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2014年02月06日

集合的無意識

集合的無意識(しゅうごうてきむいしき、ドイツ語:Kollektives Unbewusstes英語:Collective unconscious)は、カール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学における中心概念であり、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である。普遍的無意識(ふへんてきむいしき)とも呼ぶ。個人的無意識の対語としてあり、ユングはジークムント・フロイトの精神分析学では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域を提唱した。



目次 [非表示]
1 概説
2 自我と自己元型 2.1 諸元型と個性化

3 関連事項


概説[編集]

言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。

元型の作用と、その結果として個人の夢や空想に現れるある種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。

人間の行動や思考・判断は、自我と外的世界との相互作用で決まって来る面があるが、他方、集合的無意識に存在するとされる諸元型の力動作用にも影響される面がある。

自我と自己元型[編集]

ユングは、集合的無意識に様々な元型の存在を認めたが、それらは最終的に自己(Selbst)の元型に帰着すると考えた。自己の元型は心(魂)全体の中心にあると考えられ、外的世界との交渉の主体である自我は、自己元型との心的エネルギーを介しての力動的な運動で、変容・成長し、理想概念としての「完全な人間」を目指すとされた。

諸元型と個性化[編集]

このように、自我が自己との相互作用で成長し、球的完全性へと向かう過程を、ユング心理学(分析心理学)では、「個性化の過程」あるいは「自己実現の過程」と呼んだ。個性化の過程において、自己元型は、「影」の元型や「アニマ・アニムス」の元型、あるいは「太母(Great Mother)」や「老賢者(Old Wise Man)」の元型として力動的に作用する。
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カール・グスタフ・ユング

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した。ユング自身の言葉で言えば「人格の秘密の領域」を探ったのであった。

生涯[編集]

スイス、トゥールガウ州ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント(改革派)牧師の家(ドイツ系)に生まれる[1]。少年期は己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭し,学生時代はゲーテ、カントやニーチェの著作に感銘を受け、後の心理学者としての著作に、ゲーテの「ファウスト」やニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」への言及も多くみられる。内的な基盤を持たない形式的な信仰というものに疑問を感じ、牧師という職を継ぐことを特には望まず、同名の祖父と同じ名門バーゼル大学で医学を、特にクラフト=エビングの影響で精神医学を学んだ[2]。この同名に祖父には、ゲーテの私生児だと言う伝説があった[3]。学位論文は霊媒現象を考察した「いわゆるオカルト現象の心理と病理( Zur Psychologie und Pathologie sogenannter occulter Phänomene)」。

1900年12月からは、チューリヒ大学でオイゲン・ブロイラーの元で助手を務めるが、1909年には、大学を離れて個人開業を開始する[4]。

1900年には、ジークムント・フロイトの『夢判断』に触れるものの、当初は特に影響がなかったが[5]、1907年からは、親交を開始している[6]。

1904年には、勤務先のチューリヒ大学に入院してきた患者のザビーナ・シュピールラインと治療を通して親しくなり、不倫関係となった。ザビーナはユングと別れた後にフロイトに師事し、精神分析家となる[7]。

生理学的な知識欲を満たしてくれる医学や、歴史学的な知識欲を満たしてくれる考古学に興味を抱き、友人と活発に議論を交わし、やがて人間の心理と科学の接点としての心理学に道を定めた。精神疾患の人々の治療にあたるとともに疾患の研究も進め、特に当時不治の病とされた分裂病(統合失調症)の解明と治療に一定の光明をもたらした。ヒステリー患者の治療と無意識の解明に力を注いでいたフロイトと、一時親しく意見を交わした。

1911年には国際精神分析協会を設立し、その初代会長になる。フロイトでなくユングなのは、ユダヤ人以外を会長に選ぶ目的があった[8]。

ところが、フロイトとは別に神話研究に励むユングは、次第にフロイトとの理論的な違いを表に出し始め、1914年には国際精神分析協会を辞して、フロイトらと袂を分かつことになり[9]、チューリヒ大学医学部の私講師の職も辞任した[10]。

精神分析の運動から離れ一人研究を進め、1916年には石油王ジョン・ロックフェラーの末娘(四女)イ−ディス・ロックフェラ−・マコーミック(en, 1872年 - 1932年)の助力で「心理学クラブ」を設立して、分析心理学の確立に努める[11]。このクラブには、ヘルマン・ヘッセも訪れている[12]。このマコーミック夫人の縁でジェイムス・ジョイスを知り、『ユリシーズ』の批評も書いている[13]。

