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2021年09月30日
護られなかった者たちへ
しかし今は内部告発や自爆テロじみたSNS、針小棒大の告げ口が常態化しているから、おちおち部下にも本音が言えなくなった。上席者は言質を取られないように口を噤み、とにかく羽目を外すまいとする。
人の命に軽重はないというのは生物学的な事実に過ぎず、社会的な知名度や肩書で捜査本部にかかる圧力はいくらでも変化する。
学歴は不文律のカースト制度だ。高卒や三流大卒では、高収入の道は険しくなる。下手をすれば正社員にもなれない。かくして低所得層の家庭に生まれ育った者は低所得層にしかなれない。これもカースト制度と同様だろう。いつからかこの国は、富裕層でなければ子供に満足な教育を施してやれない国になってしまったのだ。
カネを持っていることは現金を見せれば証明できるだろ。預金通帳を見せるのも一手だ。しかしカネのないことをどうやって証明する? 収入源がないことをどうやって証明する? どこかに秘密の口座を持っているかも知れない。表沙汰にできないバイトをしているかも知れない。そういうのは、あるのを証明するより難しいんだ」存在しないことを証明する。所謂悪魔の証明というヤツだ。なるほどそれは立証困難だと笘篠は合点する。
「あなた方の仕事は法を犯した者を捕まえるという単純明快なものだ。だがわたしたちは福祉と謳われる組織にいながら、福祉を必要としている者たちを弾かなければならない。そういう矛盾を抱えたまま従事する者の気持ちがあなた方に分かりますか」
「その会議で優秀だと評価されたのが北九州市です。ご存じかも知れませんが、翌二〇〇七年にはこの北九州市から『おにぎりを食べたい』と書き残して餓死した男性のケースが明らかになりました」 初耳だったので驚いた。つまり餓死者を出した自治体を厚労省が優秀だと評価したことになる。
この男も入所時には円山のように、申請者のことを第一に考える職員だったかも知れない。そんな人間でも長く組織の中に留まるうち、心と身体が組織の色に染まっていく。その方が居心地良くなるからだ。円山のような若者が五年後十年後に支倉のように変貌しないとは、誰にも言い切れないではないか。
利根は話の途中から呆れ、そして憤慨した。三雲の言説はどれも憶測と希望的観測で塗り固められたものだ。建設的な意見どころか、基礎さえ存在しない。
刑務所に入って痛感したのは、受刑者の中にはおよそ公的な資金で養うのが不条理と思える輩が少なくなかったことだ。彼らは凌辱した女の悲鳴と涙を反芻しては悦び、強奪したカネの総額を自慢し合い、人を刺した瞬間の快楽を吹聴する。刑の執行期間を終えて塀の外へ戻れば、間違いなく再犯するような輩たちだ。 一方、公的な保護がなければその日の生活にも事欠く者たちがいる。国の世話になる申し訳なさと自身への不甲斐なさから生活保護の申請を躊躇する。生活保護費の削減を命じられた公務員たちから非情な扱いを受けても、彼ら彼女らは泣き寝入りするしかない。 みすみす再犯するような囚人を養うのも、声の小さな貧者に出し渋るのも同じ税金だ。法律と歪んだ信条が護るに値しない者を護り、護らなければならない者を見て見ぬふりをしている。 何という不条理さかと利根は憤慨する。収入から税金を徴収されるのは国民の義務としてやむを得ないと思うが、それなら徴収した税金を真っ当な場所へ真っ当な金額を配分するのが国の義務であるはずだ。それとも生活困窮者は収監されている犯罪者よりも護られる順位が低いと信じているのだろうか。
『犯罪ってのは一種の経済活動だ。わざわざ危ない橋を渡るんだから、結果的に得をしなけりゃする意味がない。その点、復讐なんてのは下の下だ。手前ェの憂さは晴れるかも知れないが、そのためのリスクが大き過ぎるし、リターンも少ない。それこそ骨折り損のくたびれ儲けだ』
心に受けた傷は金銭や安定した生活で塞がるものではない。時間の経過で和らぐものではない。 けいが飢えて痩せ細り、紙のような状態で死んでしまっても、間接的に殺人を行った役所の連中は順調に出世し、城之内のように県議会議員にまでなった者さえいる。こんな理不尽がまかり通っていいはずもないが、それでも通ってしまうのが世の中だ。報われない者はどこまでいっても報われない。そういう理不尽に一矢報いたいというのも、復讐の動機になる。けいを殺したヤツらが悠々自適な老後を送るのだと考えると、虚空に向かって叫び出したい気持ちになる。
