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2022年02月16日

この飴ご存じ?

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ご訪問頂き有難うございます。いつも感謝致します。

ブログを読んで下さる方は私自身が幼い頃からキャンディに執着する少女だった事は知られているかと思いますが、おばさんになった今は棒付きのキャンディではなく袋入りの飴を好んで購入しています。のど飴は先日紹介しましたが今回はのど飴ではなくて「噛んで美味しい飴」です。

1〜2年前からハマって購入していましたが、近所では見当たらずネットでまとめ買いしてまで購入していました。「さくっと ほどける」というフレーズ。本当にそうなんです。飴を袋から出し、まず口にポイッと放り込む。そして噛む。すると飴らしからぬサクサクというかザクザクというかそんな歯触りで中に入っている濃い抹茶のパウダーときな粉が混ざったようなものがとても香ばしいんです!
今度は逆にゆっくり舐めていると飴の層は薄いのですぐに無くなってきて中身に到達します。中身は舐めるという感じではなく噛む事で香ばしさを感じてなかなかに美味しい。

以前は黒ゴマ味ときな粉味もありました。黒ゴマは飴が透明で中の黒ゴマの真っ黒なパウダーが透けて見えていました。黒ゴマが一番インパクトがあり美味しいんですが歯に黒いゴマパウダーが付くんですよね(笑)ネットで見るときな粉味もありましたが黒ゴマは見当たらず。
袋に入っていて一応は個包装ですがとても湿気やすいです。たまたま抹茶味がスーパーで売られているのを見つけて速攻で買いました。抹茶好きな方は是非是非、見つけたらお試し下さいね。抹茶味も苦味よりきな粉のお陰で香ばしさを感じて本当に美味しいです。

難点なのは口に入れたら20秒くらいで食べてしまう事でしょうか?いくらあっても足りやしない(遠い目)
なので1日に5個までと決めて食べないとデンジャラスな美味しさです。お菓子感覚でサクサク食べれてしまうけれどしっかり糖分ですね(笑)
この飴に、プロポリス・マヌカハニーのど飴、はちみつ飴、俺のミルク飴とお気に入りだらけです。
喘息の発作は出ていないのですが、外の空気を吸うとどうしても咳が続きます。そんな際に飴を舐めています。呼吸がヒューヒューと変な音がする際にも舐めているのですが、大きい発作が11月以来出ていないので飴のお陰もあるのかもしれません。はちみつやマヌカハニープロポリスのど飴が良いのかも?抹茶もカテキンという事で良いと思ってまた見つけたら購入してみようと思います。

原材料は砂糖と水飴、小麦粉、植物性油脂、大豆きな粉、抹茶のみなので変な添加物も特に入っていないので湿気やすいのかしら?でも安心して美味しく食べられます。個人的には黒ゴマと抹茶味が好きです。

寒い日が続きますし、空気が乾燥します。私は喘息があるので飴をよく口にしていますが、皆様も喉を労わるようにされて下さい。学生時代もよく飴を舐めていましたが、今も常にカバンに入っています。マスクは忘れても飴は決して忘れません。どれだけ好きなんだと(笑)
小学生、中学生の頃はよく袋入りの飴を買って友達と分けたり、自分用に棒付きのキャンディーを購入したり。高校生になるとチュッパチャップスを常に舐めて、短大生になるとのど飴を毎日コンビニで購入。人生に飴は付き物になっています。←これ、確実に私だけだな。

飴も好き、ガムも好き、クッキーやスナックも好き。でもグミはそんなに好きではないのです。グニグニした触感がガムでも飴でもないのでハッキリしないグミが実は苦手です。食いしん坊おばさんにもあまり好きではないお菓子もあるのです。果汁グミ好きな方多いですよね?美味しいと人気ですし。個人的にはグミより飴派です。

そしてカテキン。「おーいお茶 濃い茶」をよく飲んでいます。カテキン2倍ですが「苦っ!」と思ったのは最初だけで慣れると普通のお茶です。カテキンは殺菌作用もありますしウイルスの表面にあるスパイクタンパク質に付着し感染を抑制する効果もあるそうです。多くて1日にペットボトル1本(525ml)飲んでいますが、買い忘れた時は飲んでいません。ええ、そんな程度の適当な摂取の仕方です(笑)煎茶のお茶も抹茶も好きなので、抹茶味の飴やお菓子をついつい買ってしまいます。

1年ぶりくらいにこの「さくっと ほどける飴」を見つけて食べたので嬉しくなりおススメしたくて書かせて頂きました。今後も美味しい飴を探してスーパー内をウロチョロしようと思います。

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2022年02月14日

13歳の田舎娘・ハーフモデルに恋をする

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中学生時代の思い出の「CANDy・キャンディ」という雑誌のお話を先日させて頂きましたが、私と兄の通っていた中学校は当時男子生徒は坊主という校則でした。女子は髪が肩にかかったら結ぶというルール。靴下は白、ワンポイントまで可。男子にとってはオシャレしたい盛りに「坊主頭」なんて苦行の何物でも無かったと思います。坊主の基準は手の平を頭にのせて指と指の間から毛がはみ出ない長さです。野球部なんて夏休み前には坊主よりももっと短くつるつるで頭が一休さんのような小坊主の青い状態にバリカンで刈られていました。これは伝統と言うより、野球部の顧問の教師による嫌がらせでしたね。

そんな坊主頭の男子ですが、うちの兄もクラスの誰に影響されたか坊主頭なのに男性用のオシャレ雑誌を買ってきた事がありました。「POPEYE ポパイ」と「CHECKMATE チェックメイト」です。ポパイは今でもあるようですが、チェックメイトは随分前に廃刊になっています。チェックメイトも知らなかったのですが当時の若い男性芸能人が表紙を飾っていたようです。若かりし坂上忍さんや風間トオルさんとか。内容はオシャレな服の紹介だけでなく芸能情報や肌が荒れない髭の剃り方やオシャレな部屋の作り方だったりと男性向けです。そしてチェックメイトを見ながら私は衝撃を受けたのです。格好良いモデルがいる〜!と。胸キュンです。

名前は「モデル アンディ」しか書かれていないのでそれ以外は知りませんが、確かハーフのモデルさんで顔立ちも可愛らしく派手過ぎないお顔で笑うと八重歯が見える写真が多数ありました。他にも濃い顔のハーフモデルさんもいましたが、私はアンディにロックオン。兄に「なんて格好良い人がこの世にいるんだ」と何度も言いましたが、兄はアンディに興味も無く「お前、また勝手に読んだな」と言って「誰が何だって?」とモデルの名前さえ知らなかったくらいです(笑)「アンディだよ、アンディ」と言っても「アンディが誰だ?」と言うので雑誌の中の彼を指差し「アンディだよ。格好良いモデルだよね」と言えば「そうだな」と一言でスルーされました。

坊主頭でオシャレも何も無いと思ったのかは知りませんが、兄も1年半くらいで雑誌を買わなくなりました。何で買わなくなったのか理由を聞いたところ「高校生になってからまた買って読むわ」と言っていたのですが、兄は高校生になっても校則で坊主が義務付けられている高校に通う事になるなんて、この時は知りもしなかった筈です(笑)ちなみに中学校も兄が通った高校も、私達が卒業した数年後に男子は長髪可になりました。兄が通った高校は当時男子校で今では共学校です。時代の流れですね。

ネットが使える今、10年くらい前にふとアンディを思い出してネットで探しました。普通は外国名でも「レオナルド・ディカプリオ」なら「ディカプリオ」というファミリーネームがあるのですが、「アンディ」だけなので調べる際には「チェックメイト モデル アンディ」と調べるのですが詳しい詳細は見られませんでした。でも見られなくて良かったのかもしれません。当時の20歳前後のモデル時代と今ではあれから30年以上が経っているんです。あの可愛らしくも格好良い姿のままの記憶をとどめて想像してはニヤニヤする方が良いのかなと思ったりします。

今では当たり前に格好良い人が多いのですが、当時13歳くらいの私の周りには同級生も先輩も男子は全て坊主頭のジャガイモ君に見えていました(笑)だから余計にアンディに魅力を感じたのかもしれません。

今アンディを見ると…やっぱり可愛らしい。ドキドキするときめきでは無く今では私の方がこの時のアンディより年が上ですしおばさんになりましたから「ひたすら可愛い男の子」という感じです。ネットでいくつかチェックメイト時代の表紙が上げられていたので編集してみました。なので皆様にもアンディ氏をご紹介致します。って、これ著作権は?と思うのですがチェックメイトは廃刊ですしネットでありましたがもう時効でしょうし金銭も発生しないのでこっそりとご紹介(笑)

30年以上前のハーフのイケメンです。私にとって外国人っぽいというより日本人に近い濃くない顔が素敵だなと13歳当時は思っていたのです、偉そうに(笑)当時は素敵なハーフのお兄さんという感じで兄がチェックメイトを買って来るのが楽しみでした。POPEYEのモデルさんにも興味なく、チェックメイトのアンディ推しです。ちょっと時代を感じてしまう雑誌の表紙ですが当時はイケてたんですよ。もっと格好良い写真が色々あったはずですが、30年以上前ですしネット上で残っているだけでも有難いです。

懐かしい素敵な顔を今もネット上でこうして拝めるのは改めて有難いですね。兄なんてアンディの事を覚えてもいないのでしょうが私はいつまでもアンディを覚えていようと思います。今頃は海外で暮らしていらっしゃるのかしら?
ハーフのイケメンであるアンディを見て、こんな人が美術の教師とかだったら良かったのにと中学生時代に夢想していた事もあります。実際の美術教師は口うるさいジャージの先生でしたね、パチンコが趣味の(笑)漫画の様にはいきません。美術教師で何でジャージ着てたのか…今考えると謎ですね。

本当はもっと可愛らしい、格好良い写真が多かったのですがネット上で見つけられず残念です。「笑った時のちらりと見える八重歯が可愛いのよね」と年上のアンディを13歳の田舎者の私は上から目線で見ていました。生意気ですね〜。でも、確かに八重歯可愛いです。今は八重歯も歯並びの悪さと言われたり、子供っぽく見えると抜いて差し歯にされたりする方も多いようです。八重歯、個人的には可愛いと思うのです。
そして年上のアンディを遥かに上回る年齢になった事に時の流れを感じずにいられません。

いかがでしたでしょうか?マイ・アンディは。ジャッキー・チェンだけが好きなクセが強い子な訳では無かったのですよ(笑)いや、本当に好きですけれども。プロジェクトAのテーマソングも歌えますけれども(笑)

2月になって日中が暖かい日も増えてきましたが、その分だけ朝晩の冷え込みとの寒暖差が激しく感じます。風邪をひかれませんように皆様もお気をつけ下さいますように。

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2022年02月13日

日々の介護も慣れ…てはない(笑)

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毎週2回、伯母の入浴介助をしていますが髪をドライヤーで乾かしてあげている段階で伯母がとても疲れているのが分かります。普段は多分、24時間のうち22時間は確実に横たわっています。眠っている時もテレビを見ている時も横になっています。ドラえもんのような体型ですし高齢です。膝や腰が悪く、腰やお尻にも4本程大きな傷があります。若い頃に事故や怪我を負ったせいもあって古傷がとても痛むし、何もしたくないそうで結果、「動かず」から「動けず」になってしまいました。

週に2回の病院受診も正直言ってそれ程必要はありませんが、少しでも歩いたり医師や看護師と話したりで刺激になればという思いと受診しなければもっと寝てばかりの時間が増えるので送迎もしてくれるしで利用しています。だから朝に伯母の所に行き洋服を着せたり(伯母が着ている時もある場合はチェックをする)してトイレに行かせて、送迎の方に挨拶をし見送ったら戸締りして帰っています。伯母が帰って来る前に母が行き、食事と内服をさせてから帰って来るという感じです。

私や母が日に2回食事を届けたりして食べさせますが、伯母は掃除も当然出来ませんし、布団も奇麗に整えられません。脱いだ服は脱いだ形のまま放置です。つまり食事とポータブルトイレでの排泄以外は横になっているんです。少しでも歩く事で何かをする事で認知症の進行も変わりますが、現時点では私達の言う事は聞かないので「掃除・洗濯・食事の準備・入浴介助」と行っているのですが、伯母に少しでも何かをさせたくても「したくない」と言ったり「さっきしたよ」と言ったり、もしくはする事さえも頭に思いつかない状態です。