1922年にはスイスのボーリンゲンに土地を得て、塔の建設を開始する[14]。また、1921年には代表作『心理学的類型』(『タイプ論』『元型論』とも)を公開する。

1928年、ユングはリヒャルト・ヴェルヘルムの手による道教の錬金術のドイツ語訳を入手し、曼荼羅に夢中になる。これにコメントを付けて、1929年に『黄金の華の秘密』というタイトルで出版した[15]。





ユング研究所
1948年に共同研究者や後継者たちとともに、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。また1933年からは、アスコナでエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。開催をしたオルガ・フレーベ・カプタインは、ユングに強く協力を求め、ユングが参加できない場合は廃止も辞さない構えであった[16]。これには1951年まで出席する[17]。ここで、鈴木大拙、ミルチャ・エリアーデ、ハーバート・リードらと親交を結ぶ。

1946年に『転移の心理学』、1951年に『アイオーン』、1955年と1956年には『結合の神秘』の第1巻と第2巻が出版されている。これらは、70歳を過ぎての著作であった[18]。

1961年6月6日、逝去した。この直前まで、ユング唯一の一般向け著書『人間と象徴』を執筆し、完成にこぎ着けていた[19]。

著作の大半は、下記のようにドイツ語でなされた。

ユング心理学の変遷[編集]

精神科医であったユングは、当時の精神医学ではほとんど治癒できなかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態(1906年 - 1913年)となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間ずれ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持ち、フロイトもそのために初めは喜んでユングを迎え入れた。両者の初めての邂逅において交わされた対談は10時間を超し、以後両者は互いに親しく手紙で近況や抱負、意見を伝えあった。しかし数年の交流のうちに、両者の志向性の違いが次第に浮き彫りになってきた。フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。またユングはフロイトとアルフレッド・アドラーの心理学を比較、・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「性」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。

ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった。[20]ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、またそれらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性(シンクロニシティー=意味のある偶然の一致)に関する共著を発表した。

ユング心理学の特徴[編集]

詳細は「分析心理学」を参照

ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)の分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」[要出典]でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。

夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。

ユングはフロイトとの決別以後[21]も治療を続けた。ただ、彼は人生の方向を決めるのは治療者ではなく、クライアントであるとし、クライアントの無意識的創造力を信頼した。 

また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。 代表的な著作としては、以下のものがある。
『転換のシンボル』 Symbole der Wandlung, 1912, /1950, GW Bd.5.
『心理学的類型』 Psychologische Typen, 1921/1950, GW Bd.6.
『心理学と宗教』 Psychologie und Religion, 1940/1962 (GW Bd.11).
『アイオーン』 Aion, 1950, GW Bd.5-2.
『心理学と錬金術』 Psychologie und Alchemie, 1944/1952, GW Bd.12.
『ヨブへの答え』 Antworf auf Hiob, 1952/1967 (GW Bd.11).
『結合の神秘』 Mysterium Coniunctionis, 1955/1956, GW Bd.14.

ユングが登場するフィクション[編集]
映画『危険なメソッド』
『フルメタル・ジャケット』(人の二面性に関するジョーカーの説明を、海兵隊大佐が全く理解できない、という有名なシーケンス中で名前に言及)
テレビドラマ『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』
コンピュータゲーム『ペルソナシリーズ』

無意識

無意識(むいしき、独: Unterbewusstsein, das Unbewusste、英: subconscious または英: unconscious ※現在は「意識を失う(to be unconscious)」との誤解を避ける為に「subconscious」が使われるようになった)には、大きく以下の二つの意味または使用法がある。
「意識がない」状態。(通常の心理学や精神医学での用法)
心のなかの「意識でない」領域。(ジークムント・フロイトが提唱した精神分析学や、カール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学での用法)


名称[編集]

ユングはフリードリヒ・シェリング(対象化された自己意識を「無意識」(独: Unbewusstsein 意識でないもの、独: Bewusstlosigkeit 意識を欠いた状態)とした)が西洋における無意識の発見者であるとしている。無意識の領域を、簡単な表現で、「無意識(独: Unbewusste、英: the unconscious)」とも呼ぶ(ここでいう「無意識」は、「意識されていない心(英: unconscious mind)」などとは異なる概念である)。 ちなみに、AD4世紀頃現れた仏教の唯識思想、「唯識三十頌」では、前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と言う意識のほかに無意識とも解釈できる末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という二つの深層意識層を想定した。(八識説)

意識の存在[編集]

無意識とは何かということは、その前提に、意識とは何かということの了解がなければならない。「意識」とは、人間一般において、「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる(デカルトの「我思う、ゆえに我あり」。哲学の分野では長い間、意識と自我は同一視された)。

