2019年01月31日
大人と子供
今では大人と子供の会話が希薄になってきていますね。
家庭ではどうでしょうか。
私が子供の頃は父親と話をした記憶がほとんどありません。
朝起きると父はとうに仕事に出ていて、帰りも遅い。母親と話をしているのは見ましたが私は話をしたことがほとんどありませんでした。
話すというより、
「勉強してるか?勉強しなさい。」
「まだ起きているのか。もう寝なさい。」
そんなことを言われた記憶しか残っていません。
それでも母からはいろいろなことを教わりました。
私と同じ世代ならおわかりと思いますが、父母ともに戦争世代です。
戦争経験も母からよく聞かされました。
今でも家庭内で親子の会話は続いているものと思います。
ですが、仕事が忙しく親子の会話に充てられる時間はどんどん少なくなってきているのではないでしょうか。
これは今始まったことではなく、私が子供の頃にもう始まっていたと思います。
私が生まれた頃というのは高度経済成長期の真っただ中でした。
そんな私どもの世代が大人になった家庭では成熟社会とはいえ、さらに進んできているのだと思います。
だから外に出てみると、子供をどう育てれば良いのか、わかっていない親をときどき見ます。
なにしろ、子供を注意できないのです。
例えばバスの中で、明らかに子供が他人様に迷惑をかけている。
なのに、自分は何食わぬ顔で知らんぷり。
代わりにこっちが注意してあげると、
「人の子供に何言うの?」
という態度。
中には普通の親もいます。
2017/01/09「たまには良いことも。」に書いています。
でも子供を放っておいて自分はスマホに興じている親がいるのも確かです。
またもYouTubeの話ですが、昔の「8時だよ!全員集合」がよく出てくるものだから一度冒頭だけ見ました。
いかりや長介 「おーっす!」
子供たち 「おーっす!」
いかりや長介 「声が小さい おーーっす!」
子供たち 「おーっす!」
こんな会話が自然にできていました。
大人は子供にいろいろなことを教えてくれます。
今はどうなのでしょう?
そのまえにテレビでも何でも大人と子供が接する機会がなくなっていると思います。
私の住んでいる集合住宅は、隣家が“くもん式”の学習塾です。
毎週火曜と金曜は小学生の子供たちが通ってきます。
初め、私から挨拶をするようにしていました。
ですが、返ってくる挨拶は元気がないし、仕方なくという感じ。
今では挨拶することもなくなりました。
人付き合いは挨拶から始まると思うし、人を成長させるのは人だと思っています。
人に影響されて勉強になるし、悔しい思いもするしそれで成長していきます。
なのに現代では必要以上の人付き合いを拒んでいるとしか思えません。
「知らない人は怖い人」
という風習がなぜか広まってしまったと感じます。
私が子供の頃から
「知らない人についていったらダメ」
という教育はありました。
でもこの二つは大きく違います。
「怖い人」と言い切ってしまえば「話もするな」と言っているようにも受け取れます。
昔も、ついていってはダメでしたが、話もするなとは言われませんでした。
人と触れあうことで成長するのは“会話”があってからこそです。
今日のニュースでは2018年11月20日に行方不明となった女子大生を殺した容疑者のことが取り上げられていました。
容疑者を知る近所の人は「(容疑者が)人付き合いを避けるタイプだった」ようなことを話していましたが、もしかすると大人と子供の会話がない社会が作り上げてしまったのかも知れないと私は考えます。
「知らない人は怖い人」
だから近寄らないのが正論ではなく、知らない人を避けると社会はますます住みづらくなるのではないのでしょうか。
会社などでも注意を受けることで
「言われるうちが華」「言われなくなったら終わり」
なんてときどき聞きます。
道で誰かが転ぶと、人は助けようとします。
これを言葉でできるようになれば社会も変わるのではないかと思います。
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