入浴は体が冷えているのでお湯が熱く感じますから水をジャンジャン入れるのですが、いざ自分が入るとすぐに温くなる。でもお湯を入れようとすると「熱い!熱い風呂には昔から入れない!」と怒って絶対に聞かないので、髪を洗ったりしてあげながら伯母の機嫌が良くなるように話をしつつ介助します。でも湯船に浸かると温いので寒くて上がれず最低でも20分は入っています。湯に浸かって貰っている間に私は伯母の下着類をバケツに入れて尿失禁等があるのでハイターに浸けたり雑用をします。最初に湯に浸かり、髪を洗い、体を洗い、最後に湯に浸かる。湯に2度浸かるのですが、浸かる時間が2回で早くて40分〜50分。温い湯なので上がりません。体や髪を洗うと1時間半くらい掛かりますから、本人も入浴にとても疲れるんですね。日頃横たわってばかりなので余計に疲れるんです。注意しても聞かないので上がる時にシャワーで温かいお湯をかけてあげるのですが「しなくて良い」と毎度文句を言われます(笑)

風呂から上がると急いで体を拭いてリビングの椅子にタオルをかけて座らせ一気に洋服を着せるようにしています。風邪防止の為に慌ただしく服を着せたらヤクルトを1本飲んで貰い一息ついて貰って、髪をドライヤーで乾かして膝や腰に出来ている褥瘡(床ずれ)の傷になる手前のアザのような部分にオロナインH軟膏を塗ってあげて入浴介助が終わります。すると目が…変わってきます。目がすわってきて言葉をあまり発さなくなってしまうんです。そうなると食事が困難になる前に食べて貰わないといけないので、母が浴室掃除をしている間に私が食事介助となります。水曜日と日曜日は入浴介助なのでバタバタです。

日曜日に父に頼んで伯母の家の勝手口ドアの側に手すりを付けて貰いました。7年前に勝手口の入り口に付けて貰いましたが、何度言ってもドアを掴むんですね。なので網戸が破れてしまっています。おまけにドアは動くので掴むと転んだり怪我の原因になるのですが7年間言い続けても今ではもっと理解出来ないので、だったらドア側のギリギリで手すりを付けようと父に頼みました。これで少し安心ですが、目の前でも忘れそうなので毎回「ここを持ってね」と伝えて習慣になればと思います。

デイケアやデイサービスを利用したいのは寝てばかりにさせたくない事、動く事で人と会う事で刺激になり認知症の進行が少しでも遅くなる事を望んでいるからです。病院と同じで利用の際にも私が伯母の家に行って送迎をして下さる介護スタッフさんに挨拶をし見送り、戸締りをして家に帰るというルーティーンをしなければならないと思います。だけど利用出来る事で伯母にも私達にも良い結果になればと思っています。介護認定は出ましたので、ケアマネとの兼ね合いもありケアプランを立てて貰わないといけませんが準備できるところだけでも先に進めています。

靴の名前書きも、名前キーホルダーも出来ました。あ、杖にも名前を書かなくちゃ。サコッシュは和柄で作りました。巾着バッグはまだ作っていません。先週は伯母の部屋着ズボンのウエストのゴム替えとズボン幅を細めて裾丈を上げたりとやる事は一杯でしたが、どうせ部屋着。誰も見ないと相変わらず適当に仕上げています(笑)うひひ。

代わり映えのしない伯母の介護ですが、入浴の際にこんな会話をしました。

伯母「ウチ、腰に傷があるんかね?」
私「あるよ。お尻のとこも入れると大きな傷が4本あるよ」
伯母「なんで傷があるんかね?」
私「昔、自転車に乗ってて車で撥ねられたって言ってたよ。それ以外にも怪我したみたいよ」
伯母「そうね、覚えてないが。よく知ってるね?」
私「前に聞いたからね。大丈夫よ、忘れても私が覚えてるから」
伯母「そうやね。〇〇(私の名前)がおるから大丈夫やね」

思わず口にした言葉ですが、改めてハッとしました。伯母が忘れても私が覚えていればそれで良いんだと。最近は両親も物忘れが酷いのですが(笑)そうか!私が覚えていればそれで良いんだなと思う事にしました。ただし私や母の事を忘れられるのは寂しいので、出来る限り覚えておいて貰いたいなぁとは思います。

寒い日々です。北海道や東北の方はなんという積雪でしょうか。本当に大変かと思います。どうぞ雪で怪我などされませんようご注意下さいますように。

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2022年02月12日

思い出の雑誌と少女時代

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先日の「SUZUTAN 鈴丹」というお洋服のショップを思い出したのでブログに少し書かせて頂いたのですが、田舎の少女である私は小学生時代から体が大きく6年生で母のズボンやトレーナーを着れるサイズでした。6年生で160pくらいで横も大きい子でしたから私服だと小学生に見えなかったと思います。

太めなので楽な服が好きだったのですが私はワンピースが大好きだったのと、母は自分はワンピースは滅多に着ないのに娘の私には着せたがるので「SUZUTAN」で水玉のワンピースや襟がレースのワンピースなどを買って貰っていました。母に大人になって「なんでいつもワンピースばっかり買って着せてたの?」と聞くと「ワンピースだと1枚できちんと見えるから。スカートを買ったら上着も買わないといけないってなるやん?1枚だけ買えば良いし安上りだから」と言っていました。うん、確かに(笑)

ここ田舎でも当時5〜6年生になったらお姉さんがいる女の子は急にオシャレに目覚め始めます。私は兄なのでオシャレとは無縁でしたが、クラスの子はティーンが読む雑誌「lemon レモン」と「ピチレモン」を読んでいました。この「lemon」という雑誌、1982年から1998年まで発行され姉妹雑誌「ピチレモン」は1986年から2015年まで発行されていました。姉妹雑誌は「プチ」よりはじけて元気な感じがする「ピチレモン」となったそうです。

内容は心理テスト・恋のおまじない・ファッションに雑貨など女の子が大好きな事が目白押しの雑誌で表紙のイラストが女の子のキャラクターで「レモンちゃん」は絶大な人気でした。レモンちゃんと彼氏のイラストが毎回描かれていて明るいカラーでオシャレな服のレモンちゃんグッズも人気でした。読んでいる子は通販でレモンちゃんグッズを購入していました。え?私ですか?この雑誌買った事が1度もありません(笑)パラパラと見せて貰った事はありますがレモンちゃんグッズも欲しいと思った事が無かったです。それどころかあのレモンちゃんのイラストが苦手で…。可愛いの基準はそれぞれなのだと子供ながらに思いましたね。

宜しければネットで「雑誌 レモン」で検索されてみて下さいね。レモンちゃんが可愛いかどうかの判断は好みがあると思いますが私が好きでは無かっただけで、人気は凄かったです。実際に可愛い可愛いと、クラスの女の子達は言っていましたしノートにレモンちゃんを描いたりグッズを持っている子や、イラストのレモンちゃんの服装をマネしている子もいたくらいです。大きな目で鼻と口が無い顔のイラストです。確か有名なイラストレーターさんだったはず。

当時の雑誌のモデルをしていた子が着ている服は当然、田舎では販売されていません。そしてその服の掲載されている金額に12歳くらいの私は度肝を抜かれました。ワンピースが数万円とかです(汗)確かにオシャレなのかもしれませんが都会の子はお金持ちばかりだと思い込んでいました。今のようにパソコンで情報をすぐに知ったりするネットの無い時代、田舎の子は雑誌で情報を得ます。都会で何が流行っているかは雑誌以外で知る手段が無かったんです。雑誌かテレビ以外で流行の情報は普段手に入りませんから雑誌があんなにも流行っていたんですね。

「lemon」「ピチレモン」を読まない私ですが中学2年生から3年生までの間に何度か買ったマイナーな雑誌があります。それは「CANDy キャンディ」という雑誌。どんだけキャンディが好きなんだと(笑)食べるのも雑誌も確かにキャンディ好きですね。当時は雑誌におまけがついていてちょっとしたメモとかもあったのですが20年以上も持っていましたが、ある時にずっと持っていても使わないと処分しました。雑誌「CANDy」の専属イラストレーターが当時売り出し中の「上田三根子 うえだみねこ」さん。ライオンのキレイキレイシリーズのイラストと言えば分かって頂けるでしょうか。モダンな感じのイラストレーターさんです。

2006年くらいで廃刊となりましたが私の読んでいた当時は表紙は上田三根子さんのイラストでした。これもローティーン向けの少女雑誌ですがファッション・ビューティー・占いなど「lemon」と内容は似てはいるのですが、ハイセンスなオシャレ感のある素敵な雑誌でした。オードリー・ヘップバーン特集やモデルが着ている服までオシャレでハイセンス。一線を画していた雑誌でしたが知る人が田舎では周りに誰もいず、私くらいでしたからこの懐かしい話をしても誰も「そんな雑誌知らない。レモンなら買ってた」と言われてしまいました(涙)当時塾の側にあった小さな小さな本屋さんでもこの雑誌は2〜3冊くらいしか仕入れていなかったようでした。どれだけ「lemon」が人気があったかという事が分かります。

モデルも高橋ゆかりさんという八重歯が2本あるショートカットの子がいたのですが本当に可愛かったです。専属モデルも可愛い子ばかり。都会の10代の女の子はなんて可愛いの!と田舎の10代の私は驚きを隠せませんでした。
でも当時はバブルで雑誌にとてもお金がかかる時代です。10年くらいで廃刊になったんだったかしら。私は上田三根子さんのイラストの表紙時代しか知らずその後は上田さんのイラストではなくモデルさんを表紙起用し変わっていったようです。「lemon」も「ピチレモン」も結局出版する為にお金がとてもかかりスポンサーが見つからずの廃刊になったのでバブル時代で雑誌にどれだけお金がかかっていたのかと思うと…時代ですね。今では雑誌よりネットで情報を得られる時代に変わってきて、今では付録がメインの雑誌となっています。

当時モデルの着ていた服の値段もメーカーも小さく掲載されていました。多かったのは「cantwo キャントゥー」というオシャレな洋服メーカー。でも田舎で手に入る訳も無く、値段も高めで欲しいと思ってはいけないくらいでした。田舎の潰れかけた商店街に女の子向けの洋服店、小さな小さなショップが当時あったのですが、母と少し見ていたらネイビーカラーのくるぶしくらいまであるハイウエストのロングスカートが。前の部分はハイウエストから足元までスカートと同じカラーのボタンがずらっと並んでいます。スカート生地は少し光沢が有りスムースで柔らか。ネイビーと言うより黒に近い濃紺。後ろは黒のサテンリボンで編み上げてウエストサイズを調整するタイプです。
一見地味なのに後ろを向くと技ありな編み上げのサテンリボンが何気にポイント高いスカート。1万円しましたが「気に入ったなら特別に買ってあげる」と言われて嬉しくなり買って貰いました。その後帰りの車の中で「今月のお小遣いは無しです」と釘も刺されました(笑)

家に帰ってからタグを見るとビックリ!「cantwo キャントゥー」の文字が。ショップで見ている時は気が付かず、家に戻って嬉しくて床に置いて「これでもか」とじっくり眺めている時に気が付きました。田舎で雑誌に掲載されているオシャレなメーカーの服が手に入るなんて!ビックリしましたし嬉しさも倍増です。値段も少し高かったけれど嬉しかったです。それ以来、「cantwo キャントゥー」の服を買う事はありませんでした。その後このショップも閉店、そして「cantwo キャントゥー」も倒産?したのですが思い出の片隅にいつもあのハイウエストの編み上げロングスカートがあります。
でもあの服、ハイウエストのシェイプが着ると苦しかったなぁ。だって私は太めだったから。←あ、今もですね。

10代の方が確実にオシャレに興味がありました。カールドライヤーやヘアアイロンで髪を巻いたり。今は髪が少ないし痛むの厳禁とヘアアイロンは持っているだけ状態です(笑)
現在は家ではいつも楽でこ汚い格好ですし出掛ける際だけきちんとした服を着れば良いと思っているのですが、急に宅急便や新聞の集金に来られたりするのでこ汚い恰好のままだと慌ててしまいます。女子力なんて見つけようとする方が難しいですね(遠い目)