このように意識は、主観的に把握されてきたが、近代に成立した科学がその研究対象とするには、客観的な規定としては適切ではなく、曖昧であり、かつ定量的把握も困難であった。そのため心の学である心理学においても、心や魂、あるいは意識は科学的に定義されないとして、刺激と反応で心理学を築こうとした行動主義心理学などが出現した。現在でも心の概念と同様、意識の概念も主観的に把握されるものに過ぎず、その存在を客観的に把握するのが難しいものであると考える心理学派もある。

しかし、科学的対象として客観的把握が困難であるとしても、「意識を意識する者には、意識の存在は自明である」という命題もまた真理であると考えられることから(主観的把握)、科学的客観的には観察されないにしろ、心の概念と同じように意識の概念も存在していると最初から前提している心理学も多い。少なくとも一般人は意識が無いとは考える人は少ない。そのため科学的に証明されていなくても、意識は自明のものとして扱われたりしているのが現状である。もちろん意識もまた存在しないと考える学派もあり、確定していないのが現状である。

無意識の存在[編集]

無意識の意味1[編集]


記憶 意識状態[要出典]
覚醒状態 深睡眠
短期記憶
作動記憶
長期記憶 有意識 無意識
意識喪失
フリンジ

長期記憶

深層意識

深層意識



無意識は、「意識がない状態」と「心のなかの意識でない或る領域」の二つの主要な意味がある。

「意識がない 独: unbewusst, bewusstlos, 英: unconscious」とは、強い意味だと、大脳の働きがほとんどない状態を意味する。しかし大脳の働きは、人間が生きている限り、完全に停止するということはなく、「ほとんどない」とはどこまでないことなのか、客観的な基準が曖昧である。

他方、弱い意味で「意識がない」という場合は、「気づかない」という意味でもある。例えば、音楽を聞きながら本を読んでいると、最初は本の文章の内容と、音楽の両方が意識される。しかし、読書に集中していて、ふと何かで中断されると、「音楽が急に聞こえて来る」ということがある。音楽はずっと鳴っていたのであるが、読書に集中していたため、音楽の進行に「気づかなく」なっていたのである。

人間は時間のなかで、非常に多数の感覚刺激や意味の刺激を受け、その多くを意識している。しかし、「意識していない・気づいていない」感覚刺激や意味の刺激で、大脳は感受し、記憶に刻んでいるものは、もっと膨大な量が存在する。記憶に関する心理学の実験からそのことが言える。

意識と記憶[編集]

人間は様々なものを意識するが、目前、あるいは「いまここの感覚的・意味的刺激のパターン」以外で、「意識するもの」は、広義の「記憶」である。記憶の再生は、ある言葉や知識などが再現されることもあるが、また内的なイメージの形で、過去の情景(視覚的・聴覚的等)が思い出されることもある。

記憶は日常的に再現されており、複雑な手順を必要とする作業でも、その一々の手順を「意識しない」で、機械的に遂行することが可能である。例えば、複雑な漢字を書く場合、どの線を引いて、次はどの線をどこにどう書き加えてなどと、一々記憶を辿って書いている訳ではない(参考:手続き記憶)。

「記憶を想起しているという意識」なしで、非常に多くのことが、この現在に想起され、イメージや感情や意味で構成される「意識の流れ」が持続している。

しかし、その他方で、何かを思い出そうとして、確かに知っているはずなのに、どうしても思い出せないというようなケースが存在し、このとき、意識の滑らかな流れは滞り、記憶を再生しようとする努力が意識に昇る。

思い出そうとして、努力などが必要な記憶は、「滑らかに流れて行く意識の領域」には、想起が成功するまでは、存在しなかったことになる。では、そのような記憶はどこにあったのか。無論、大脳の神経細胞の構造関係のパターンのなかに存在していたのであるが、主観的な経験としては、そのような記憶は、「現在の意識領域」の外、「前意識」と呼ばれる領域にあったとされる。

無意識の意味2[編集]

日常的に流れて行く意識のなかでは、様々な「意識の対象」が存在している。この現在の意識の対象は、現前している感覚・意味・感情等のパターンであるが、また、滞りのない自然な、「気づくことなく」想起されている記憶の内容が、その対象である。

「意識」という言葉自体が、「覚醒意識がある」、「何かに気づいている」という通常の意味以外に、主体が意識している「対象の総体」が存在している「領域」の意味を持っている。何かを「意識している」、または、何かに「気づく」とは、対象が、「意識の領域」に入って来ること、意識に昇って来ることを意味するとも言える。

人間は一生のなかで、膨大な量の記憶を大脳の生理学的な機構に刻む。そのなかで、再度、記憶として意識に再生されるものもあるが、大部分の記憶は、再生されないで、大脳の記憶の貯蔵機構のなかで維持されている。