護られなかった人たちへ。どうか声を上げてください。恥を忍んでおらず、肉親に、近隣に、可能な環境であればネットに向かって辛さを吐き出してください。何もすることがなくて部屋に閉じ籠もっていると自分がこの世に一人ぼっちでいるような気になります。でも、それは間違いです。この世は思うよりも広く、あなたのことを気にかけてくれる人が必ず存在します。わたしも、そういう人たちに救われた一人だから断言できます。 あなたは決して一人ぼっちではありません。もう一度、いや何度でも勇気を持って声を上げてください。不埒な者が上げる声よりも、もっと大きく、もっと図太く』
【感想】
これだけ読み応えのある小説は久しぶりで、なんとも言えない読後感と余韻にしばらく包まれた。物語の中心テーマは『生活保護制度の抱える問題』。とにかく扱っているテーマは重い。生活保護の不正受給をヤクザが指南していること、生活保護を受けれず「おにぎり食べたい」と書き残し死亡した男性のことなど、この小説を読んで初めてこの国の抱える生活保護制度の現実を知った。終盤は思わぬどんでん返しの連続で、ページを追うごとに物語が盛り上がっていき、フィナーレも秀逸だった。護れなかった人たちへ、から始まる犯人の悲痛なメッセージには思わず感情が揺さぶられた。
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世界を動かすユダヤ人の子育て
ユダヤ式家庭教育を語るにあたり、まずはユダヤ人がどれだけ優秀であるかをご紹介します。相対性理論をつくり上げた、アルベルト・アインシュタイン共産主義の生みの親、カール・マルクス精神心理学の創始者、ジークムント・フロイト、ビル・ゲイツ(マイクロソフト創始者)マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック創始者)スティーブ・ジョブズ(アイフォンの生みの親)スティーブン・スピルバーグ(映画監督)ラリー・ペイジ&セルゲイ・ブリン(グーグル創業者)
CQ(好奇心&創造性指数)が高い人の特徴は次の通りです。何事にもハングリー精神がある。強い探求欲がある。新しい経験に積極的である。独創的なアイディアを多く生み出せる。これらの能力は、まさにユダヤ人たちが最も得意とするところです。
私はユダヤ人のユーモアと言えば、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』( 1997年、イタリア映画)を真っ先に思い出します。悲しい映画であるはずですが、観た後にはとても心が温かくなる、まさに「苦難の前に立ち向かうユダヤ人の強さ」を感じさせる作品です。
”あらゆるものを奪われた人間に残された、たった一つのもの。それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分の在り方を決める自由である”
ユダヤ人の家庭では、幼い子どもたちには、刺激的な視聴覚媒体を与えずに、幼少期から本を読ませる習慣を付けさせます。 '時は金なり'という言葉が示しているように、過ぎてしまう時間は永遠に取り戻すことができないため「勤勉と時間の大切さ」を、子どもたちに幼い頃から教え込んでいるのです。
ハーバード大学のある研究チームは、未就学の子どもたちの言語能力に最も大きな影響を及ぼす要因を調べました。その結果(当初の予想とは違い)親の経済的な水準や読書習慣とは関係なく「家族との食事の回数」が「子どもの言語能力」に最も影響を及ぼしていました。また、コロンビア大学の研究チームによれば、父母による絵本の読み聞かせに登場する単語 140個(平均)に比べて、一回の食事で使用する単語は約 1000個以上でした。
重宝されていた「老人の知恵や経験値」は、現代においては時代遅れの情報や一方的な自慢話として揶揄をされるようになり、世代間の断絶は年々深刻化しています。
親たちの行き過ぎた早期学習によって、子どもたちは小学校入学前にすでに「学習に対する関心や意欲」を失ってしまいます。
その点、祖父母世代に育てられた子どもたちは、ハングル文字の習得よりも「祖父母が聞かせてくれる昔話や絵本の読み聞かせ」によって想像力と好奇心を養いながら幼児期を過ごすことができます。