雑誌でしか情報を得られなかったあの少女時代、今とは便利さが違います。雑誌は「CANDy」←yだけ小文字とネットで見て今更知りました(笑)「CANDy」「少年ジャンプ」「なかよし」を読んでいました。時々「月間ジャンプ」も。「チャンピオン」「マガジン」「サンデー」も。ご覧の通り、少年漫画の強い少女時代、そりゃジャッキー・チェンが好きに決まっています(笑)それでもたまたま本屋で見かけて「CANDy」という私らしからぬ雑誌を手にした事で今もイラストレーターの上田三根子さんが好きです。思えば80年代後半から上田さんや原田治さん、ペーター佐藤さん、キース・へリングとイラストレーターさんが大好きだったなぁ。上田さん以外はもういらっしゃらないのがとても残念です。思い出は懐かしくって楽しいけど、ちょっと切なかったりしますね。

またしても長い話となりました。ここまでお付き合い頂き有難うございます。

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2022年02月10日

伯母の介護認定


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介護認定が下りました!伯母の介護認定が思ったより少し早く下りたんです。「要介護2」でした。良くて「要介護1」だと思っていたのですがケースワーカーさんのお陰かと思います。ただ介護認定が下りたのですが病院に相変わらず思う事が色々ありました。

朝に伯母の家に行き、着替えのチェックをして髪を梳いてあげながら話をいつもします。「よく眠れた?」だったり「まだ迎えの車が来るまでに30分あるよ」とか。そして迎えに来る10分前にもう一度トイレを促し、マフラーと上着を着て貰ったりします。家の鍵が入っているかカバンの中をチェックしていると伯母の通っているA病院のリハビリの計画書が出てきました。それを見ていると…入浴「自立」内服「自立」など様々な事に出来てない事が「自立」と書かれています。理解力も記憶も問題無いように書かれているし排泄も失禁が多いのに「自立」で完璧なように書かれていました。えっと…どこをみているのかしら?おまけに年齢も91歳とかかれていますが、92歳です。

医師は今年の1月4日に来られたばかりで伯母の事を正直言って知りません。つまり以前のカルテのままで介護認定の申請をする際はこういった内容を医師は出したんだろうと想像がつきます。嘘ばっかりの内容に「目が点状態」でした。そして病院には長く通っているけれど、ここ最近は「ちょっとこれは」という事がいくつも。

血液検査を月に数回行っている事。そんなに頻繁に必要でしょうか?なぜ分かるかと言えば入浴介助をしているからです。血を取った後に貼る四角い小さな注射保護パッドで分かるんです。それも針を刺してうっ血している部分(出血する部分)ではなくその横に保護パッドを貼っていたり。針を刺して出血するのでそこに貼らずに意味があるのでしょうか?その次の時には手首から10pくらい上の部分に注射保護パッドが。すごく痛い場所から血液を採っているんです。なぜ前回と同じ場所からしないんでしょうか?高齢者だから?一人暮らしで誰も分からないから?その病院は数年おきに先生が変わりますが、受付の事務の人達もいい加減な対応です。

以前は私が毎週1回、車で伯母を送り迎えしていました。2年前から送迎をしてくれるようになったのですが、その頃から週に2回の病院受診になりました。それを決めたのは私達でも伯母でもないんですが。それでも横たわってばかりに比べれば病院でリハビリもするしと許容していました。昼食時は私でも母でも伯母の家に食事を届けています。それが普段は11時半〜12時には病院から戻るのに、その日は午後1時になっても戻りません。病院に連絡をすると「血圧が高かったので少し横になって貰っていた」と言うんです。「だったら電話を貰えませんか?何かあったのではとビックリします」と言えば「連絡先が分からなかったものですから」と答えてくるんですが、これ毎回なんです。

ある時は電話越しで私と母の名前、家の電話番号と私の携帯番号を伝えました。その次は紙に書いて渡しました。その次は口頭で受付で2回伝えました。そして伯母は認知症で耳が遠いので伯母に言っても分かりませんから、何かあれば私の所に連絡をと何度も言っているんです。そして伯母の家に食事を届けて食べさせていると病院から電話が。「介護認定が出たらそれを病院に持って来て下さい」という電話です。

だから〜!伯母の所に電話しても伯母は分からないんですってば!母か私に連絡を下さいとこの数年間言い続けています。どうしてきちんと対応して貰えないのかが分からないんです。私がいましたが、伯母しかいなかったら伯母は何の事かも分からず、それさえも忘れてしまうので私達に話が伝わる事もありません。
そしてその介護認定証をコピーするのでしょうから病院へ届けました。そしてその時に「何かあれば私達の方へ連絡を下さい。伯母では分かりかねます」と言うと、帰ってきた言葉が「連絡先が分からなかったもので」です。信じられますか?この杜撰さ(笑)そしてカルテに母の名前と電話番号を記入して貰いました。この記入も何度目でしょうか…(遠い目)

もう数年、この繰り返しです。温厚な私ですから怒りはしませんが、呆れてはいます。事務の方も看護師も医師もよく分からないなぁと。母に「病院を変えるべきでは?」と繰り返したのですが、母も「この病院を選んだのは本人だし長年通っているのに変わると混乱するんじゃない?」と何度か話し合っています。この病院に通いだして6年くらいでしょうか。それだけ通っているのに、伯母の認知度も分かって貰えず自立できる部分がほとんどない事も分かって貰えていません。とりあえず介護認定が「要介護2」と出ましたので母と相談してこの病院に併設するデイケアを利用するのか、別の所を利用するのか、ケアマネさんとの兼ね合いもありますので決めないといけません。

ちなみに伯母の病院の先生は年末に病院に行った際も、今回行った際にも会えませんでした。先生とお話をしなくて良いのかと看護師さんに聞くと「大丈夫です」と言うだけですし、本当は言いたい事も色々あるのですが相手が会わなくて良いと言うのです。どちらにしても事務の方々と一部であろう看護師には不信感はありますし、医師も伯母の事を知らない状態のままで適当にリハビリ計画書を作り伯母は意味も分からずサインさせられているのは「?」という感じでした。ちなみにそのリハビリ計画書は医師のサインと伯母のサインは入っていますが家族のサインは空欄です。当然です、私達は何も聞いていませんから。そしてそれはコピーした紙でしたから手書きの方は病院が保管しているんだと思います。

介護認定が下りるとそれで利用するサービスを決めたりケアマネに介護プランを立てて貰わないといけませんので、とりあえず急いで母と相談し伯母にも伝えなければいけませんしする事が一杯です。

今回は伯母の病院に対する「クエスチョンマーク?」だらけの事も書かせて頂きました(笑)田舎でもこれは酷すぎますよね。この病院は以前に婿養子の医師が問題を起こして一旦潰れました。そして名前が変わり医師が変わって存続しているのですが、その医師も数年で変わっていきます。たらい回しと言うか数年交代で医師が来ているという印象ですし前の医師の顔も知りません。以前の医師も今回の医師も伯母の体の病気は分かって貰えているのかもしれません。ですが認知度や自立度が一切分からないのにリハビリ計画書を作成するにあたり看護師と理学療法士の名前がありましたが、理解出来ていないなら家族に相談して欲しいしすべきだと思うのですが皆様はどう思われましたでしょうか?

病院に全て任せておけば良いと言いたいのですが、任せられないこのやるせなさ。今回はそんなお話をさせて頂きました。

夜中はあまり寒くなく、更年期障害が発動し足の裏が火照って寝苦しかったです。2月はまだまだ寒いので風邪に注意されて下さいますように。

本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。


2022年02月08日

ハンバーグッ!

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ご訪問頂き有難うございます。感謝致します。

昨年のいつだったか(笑)ブログにてお気に入りのハンバーグ屋さんが閉店してしまった話を書かせて頂きました。とても残念に思っていたのですが、その店舗に違う洋食屋さんが入りオープンしました。そのお店は県外にも出店されているそうですが九州・地元では知られている大衆向けなお手頃価格のお肉屋さんの系列らしく1月末にオープンしたばかりです。まだ私は以前のハンバーグ屋さんが恋しく切なさに浸っている段階なので(迷惑)そのお店に出かけるには時間が掛かりそうです。


子供の頃からステーキが食べれず今もハンバーグ派だったのですが、母に手作りのハンバーグを作って貰った記憶がありません。母に聞くと「作った記憶が無いけど、1度くらいは作ったはず」と言っていました。ねだられて作ったものの面倒だし手がベタ付くしで作らなくなったようです。食べた記憶は…やっぱりありません。母がハンバーグを好きじゃないから作らなかったんだと確信しています(笑)

私の小学生のハンバーグの記憶はロイヤル・ホストのハンバーグステーキでした。何十年も前はハンバーグではなく名称がハンバーグステーキでした。両親はステーキ、兄もステーキ、私だけハンバーグステーキ。そして時折デザートに今では売られていませんがメロンの皮に入ってカットされたメロンシャーベット。美味しかったなぁ。不思議な事に母は若い頃はステーキをカリカリに焼いて貰い(切ると赤くなく中がしっかり火が通っている状態)それを食べていました。ウェルダンを通り越した状態です。ロイホの店員さんも苦笑い。私も母も生焼けは食べれないのですが、今はステーキも母は好まず、お肉なら焼肉が良いと言っています。

兄が小学生時代あまり食欲が無いのに少年野球に入っており、食事をしっかりさせる為に時々のご褒美として月に2回ロイヤル・ホストに連れて行って貰っていました。毎日しっかり食事をしたらロイヤル・ホストに連れて行ってあげるというご褒美です。田舎ですし今とは違って食事するのもお店が少なく「ロイヤル・ホスト」「お寿司屋」「うどん屋」といった選択肢でファミレスもちょっとお高めな「ロイヤル・ホスト」しかありませんでした。父は兄が入っている少年野球のコーチをボランティアでやっていましたから(なぜかそんなに野球が出来なくても少年野球に入っていた少年のお父さん達がコーチをしていた)兄と父がバッティングセンターで打ちっ放しで練習する時には、近くにあるお寿司屋さんで食事をしていました。私も母もお刺身系お寿司は食べれず唐揚げや巻き寿司食べていたのですがお寿司屋さんはあまり嬉しく無かったですね(笑)それも小学生の頃くらいまでで、6年生〜中学生になったら今度は家の近くに出来た車で10分くらいの食べ放題の店に月に1回くらい行っていました。

食べ放題の店は食事は横に除けておいてアイスクリーム狙いで行っていた子供時代、何を思ったのか店主はアイスクリームを食べ放題から外し1つ150円で販売を始めました。コーンに丸く小さいアイスをのせて150円です。ぼったくりです(笑)お肉もまともに食べないので両親から「ご飯を食べないとアイスを買わない」と怒られて渋々食べていた記憶があります。両親からしてみれば食べ放題より他の店が良いのに、子供達が望むから来ているのにお金を払って食べないなんて!と苛立っていたんだと思います。その食べ放題のお店も私が中学2年生の体育祭後にクラスで参加できる子達と先生で打ち上げをしてすぐくらいに閉店しました。その後に食べ放題の店はすぐコインランドリーになりました。コインランドリーがまだそれ程周りに認知されていない頃ですから「なんでコインランドリー?食べ放題が良かった。私のアイスを返して」と思っていましたが、今もコインランドリーは健在です(笑)本当に長い間続いているなんて凄いなぁ。

私が小学生の頃に比べて今ではお食事処は至る所に出来ています。実はスシローが好きです。私も母も生ものが食べれません。スシローはお刺身が食べれない人にも選択肢が多くメニューが豊富です。私と母にとってはパラダイスです(笑)いつも海老アボカドを3皿ずつ注文するのですが、レーンを6個の海老アボカドが回ってきます。するとそれを見た人が「え?何あれ?」と言いながら唖然としています。ええ、お刺身の好きな方には滑稽かもしれません。でも茹でた海老、アボカド、マヨネーズ、玉ねぎスライスのこのお寿司は本当に美味しく安心して食べれるんです(笑)
母の友人も生ものとお肉を食べれない方がいて、3人でスシローへ行くと9皿の海老アボカドがレーンを回って来て誰もが唖然とした目で見ています。寿司屋に何しに来た?と(笑)そして海老天寿司やかぼちゃの天ぷらと色々食べて玉子を食べてとお刺身を一切食べずに満足して食事が終えられます(笑)ちなみにアナゴとかも火が通っていても食べれません。お持ち帰りに父用にアナゴやお刺身系のお寿司を買って帰ります。「小学生時代にスシローがあればなぁ〜」と母と話すと「昔は食べるとこ少なかったよ。マクドナルドはあんた達が小さい頃はよく食べたけどね」と言われ、確かに小さい頃はよく食べた事を思い出しました。