このような膨大な記憶は、個々ばらばらに孤島の集団のように存在しているのではなく、連想が記憶の想起を促進することから明らかなように、感覚的あるいは意味的・感情的に、連関構造やグループ構造を持っている。そして、このような構造のなかで記憶に刻まれている限りは、いかなる記憶であっても、再生、想起される可能性は完全なゼロではないことになる。

人の一生にあって、再度、想起される可能性がゼロではないにしても、事実上、一生涯において二度と「意識の領域」に昇って来ない、膨大な量の記憶が存在する。主観的に眺めるとき、一生涯で、二度と想起されないこのような記憶は、「意識の外の領域」に存在すると表現するのが妥当である。

「意識の外」と言っても、科学的には、大脳の神経細胞ネットワークのどこかに刻まれているのであり、「意識の外」とは、主観にとって、現象的に「意識でない領域」に、膨大な記憶が存在するという意味である。このような、「意識でない領域」が、無意識の第二の意味となる。

無意識の存在[編集]


記憶 意識領域[要出典]
精神分析学 分析心理学
短期記憶
作動記憶 意識 意識
長期記憶 前意識 前意識
深層
長期記憶

深層構造 無意識 個人的
無意識
(未定義) 集合的
無意識


意識が対象とするものは、記憶だけではない。また記憶は、何らかの意味で「構造化」されており、「無意識の領域」の膨大な記憶がどのように構造化されているのかということも問題である。

人間には経験や学習によって得た記憶・知識以外に、生得的または先天的に備えていたとしか言えない「知識」や「構造」が存在する。その一つの例は、「人間の言語」であり、人間の言語は、現在の知見では、人間しか完全には駆使できない。ノーム・チョムスキーの生成文法は、人間の大脳に、先天的に言語を構成する能力あるいは構造が備わっていることを主張している。

子供は成長過程で、有限数の単語を記憶する。単語は、単語が現れる文章文脈と共に記憶される。しかし、子供の言語生成能力は、それまで聞いたことのない文章、従って、記憶には存在しない文章を言葉として話すというところにある。「記憶したことのない文章」を子供が話すということは、それは記憶ではないのであり、それではどこからこのような文章が湧出するのか。

それは「意識でない領域」、または「無意識」から湧出するのだと言える。チョムスキーの考えた普遍文法の構造は、無意識の領域に存在する整序構造である。言語の自然な生成、言語の流れの生成は、意識の外で、すなわち意識の深層、無意識の領域で、言葉と意味をめぐる整序が行われているということを意味する(生成文法では、無意識とか深層意識という表現を後に避けたが、言語の先天的な構造性の主張に変化はない)。

このように、意識の領域に現れる訳ではないが、意識の外の領域、すなわち無意識の領域に記憶や知識や構造が存在し、このような記憶や構造が、意識の内容や、そのありように影響を及ぼしているという事実は、仮説ではなく、科学的に実証される事実である。脳が無ければ言語は存在しないのであるから。

とはいえ、「無意識」という用語は、定義が曖昧で、通俗性が高く、恣意的な意味で使用される危険性が大きい。[要出典]現在では、精神分析学に対する批判も含めて、「無意識」という言葉・概念を使用することに対する消極的な傾向が存在する。[要出典]

深層心理学理論と無意識[編集]
フロイトの抑圧する無意識

深層心理学の理論の代表とも言えるジークムント・フロイトの提唱した精神分析学では、無意識に抑圧の構造を仮定し、このような構造において、神経症が発症するとして、その治療法の理論を展開した。(批判:「抑圧する無意識」は実証できない)。

また、精神分析の理論の応用として、個人における「良心」、社会における「道徳」の起源を、無意識の抑圧構造の文化的な作用として説明した。例えば癖や一見偶発的に見える言い誤りに対し、本人は後に説明を試みる(合理化)が、客観的に辻褄の合わない場合も多々あるためそこに個人的な抑圧構造を見られるとした。これはユングの言語連想法にも受け継がれている。
ユングの自己実現の無意識

分析心理学を提唱したカール・グスタフ・ユングは、「自我である私」が「なにゆえ私である」のかを問うた。「私である意味」は、魂の完全性、円球的完全性の実現にあると考えた。無意識は、自我を自己(ゼルプスト)すなわち「神」へと高めて行く構造を持つと仮定した。(批判:「神へとみずからを高める無意識の構造」は実証できない。しかし、「ユングの基本理論」と「ユングの思想」は分けて考えねばならない。ユングの理論は反証可能性を持たず、現代的な範疇での科学としては、成り立たない)。

分析心理学は、「神話の意味」、「死と生の意味」などを思想的に解明するに有効であった。ユング自身は、科学理論として慎重に理論を構成したが、それは表層構造において、容易に、宗教やオカルトに転用可能な理論であった。

