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うつ嫁にとって最も辛い出来事〜母とのお別れ

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ウチの嫁にとって、今起こりうることで最も辛い出来事。それは、実の母の死去でしょう。
先日、嫁の母上が永眠されました。前回の記事で、ケガにより動けなくなった母上を背負って自宅へ送り届けたことを書きました。それから1か月後、僕は斎場にいることになります。母上の逝去その前後の嫁の様子を記しておこうと思います。


母との別れ それなりに覚悟はしていた


嫁の母上は、かなり前に倒れて脳に障害を負っています。手術の都合上、脳梗塞に似ている状態になっています。なお、その当時に併せて肝炎も発覚。これがガン化し、一番直接的な死因となっています。肝臓については年々悪くなっていっており、根本的な治療は体力面などいくつかの理由から無理でした。よって近年は、延命治療の方向で治療をおこなっていたようです。

こんな経緯もあり、母上の死去前後、嫁は意外と冷静に事実を受け入れていました。父上と共に嫁は、母上とのそう遠くないとわかっているお別れを覚悟していたようです。余命については、昨年の時点でもういくらもないという状態でした。それを父上から僕経由で嫁に伝えたときは、さすがに落ちました。が、今となってはその時点で伝えておいてよかったと思います。嫁自身が語っていましたが、突然いなくなられるよりは受け入れる覚悟をしやすかったようです。それが結果的に、大崩れせずに逝去から告別式までやり過ごすことができる一番の要因となったようです。


ちなみに僕の母親が亡くなったときの嫁は


ところで、3年近く前に僕の母親が死去しています。このブログには、その当時の嫁の様子が書いてありません。それは、僕がまだこのブログを代行する前だったからです。とにかくその時の方が、嫁は大崩れして大変だったことを覚えています。僕は僕で、喪主たる父がグダグダだったので忙しく、また嫁の介抱も同時進行だったので大変でした。
ちょっと長くなりますが、併せてこの当時の模様を思い出しつつ綴っておこうと思います。

その年の正月、僕ら一家は僕の母親と妹とを交えて食事に出かけています。この頃既に母は肝臓を悪くしていました。呂律がまわらないことや足元がふらついて転ぶなど、よくありましたから。しかしウチの母親は酒が大好きで、「酒をやめるくらいなら飲んだくれて死んだ方がいい」という考えの人間でした。そんななので、病院には絶対に行かず(目の手術などには行っていましたが)、それが寿命を縮めることになったのでしょう。ですが、ウチの母親からしたら医者にかかったら間違いなく「酒をやめろ」と言われるでしょうから、行きたくなかったのでしょう。もう母親としての仕事も終わっていますし、好きに生きたらいいと僕は個人的に思っていました。

その食事で会ってから間もなく、母は寝たきりで動けなくなりました。この頃急速に、黄疸とむくみが顕著になりました。父が慌てて医者に連れていったときには、時既に遅し。完全に手遅れの状態だったと聞いています。結局その年の春、母は逝きました。最後の入院中に、僕は嫁子どもを連れて会いにいきました。それからいくらもしないうちに亡くなった次第です。時期的に、桜満開でした。何故か僕は、名作『キャンディ・キャンディ』にてマクレガーさんが息を引き取るシーンを思い出しました。余計なネタですねすみません。

このとき、嫁は大崩れ。うつ病どころの騒ぎではなく、通夜には間違いなく出られる状態ではありませんでした。僕は勤務中に母の訃報を聞きそのまま駆けつけ、それから葬儀の終了まで実家でバタバタしていました。何しろ父がグダグダで役に立たなかったので、兄と従兄弟に葬儀のことは任せ、僕は実家で母名義の財産整理&掃除に追われていたのです。なので、このとき嫁に対して何をしてあげられていたのか、残念ながら覚えていません。

自宅で動けないままでいた嫁ですが、葬儀には出席させるつもりでいました。一応嫁姑関係は悪くなく、少なからず密接な関係だったので、ウチの母の死を嫁は受け入れられなかったのです。が、最後のお別れに行かないと絶対後悔すると考えた僕は、嫁を出席させました。割と急に母が逝ったせいか、放心状態まさに抜け殻のようになっている嫁に何とか支度させ、僕らは一家揃って母の葬儀に出かけました。

