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2021年08月10日
知性を磨く
「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。 「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。 すなわち、「知性」とは、容易に答えの見つからぬ問いに対して、決して諦めず、その問いを問い続ける能力のこと。 ときに、生涯を賭けて問うても、答えなど得られぬと分かっていて、それでも、その問いを問い続ける能力のこと。
一人の人間が生涯を賭けて問うても、その答えを得ることができない問い。 人類がこれから百年の歳月を賭けて問うても、容易に答えの得られぬ問い。 そうした問いを問い続ける力が、「知性」と呼ばれるものであろう。
「割り切りとは、魂の弱さである」 この言葉は、厳しい言葉。 しかし、まぎれもなく、一つの真理を突いた言葉でもある。 たしかに、我々の精神は、その容量を超えるほど難しい問題を突き付けられると、その問題を考え続けることの精神的負担に耐えかね、「割り切り」を行いたくなる。 問題を単純化し、二分法的に考え、心が楽になる選択肢を選び、その選択を正当化する理屈を見つけ出す。
すなわち、精神が「楽になる」ことを求め、「割り切り」に流されていくと、深く考えることができなくなり、「答えの無い問い」を問う力、「知性」の力が衰えていくのである。前者の「割り切り」の心の姿勢は、心が楽になっている。 しかし、後者の「腹決め」の心の姿勢は、心が楽になっていない。
臨床心理学者の河合隼雄が、かつて「愛情とは、関係を断たぬことである」との言葉を残しているが、まさに、その通り。
実は、人間の精神は、歳を重ねるにつれ、エネルギーを高めていく。 しかし、我々が意識と無意識の境界で抱いている「人間の精神は、歳を重ねると、エネルギーが衰えていく」という強固な「固定観念」によって、実際に、我々の精神は、歳を重ねるに従って、エネルギーが衰えていく。
自分の能力を少し超えたレベルの仕事に集中するという時間を、 定期的に、継続的に、数年間というオーダーで持つ。
「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。 「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。
例えば、「直観力」「洞察力」「大局観」などと呼ばれる能力。 これらの能力は、「知性」と呼ばれる能力の重要な核を成しているが、これらは、「職業的な勘」や「プロの直観」などという言葉があるように、永年の「職業経験」や「現場経験」を通じてしか掴めないものである。 そして、直観力、洞察力、大局観だけでなく、実は、「知性」と呼ばれる能力の核心は、「経験」を通じてしか身につかない、人間としての極めて高度な能力なのである。
しかし、残念なことに、最近の世の中を見渡すと、この「知識」と「智恵」を混同するという病が広がっている。 すなわち、「知識」を学んで「智恵」を掴んだと思い込む、という病である。
「野心」とは、 己一代で何かを成し遂げようとの願望のこと。 「志」とは、 己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈りのこと。
哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである。
【感想】
知能と知性というのは全くの別物であり、後者は経験からしか生まれ得ない、非常に高度なものである、というのがこの本の核となるテーマになっている。様々な人生経験、職務経験を踏まえて、答えなどないと分かりつつも考えに考え抜いて最適解を導き出す力───それこそが知性であり、本などで得た上っ面だけの知識ではたどり着けない領域。この知性を磨いていくことで、人生がより豊かになっていくのは間違いないと感じた。マルクスの「哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである」という名言も心に沁みた。
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2021年07月27日
うまくいっている人の考え方
本書の中心にあるテーマは「自尊心をどう高めるか」ということである。自尊心とは何か。簡単に言うと、それは自分を好きになり、他人と同じように自分も素晴らしい人生を創造するに値する人間だと信じる気持ちのことである。自尊心は大切だろうか。答はイエス。なぜなら、自尊心は人生のほとんどすべての局面に大きな影響を与えるからだ。たとえば、人間関係、自信の度合い、職業の選択、幸福、心の平和、成功。これらはすべて自尊心と密接な関係がある。
自分がミスをしても、「だいじょうぶ、たいしたことはない」と心の中で自分にやさしく声をかけよう。そうすれば、プレッシャーが軽くなってミスを繰り返しにくくなる。自分にやさしくすると、もっといいことがある。それは、あまりよくなかった決定に悩まないことによって、自分はなぜまちがった決定をしたのかを学習する余裕ができるからである。そうすれば、今後、同じようなミスを繰り返さないための対策を立てることができる。
自分の長所と自分の人生で恵まれている部分にいつも意識を向けよう。そうすれば、長所はさらに磨きがかかり、恵まれている部分はよりいっそう大きくなる。
まちがいを犯すということは、人間的に劣っているということではなく、人間的だということである。自分が犯したまちがいを進んで認められるということは、人間的に円熟している証であり、健全な自尊心の尺度である。
ここで、びっくりするような事実を紹介しよう。どれくらい幸せを感じるかは練習することで増やせるのだ! 毎日五分間、幸せを意識的に感じる練習をしてみよう。何らかの理由で幸せだというのではなく、とにかく幸せな気分になってみるのである。 まず、自分の人生でいちばん幸せだった日のことを思い出してみよう。そのとき、あなたはどんな気分だったか。そのときの気分をもう一度体験してみるのだ。