広義の無意識[編集]

「意識でない領域」に関しては、様々な解釈が行われている。催眠状態での意識状態や、宗教的な儀式や薬物摂取で生じる「変性意識(変成意識)」なども、通常の意識でない状態である。

また、このような広義の変成意識などの他に、サブリミナルなどの「意識でない状態・領域」が考えられてきた。「意識でない領域」の存在は確実であるとしても、主観的に把握されるそのような領域について、客観的な記述や説明が行えるかというと困難である。

フロイトやユングの理論における「無意識」は、彼らが理論的に想定した構造の存在は、結果的に実証されないものであることが判明したが、20世紀前半に生まれた、このような「無意識の概念」は、文化的に大きな影響を与えたことも事実であり、思想や芸術において、現在もなお影響を有している。

しかし、無限定に無意識を述べることは、個々人の主観的な把握になり、またトランスパーソナル心理学における無意識もそうであるが、あまりに仮説的要素の大きい無意識は、実証性がますます困難であり、疑問となる。サブリミナルも、何を意味する概念なのか、不確定要素が多すぎる。主観的要素や解釈があまりに大きなそのような言葉の用法や概念については、疑問があると言うべきである。

精神世界

精神世界(せいしんせかい)は、精神や心の世界のことを広く指すための用語。

宗教や哲学や心理学が扱う世界のこと[1]全般を指しうる。だが、その中でも特にニューエイジの運動以降に人々から関心を集めるようになった様々な領域をまとめて指すための用語としてしばしば用いられている。「物質世界」の対義語として位置づけられることが多い。


概説[編集]

精神世界とは、宗教や哲学や心理学が扱う世界のこと全般を指しうるが、その中でも特にニューエイジの一連の運動以降に人々の関心を集めることになったことがらを指すためにしばしば用いられている。精神世界であるので、眼で見たり、手で触れたりする領域には属さないことが中心となっている。

出版界では、アメリカでニューエイジの運動が興隆し、そこである種の思潮や実践(霊性を回復しようとする運動を含む※[2])が展開され、それが日本にも影響を及ぼすようになった後、宗教や哲学とは異なったカテゴリとして「精神世界」というカテゴリ(ジャンル)が確立された。1980年前後には各書店に「精神世界の本」といったコーナーが設けられ、ニューエイジ、ニューサイエンス、瞑想、ヨーガ、仙道、神秘主義、スピリチュアリズム、心霊、チャネリングなどの本がそこに配置されている。また心理学などの中から特にユングやトランスパーソナル心理学などの本が選ばれ配置されている場合もある。書店によってはUFOや古代史などの本が並んでいることもある。 『精神世界総カタログ: 専門書店が選んだ、心と人と世界をめぐる本』というカタログの2000年版では、実に10588冊もの書籍が掲載、カタログ化されている[3]。

宗教、哲学、神話、民間信仰などでは、多様な精神世界論が語られ、霊界や神々の世界や魔界が存在する世界論や、絶対的な他者である唯一の創造神と被造物で成り立つとする世界論、あるいは全てはひとつの神でありこの世は仮の姿と観る世界論、一切は空とする世界論、アニミズム、汎神論、人格神、非人格神など、実に様々な世界観が語られている。単に見えない世界が存在すると語るだけでなく、その内部に秩序性、階層性、多重構造性などがあるとし多元性があるとする説や、反対に本質的には一元で多元と見えるのは仮、とする説なども存在している。精神・心で構成された世界が、目で見え手で触れることのできる物質世界と重なり合って存在しているという世界観※[4]もあり、また本質的にひとつだとする世界観も語られている。

精神世界のジャンルでは、見えない世界のことを知ろうとするだけでなく、見えない世界との交流により何らかの体験をすることで、自身の精神の変革をはかろうとする傾向の本も多々見られる。

唯物主義の立場を採る人は、心理学や哲学や文化全般に無関心で不勉強な傾向があり、このジャンルに属することに関してはあまり知識が無いことが多く、知識が無いまま「精神世界」を(レッテル用語の意味での)「オカルト」と単純に短絡させていることも多い。だがこれはやはり理解不足や勉強不足であり、両者は一部重なることはあるが、基本的には別の概念である。

代替医療

代替医療(だいたいいりょう、英: alternative medicine)とは、「通常医療の代わりに用いられる医療」という意味が込められた用語である。代替医療は「補完医療」、「相補医療」とも呼ばれる。Medicineは医療とも医学とも訳されることがあるので「代替医学」とも呼ばれる。その一方で、補完医療(ほかんいりょう、complementary medicine)とは「通常医療や代替医療に取って代わるものではなく補完する医療」という意味が込められた用語である。米国でも日本でも学会等正式の場では代替医療と補完医療を総称して「補完代替医療」(Complementary and Alternative Medicine: CAM) の名称が使われることが多い。