チキンナゲットのバーベキューソースとマスタードソース美味しかった!もうマックでチキンナゲットを何年も食べていませんが。フィレオフィッシュしかない訳ではないのにフィレオフィッシュ一択で食べていましたね。今はマックのフィレオフィッシュも小さくなって…私が大きくなったのか?フィレオフィッシュが小さくなったのか?1個じゃ全然足りないですよね。←私だけ? 今でも食べるのはフィレオフィッシュ、ビッグマック、海老フィレオですね。母も海老フィレオかフィレオフィッシュしか食べませんがポテトが好きなので一緒に出掛けるとマックで食べる事もあります。
ジャンクフードって本当に美味しいですよね、嫌になっちゃう。体に悪くてもあの美味しさなら食べたくなるに決まっているという(笑)滅多に食べなくても、食べる時は気合入れて2個は食べますよ!ええ、ポテトも含めてね!←自慢にならない。
フライドポテトにアイスティー、ビッグマックにフィレオフィッシュ。それだけで1日に必要なカロリーをオーバーします。高カロリー&血糖値上昇ですが、美味しいから悔いは無い。←自慢にならない、再び。

マクドナルドは当時、大好きだった奇麗なキャンディーが売られていた雑貨店「キャンパス」の並びにありました。3軒隣くらいにあったので小学生時代に必ずキャンパスとマックに寄っていた記憶が甦りました。懐かしい記憶ばかりです。キャンパスの隣端には「SUZUTAN 鈴丹」という洋服のショップがありました。日本中でチェーン展開されていたと思うのですが気に入っていた洋服屋さんでした。6年生、中学1年生の頃に母がワンピースを買ってくれたのですがその後すぐ閉店しました。

このSUZUTANは名前は消え同グループのパレモに吸収合併され企業名は消滅とWikipediaに書いてありました。子供時代の数年しかSUZUTANでお買い物出来ませんでしたが、テレビで女の子達が可愛い服を着たCMも流れたりお店の中でも夏は水着が並んで可愛い洋服が多いイメージでした。田舎の少女にとってはどれもこれも新鮮で可愛かった記憶です(笑)

高校生1年生の頃はマックの2軒隣のカレー屋さんのハンバーグカレーを友人と帰りに食べていました。カレーピラフにレーズンが入っていて具無しのカレーがかかり上に小さなハンバーグがのっていて美味しかったですがそのお店も高校3年生になった頃に閉店。残念に思っていて新しいお店を開拓!とドリアの美味しい店を見つけて友人と食べ、次の週に母とドリアを食べに行きドリア好きの母を喜ばせたのですがそこは母と2回食事した後に行くと閉店していました。閉店するともお知らせが無いまま…残念だったなぁ。

美味しいお気に入りのお店が閉店してしまうのは本当に寂しい思いがします。個人経営だと色々厳しかったのかもしれません、特に土地代が問題なのかも?家賃を払うのに大変だったとお店をされていた方が話されていたのを覚えています。田舎なのに、どうして欲張って高い家賃を取ろうと考えている地主が多いのかしら?少し安く貸して長い事続けて貰った方が得だと思うのに。継続は力なりで長年利用して貰えれば結果的には地主さんも儲けられるはずなのに。

高齢でお店を続けられない方、今のご時世で厳しく店を閉店される方…理由は色々あると思います。でもお気に入りのお店だと閉店されると寂しい・切ない・恋しいと思ってしまいます。新しい洋食のお店、当然ハンバーグはあるようです。お肉屋のチェーン店ですから。美味しいかな?どうかな?いや、まだ私は以前のお店の柔らかいハンバーグとエビフライが恋しいのよ。そう簡単に通ってたまるもんですか。←ウザイですね?スミマセン。

私自身はご飯がどんぶり飯ほどすすむ煮込みハンバーグが好きなのですが、それは家で作っています。なかなか煮込みハンバーグを出すお店がここ田舎で無いので仕方なく。だから普通の焼いた王道ハンバーグは外食を楽しみにしています。ハンバーグ、美味しいですよね。本当に大好き!私のこの切ない気持ちが落ち着いたら、新しいお店のドアを叩いて道場破り…ではなく「新しい洋食のお店」をチェックしに行って来ようと思います。

ハンバーグ熱の強いお話となりました。もう、口がハンバーグの口になってしまったので明日は家で煮込みハンバーグでも作るしかないと思っております。例の如く、インスタ映えはしません。ガッと作ってバッと煮てお皿にドカンとのせるだけです。雑でも美味しければ問題ナッシングです。

皆様もお好きな美味しいものを一杯食べて、日々元気にお過ごし下さいますように。

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2022年02月06日

変わらず聞いてるK-POP

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BTSが好きだと言いつつ、デビュー当時から応援していると今の人気が驚く程で最近は人気がとても凄くファンもワールドワイドになりました。最近はBTSを聞かず、男性アイドルだけでなく女性のK-POPアイドルもよく聞いています。ここ20年くらいはK-POPも良く聞いてきました。まぁ、洋楽もアニメソングも演歌でもオペラでも何でも聞いているんですけどね。だって色んな音楽があるんだもの、聞かないと勿体ないです。

IZ*ONEはあまり聞かなかったのですが、デビューしたIVE(アイヴ)の「ELEVEN イレブン」という曲は聞いています。IZ*ONEのメンバー2人に最年少アイドル14歳の可愛い子もいて、日本人メンバーもいるんです。日本人のレイちゃんはラップも上手で本当に可愛い。何十回も聞いていますが韓国語なので歌詞はちっとも覚えられず(笑)

そしてまたしてもデビューしたてのKep1er(ケプラー)の「WA DA DA ワダダ」も聞いています。ヒカルちゃんとマシロちゃんという可愛い日本人メンバーが2名いてパワフルでフレッシュなガールズグループ。ただし9名いるので日本人メンバーと2人くらいしかまだ顔は覚えられていません、だって私はおばちゃんなんだもの(笑)。9人もいるとなかなか覚えられないのです。歌詞も覚えらえませんが曲調が好きでもう何十回も聞いています。

若い子は見ているだけで良いですよね、なんだかこっちまで明るい気分になります。自分が14歳や15歳の頃って現代っ子と比べると何もかも全く違います。共通点は若さ以外無い気もしますが(笑)田舎で育った私ですが友人と中学生時代に美少女コンテストに写真をふざけて送った事があります。1次審査に合格し友人は落ちてしまいました。連絡が来て東京で本審査があるという詳しい手紙が来ましたが私自身も行く気も無く母も「騙されてお金を取られるのよ。こういう新手の詐欺よ、詐欺」と言っていましたが、後になってそこそこ有名な芸能事務所だった事を知りました。どうせ受かってなかったでしょうから東京まで行く旅費が勿体ないので受けずに正解でしたね。

20代後半に誰も見ない朝5時くらいの九州の番組にアシスタントとして出る気はないかとテレビ局内で声を掛けられましたが、速攻で「出る気はありません」と断った事もあります。いくらでも美人な人がいるしタレントさんもいるのにと思いテレビ局の中でしたが「これも詐欺か?」と断りました。詐欺だったかどうか今も分かりません(笑)

芸能界は華やかですが闇が深い印象を受けます。中学生の時は3歳下の親戚の子が「アイドルになる!」と言っていたので「本気なら姉ちゃんがマネージャーになってあげる!」と言っていましたが、その子が高校生になると「現実を知った。私はアイドルになれない」と言い出したので私もマネージャーを残念ですが諦める事にしました(笑)そんな親戚の子も今では2人子のママでございます。時の流れってあっという間です。

私にとっての永遠のスターはジャッキー・チェンですが、その反動で今こんなにK-POPアイドルを聞いているのかしら?と思ったりします。ジャッキーの映画や少林寺のリー・リンチェイ改めジェット・リーが好きな子供時代でしたから、可愛いアイドルより少林寺拳法が格好良いと本気で思っていました。厄介な子です(笑)

こちらがIVEの曲。ご興味のある方は是非。
https://www.youtube.com/watch?v=yhPP3QBjCzw

こちらがKep1erの曲。宜しければ是非。日本語訳なしです。
https://www.youtube.com/watch?v=n0j5NPptyM0

若い子の曲はおばちゃんはついて行けないですが、覚えて歌う訳ではないのでとても楽しく聞き流しています。K-POPを聞いたりよしもと新喜劇や漫才をYOUTUBEで聞きながら(お笑い大好き)作業をしたりしています。本当に便利な世の中で私が14歳の頃にこんなに文明が発達していたら良かったのにと思わずにいられません。勿論、情報が溢れている中での本当に大切な情報は見つけ出せなかったり危険が多い事もあって良い事ばかりでは無いですが。それでも便利な事が多いです。

たまに伯母に伯母が昔聞いていた「田端義夫の大利根月夜」や「春日八郎 お富さん」をiPhoneで聞かせると、一緒に歌ったりするので喜んで貰えて私も嬉しかったり。便利な事に感謝しています。

皆様はどんな曲を聞いていらっしゃいますか?魂に響く音楽は「グレゴリオ聖歌隊」の歌声のようですが荘厳過ぎて少し怖かったりもします。ですが心や体以外で魂が疲れていると感じる人には効果があるかもしれません。自分の好きな音楽を聴いて楽しむのもストレス解消になります。ストレスを溜めないように音楽で癒されたり、お好きな方はカラオケでもリフレッシュされて下さいね。

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2022年02月04日

火傷にご注意!

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1月30日に父方の伯母のとこへ行き退院後の様子を見がてらオカメインコの福ちゃんを連れて行きました。電話で聞くと2日程は大人しかった福ちゃんも放鳥された今、以前のように凶暴で元気な福ちゃんに戻ったそうです。隙あれば激しく噛むそうですが、度が過ぎて伯母にまた叩かれない事を祈ります(汗)噛まれたら確かに血がしばらく止まらないくらい痛くて傷が残る強さの噛み方ですから。福ちゃん元気なようで安心しました。

こちらの伯母は介護認定が要介護1から要介護2になりデイサービスを週に3回利用できるようになったと喜んでいます。足が悪いのでデイサービスで入浴するのが安全だし楽しみだと言っています。食事も美味しく病院とは大違いだと(笑)それはそうです。病院の食事は楽しむ為の食事ではありませんから。
足は悪いけれど口は達者なのでここ3日間は毎日電話を夜にかけてきます。

火傷の危険性は伯母をモデルとして何度もこのブログで書かせて頂いております。今回の入院は火傷で退院した当日の夜に転倒して尻もちを付き、恥骨や周辺を強打した事で歩けなくなり入院しました。普段から歩行に問題のある、膝から下が大きく湾曲した変形性膝関節症の伯母が1ヵ月火傷の治療で寝たきりだと当たり前ですが歩けません。火傷は治ったけれど、歩けなくはなってしまったのが転倒の原因です。しかし今回の入院では痛みが取れてくるまで歩けませんでしたが退院前に歩行器で歩行練習を少し出来たので退院後、室内を歩行器を利用してこの1週間生活出来ているようです。

電話がかかってくる度に「調子はどう?」と聞いていますが何とか生活しているようですし、福ちゃんに頬や指を噛まれて傷になっていると言っていました。そうでしょうとも!私も30日に噛まれた所がしっかり跡が残りまだ痛いんですから(笑)

伯母の所に母と一緒に巻き寿司と和菓子を持って行ったのですが、火傷の痕を見せて貰いました。色は赤紫色ですがケロイド状でボコボコした感じでは無く、皮膚を削げ落とすように布でガリガリしての激痛の治療でしたがそのせいか皮膚の色は別として奇麗な状態でした。案の定、ビビリの母は傷跡が苦手です。伯母が包帯を外して足を見せてくれた時に「フヒッ!」と声なのか音なのか分からない母の第一声でした。車の中で「怖かった」と言っていたので「色は別として奇麗な状態になってたじゃん」と私が言うと「色が…痛々しい色やったよ」と。確かにそうです。暗い赤紫色でしたから。

