2021年12月21日
家族という病
家族団欒という幻想ではなく、一人ひとりの個人をとり戻すことが、ほんとうの家族を知る近道ではないのか。
私は、子は親の価値観に反発することで成長すると信じている。 大人にとってのいい子など、ろくなものではないと思っている。最近、反抗期のない子が増えているというが、こんなに気持ち悪いことがあるだろうか。 親の権威や大人の価値観に支配されたまま、言いなりになっていることは、人としての成長のない証拠である。
自分以外の個に期待してはならない。他の個への期待は落胆や愚痴と裏腹なのだ。 期待は自分にこそすべきものなのだ。自分にならいくら期待してもかまわない。うまくいかなくとも、自分のせいであり、自分に戻ってくる。
自分のことですら正確に把握することも出来ないでいるのに、他人のことが理解出来るか。配偶者は他人なのだ。一番近い家族ではあるが他人である。 家族は暮らしを共にする他人と考えた方が気が楽である。
子供が大きくなるまで、学校を卒業するまでは、離婚したくてもしない。そんな夫婦を子供達はどんな目で見ているだろう。 無理をしているのは決して子供のためにはならない。もっと正直に自分の意志で決めるべきなのだ。 日本では子供のために離婚しないという夫婦が多いのだそうだ。親が不仲で、がまんして生活していると、子供はすぐ感じとってしまうものだが。
血などつながらなくとも、思いでつながっていれば十分ではないか。思いがつながらないから血に頼るしかないのでは、と皮肉の一つも言いたくなる。
そこで知ったのは、ボランティアの意味だ。日本人は知っている人には親切であるが知らない人には冷淡である。家族、親戚、知人とはこれ以上ないというほど結びつきを大切にするが、関係のない人には掌を返したよう。 欧米では違う。ハワイで知ったのは、困っている人がいたら、知らない人でも知人と同じかそれ以上に手をさしのべるということ。キリスト教の精神が根底にあるのか、ほんとうのボランティアが根づいていた。誰かにどこかで私もお返しせねばと思った。
【感想】
『家族』に対する個人的な考えと、著者の考えが非常に似ていて、読んでいて爽快になる1冊だった。自分を産んでくれた両親、兄弟らのことはもちろん大好きだが、いくら家族とは言え価値観は違ってもいいはずだし、適度な距離感が必須だと思う。著者の下重さんも、日本人は家族という形式にこだわりすぎていて、それが『個』を消し、生きづらくしているのだと主張している。子どものためを思い、高校を卒業するまでは離婚を我慢する。それが本当に子どものためになるのか?という主張も的確だった。家族に依存しすぎている人がこの1冊を読めば感じるところが多いと思う。
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