2022年06月11日
ソニーの出井伸之元会長が死去
ソニーの会長兼最高経営責任者(CEO)を務めた出井伸之氏が2日、東京都内で肝不全により84歳で死去しました。
ソニーグループが7日に発表しました。
ロイター通信などの報道によると、出井氏は1960年にソニーに入社し、1995年に大賀典雄氏の後任として代表取締役社長に就任、1998年にはCEOを、2000年から2005年までは会長兼CEOを務めました。
出井氏はCEO在任期間中、ハードウェアよりもエンターテインメント事業に集中し、ゲーム機「プレイステーション(PS)」事業を拡大させ、また、パソコン・ブランド「バイオ(VAIO)」を誕生させ、通信機器メーカーのエリクソンと合弁して携帯電話端末企業「ソニー・エリクソン」を発足させるなど、ソニーを情報技術(IT)企業に変えるにあたって主導的な役割を果たしました。
社長就任以来の10年間で、出井氏が注力したのが事業の多角化であり、「デジタル・ドリーム・キッズ」というキーワードを掲げ、同社のデジタル・ネットワーク事業やエンタテインメント事業など事業を拡大するとともにグローバル化も加速させました。
加えて、経営面での監督と執行を分離しようと出井氏主導で「執行役員制」の導入や「委員会等設置会社」にも移行したことから、同社は「グローバルなグループ経営体制の構築とコーポレートガバナンスの確立を推進し、ソニーの成長と改革に大きく貢献した」としています。
しかし、コンテンツに集中した出井氏の経営方針が、日本国内のエンジニアたちと海外映画・音楽子会社経営陣との間の不和を招いてきたと批判され、出井氏の在任期間中、携帯用音楽産業の主導権はアップルに、テレビ事業の主導権は日本のライバル企業や韓国企業に奪われたと評されました。
出井氏は2005年、収益悪化に対する責任を取って退陣し、初の外国人経営者であるハワード・ストリンガー氏を後任者としたものの、ストリンガー氏はソニーの問題を解決できなかっただけでなく、かえって問題を悪化させました。
ソニーという日本屈指の巨大企業の経営トップを務める傍ら、00年には日本政府からの要請に応じて、IT戦略会議の議長に就任、日本全体のブロードバンド構想をリードし、日本のブロードバンドインターネット接続環境が世界に先駆けて整備されるきっかけを作り、経営トップからの退任後の06年9月には、ソニー時代の同僚らとクオンタムリープを設立、大企業変革支援やベンチャー企業の育成支援活動に従事、米自動車メーカーの「ゼネラルモーターズ(GM)」や中国のポータルサイト運営企業「百度(バイドゥ)」の社外役員なども務めました。
ソニーの吉田憲一郎CEOは出井氏について、「洞察力と先見の明でインターネットの影響力を予見し、ソニーのデジタル化に積極的に乗り出した」「1998年から7年間CEOを務め、ソニーをグローバル企業に進化させるのに大きく貢献した」と述べ、故人を悼みましだ。
出井伸之氏は評価の分かれる経営者でした。
技術のソニーが、技術力を失っていく要因となるソフト化路線へ舵を切り、今やソニーの技術力は見る影もありません。
一方でソフト化路線は確実に業績に寄与したとされ、コンテンツ重視のテレビゲーム市場で影響力を保っています。
昔のソニーを知る世代からは、ソニー凋落の元凶と、酷い酷評をされていますが、今なお世界的な規模を誇るソニーに貢献したのは間違いありません。
東芝やシャープが辿った変遷を顧みれば、少なくとも先見の明が出井伸之氏にはあったのではないでしょうか。
ソニーグループが7日に発表しました。
ロイター通信などの報道によると、出井氏は1960年にソニーに入社し、1995年に大賀典雄氏の後任として代表取締役社長に就任、1998年にはCEOを、2000年から2005年までは会長兼CEOを務めました。
出井氏はCEO在任期間中、ハードウェアよりもエンターテインメント事業に集中し、ゲーム機「プレイステーション(PS)」事業を拡大させ、また、パソコン・ブランド「バイオ(VAIO)」を誕生させ、通信機器メーカーのエリクソンと合弁して携帯電話端末企業「ソニー・エリクソン」を発足させるなど、ソニーを情報技術(IT)企業に変えるにあたって主導的な役割を果たしました。
社長就任以来の10年間で、出井氏が注力したのが事業の多角化であり、「デジタル・ドリーム・キッズ」というキーワードを掲げ、同社のデジタル・ネットワーク事業やエンタテインメント事業など事業を拡大するとともにグローバル化も加速させました。
加えて、経営面での監督と執行を分離しようと出井氏主導で「執行役員制」の導入や「委員会等設置会社」にも移行したことから、同社は「グローバルなグループ経営体制の構築とコーポレートガバナンスの確立を推進し、ソニーの成長と改革に大きく貢献した」としています。
しかし、コンテンツに集中した出井氏の経営方針が、日本国内のエンジニアたちと海外映画・音楽子会社経営陣との間の不和を招いてきたと批判され、出井氏の在任期間中、携帯用音楽産業の主導権はアップルに、テレビ事業の主導権は日本のライバル企業や韓国企業に奪われたと評されました。
出井氏は2005年、収益悪化に対する責任を取って退陣し、初の外国人経営者であるハワード・ストリンガー氏を後任者としたものの、ストリンガー氏はソニーの問題を解決できなかっただけでなく、かえって問題を悪化させました。
ソニーという日本屈指の巨大企業の経営トップを務める傍ら、00年には日本政府からの要請に応じて、IT戦略会議の議長に就任、日本全体のブロードバンド構想をリードし、日本のブロードバンドインターネット接続環境が世界に先駆けて整備されるきっかけを作り、経営トップからの退任後の06年9月には、ソニー時代の同僚らとクオンタムリープを設立、大企業変革支援やベンチャー企業の育成支援活動に従事、米自動車メーカーの「ゼネラルモーターズ(GM)」や中国のポータルサイト運営企業「百度(バイドゥ)」の社外役員なども務めました。
ソニーの吉田憲一郎CEOは出井氏について、「洞察力と先見の明でインターネットの影響力を予見し、ソニーのデジタル化に積極的に乗り出した」「1998年から7年間CEOを務め、ソニーをグローバル企業に進化させるのに大きく貢献した」と述べ、故人を悼みましだ。
出井伸之氏は評価の分かれる経営者でした。
技術のソニーが、技術力を失っていく要因となるソフト化路線へ舵を切り、今やソニーの技術力は見る影もありません。
一方でソフト化路線は確実に業績に寄与したとされ、コンテンツ重視のテレビゲーム市場で影響力を保っています。
昔のソニーを知る世代からは、ソニー凋落の元凶と、酷い酷評をされていますが、今なお世界的な規模を誇るソニーに貢献したのは間違いありません。
東芝やシャープが辿った変遷を顧みれば、少なくとも先見の明が出井伸之氏にはあったのではないでしょうか。
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