2018年08月07日
失う価値より可能性という価値
居なくなってしまう人、失うかもしれないもの
無くなってしまいそうな物に価値を感じる。
それは昔から人の本質なのかもしれない、
失うと、分かった時
人はその人の事やその物への愛おしさが
何倍にも膨れ上がる。
けれど実際のところ、それに気が付く前から『毎日失う可能性』はあるのではないだろうか?
その人、その物というより、自分自身がどうなるかなんて一分先もわからない。
だからこそ、毎日に価値があるのではないか。
『絵描き』を例にしてみると、
高額の値打ちが付く有名な絵になるまでには時間がかかる。
骨董品や高値の壺のように、時間をかけた物の価値や
その人自身のブランドをかけた価値
芸術家や職人の『命』が価値に比例している。
死後、二度とその人の新しい作品が誕生する事は無いからこそ
1つ1つに価値がつけられている。
古い物はその歴史や、その『命と時間』という価値がついている。
けれど、現代はそうでも無くなってきているように思う。
例えば
新しいものや、これから伸びる可能性を秘めたものに価値がつくように
今生きている動きの中でこそ価値があるもの
絵で例えるなら、
ラッセンや、ゲーム等のアニメーション
CGのアイドル。
今現在生きながらでなければ生み出すことが出来ないARTであり、
その物や人が生きているからこそ作られていく
可能性や未来に価値がつけられている。
絵なら、絵が動き、会話し、歌い、踊る。
絵自体に命が入り
絵自体が生きている。
失う事の価値よりも、生きながら伸びる可能性の方が重要になってきているのだ。
そういった意味で
現代は、思う存分自分を出して良いのかもしれない。
生きている実感、自分自身の存在を
もっとアピールして良い。
大切なのは毎日の生きている時間であり
失うという価値に囚われる事なく
一緒に向上する人、これからの可能性を秘めたものが、これからはどんどん伸びていくように思う。
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