傷痕の写真を撮ってブログに上げて「火傷にご注意」としても良かったのですが、赤紫色の皮膚の色なので衝撃が強すぎるかなと止めました。でも、それくらい酷い事になるよと伝えたいのです。伯母はとても腕の良い先生に出会えました。その先生は伯母を診る1ヵ月前に病院へ来られたばかりだったそうで、伯母が患者第一号だったそうです。独特でとても痛い治療法ですが伯母に効果がありました。ただ、火傷の状態が酷かったので90%は皮膚移植を考えていたとの事だったので今回こうやって奇麗に治ったのはラッキーだったとしか言いようがありません。

火傷がこんなにも激しい痛みで眠れない、生きた心地がしないとは知らなかったと伯母は言っています。火傷にどうぞご注意下さいますようにお願い致します。

今日の画像は制作したキーケースの写真です。伯母にデイサービスから帰って来て歩行器だしカバンに取り付けて家の鍵を開ける際にリールが伸びて便利に使えるよと渡しました。伯母に渡したのは雑貨屋さんで良く見るウサギの「ル シュクル」の濃いピンク色の生地で作った物を伯母自身が選んだので画像には載っていません。母には小花の青いキャンバス地のタイプを渡しました。私は一番右のグレーの牛柄を使っているのでロージー・オニールのキューピーちゃん柄は手元にあります。

5つ作りましたがこれらのキーケース、布地をしっかりさせようと接着芯を3枚貼っているのでミシンで縫う際に針が折れそうで大変で、布をひっくり返すのに分厚過ぎて角が出にくかったです(汗)お陰で少し大きめ・分厚いサイズ感。カバンに付けたらリールが伸びて片手で家の鍵を開けられます。金具を気にしないならリールキーだけ取り外し小さめのネットに入れれば布製なので洗えます。次は車用にこのサイズより少し小さめでキーポーチにして車のキー(キーレスエントリー)用にケースを作ろうかと思っています。気が向いたらですが(笑)

父方の伯母の火傷をした足が落ち着いたので、私自身も安心しました。火傷をしたのは11月でしたね。1月27日に受診し病院では3ヶ月分の薬(ワセリン等)を渡されたようで毎日塗っておけば良いとの事。
火傷にご注意下さいと皆様にお伝えしつつ、私も気を付けたいと思います。

寒い日々ですが火傷だけでなく風邪にもご注意下さいね。

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2022年02月03日

母から聞いた昔ばなし

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毎日毎日、伯母の家へ2度食事を届け掃除洗濯、そして週に2回入浴介助をしています。
1ヵ月経ちましたがまだこのペースに慣れていません。去年の年末から伯母は酷く認知症が進んでしまいましたが、それまでは1日に1回昼食、夕食、次の日の朝のパンを1度に届けていました。1日に1回訪れるのは安否確認の意味もありましたし母と7年続けてきました。

伯母が70代前半の時は頼まれた物を買ってきたり、伯母自身がJRに乗って病院へ行き帰りに買い物をして帰ってきていました。月に2回私が美味しい物を買って伯母の家で一緒に食べたり。80歳までは畑を、82歳くらいまでは庭の草むしりもしていたのですが85〜86歳くらいから認知症状がで始めました。
年末から認知症状も急に進み、1人で入浴も出来なくなったので母と2人でこの1ヵ月何とか頑張ってきました。

「介護は先が見えない」という不安は介護をされている方達にあるのかもしれません。介護する側が高齢の場合も多くあります。老々介護で共倒れになる場合もあるからこそ1人では出来ないのだと痛感しています。母と私の2人でやっているから出来ている部分もありますし、介護認定が下りたらまた介護の仕方も変わってくると思って前向きに頑張っています。介護で疲れている方がいらっしゃったら、絶対に1人で介護をしないで頼れる人、頼れる事業所に必ずヘルプを出して欲しいと思います。家族に頼れないなら他人を頼って良いんです。私自身も伯母の認定が下りたらデイサービス(認定によってはデイケア)を利用する予定です。無理をしない事が続けられるコツなのかなと思うのです。

伯母が12月26日に急に表情も変わり言葉も発せず、声掛けにも反応せずボーっとして素肌にセーターを着ている姿を見た時は衝撃を受けました。どうしちゃったのと。伯母は88歳の時に介護認定を受けたのですが認定が下りませんでした。それで私が12月の20日頃に母に「また介護認定を申請した方が良いかもね。高齢だし入院する場合にも必要かもしれないし」と話していたんです。それが数日経って伯母の認知症が進み結果的に介護認定の申請をする事になったので昨日母とあの時の話をしていると「あんたはいつも虫の知らせが前もって来るね」と言われました。

確かに虫の知らせは前もってですが、その時は気が付かないものです。つまり先に知っていても役には立っていないという事ですね(笑)年末はお正月の準備もあり今年はコ〇ナの影響もあり県外からは親戚が来なかったのでお正月は12人の来客で済みましたが、お正月どころか伯母の事で頭が一杯でした。でも人は慣れる生き物。あれから1ヵ月経ったので伯母への対応は慣れてきました。ただ伯母の事だけしていれば良い訳ではないので自分の生活と伯母の生活の両立にはまだ慣れずにいます。

母とお茶をしながら母の昔話を聞かせて貰いました。母が結婚したての時は色々と苦労が多かった事は以前から聞いていました。神戸では祖母に父の妹と一緒に住み、当時一緒に働いていたおじさん達の食事の用意もしていました。幼い子(私や兄)を抱えて若い母は苦労の連続でした。いつもより20円ネギが高いと祖母に嫌味を言われお店にネギを返しに行かされそうになった母。お店も遠く電車で子を抱えて行かなければならず、また行くのも大変で母は祖母に頭にきて20円払ったそうです。そんな感じで精神的にも肉体的にも倒れてしまう時、尼崎に住んでいた伯母は必ず母を訪れたそうです。

「調子が悪いんやろ?無理しよるんやろ?」と伯母が来てくれて「姉ちゃん、何で分かったん?」と母が聞くと「夢で見た」と毎回言うそうです。それを私に「本当に不思議やったよ。いつも調子が悪くて寝込むと来てくれてたから。こっちからは電話もしないのに必ず寝込むと来てくれるんよ」と。

何度かブログにも書いていますが、母方の伯母は予知夢を見る人です。そしてその予知夢はいつだって100%です。私の兄が小児科で誤診されて病院をたらい回しにされ最後に大学病院へ連れて行った時に「もっと早く来れたら助けられたのに。手遅れだ」と医師に言われました。泣きながら母がお葬式の夢を見たと伯母に電話し、もう助からないと先生に言われた話をすると伯母は「その夢の詳細を聞かせて」と言い詳しく説明すると「本当にその夢なんやね?なら安心しい。良かった。助かるわ」と。医者も見放したのに伯母は「助かる」と言いました。実際に助かったからこそ今も兄は私と顔を合わせれば毎度元気にケンカをしています。

不思議と夢に関する事、夢を見る事で色々な情報を得られていた伯母。82歳くらいまでは予知夢を見ていました。難しい予知夢では無く「自分がまだ生きる」という夢です。その夢の話は高く険しい山の上にお寺があり、亡くなった旦那さんである伯父がそのお寺の中に入って行くけれど伯母は入り口で待たされる夢です。いつまで待っても伯父は戻って来ない。日が暮れてきても戻って来ない。そして扉も開かない。このままでは暗くなると山を下りれないから1人で山を下りるという夢です。つまり、自分はお寺に用が無いという事。亡くなった伯父はお寺から戻って来ないという事で、自分はお寺に入れない。自分はまだ寿命があり生きるんだという夢です。

祖母が亡くなる時も旦那さんが亡くなる時も夢で知らされます。困った時の打開策も夢で知らされるらしいのです。私が幼い頃に火事のお話をブログでちょこちょこ書かせて頂きました。その少し前に伯母は母に「火災保険に入らなよ、絶対よ」と連絡をしてきています。火災保険は神戸の時にアパート暮らしだったので入っていませんでした。ですが伯母に言われて保険に入り、実際に火事になりました。保険があって助かったと母は伯母に言われて入って良かったと言っています。

何より不思議なのはそんな力を自分自身で「気持ちが悪い」と伯母がいつも言っていた事です。良い事だと思うのに、嫌な事でも当たり過ぎるから「気持ち悪い」と伯母は言い、占い師やお祓いとかと関わらない仕事ばかりしてきました。伯母の弟達は(母の兄)皆早く亡くなっています。その分の寿命を苦労した伯母が受け継いで長生き出来ているのかもしれません。92歳。夢は見ているのかもしれませんが覚えてはいられません。予知夢は見なくなり、今までの記憶も薄れてしまいましたが大好きな伯母です。

認知症はあれど私が「今日はずっと寒いよ、風邪引かないようにね」と言えば「そっちこそ風邪引かんようにせな」と心配して言ってくれます。昔の伯母ではないけれど、昔の伯母に会いたいけれど、今の伯母も子供のようで可愛いです。

ここ数日、朝晩が本当に異常に冷え込んでいます。3月まではまだ寒さも続きますから皆様もどうぞお気を付け下さいますように。

ちなみに背中側、下に紫色の薄毛布を1枚敷くだけで先日より温かさがグッと上がりました。あんなに薄いのに効果ありですね。十分暖かくはあるのですがこのサンルームの部屋は外と同じ気温になります(遠い目)
鼻が凍りそうな室温です。空気が冷たいと呼吸が喘鳴とまでいきませんが音がしたので、今日は薄いブランケットのようなリラックマのペラペラ薄毛布を掛け布団と一緒に被って暖かさを検証してみようと思います。薄毛布2枚で重くなく上から下から体が温まるなら試して損なしです。

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2022年02月01日

もう2月

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本日より2月ですね。師走のバタバタから年明けであっと言う間に1月が過ぎてしまいました。寒くて朝晩はまだまだ辛い日々が続きますね。


昨日、31日は今までに無く夜間が超底冷えしまして一睡も出来ませんでした。今は「童話シリーズのカエルの王子様」を制作しています。これをブローチと帯留めに加工予定なのですが、それぞれのパーツを制作するのにも数時間かかっており制作時間を分けて数日作っています。作りながら夜中の1時を過ぎたので、朝も伯母の所へ行き病院の送迎の方が来てくれるので着替えさせて送り出さないといけないと布団に入りました。すると体がガタガタ震えて底冷えにビックリしました。何なの?この寒さは…。

眠れずに布団の中で起きていると寒さを一層感じトイレに15分おきに行く始末。6回目を行った後に「このままじゃトイレ地獄だわ」と、靴下を履きフリースの上着を着て布団へ。足も冷たくて冷たくて堪りません。私は更年期障害で普段は手足が熱くて仕方ないのに昨日の晩に限ってそれが発動しない。こんな時に発動せず使えない更年期障害よ(遠い目)
普段は熱くて眠れないのに、一向に温まらずで温まってくるまでに2時間以上かかりました。

以前はベッドだったのでベッドは底冷えは感じないのだと思いますが、ワンコが目が覚めると私の布団に入って来るのでベッドでは眠らなくなりました。もっぱら布団です。ですがあまりの寒さに体がビックリしてしまいました。古い家で私の部屋はサンルームです。このサンルーム、夏は激しく暑くて冬は外の気温がダイレクト。つまり夏暑く、冬寒いという最低な部屋なんですね、外気が直接なので昨晩は鼻が凍りそうでした。

ネットを見たのですが、上に毛布や布団を何枚も被るより背中側、つまり下をしっかり厚めに毛布などを敷く方が体はポカポカになるそうです。今まで上に被る羽毛布団はあったかカバーだったので薄めの毛布分は暖かさもあり快適でしたが昨晩のような寒さでは風邪をひきかねません。先日久々に少し咳が出ましたが喘息の発作も落ち着いているので、この状態を保つ為に今日からもう一枚薄めの毛布を下に敷き横になる事にします。2月に入る直前に急に寒さが増しました。ただ夜間と明け方の酷い寒さに比べて日中は日差しも強く暖かかったです。朝晩が寒いと日中は暖かくなる事が多いですね。

12月も1月も雪が降らず例年は1月には雪が積もっていたのですが今年はそれも無く2月に入りました。毎年3月までは寒い日々ですから、まだ気は抜けません。皆様の地域もまだまだ寒さが厳しいかと思います。くれぐれも風邪を引かれませんようにご注意下さいね。