通常医療と補完代替医療の2つを統合した医療は「統合医療」と呼ばれる。

もともとは欧米から発信されている用語であり、欧米での医療の歴史が反映している概念である。

分類[編集]

アメリカ国立衛生研究所 (NIH) に属する国立補完代替医療センター (NCCAM) は以下のように分類している[1]。
代替医学システム alternative medical systems または Whole Medical Systems完全な理論体系と実践体系を持つもの。林のいう伝統医学にあたる心身医療的システム mind-body interventions心理面からの働きかけによって身体機能や症状に介入しようとするもの。瞑想法や芸術療法などを含み、代替医療と見なされるものと現在では主流医療に取り込まれたものが含まれる生物学的治療法 biologically based therapiesハーブ類や、サプリメントなどの物質を利用したもの。民間薬などと呼ばれる物がふくまれる。手技療法や身体を介する方法 manipulative and body-based methodsカイロプラティックや温熱療法など身体の部分や一部に接触することによる治療法エネルギー療法1.バイオフィールド療法:気功やレイキなど科学的に証明されていない人体の周囲や内部に存在するとされたエネルギー場に作用させる治療法2.生体電磁気療法:電磁気刺激を通常医療とは異なる方法で使用する療法
林義人は、代替医療を全て分類しきることは困難であるが以下の4つのタイプに大まかに分類できるであろうと述べた[2]。
伝統医学伝統中国医学、韓医学[3]、アーユルヴェーダ(インド医学)、ユナニ医学(en:Unani)等、数百年以上の長きに渡り、それぞれの国家において多くの伝統医師により研究・継承されてきた歴史・伝統があって、奥深さや広がりを伴った体系を持っており、各国の国民の健康を長らく支えてきた実績のあるもの。近代以降、現代西洋医学が前面に出てくるまでは、むしろこちらが主流であったもの。民間療法国家的な広がりまではなく、小集団によるもの。歴史があるものも、最近登場したものもある。アメリカで発祥したカイロプラクティック。アメリカでは国家資格として扱われており、 資格を持つ者は doctor of chiropractic と呼ばれる。、オステオパシー、大正時代に日本で発祥し、欧米で先に普及したレイキなど。栄養にまつわる療法食餌療法の延長として、効果を期待するもの。特定の食事、食事法のこともあれば、食事成分のこともある。食事成分の場合、完全に同一成分の錠剤を摂取しても保険制度を利用すれば通常医療という位置づけである。最先端治療法西洋医学の医師によって研究され、一部では用いられた例はあったとしても、その時点ではまだ大半の医師からは標準的な治療としては認知されていないもの。例えば、1990年の日本における腹腔鏡手術など。
ただし、日本では歴史的に見ればむしろ東洋医学が主流医学であり現在でも用いられているので、東洋医学を代替医療に含めてしまうような欧米式の分類は日本の状況には馴染まない点があると指摘する人もいる[4]。

各国での状況[編集]

欧米の先進国において代替医療の利用頻度が急速に増加している[5]。1990年代以降に代替医療への関心が高まっており、さらに代替医療の科学的研究に大きく予算が配分され政策として実行されてきた。

実際に使用されている代替医療の種類はアメリカと日本ではかなり異なっている[6]。例えば複数回答可のアンケート調査の結果のそれぞれ上位3を見てみると、米国では1位がリラクセーション 16.3%、 2位 ハーブ 12.1 %、 3位 マッサージ 11.1%であり、日本では1位 サプリメント 42.0%、 2位 マッサージ 31.2 % 、 3位 リフレクソロジー 20.2 %の順になっている[6]。

アメリカ合衆国[編集]

利用状況[編集]

1993年、デービッド・アイゼンバーグ博士(ハーバード大学代替医学研究センター所長)はアメリカ合衆国国民の代替医療の利用状況についての調査報告を発表した。この調査は、この研究センターが研究している16種類の代替医療に関してのみを調査対象にしていた[7]。 16種類に限定していたにもかかわらず、利用状況は医師らの予想をはるかに超えていた[8]。

1990年時点で、これら16種類の代替医療を受けたアメリカ国民は全国民の34%に達していた。代替医療の機関(治療院、ルームなど)への外来回数はのべ4億2700万回に達していた。この数はかかりつけ開業医への外来3億3800万回を超えていた[9]。

この調査で、学歴が高い人、収入の多い人、知識人層など時代を先導してゆくとされる人たちほど、代替療法のほうを評価し、積極的に利用している、ということも明らかになった[10]

