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2007年10月20日

岡山の偉人・緑川洋一

緑川洋一 岡山県邑久郡裳掛村虫明(現・瀬戸内市邑久町虫明)の呉服商の長男として生まれる。1932年(昭和7年)上京し日本大学専門部歯科医学校に入学。1934年(昭和9年)模型飛行機店店主と合作しコンテストに応募したボート用スチームエンジンを海軍省が50円で買い取る。これを元手にドイツ製カメラ・ペルケオを購入し写真撮影を始める。1936年(昭和11年)日大歯科医学校を卒業。歯科医師国家試験に合格し、東京市蒲田区(現・大田区蒲田)の総合病院に勤務する。 翌1937年(昭和12年)郷里の岡山市に横山歯科医院を開業する。1939年(昭和14年)より写真撮影を再開。緑川洋一の名で写真雑誌への投稿を始める。1945年(昭和20年)岡山連隊区司令部が報道班を結成し班員となる。岡山市を中心に戦災状況を撮影。しかし、終戦とともに撮影したネガを連隊区司令部の命令で全て焼却する。1946年(昭和21年)同じ岡山出身の写真家・石津良介(石津謙介の兄)と写真工房を開設。1947年(昭和22年)石津の紹介で米子の写真家・植田正治と共に東京で秋山庄太郎、林忠彦、石津らが中心となり結成された写真家集団「銀龍社」に参加。以後、植田とは生涯親交を厚くしていた。
1967年(昭和42年)歯科医院を「緑川歯科医院」と改称。1978年(昭和53年)家庭裁判所より裁可があり、戸籍登録名を「緑川洋一」に改名。1981年(昭和56年)全国組織の写真集団「風の会」を主宰。1990年(平成2年)勲四等瑞宝章を受賞。1992年(平成4年)岡山市西大寺・両備バス西大寺バスセンターの一角に「緑川洋一写真美術館」を開館、館長となる。2001年(平成13年)胃ガンのため逝去。享年86。 緑川洋一の世界 http://www.ha-isha.jp/midorikawa/index.html
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