退院した父方の伯母から夕食後に電話がありました。伯母のデイサービスでの知り合いが白い帯で手提げバッグを縫って欲しいと姪の私に伝えてとの件を言われました。今は母方の伯母の世話と、母の知人からのマスクとバッグ制作、自分が作りたいminneでの作品作りで手一杯なので「無理だと思う」と正直に言うと、伯母も「それなら、そう伝えておこう」と言う事になりました。その後は聞いた話ですが入院中の事、食事の悪かった事、病院内ではバスタオルとタオル、靴下に病院着、布団などが誰もが全てレンタルをしないといけずレンタル代が月に1万円を超える事を改めて聞きました。なんと!2時間です。娘や息子には遠慮してしまうのか「何度も聞いた」と言われてしまうのか分かりませんが(笑)私が全て聞くので「長くなってごめんね」と言っていましたけど。私自身も伯母から何度も聞いた話ですけどね(笑)

オカメインコの福ちゃんの様子も聞きました。放鳥していてデイサービスに行くのに鳥籠に入れたら、デイサービスから戻って来ても自分から籠を出て来ないで大人しいそうです。餌は食べているし、大人しくても元気なら安心です。

父方の伯母がデイサービスに行く時用に杖や歩行器を使用するのでこの4年間くらいでサコッシュを3個、去年の10月にワイヤーショルダーバッグをあげたので、それをデイサービスで見たせいか「帯で手提げバッグを作って欲しい」と話が出たようです。
今世話をしている母方の伯母がデイサービスに行くようになったらサコッシュとショルダーバッグも作って、レジンで名前プレートの様なキーホルダーを作りバッグに付けてあげようと思っています、紛失防止に名前が必要かな?と思いますので。伯母自身が自分のバッグだと分からなくても名前があれば周りの人にも分かって貰えるし、周りの人から言われれば自分のだと思ってくれるのではないかと思うので名前は必要ですよね。

介護認定が下りるまでに1ヵ月近くあるので、その間にと介護用の靴も準備しました。名前もアイロンシートに書いて靴の後ろに貼っています。少しずつ色々と準備しています。名前キーホルダーはバッグ用、鍵用と2つは必要ですが、念の為に合計で3個作っておこうかと。母とも話して必要な物の準備はしておく予定です。
伯母は手に持つバッグしか今まで使用してきませんでした。サコッシュやショルダーバッグは肩掛けなので気に入って貰えるかは微妙なとこなのですが準備しておこうと。ショルダーバッグは巾着バッグの方が良いかな?と考えながら横になるので、寒さも相まって一睡も出来なかったのかもしれません(笑)
出来たらブログにて写真をアップさせて頂きますね。可愛過ぎない生地…あったかな?

エアコンと電気カーペットを駆使していますが、手が冷たくなってきました。やっぱり今夜もかなり寒くなりそうです。早速、薄い毛布を敷いたので寒さに対応出来るか試してみます。ちょっと楽しみですが、寒かったら更に上から薄毛布も被ります。

皆様も寒さ対策、しっかりなさって下さいね。冷えは大敵です。

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2022年01月31日

やりたい事だけやっていたい!

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伯母の事で毎日が慌ただしくまだペースをつかめていないのでバタバタしています。
今日は母の友人にレースのマスクを先週は11枚、今日は10枚注文分を渡せました。そしてminneでアップ予定だったブローチも2個購入して頂きました。写真を撮っていないので販売の前の段階です。
アイスクリームとミニ宝箱のブローチです。これも帯留めとかに加工して今後作っていこうと思っています。

何かを作る際はそこに集中出来るのが、夢中で作れるのが楽しく感じます。料理にしても手芸にしても作っている間は余計な事は考えない。ただし、マスクを作る際は余計な事ばかり考えています。こんなマスクをしないで普通にいられる社会が良い!と考えつつマスクを作るので時間がかかって時間がかかって仕方ありません(笑)ただでさえアイロンをかけつつ縫うので時間がかかるのに。

母の友人はマスクを取りに来られてついでにお茶をして帰られました。母より年上の方ですが元気です(笑)元気のコツは見ていると「好きな事をする」からかもしれないなと思いました。言いかえるなら「好きな事しかしない」のかも。だからあんなに元気で楽しくいられるんですね。年相応に病気はあっても楽しく生活する事は大切だという事なんですよね。

何も考えず、1日ミシンだけ触っていたい!という欲求に駆られる日があります。そんな事は現時点で無理ですが(笑)楽しみは後で取っておこうと日々出来る事をしています。ちなみに「今日は1日ずっと料理がしたい!」なんてそんな日はありません。日頃料理はしているので料理をしたいはありませんが、お菓子を作りたいというのはあります。クッキーは見かけも可愛く美味しいですがここ数年作っていません。6年前は雑穀クッキーを作っていましたが、脱酸素材を入れてもすぐに湿気てクッキーは多めに作ると美味しい状態を維持出来ないなと思い作らなくなりました。

18歳くらいからよくケーキを作っていたのは、母がコーヒー派でご飯よりもパンやケーキの方が好きだからでした。私自身は35歳まではコーヒーは飲めませんでした。苦くて(笑)紅茶派なのは変わりませんが今ではコーヒーも大好きになり、時間が取れる時は母とコーヒーをよく飲んでいます。初めて手作りのお菓子を作る際、クッキーなどバターと砂糖の使う量にビックリしますよね。砂糖は減らし過ぎるとケーキが膨らまない等ありますから減らす量も気を付けないといけません。どちらにしても温かいコーヒーや紅茶など今は本当に美味しい時期なので皆様もリラックスしてお茶の時間を作られて下さいね。お菓子も共に。

ここ2日間は睡眠時間を削り、ブローチを作っていました。minneさんで「童話シリーズ カエルの王子様」のブローチを以前に2点制作しました。2点とも完売してしまいましたがお気に入りに入れて下さっている方もいらっしゃったので今回はしっかり時間をかけて丁寧に材料をかけて制作してみました。2日で数個しか出来ていませんが恥ずかしい程に時間が凄くかかってしまい人に言えないくらいです。これも全部、老眼のせいです(笑)見えやしないんだもの(笑)全く同じではなく微妙に変えて作っています。写真を撮って来月頭までにアップ予定ですので気になって頂けた方はチェックされてみて下さいませ。

気が付けば1月も終わりですね。先日、塩土をオカメインコの福ちゃんが使わないと書きましたが時折つついています。福ちゃん自身がどう使うかなかなか分からないようですが(笑)
福ちゃんとの生活も3ヶ月くらいになりましたが、26日に火傷後に転倒した伯母が退院しました。父方の伯母です。なので顔見がてら福ちゃんをお返しに今日行って来ました。やっと福ちゃんも籠から出して放鳥して貰えるので伯母の家で自由に過ごして貰いたいと思っています。3ヶ月育てましたが相変わらず凶暴で噛みつこうとはしますが私の顔を見に出てきてくれたりと可愛いとこもありました。

伯母は結局、入院はもうせず2月は普通の暮らしに戻せるように家の中でも小さめの歩行器で歩いていました。3月は胃の静脈瘤の手術があるのでまたすぐ福ちゃんを預かる事になりそうです。うちのワンコは福ちゃんがいないと探していましたので「もう帰ったよ」と伝えました。寂しいようです。

巻き寿司と和菓子を持って伯母のとこに行きましたが「ゆっくり遊んでいけば良いのに」と言われたものの、母方の伯母の散髪と染髪をしてあげないといけず、その後に入浴介助もしないといけないので早々に帰って来ました。約束していた手作りのキーケースも渡し、籠から出ない福ちゃんを捕まえようとしたらガブリと噛まれ出血(笑)親指の人差し指の間の谷の部分を噛まれ穴が開きました。痛い!(笑)まだ今もチクチクします。凶暴なのは相変わらずですがその後は伯母の肩に止まってリラックスしていました。

一旦帰り今度は母の姉である伯母の元へ。相変わらず下手な散髪ですが伯母は腰が痛いと美容室でじっと座っていられないのでもう5年程前から私が適当に切っています。適当ですから不揃いですが奇麗に髪も染めてあげるとそれなりに見えるから不思議です(笑)散髪、染髪、入浴介助で3時間くらいかかりました。私がそれらをしている間に母は掃除や洗濯をした服を衣装ケースに入れたりポータブルトイレやトイレ掃除、部屋の掃除に布団にコロコロ(粘着カーペットクリーナー)で掃除をしてくれます。

その後に夕食を食べさせないとと思っていると、伯母の目が次第に変わってきました。「ご飯を食べて」と母が言うと、伯母は「何でも良いよ。真っ黒」と意味不明な事を言って急にアハハと笑っていました。自分でも分からなかったんだと思います。入浴後に着替えの介助をし髪を乾かしながらヤクルトを飲んで貰い、手の爪切りをしました。老眼なので爪を切り過ぎないように慎重に(笑)入浴後にソファに座っていたのですが目がおかしくなってきたので、介助しつつそのままソファで食べて貰いました。

家に帰りそれから私も夕食となるので忙しい1日でした。今日は簡単にイカのフライとベーコンとブロッコリーの炒め物、石焼ビビンバにしました。ナムルはもやしとほうれん草、お肉を甘辛く味付けしキムチと温泉卵も入れました。疲れても食欲はメガトン級。自分の食欲が恐ろしいです(笑)

伯母の散髪は2ヶ月に1回くらいのペースなので次は3月末か4月の初めまでしなくて良いのですが92歳でも髪はフサフサありますし伸びるのも早いですね。髪がしっかりあるだけでも羨ましい(遠い目)
週の内で水曜日と日曜日は入浴日なので忙しいですが、伯母の髪も奇麗に染まっていたし良かったです。

もう2月になりますが、まだまだ寒い日は続きます。皆様どうぞ体調に注意しお過ごし下さいね。

本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。


2022年01月30日

最近は鍋ばかり

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朝は寒いですが今日もとても暖かい日で洗濯日和でした。1月25日に市役所から人が来られて、その方は女性だったのですがその方とケースワーカーの年配の男性とで2人が来られて、朝10時に伯母の家にて介護認定の申請をしたので審査の為に来られていました。

私と母はその前に伯母の所へ行き、部屋の掃除をしてポータブルトイレを片付けトイレ掃除をしたり別の部屋には暖房が無いので伯母抜きで話す際に寒いといけないので、伯母が入浴の際にいつも持参する持ち運びできる小型のヒーターを2つ使って部屋を暖めたりと準備をしていました。

最初は伯母と話すのですが、伯母も知らない人の前だと張り切って歩いたりして元気アピールをしていました。色々質問をされている中で、きちんと受け答えが出来ている時もあればそうでない時もありましたが私も母も黙って見守っていました。
以下は伯母と市役所の担当の女性とのやり取りです。

女性「今は何月で季節は何ですか?」
伯母「1月で…冬でしょう?」
女性「お風呂は入られていますか?」
伯母「毎日、自分で入っています」
母「いや、違うでしょ。嘘ばっかり」
私「ブフッ!(ちょ、お母さん、本人が答えないといけないから黙ってないとね)←小声」

といった感じで、母が速攻でツッコミを伯母が話す度に何度も入れるので思わず笑ってしまいました。現在は週に2回、病院に行く前の日に入浴介助しています。日曜日と水曜日ですね。月曜日と木曜日が通院日ですので。ですが伯母の中では毎日1人で入っているという事です。記憶が無いのだから仕方ありません。母がつっこむ度にケースワーカーさんと市役所の女性が苦笑いでした(遠い目)

その後も「食欲は無い」「便は毎日出ない」など現実は違う事を答えていましたが、数字が見えて読めて、手も上まで上がりしっかり動いていると言われたので伯母もいつも以上に手を伸ばしたり、歩いてみてと言われた際もしっかり歩けている様子でした。良い恰好を見せたかったのかもしれません(笑)

前もって「伯母の前で伯母が認知症である」という事は言わないで下さいと言っていましたので、その点も気を付けて貰えていました。伯母自身が「物忘れはあるけどまだボケてないから」といつも言っているので伯母のプライドを守る為にその点には気を付けて頂こうと思っての事でした。その後、別の部屋で伯母以外の4人で話をしました。基本的に私が率先して話すと母と前もって取り決めていました。