自分が相手に与える印象を気にしないほうが、 いい印象を与えられる。
自分を他人と比較するのはどんな場合も好ましくない。なぜなら、あなたはこの地球上に住む他のすべての人と同様、独自の長所、短所、才能、能力を持つ個性的な存在だからだ。環境や人生経験、ものの見方・考え方が組みあわさって、あなたは他のだれとも違うユニークな存在になっている。これはいい・悪いの問題ではなく、事実である。
自分の心の状態は自分に責任があると認めれば、人生を創造する素晴らしいパワーが得られる。そのパワーを利用すれば、うまくいかない解決策を試すのをやめられるだけでなく、もはや自分の気分を自分以外のものに左右される必要がないことがわかるはずだ。
「他人が私のことを好いていないからといって、なぜ私は自分を変える義務があると思ってしまうのだろうか?」
自分が置かれている状況をプラスに解釈すれば、楽しい結果が得られる可能性が高くなる。もちろん、そうしたからといって不快な状況がなくなるわけではないが、不快な状況からでもプラスになるものが得られることがわかれば、不快な状況を受け入れやすくなるだろう。
悪い感情は、他のだれよりも自分にいちばん多くの害を与える。自分に不利益をこうむらせた相手を許さないという態度から生まれるすさまじいマイナスのエネルギーは、心と体に悪い影響を及ぼすのだ。さらに悪いことに、過去の不幸な出来事に固執することで、さらに多くの不快な経験を引き寄せてしまう。
自分の身にふりかかる出来事のほとんどは、自分のとった行動、または行動しなかったことに原因があるのだ。このことに気づけば、あなたの人生と人間関係は大きく好転するはずだ。 これは、自分がかなりの責任を負う必要があるから、たいへんなことのように思えるかもしれない。しかし、いったんこの事実を受け入れれば、今まで想像していた以上に、自分の人生を自由に自分で創造できることに気づくはずだ。
私たちは知らず知らずのうちに他人の期待の犠牲になり、自分にとって気が進まないことをするために多くの時間を費やしている。私たちはあまりに忙しいと感性が鈍り、自分が置かれている状況に疑問すら抱かずに日常に流されがちだ。 これからの一カ月間、毎週三十分くらい割いて自分の人生をじっくり見つめ直し、次の点について自分に問いかけてみよう。 自分は今の仕事を本当に楽しんでいるか? 他人からいちばん向いていると言われた仕事をしているだけではないか? 心から楽しいと思えることをして余暇を有意義に過ごしているか? 退屈でうんざりするようなことをしてはいないか? 今の生き方は自分が選んだのか? 他人に選んでもらったのか? 金銭的な事情をはじめとして、いろいろなしがらみがあるために、自分が選んだ生き方を完全に一生貫き通せる人はほとんどいない。しかし、あなたがもし自分は他人が決めた生き方をしていると感じるのなら、そろそろ自分の夢を追い求める時期に来ているのではないだろうか。
残念なことに、私たちは「いつかいいタイミングが訪れるだろう」と考えて、感謝の気持ちを伝えるのを先延ばしにする傾向がある。しかし、それはよくない。感謝の気持ちをすぐに伝える習慣を今日から身につけよう。
人をほめることについて大切なことを書いておこう。ほめ言葉は、いつでもどこでも口にすることができる無限の資源である。相手に感謝の気持ちを表現することで、自分が寛大な気持ちになれる。自分が評価されていることを知っていても、それを誰かから言われることで向上心をさらにかき立てられる。 最後にひとこと。ほめ言葉は誠実なものでなければならない。不誠実なほめ言葉はすぐに見抜かれる。
私たちは現在の幸せを楽しもうとせず、なんらかの出来事が起こるまで幸せになるのを延期する傾向がある。たとえばこんな具合だ。 「私は……を得れば幸せになれる」 「私は……を成し遂げれば幸せになれる」 「私は……という状況になれば幸せになれる」 言い換えれば、新しい仕事や家、パートナー、車、学位、地位、人間関係などを手に入れることを条件に、自分の幸せを決めているのだ。しかし、こういう姿勢では、あまりうまくいかない。それは次のふたつの理由による。 *目標が達成できなかったらどうなるか? その目標をあきらめるか、新しい目標を設定するまで、あなたはずっと不幸なままだ。 *目標が非現実的ならどうなるか? 一部の人は現実離れした期待を抱き、事実ではなく希望的観測に基づく素晴らしいシナリオを創造する。しかし、そのシナリオはあまりにも非現実的なために実現せず、失望する。
ノートと鉛筆を用意して、「自分のポジティブな資質と行動」というリストをつくるのだ。左側のページに今日した「いいこと」を十個書いて、右側のページにそれに対する評価を書く。目立った行動である必要はない。ちょっとした行動でいい。たとえば、友人や同僚に親切にしたら、自分を「親切」と評価する。あるいは、賢明な決定をしたら「賢明」、あいさつをきちんとしたら「礼儀正しい」と書く。 このリストを枕元に置いて、毎晩、それに新しいことを記入する。翌朝、目が覚めたら、前日に書いたことを読み返してみよう。 自分のポジティブな資質と行動を評価することによって、あなたは自分を見直すことができる。自分についてあまりよく感じていなくても、その感情が妥当ではないことに気づくはずだ。
ものおじせずに質問しよう。学校の授業や会社の研修などで、多くの人は無知だと思われるのを恐れて質問しようとしない。しかし、わからないときに謙虚な姿勢で質問をすると、どういうことが起こるだろうか? 学生なら学校の成績が伸びるし、社会人なら仕事の技能が向上する。さらに、ほとんどの人と幸せな人間関係を築くことも可能になる。 そう考えれば、質問しないほうがむしろ愚かだと思えてくるはずだ。
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