私の失恋談など知りたくもないかと思いますが、よろしければ少しお付き合いください。
フラれたことがありますか?
私は何度かあります。
いや、何度もかな?
中でも一番キツかった経験。
高校2年になる春でした。
中学に入学するとき、私はド田舎へ引っ越しました。
高校はそんな環境から離れたいと、少し離れた街へ進学し、親元を離れました。
地元からも親からも解放され、とても楽しい高校生活が始まりました。
地元にいる、一学年下の女の子と文通をしていました。
文通ですよ!(笑)
携帯電話が登場する10年前です。
まして携帯電話を個人が持つようになったのは、さらに何年も後です。
相手の女の子はまだ中学3年生。
家に電話をしても、親が出たら怪しまれるのは必至でした。
ド田舎だと、保育園、幼稚園から高校までエスカレーター式です。
保育園と幼稚園はいくつかの選択肢があるものの、小学校、中学校はみな同じ所へ通います。
高校はせいぜい地元の普通科と隣町に商業科があったくらい。
だいたい皆さん、地元の普通科へ進学するのがお決まりのパターンでした。
それだから、周りは幼馴染同志ばかり。
私は地元に中学校だけ合流したので、そんなエスカレーター式の進学というのが不思議に映りました。
同時に、自分は、よそ者といった意識もどこかにありました。
文通の女の子も、普通科へ進学するのかと思っていたんです。
でも女の子は手紙の中で、将来美容師になりたいと言います。
そして、美容師になる以上、高校へ進学するつもりもないと。
地元には理容美容専門学校などあるはずもなく、親元を離れるしかない。
しかも私と同じ街の専門学校に行きたいと。
秋になり、冬になり、同じ街の専門学校に来ることが決まりました。
春休みになって、地元に帰ったとき、女の子とデートしました。
女の子は、白いサブリナパンツをはいていました。
靴は可愛らしいズック靴(死語?)でした。
デートも終わり、
「次は〇〇(街)で会おうね!」
と別れ、待ち遠しい春を指折り数えて待つことにしました。
春休みも終わり、学校から帰るとポストを楽しみに開ける。
「今日は返事が来ているかな?」
来ていました。
「この手紙には、どんな良いことが書いてあるのだろう?」
私は、100%ポジティブな気持ちで、手紙を開封しました。
高校は寮生活でした。
2年生までは4人部屋だったので、近くに同室の友人もいます。
私は隠れるどころか、友人に見せびらかせたいような勢いで手紙を読み始めました。
間もなく、私の意識が凍り付きます。
手紙の最後には
「さようなら」
春休みが終わり、地元から寮に帰る直前、夜に私は女の子の家に電話をしたのでした。
「待っているよ」
と。
それが親に聞かれていたというのです。
当時、今のような親機・子機の電話は一般家庭用にはありませんでした。
それでも家に2台の電話があることは、たびたびあったのです。
簡単に言えば、壁から出ている電話線を、二股につなぐのです。壁の中で二股にすれば、別々の部屋で電話を使えます。
そうすると、どちらの電話からもかけられるし、受けることもできる。
困ったことに、一方で電話をしているときに、もう片方の受話器を上げると、まるっと会話を聞くことができます。
それを父親が聞いていたと書いてありました。
まだ中学校を卒業したばかりの娘さんが、専門学校に進学するため街に出るのに、変な男が待っているのでは親として当然、許すことができません。
もっともなことです!
女の子は親に諭され、さよならの手紙を書いた。
でも、こっちは天国から地獄。
恥ずかしいというのか、情けないというのか、
もちろん、悲しいので。
私は寮の、同級生たちと近くにいたくなくなりました。
ただただ、一人になりたかった。
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“あがた森魚”さんをご存知でしょうか?
私には2学年上の姉がいます。
音楽について姉の影響をかなり、受けています。
姉が聞いている歌を、横でこちらも聞かされることが多々ありました。
“あがた森魚”さんはフォークシンガー、シンガーソングライターです。
まだ中学生の頃、姉はその“あがた森魚”さんの歌、「天然色」を何度も何度も繰り返し聞いていた時期があります。
なにせ特徴的な歌なので、はじめ、私は拒否に近い感覚になりました。
しかし、何度も何度も聞かされていると、免疫ができるというか、さほど苦にならなくなるんですね。
その歌の歌詞というのが、サビの部分、
「帰りたくない」
何度も何度も繰り返します。
この私の失恋は歌を聞いた(聞かされた)2年後で、忘れかけていたものでした。
しかし、
あのときの心境。
「皆と一緒にいたくない、一人でいたい。」
そんな気持ちで私は夜、寮を抜け出して街を一人、歩き続けました。
帰る頃には、外は明るくなっていました。
そんな日を数日間、繰り返しました。
歩きながら、自分の心、つぶれてしまいそうな心を支えてくれたのは、この「天然色」でした。
「帰りたくない」
そのメロディーが頭を巡るまま。
始めは受け付けられなかった歌、
しかし、あのとき自分を支えてくれたこの歌が、今では決して忘れることのできない大切な歌になっています。
(YouTube:razio722)
2017年09月10日
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