「母も心筋梗塞を抱えており、常に体調は思わしく無い事、私自身が喘息で発作が出ると動けなくなってしまう事、そんな中で伯母の認知症は進むばかりで不安を感じたのでヘルプを出そうと思った事」をしっかり話をしました。
温度の感覚が分からず水風呂に近いぬるま湯で入浴をしてしまう事、掃除・洗濯・食事の用意は一切出来ず私達の手が必要な事、失禁も増えている事、1日に22時間は横になっている事を話しました。そして施設には現段階で預けるつもりは無い事を話しました。デイケアまたはデイサービスの利用を希望する事を話しました。
年末は素肌にセーターを着たりして着替えがままならなかった事も話しました。今は自分で着替えている日もあるけれど、よく見たらパンツだけ脱いでそのままズボンを穿いていたりします(笑)

女性は市役所から来られたので淡々と話されていましたが、ケースワーカーの男性は色々と聞いて下さり「頼れるものは頼っていきましょう」と言って貰えて嬉しかったのですが、認定が下りないとそれもままならないので後は待つばかりの状態です。

嫌がる伯母を宥めつつデイケアなどを利用出来たらと思っていますが、伯母が行かないと駄々を捏ねる可能性は100%なので(笑)ケースワーカーさんにも市役所の方にも私がほとんど聞かれる事に対して話をして、母は少しだけ話す形でしたが、姪っ子が伯母の事をほとんど理解しているのは珍しいと言われました。何でですか?なんで伯母さんの事をよく知っているのですか?とも言われたのですが、伊達に長年一緒に過ごして来た訳ではありません。アルバイトを始めた18歳から使えるお小遣いが増えて時間を見つけては美味しいパンやケーキ、ハンバーガーに海老のお寿司と色々買って持って行き一緒に食べて話をして楽しい時間を過ごし続けてきました。大好きな伯母ですから妹である母より私の方が伯母をよく知っています。母は私に任せる形でしたが、時折口を挟みつつ午前10時から40分程で話も終わり2人は帰られました。

その後、伯母の食事を持って行っていたのでレンチンして温かい食事を食べて貰い薬を飲ませました。
知らない人が来たせいで気持ちが張り詰めていたのか、しっかり体が動くアピールをしたせいか伯母は疲れた様子でしたので「もう、横になって良いよ。疲れたんでしょう?」と声掛けし休ませてから家に戻りました。

介護認定、どうなるか分かりませんが年齢も年齢ですから今度は下りてくれるのではと思います。1ヵ月くらいかかるのか分かりませんが、結果が出次第、頑張って伯母を説得しようと思います。認知症になる前から気難しい伯母なのですが、認知症後も気難しいです(笑)「嫌!そんなとこ行かない」と言うのが目に浮かびます(笑)

私としては予定していたケースワーカーさんと市役所の担当さんとの話す場を設けて一応終わったのでホッとしています。私がメインで話していましたが、話しながら母も横にいてくれて2人で伯母を支えているのだなと改めて思いました。ご自宅で身内の介護をしている世の中の方達に拍手を送りたいくらいです。大変な部分もありますが出来る事と出来ない事の線引きをしないといけません。無理をすれば破綻します。無理は続きません。

伯母は子供もいませんから妹である母しかいません。伯母が好きだし母の体も心配なので私も年末に母と一緒に支え続けると約束したからには有言実行します。
ですが…言う事を聞いてくれない時、介護福祉士の資格があっても「こんにゃろ〜!なんでぬるま湯に水をジャンジャン出すのよ〜!水を止めたら怒り出すのよ〜!風邪ひくっての!」とイラつく時もあります。でもキツイ言い方をすると私は家に帰ってずっと反省しまくるんです。「ああ〜、あんなイラつく事も無いのに。本人も温度が分からないから仕方無いのにな」と。それを母に話し、次の入浴では気持ちを切り替えてイラつかず対応すると本人も穏やかでいてくれる。関わり方次第なのだな〜と思います。

まぁ、基本的に私は怒鳴ったり怒ったりと伯母に意地悪する事はありません(笑)せいぜいがイラっとするくらいでそれも多くはありませんし長くは続きません。そんなキャラじゃないので(笑)伯母が変な事をしても「マジか。アハハ、やってらんね〜」と笑うくらいです。

そんな感じで忙しいせいにしたくありませんが、手っ取り早く出来る「鍋」を週に2回くらい作っています。例の「とろける湯豆腐」や「もつ鍋風(ホルモンではなく家にある鶏肉や豚肉使用)」や「キムチ鍋」や「寄せ鍋」など。出汁の味が違うけれど具材は同じだったり(笑)しっかり温まるし楽だし美味しいので鍋ばかりです。暖かくなるまでは鍋率は増えそうです。

ここ最近は団子汁にハマっています。美味しい団子汁用の粉が売っていて、家の近所では無く車で40分くらいの所に売っているのですが、母の友人の1人が買いに行く時に2袋一緒に注文しています。2つで1000円を払っていますが美味しいのでその価値はありますし1袋で2〜3回分はあります。粉っぽくなく、それでいてモチモチして歯応えがあり良い触感です。多めに作り伯母に持って行くと毎回「うわ〜、美味しい。久しぶりに食べた」と言います。お味噌汁として団子汁を伯母に持って行くので昼食、夕食でも2回とも持って行ったりしますが「久しぶりに食べた」と必ず言います(笑)

またしても長くなりましたが、こんな感じで日々鍋料理だったり豚汁だったり団子汁だったりで野菜はしっかり食べています。あと豆腐も。皆様もしっかり食べて元気にお過ごし下さいね。食べる事って大事だし楽しいですからしっかり食べて下さいませ、私のように。←食べ過ぎ注意報。

寒い日と寒くない日の寒暖差がありますが、朝晩は常に寒いので風邪をひかれませんようにご注意下さいね。

本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。



2022年01月29日

がま口大好き!

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先日、母が小銭入れを使っておりまして…それが何と!パンダちゃん(笑)小さめのポーチを小銭入れとして使っていました。70代の母がです(笑)可愛いですけど柔らかいらしく生地がしっかりしていないので使い易いかどうかイマイチ分からないと言っていました。そんな訳でがま口小銭入れでも作ってみようかと思い立ちました。

がま口でポーチなり小銭入れを作るのは1年半ぶりくらいです。私が持っているがま口の口金は大きめが多いので、今回ダイソーで口金(くちがね)を購入してきましたがそのがま口もワンサイズしか無く若干大きめ。それでも一応は型紙が付いていて自分で型紙取りをせずに済むし、母用に作ろうかと夜中にゴソゴソしていました。口金が大きいとそれだけ大きいサイズのがま口になってしまいます。

最初は少し花の刺繍でもしようかと思ったのですが、老眼が進んできてもう面倒なんで(笑)特に可愛らしく装飾する事は諦めて普通に作る事にしました。作りながらもやっぱり小銭入れにしては大きめだな〜と。そしてミシンの後にチクチク手縫いをしながらふと気が付きました。ボンドが無い!木工用ボンドも普通のボンドもありません。木工用ボンドをダイソーで買えば良かったのに家にあるものだと思い込んでいました。固まってしまい処分したのを忘れていました。ボンドが無いので仕上げられず一旦置いておきました。

そんな訳で今日は車で10分くらいの距離にあるホームセンターで木工用ボンドと、オカメインコの福ちゃんがエサ入れを噛んだりするので嘴(くちばし)が伸びているのでは?と「塩土」も一緒に購入してきました。せっかく塩土を購入しても、福ちゃんは使い慣れていないので使ってくれていません。伯母はどんな育て方をしていたのやら。

そしてがま口を制作しごく普通のがま口が出来ました。本来は口金に紙ヒモも挟むのですがキルト芯と接着芯が厚いせいで押し込んでも全く口金に入らず、紙ヒモは挟まないまま作りました。画像では分かりませんが実際にはパキッとした作りになっています。母に渡すと「ちょっと大き過ぎるね。大きいとバッグの中で邪魔かも」と言われてショックを受けております(遠い目)そもそも母のカバンが小さすぎるのよ。
大きいと分かっていたけど、作っちゃったんだもの。そして渋々小銭をがま口に入れ直す母。渋々って何よ。渋々はやめて。

中に仕切りというかポケットを作ろうか、表地にスナップボタンを付けたポケットを作ろうかとも思いましたが何も作らなくて正解です。丁寧に作っても大きさは変わらず、邪魔扱いされてはもっとショックを受けていたところです(笑)
がま口の表地はグレーの水玉キャンバス生地でキルト芯を貼り、内生地も同じベージュ系の水玉キャンバス地で接着芯を貼ってしっかりした作りにはしています。普段は内生地は薄めのシーチングが多いのですが、今回はしっかりさせたかったので内生地もキャンバス仕様です。がま口は水玉も可愛いですが、色々組み合わせてきましたが王道はやっぱり和柄かな〜。和柄はやっぱり可愛い気がします。北欧柄も花柄も可愛かったですが、動物模様(ゼブラ・ダルメシアン・牛柄・ヒョウ柄・バンビ柄)も以外と可愛いんですよ。

レジンばかり作っているとミシンで何か作ったりしたくなる。小さい物を作ると大きい物も作りたくなる。今回のがま口は小物ですからすぐ作ろうと思いましたが、手縫い部分もあるので思ったより時間がかかってしまいました。

個人的にがま口が大好きです。あの口金がしっかりした感じとフォルムが好きなんですよね。丸い形も好きですが四角い口金で四角い形のがま口だと化粧品も結構入ります。私も化粧下地やリップにアイシャドウなど色々入れて使っています。縦長に型紙を作ると容量も多めの化粧一式が入るくらいのがま口になります。持ち運びには小さめな方が便利なんですけどね。

今回はダイソーの口金で型紙付きでしたが形は昔ながらの形という感じでシンプルです。左が以前に作った口金と布を縫い付けるタイプで和柄は矢絣です。黒い玉が大きくて可愛いですが、縫い付けタイプは内布にも縫い目が見えて奇麗では無いのでダイソーの口金のように差し込みタイプの方が好きです。でも縫い付けタイプの方が可愛い口金が多いのです。なんでかなぁ?

グレーの水玉がま口はサイズ的に普通のリップだったら6本くらい入ります。もしくはリップとクッションファンデーションも余裕です。うん、小銭入れでは無いですね(笑)でも大きいと言っても手のひらサイズです。口金はダイソーで2個購入したのでもう1つ残っています。それは今度自分で型紙を作って違う形にしてみようかなと思っています。

画像では写真の撮り方のせいでそれ程サイズに違いが無いようですが、実際には左の矢絣のがま口の方が大きめです。こちらは小銭入れでも財布でも大きすぎるサイズなので、やっぱりポーチとして使う方が良いサイズ感です。

私が初めてがま口を自分で購入したのは18歳の頃。小さく四角い茶色のスエード生地の小銭入れでした。その頃からがま口が好きでした。フェリシモの冬にだけ販売するカタログの「サンタブック」に載っていて購入しました。フェリシモがサンタブックを出版しなくなってから随分経ちます。サンタブックはその名の通りクリスマス頃に商品が届く1回のみの予約販売です。毎年サンタブックを本屋さんで購入し、気に入った商品を自分へのクリスマスプレゼントにいくつか購入していました。
当時購入した雪の結晶のようなレースのピアス。少し付けて耳が金属アレルギーで被れてしまい使わないまま今も持っています(笑)フェリシモも18歳から28歳くらいまではよく購入しました。今は購入しなくなってしまいましたが「可愛いボタンの会」的な名前のボタン6個を毎月購入していました。服のボタンを変えたりして1人で楽しんでいました。勿論、今もボタンはいくつも残っていて大事にしています。何十年も前なので当然今では売られていません。

考えたら食器もフェリシモで購入したものが今も普通にテーブルに並びます。今では売られていないので貴重ですね。最近フェリシモのHPを見ると可愛いハムスターモチーフのティッシュケースやハンカチが売られていて欲しくなります。ハムスターにウサギに柴犬にシマエナガ。もう動物好きの私には震える程に魅力的。でも断捨離もせず散らかし放題の部屋ですから、片付けるまでは我慢しなくちゃと歯を食いしばって我慢します(笑)

今朝はとても寒く車のフロントガラスは凍っていませんでしたが、1日ゾクゾクと寒い日でした。まだまだ寒い日々ですが皆様も体のポカポカする食事や飲み物で冬を乗り切って下さいね。