1997年の調査では代替医療への外来回数は6億2900万回になり、1990年の調査時のおよそ1.5倍に増加した[11]。

研究と教育体制[編集]

日本、韓国、中国などでは正規の病院で漢方薬が処方されるが、アメリカでも10を超える州で医学的に効果の証明されたものには保険が適用されている。ただし、ホメオパシーなど現在でもその効用が実証されていないものは除外されている。

1992年、国民の利用関心を背景としてアメリカ国立衛生研究所(NIH)にアメリカ国立補完代替医療センター(NCCAM)が設置された。

当初の年間予算は200万ドルであったが、現在では1億ドル以上の予算が割り当てられている[5]。全米の医科大学・医学ラボなどでの代替医療研究を振り分け、政府予算も割り当てられている。2000年にはホワイトハウスに補完代替医療政策委員会が設置された。代替医療の教育について、全米の医学生が少なくともひとつの代替医療を並行して学べる体制を各医学部が備えていることが望ましいとして、国立衛生研究所では公式に推奨している。そのような代替医療教育体制は全米の医科大学の50%以上で既に実施されている。1998年の段階でも、全米125医学校中75校が非西洋医療の講座・単位を持つようになっていた。医学生の側も80%余りが代替医療を身に着けたいとアンケートに答えている。

ジョージタウン大学は代替医療教育において初めて正規課程(修士課程)を定めた学校であり、国立衛生研究所が目と鼻の先にあることもあり、多くの代替医学研究がされている。また、アリゾナ大学の医学教授アンドルー・ワイルにより西洋医学による医療と代替医療とをあわせた統合医療が教育実践されている。

イギリス[編集]

1983年、王室基金の援助で代替医療などの研究を行う、The Research Council for Complementary Medicine:RCCM が設置される。

1991年、イギリス保健省は医師が効用が医学研究者によって科学的に証明された代替医療の場合は治療家を雇用することが保険適用できることにした。

ウェールズ公チャールズの案で、5か年計画で国家レベルでの代替医療の研究が進められている[5]。

2004年3月、西洋医学や中医学による鍼灸とハーブ療法の治療について資格制度ができることになった[12]。これは英国保健省とチャールズ皇太子のThe Prince of Wales's Foundation for Integrated Health が制度化に向けてすすめてきた[12]。

ただし、2010年2月22日、庶民院科学技術委員会(House of Commons Science and Technology Committee)が、ホメオパシーはプラセボと同程度の価値しかなく国家がNHS(公的保険として支援)とするに値しない、と結論づけ[13][14][15]、保険適用は国ではなく地元のNHSと医師の判断に委ねられた[16][17]。

ドイツ[編集]

日本補完代替医療学会によって、主要先進国では最も代替医療が活用されていると報告された[5]。

アジア全般[編集]

日本、韓国、中国などでは正規の病院において東洋医学による治療が行われており、漢方薬が処方されている。

日本[編集]

日本で代替医療の歴史をさかのぼるということは、伝統医学等の歴史をさかのぼるということになるので、その起源を明らかにすることは困難な面がある[6]。 近年では西洋医学の視点から代替医療を検証しようとする動きがあり、1997年に日本代替医療学会(現 日本補完代替医療学界)が創設された。会員数は約1000名で、会員構成比率上位を5つを挙げると内科医、外科医、薬剤師、産婦人科医、小児科医となっている[6]。1998年には日本代替・相補・伝統医療連合会議が、2000年には日本統合医療学会が設立された[18]。漢方医学は日本の伝統医学なので以前から日本の大学医学部において講座が設置されていたが、2002年3月には補完代替医療学講座という名称では初となる講座が金沢大学に誕生した。日本ではさらに、北陸大学薬学部に代替医療薬学教室が、大阪大学大学院医学系研究科に生体機能補完医学講座が設置されている(2006年現在)[6]。

具体例[編集]

日本で行われることがある代替医療の具体例としては以下のようなものがある。
東洋医学(伝統中国医学、漢方医学) ※ ただし、東洋医学(漢方医学)については、代替医学に含める見解も、含めない見解もある。上述のごとく東洋医学(漢方医学)を代替医療に含めてしまうのは日本の状況に馴染まない、歴史的に見ればむしろ東洋医学が主流医学である、と指摘する人もおり[19]、また、日本で多くの病院の医師(臨床医)などが手元に置いて治療法の選択時に参考とする『今日の治療指針 -私はこう治療している-』などでも、処方例の中に漢方薬も挙げており、医学部で西洋医学系の訓練を受けた医師も日常的に漢方薬を処方する例は近年増えており、日本ではいわば"通常医療"としての面も持っているので、これについてはやはり欧米風の単純な分類は馴染まない。