幼少期にどんな大人に出逢い、どんな価値観を学ぶかが子どもの人格形成・人生観に大きな影響を与えるかをよく知っているため、ユダヤ人は”子どもにとって、より重要な教師とは、大学の教授でなく幼稚園の教師だ”と考えているのです。
現代の日本では戦後欧米の影響を多く受け、「生と老いと死」が家庭から切り離されてしまいました。日本人は以前に比べると、「命を繋いできてくれた祖先に対する敬意」を失ってきたようにも感じられます。
ユダヤ教では、結婚とは人間としての義務であり、神から与えられた最高の祝福だと説いています。良き家庭を持つ指導者こそが、社会の為に良き(善き)働きができると彼らは信じているのです。
ユダヤ教徒が学ぶタルムードには、 ”妻を持たない男は、喜びなく、祝福なく、幸福なく生きる”と記されています。
妻の満足(オーガズム)を伴わない性行為は、夫による一方的な姦通だと明記されているほどです。
ユダヤ人は子沢山でありながら、非常に愛情深いことで有名です。母親が子どもにたっぷりの愛情を注ぐことができるのは、その根底に夫から充分に愛を受け、心が満たされている実感があるからなのでしょう。
月経後7日目頃が最も新鮮な卵子であるため、妊娠しやすい体を作ってくれます。
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頑張らなくても意外と死なないからざっくり生きてこ
「幸せになりたい」とか言うやつは不幸発見器。どうなったって、足りないものを探し続ける。人と比べてばかりじゃ、何をしても、どこにいても、ずっと不幸なんじゃない?
好かれたいなら嫌われる人になること。嫌われたくないと思ってたらあんまり好かれないまま人生を終える。いてもいなくてもいいのよ、そういう人。
人間って基本的に、「好き」「嫌い」「どうでもいい」の3択で他人を分類する。その中で「嫌い」と思われるのを避けようと消極的になっていると、結局「好き」の枠にも入れなくて、「どうでもいい」に振り分けられちゃう。印象に残らなくて、好きか嫌いか判断するまでもない存在になる。だから「これ言っても大丈夫かな?」って思うようなことでも伝えてみて、印象に残るのが先。そうしないと相手の「好き」フォルダにたどり着く前にごみ箱入っちゃう〜みたいな。ちなみにあなたを「嫌い」って判断する人、「好き」の2倍くらいいると思っといたほうがいいわ。
人間って、不思議よ。忘れたふりをしているうちに、本当に気にならなくなって、好きだった人のことなんて忘れちゃう。さらには執着しない性格になる。行動に心がついてきて、勝手に自分がそういう人間に変わっていくのよね。
ちなみにこの方法は、「失恋を忘れたい」だけじゃなくて、すべてに応用可能。「すぐ決断してすぐ行動したい」「人の目を気にせず生きていきたい」とか。何か、「こうなりたい」を見つけたらまず、そのふりをしてみる。そしたらいつか定着する。
【感想】
人間って基本的に、「好き」「嫌い」「どうでもいい」の3択で他人を分類する〜の話は読んでいてとても納得したし、自分が長年心のどこかで感じていたことを見事に言語化してくれた意見だと思った。
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「好きなこと」だけして生きていく。
今までは、努力すればするだけ報われると思って努力をしてきたのですが、よく考えれば、報われることもあるし報われないことも当然ありました。報われないときには、こんなに努力した「のに」という不満が残っていました。 そこで気づけばよかったのです。「努力=報われる」ではないことを。 そして、気づいたことは、「努力しない=報われる」だったということ。つまり、逆だったのです。
頑張るのをやめて、ただ自分には価値があると信じることにしただけなのです。 ただそれだけ。自分が、というが≠捨てた。 すると周りも僕のことを「価値がある」と言ってくれました。
自分には価値があると思ってみる →価値があるから頑張らず自然体でいると、成果が上がる →頑張らなくても報われる →ますます自分には価値があると思うようになる。 このように現実が逆になるのです。スタートは自分には価値がある≠ニ思えるかどうかにかかわらず、価値があることにする≠ニころがポイントです。
