁業の日本を紹介していましたが、特に工業。
ダムの運用に日本の工業技術がチラッと映っていました。
きっと、日本独自の技術です。
我々の先輩たちは勉強したんです。
南や中国のパクリ。
特に南は独自の技術を持つことができない、他人任せの文化が根付いているようですね。
そんな中、中国や軍事大国のアメリカまでも、その実力を恐れているという自衛隊。
他に頼らなかった国民性、勤勉性がなせたのだと思います。
☆話を戻します。☆
その動画を見ていたら、ふと、ヨイトマケの唄を思い出しました。
「勉強するよと言いながら。」
その後、歌では友人がエンジニアになったといいます。
いまでは数多いエンジニア。でも当時は誇らしい職業だったでしょう。まして高度経済成長期。
歌は1964発表ですが、美輪明宏さんの子供の頃ですから、まさに高度経済成長期の始まりだったでしょう。
さらに、ときおり憲法第9条が話題になる現在です。
「日米安全保障条約 = 安保」というのは今さら説明はいらないと思います。
安保強行採決が行われたとき、これは団塊世代の時代です。
私よりかなり先輩の時代です。
その頃の空気を感じ取ることはできないにせよ、昭和50年、私が夕方からラジオを聞いていた時代から少し大人に近づいて、深夜放送を聞くようになったとき、
「安保強行夜の記録」
というレコードを聞きました。
いつの間にか、YouTubeから探せなくなっています。
機会があれば、ぜひ聞いていただきたいと思います。
いろんなことがあって、現代の日本があるのですね。
タグ:ヨイトマケの唄
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6502010
この記事へのトラックバック