本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。


2022年01月27日

剛毛に憧れる

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変なタイトルと思われた方もいらっしゃるかと思いますが、私自身は本気も本気です。ああ〜剛毛になりたい。剛毛だったら睫毛も眉毛もふさふさだったろうに。←10代から思い続けています。
特に睫毛はマスカラを塗れる量も無く下睫毛は生えていません。下睫毛にマスカラを塗っている人を羨ましく思っていました。無駄な努力も一杯しました。睫毛が伸びるというエッセンスを買いましたが…厄介肌です。目の周りが被れて、エッセンスが目に沁みて痛かった記憶が甦ります。それを繰り返し続けました。

睫毛は「つけま」がある!(付けないけど)眉毛は書けば良い!(面倒臭いけど)でも髪は?ウイッグは冬は良いけど夏は蒸れるし…そんな感じでシャンプーの度に髪を乾かす度に酷く抜ける抜け毛&薄毛に悩まされて早10年。ヘアーロスこの上ないんです。まぁ、遺伝と言ったらそれまでです。母も母方の祖母も髪が柔らかく細く薄毛でしたから。母はウイッグは使いません。ちなみに母の姉である世話をしている伯母はフサフサで92歳でもしっかり髪は残っています。伯母曰く馬のしっぽのように剛毛で普通の女性の2倍は髪が多かったらしいです(笑)羨まし過ぎる。

YOUTUBEでは海外の方達が様々な方法で抜け毛を防ぐ、髪を伸ばすといった方法をナチュラルな材料で紹介してくれています。そのいくつかを1ヵ月近く試すのですが、いつも挫折します。例えば玉ねぎやニンニクをすりおろした汁にオイルを混ぜたものを頭皮に付けてマッサージとかするんです。臭い、ベタベタする、それをすると出かけられないといった事は当然あるのですが何より問題は「被れる」という事。そうです、私は厄介肌。何にでもアレルギーを起こす厄介肌です。頭皮が痛いやら痒いやら湿疹が出来て断念せざるを得ません。一層毛が抜けます。

ハーブ、特にクローブは抜け毛にも効くようで海外のYOUTUBERも紹介していますがハーブは案外肌にきつかったりするんです。ナチュラルな感じがしますが意外と肌に合う合わないがあります。雑草のように強いのがハーブですから、効果も人によっては強すぎたりします。
過敏肌や敏感肌には厳しいですね。でも試してはみましたが合わず。結果続けられませんでした。

シャンプーも色々購入しました。オーガニックシャンプーにノンシリコンシャンプー、アロエシャンプーにバンブーシャンプー。色々試してみてもう諦めてノンシリコンでアミノ酸系シャンプーを使っていました。そして以前に使っていた「呂(りょ)」という韓国のシャンプーを初心に帰り使っています。呂はボトルの色で効果も値段も変わってきます。ですが市販されているシャンプーは実際には髪に良くない成分だらけです。なのでどこまで信じて使えば良いか分かりませんが、今は呂を使っています。香りは漢方チックで好みは分かれそうですが私は好きです。これは効きそう!という錯覚が起きる香りです(笑)あくまで錯覚なのですが。

薄毛で悩む暇なんて、本当は私に無い筈なのに!だって白髪でも悩んでいるんです。顔は毛細血管拡張症で赤くて細い血管が顔中に散っています。目の周りにはこれでもかと大量の稗粒腫、8年消えない吹き出物。シミ、シワ。大きめの肝斑。そして広がった毛穴。どうですか?薄毛で悩む暇が無いんです!他が一杯あり過ぎて(遠い目)なんてこった…なんてこったよ…。良い所が見つからない…それ以上にハゲチャビンなんて。

一番の悩みは断トツで髪です。人に聞くと「そんなの分からないよ」と遠慮がちに言ってくれます。ですが実際に兄から「おい、ここハゲてるぞ」と数年前に言われています。「おいおい、そこはツムジなのだよ」と答えたのですが(涙)私はツムジが2つあります。ツムジが2個ある人は変わり者が多いという話は今は置いておいて、頭部の右と左にあります。その左のツムジ周りが薄くなっており「ハゲている」と言われていたのですが、今は一層全体的に薄くなっています。赤ちゃんの頃からひな鳥のような頭でしたが、今もそうです。ああ、中学生時代に理科の先生の禿げ頭をこっそりクスクス笑っていた自分をぶん殴ってやりたい。人を笑える立場にあるのかと(遠い目)

劇的に抜け毛が落ち着く、薄毛が治るというのは無いのかもしれませんが本当に効果がある物はなかなかネットでは見つけられません。残念な事に売りたいばかりの業者が多くいて検索上位はそんな所ばかりですので見つけられないんですね。いつか効果のある物に巡り合いたいとふと思い出してはネットで検索をしているのですが…。

男性の薄毛と女性の薄毛は違いますし、男性ホルモンと女性ホルモンの違いもあるので男女兼用の育毛剤が多くありますがあまり効果は無いのでは?と思ってしまいます。薄毛でもヘナを使って白髪を染めると、髪がごわついて少し硬くなる感じがします。ヘナは黒髪は一層黒くなり全体的に髪が明るい色には決してなりませんが地肌を少しでも労わる為にヘナ染めをしています。本当は明るい色に染めたいけれど、抜け毛が気になるのでヘナで我慢です。何か薄毛に効果的なものがありましたら、こっそり教えて頂けたらと思います、切実に(笑)

今は洗髪は2日〜3日に1回にしています。なぜなら洗髪時の抜け毛と、ドライヤーで乾かす際の抜け毛が尋常じゃないからです。洗髪を増やせばその度に髪の抜け毛が一層増えるので洗髪の回数を減らしています。見る度に悲しくなります。そしてヘナで染めて洗髪する時は通常の倍の量が抜けます。見慣れている私でも毎回引く程に(汗)
ハゲチャビン街道まっしぐらの私ですが何とか足掻いております(笑)

1月も終わりに近づいてきましたが、寒さは厳しいですね。体調にはご注意下さいね。
本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。


2022年01月25日

モノクロ写真に過ぎた日々

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ご訪問頂き有難うございます。いつも感謝致します。

家から車で5〜6分の距離に住む伯母の世話をしに日に2〜3回くらい行っては食事や掃除、入浴介助に着替えと様々な世話をしていますが認知症でも「今日はあまり会話をしない」という日もあれば「自分からどんどん話す」日もあったりで記憶とつながったり、つながらなかったりと色々です。

そんな中で、伯母の整理用のタンスの引き出しから昔の写真が出てきました。
私の両親の結婚式の写真や、私が小さい頃の写真、両親が結婚する前のデートの写真など(笑)
結婚式の写真は亡くなった祖母や亡くなった親戚が写っていて母達には懐かしいようです。
両親の結婚式の写真は当時、神戸に住んでいて火事になって写真も残っていなかったので伯母に頂戴と言って持って帰って来ました。

私が幼かった頃に住んでいたアパートの話をブログに書かせて頂きました。私の誕生日である1月9日に母が微熱があり眠れずにいたら「チリチリ」という音がして雪でも降っているのかと思っていたら煙が出て、慌ててパジャマ姿のまま母は私を抱きカナリアの鳥籠を持って、父は兄を背負い、祖母や叔母達も着の身着のまま状態で起きて飛び出しました。入り組んだ場所だったので消防車は早く到着したにも関わらず入れずに消防活動がなかなか出来なかったそうです。

叔母曰く犯人はアパートの大家(管理人)だそうです。アパートをマンションに建て替えるのに住んでいる人を早々に立ち退かせる為に火事が起こる数日前から使う理由もない大量の灯油を購入していたそうです。消防車が早く到着したのも火をつけて早々に消防車を呼ぶ電話をしたようで、火が激しくなる前に連絡を貰っていたからのようです。まだ立ち退くまでに日があったのにと叔母は言っていました。消防隊の人が「男性から電話を貰っていた」と言っていたそうです。今では過ぎ去った事ですし真相は分かりません。叔母は大家だと言いますが、だとしたら一歩間違えばアパートにまだ残っていたいくつかの家族の誰かが亡くなっていたかもしれません。私の家族だったかもしれません。どちらにしてもパジャマ姿で命は助かったものの、それ以外は全て炎に包まれてしまいました。母が私が大きくなったら見せようと父から貰った全てのラブレターも燃えてしまいました。父のラブレター、読んでみたかったです(笑)

私自身は中学生や高校生の頃に伯母が思い出したように写真を見せてくれていたので感動はありませんが(笑)母は写真があったと喜んでいました。結婚式の集合写真はモノクロ写真で、父と母が映っている写真は一応カラー写真です。ですが当時のカラーの技術は今と違い色もかなり褪せています。カラーではあるけれど・・・・という感じでほんのり色を感じるくらいの写真です(笑)父も髪がフサフサ、母も肌がツヤツヤ奇麗で可愛いです。

モノクロ写真から長い時が経ってしまいました。そこには確かに父と母の青春があり、今世話をしている若い頃の伯母がいて、亡くなった祖母がいて、若くして亡くなった母の兄達がいて。もう会う事も出来ない人達が確かにいた記録が写真に残されています。

その他にも親戚の家の前で母におんぶされた幼い私とおじさんと手をつないだ兄の写真もありました。父の横顔の写真は大きな飴を頬張っている(笑)誰よ?こんな変な写真撮ったのは(笑)

私が中学生の頃の写真もありました。ネイビーカラーで襟がレース、小さな白い水玉柄のワンピース姿。光が眩しくて目を細め、顔を歪めている写真が何枚も。なんでこんな太陽光が直撃な方向で写真を撮ったのか?ただでさえ変な顔が、歪んだ顔のせいで写真を見る人まで吹き出しそうな出来の顔になっている…。黒歴史写真といっても過言では無い写真です。「わ〜ぉ!ぶっす〜」と私が捨て去りたい心境でいると、母は「若くて可愛いね」と言ったのには驚きました。どこをどう見て可愛いと?母親は娘が可愛く見えるスーパーミラクル・マジカルフィルターが掛かっているのかもしれませんね(苦笑)親の欲目は有難いやら怖いやら。

写真の中で着ていたワンピースは母が選んで買ってきてくれたワンピースだったので思い出が蘇りました。思えば中学1年生くらいまでは母が選んだワンピースをよく着ていました。水玉(ドット柄)は今も大好きなのですが、遊んで家に帰って来ると兄と母が買い物へ行き2人で私のワンピースを買ってきてくれた事もあります。色違いで2枚とか。綿のワンピースはネイビーで水玉が白、アイボリーのワンピースは水玉が黒のAラインのワンピースでした。当時もパンパンに太っていますからワンピースもピタピタでしたが(笑)懐かしいなぁ。

考えたら今の姿を残すなら写真や動画は有効ですよね。私自身はこんな姿なので(どんな姿)写真が好きではありません。写真や動画は嫌いですが、60代〜70代くらいになって見返したりするのにも今の姿は撮っておいて後で懐かしむのも良いなと今回は楽しそうに写真を見返す母を見て思いました。だって今写真を撮るのが嫌なのも、10年後、20年後はもっと嫌になるかもしれません。だったら今からでも撮っておかなければという気持ちになりました。

今は父も母も、特に母は写真を嫌がります。70代になるとそうなるんですよね、特に女性は肌は衰え顔が変わりますから。それでも撮っておきたいなと思います。そう言えば去年は父の写真を撮っていませんでした。母の写真は嫌がる横顔を撮ったりして兄にカカオトークで送ったり。兄も喜んでいました。

今年はそうですね〜、父の日と母の日。両親のそれぞれの誕生日。それくらいは写真を撮ってみようかな?私もこの年で、両親も高齢で。思い出って記憶です。記憶が消える事もあると伯母を見ていて思います。だから思い出を記憶だけでなく記録すれば後でも見返せます。

今日は朝がかなり寒くてたまらなかったんですが、日中は太陽が眩しく良い天気でした。日差しだけはまるで春のようです、空気は寒いけれど。「冬来りなば春遠からじ」というフレーズを思い出しました。受験生の方達は今大変な時期ですよね。頑張って頂きたいです、春遠からじですからね。

春になると伯母の家に木蓮の花が咲きます。紫色の上を向いた花。バオバブの木も上に上に向かって枝を広げますよね。木蓮は大好きな花です。伯母の家の木蓮は白ではなく濃い紫色です。毎年写真を撮っていますので、今日は木蓮の写真をアップしました。今年の木蓮の写真は春までお待ち下さい(笑)

寒い日々ですがお身体ご自愛下さい。本日もお読み頂き有難うございました。感謝致します。


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