飛行機のファーストクラスに乗れる人は「他力」を使える人です。 なぜかというとファーストクラスの航空運賃はものすごく高額なので、自力で頑張ったくらいでは、ぽんと出せる金額ではありません。 でもビジネスクラスの運賃ぐらいなら「自力」で頑張れば、何とか乗れます。 ビジネスクラスにいる人たちの多くは「自力」で頑張っている人たちです。 頑張っている人たちなので、飛行機を待つラウンジの中でも多くの人が仕事をしていたと言います。
頑張れば、何とかビジネスクラスまでは行ける気がします。 でも自力だけではファーストクラスには行けません。自力で頑張っている人は、自力で頑張るのをやめると、ビジネスクラスもとたんに行けなくなる。 ファーストクラスの人たちは自力で頑張らない人たちです。 頑張らずに、「他力」を使っているのです。人を信用しているのです。 そうしないとファーストクラスの域にまで突き抜けないのです。
好きなこと、テンションの上がることをやっていると、幸せになる。 そしてなぜかお金が入ってきます。
自分がお金にふさわしい価値があるとは思っていないので、いくら稼いでも、「まだ足りない」「もっと稼ごう」「もっと稼がないとなくなってしまう」と成功や失敗にこだわり、いつもお金におびえ、追われている人たちです。
好きなことをしていると、なぜかお金が入ってくるのは、私利私欲で生きるのに罪悪感がないからです。 自分には存在しているだけで価値があると思っているので、私利私欲で生きていようと、人の役に立っていなかろうと、豊かさや幸せを受け取っていいと思っているからです。 豊かさを受け取るお財布の口がいつも大きくあいている。 だからお金が入ってきます。
みんな「好きなことをして生きていきたい」と思うのに、それができないのは、目の前の「嫌われる」という一番大きな問題が乗り越えられないからです。 その手前で「これでいいや」と言って、我慢して生きているからです。
ここからは僕の想像の世界です。でも絶対起きないと誰も言い切れません。 仕事をしょっちゅう休んで南の島に行っているあなたは、南の島が好きな人と出会います。 南の島が好きで、一人で来ているお金持ちのセレブです。 実際、僕が一人で行った南の島には、そんなセレブたちがいっぱい来ていました。 そういうところに行くと、南の島が好きな人同士なので、話がはずみます。 仲がよくなって、今度はその人の招待で別の南の島に旅行ができたり、最終的には結婚して玉の輿に乗れる可能性だってあるのです。
まずはやりたいこと、それだけを追求する。 あなたは南の島に行くのです。 そうすれば、人生が変わる一歩が踏みだせます。 なぜなら、自分がまったくやったことがない世界に飛び出していく。そこから世界がくるりと変わっていくからです。 自分にとってあり得ないことをすると、あり得ない現実がやってきます。 想定外のことをやるから、想定外のことが起きるのです。 僕はそういうミラクルをたくさん見ています。 「ほんとですか?」と疑って、やらない人にミラクルは永遠に起きません。 お金ができたらやろうとか、時間ができたらやろうという人にも、ミラクルは起きません。 順番が逆なのです。まずはやってみる。まずは決めてみる。 すると必要なお金や時間が入ってきます。 働いてから遊ぶのではなく、遊ぶとお金が入ってくる。「逆」の現実が動きだす。 そんな感じです。
僕たちはずっと「今」を犠牲にする生き方をしてきました。 帰りのタクシー代がなくなるから、このお土産は買わないとか、休みたいのに、怒られるから、はってでも会社に行こうとか、本当は音楽をやりたいけれど、食っていけないからやめておこうとか。 小さなことから大きなことまで、さまざまなことで「今」を犠牲にして生きています。
【感想】
がんばっても報われない本当の理由を読んで以来、この著者のファンになってしまった。この1冊でも主張しているのは似ていて、「必要なものは全部もう自分の中にある」と信じる事。自分にはまだ〇〇が足りないから頑張る!のではなく、もう自分は価値のある人間だということにして過ごしてみる。その気持ちの持ち様の変化が、人生を劇的に変える可能性がある。
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