嫁は斎場において、母の遺影を見ただけで倒れました。兄嫁やウチの妹に支えられてそのまま控室へ。しばらく寝かせたあと、車椅子に乗せて参列。終始嫁の方が死んだようになっていましたが、何とか荼毘にふすところまで見届けることができました。しかし、このままではいけないので葬儀終了後、そのまま主治医の元へ。休憩時間のときに病院に電話した結果そうなりました。なので、喪服で病院に行くというわけのわからない状況だったことを覚えています。ですが、嫁はのちに「出席してよかった」と振り返っていますので、バタバタしましたがこの選択は間違っていなかったと思います。


実の母を亡くしてからの嫁は


このたび嫁の母上逝去を受けて、葬儀終了直後までに嫁は意外と落ち着いています。これは本当に意外ですので、この後反動とか揺り戻しなどがないか現在警戒中です。

母上が亡くなる前日、僕らは全員母上の枕元に呼ばれました。上掲前回記事に書きましたが、母上は骨折したことがきっかけで(原因ではありません)寝たきりとなり、容態も急速に悪化してしまっていました。意識障害も起きており、亡くなるのは時間の問題と言われていたところでした。僕らが到着したころには既に意識は半分なくなっており、呼びかけても反応しませんでした。嫁は涙ながらに声をかけていましたが、取り乱してはいませんでした。

そして翌日午後、母上は息を引き取りました。嫁は午前中から病院へ詰めており、無事に看取ることができたようです。僕は仕事中に一報を受けましたが、嫁には「看取ることができてよかったな」と言いました。そして母上には「お疲れ様でした」と言いたい気持ちでした。くも膜下で倒れて9年近くでしたので。

僕は自身の母親のときを思い出し、仕事を早く切り上げ駆けつけるつもりでした。が、嫁の実家には嫁のほか、親戚が数人駆けつけていました。嫁の母上方の親戚は、非常に結束の強い一族です。なので、僕の出番はなくその日は子どもらと自宅にいるという、早退が意味なくなる結果となりました。
それから通夜葬儀を迎えるまで、嫁は連日実家に詰めており忙しくしていたようです。嫁も父上も、冒頭に書いたようにそれなりの覚悟はできていたようですし、やかましく賑やかな親戚たちの助力もあって、ほぼ何事もなく通夜の日を迎えることになりました。

ここまで嫁は崩れることも動けなくなることもなく、こう言っては何ですが僕としては肩透かしを食らった思いです。まあ何と言っても、嫁と繋がりの深い親戚の面々が常に誰かしらそばにいたというのが大きいのだと思います。僕なぞほぼほぼ出番はなく、何とも役に立たない感溢れる悲しい状態でしたので。
葬儀では、さすがに送り出し(棺に花や遺品などを添えて火葬場へ向かうところ)あたりから嫁は泣き狂いだし、棺が火葬されるに及んで過呼吸を起こして倒れました。僕は嫁と事前に話して、このために紙袋を用意しておいたはずでしたが、どこかに忘れたらしいです。とりあえずその辺の人から紙袋をもらって嫁を車椅子に乗せて、式場の外へ出て嫁を落ち着かせました。以降、何とか嫁は自力で立てるようになりましたが、僕の母の時に比べるとしっかりしていたように思います。

本人曰く、「まだ受け入れられていないから落ち着いていられるのかな」と言っていましたが、それもそうですがおそらく独り実家に残った父上の方が心配なこともあるのでしょう。これから父上は実家で独り暮らすことになりますが、甚だ心配なようです。まあ、父上の心配をして気が散っている状態なのも、嫁が大崩れしない要因なんだと思います。何はともあれ、嫁が大変な状態にならずに済んだのは個人的に助かりました。よく頑張ったと思います。僕はあまり出番がなく役に立つことはありませんでしたが、何より一番辛いところ(やっぱり火葬からお骨を拾うところまでかな)で嫁が大崩れしなかったのは本人が頑張ったのだと思います。僕の出番は保険の存在と一緒で、使うことがなければそれに越したことはないということでしょう。色々と僕も物理的に疲れましたが、今回は病院に直行することもなく(そういえば主治医の先生にはまだ母上の訃報を知らせていないかも)、こうして後日談的に記録することができるということです。

なおこれからの嫁ですが、気分転換も兼ねて働きに出ると言っています。短時間なら何とかなるし、本人がその気なのでそうさせてあげようと思います。

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