鍼灸
指圧や柔道整復。
その他の東洋の各種伝統医学 例えばインドのアーユルヴェーダ

マッサージ
オステオパシーやカイロプラクティックのような欧米発信の手技療法
アロマセラピー

また
各種療術、民間療法
宗教的なヒーリング
ホメオパシー

鳩山由紀夫首相は2010年1月29日の施政方針演説で「統合医療の積極的な推進の検討」を表明した。これをうけて厚生労働省は、統合医療への保険適用や資格制度の導入を視野に、2月5日に統合医療プロジェクトチームを発足させた。プロジェクトチームは統合医療の研究がさかんなアメリカの国立衛生研究所のジャンル分けを参考に、中国医学やアーユルヴェーダ、ユナニ、断食療法、瞑想、磁気療法、オゾン療法、気功を含んだ統合医療の日本国内での実態把握をはじめることにした[20][21]。

注意点[編集]

一部のカルト集団が勧誘の手段として代替医療を行っている例もあるという[22]。

ホメオパシーなどの一部の代替医療の喧伝には類感呪術、感染呪術の手法が見られる場合があり[23]。、これらの手法に対する親和性の高い読者層をターゲットとした雑誌、書籍類(日本ではLOHASを採り上げる女性誌)において広く広告、喧伝が見られているという。

代替医療とエビデンス[編集]


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補完代替医療に用いる薬物の科学的検証の手順などは、現代西洋医学でのそれとは異なっていることが多い[6]。現代西洋医学の場合では、新奇な物質を用いようとすることが多いわけなので、まず物質を同定してから細胞実験、動物実験、人体における臨床、という順で行われるが、代替医療の薬の場合は、すでに広く用いられているものが多く、古くからヒトで使用されており安全性が確認されているものが多いため、動物の安全性試験を通過したものは、臨床試験で本当に有用なのか判定した後に、物質の同定へと進むので、順序が異なるのである[6]。最近では補完代替医療の専門雑誌も数多く発刊されるようになっており、科学的なエビデンスが急速に蓄積されつつある[6]。eCAMという専門誌もあり、これは日本側の研究者らの提案によって発刊され、東洋医学の成果の投稿に適した国際誌であり、インターネットで無料で閲覧可能である[6]。(Evidence-based Complementary and Alternative Medicine[24])

代替医療の中には、鍼灸・漢方(薬用植物)・推拿のように、長い歴史の中で経験的に有用性が認められてきたが、近年改めて科学的実験・調査が行われ、有意な治療効果が見込めることが確認されるようになった療法もある。鍼灸・漢方といったような代替医療にもエビデンスを主体にした考え方も出てきており、また、WHOが1996年、鍼灸における適応疾患を起草したり、1997年、NIHの鍼治療の合意形成声明書が発表され[25]、西洋医学の補完代替医療へのアプローチも進んできている。

米国政府は補完代替医療の有用性を検証研究するため、米国NIHの下部組織として国立補完代替医療センター (NCCAM) を設立した。

イギリスにおけるリフレクソロジーのように、数年にわたる実データの蓄積を含む正規の科学的な検証を経たうえで、議会の承認を経て正規の保険医療に組み込まれ成果をあげているものもある(日本においてはまだ ”リラクゼーション”や「代替医療」扱いである)。

食事療法や健康食品のような分野は代替医療の中でも研究が行われにくいために、エビデンスが少ないと報告されている[26]。 米国では、食事療法や健康食品の使用については特定の疾患では注意した上で容認するというガイドラインがある[5]。

サイモン・シンらが行ったEBM(科学的根拠に基づく医療)の手法を用いた調査では、「鍼灸はいくつかのタイプの痛みと吐き気には効いている」とされた。また同調査で、「カイロプラクティックは腰痛の治療にのみ有効性が認められる」「ホメオパシーについては、ほぼプラシーボ効果である」とされた。英国カイロプラクティック協会はサイモン・シンを訴えていたが、最終的に訴訟は取り下げられた[27]。

プラセボ以上の医療効果が無いものまでも代替医療の範囲に含めるべきかについて議論がある。。 サイモン・シンらが行ったEBMの手法を用いた調査では、「カイロプラクティックは腰痛の治療にのみ有効性が認められる」、「ホメオパシーはほぼプラシーボ効果である」とされた。[27] ホメオパシーについては、イギリスの下院委員会も「ホメオパシーには偽薬以上の効果はない」として公的扶助の対象外(保険適用外)とすべきであると言う報告書をまとめた[28]。

民間療法

民間療法(みんかんりょうほう、英: Home remedy ) とは、古くから民間で見出され伝承されてきた方法によって行う治療法のことである[1]。

民間療法の一部は、様々な観点から代替医療の一部と見られることがある。これについては代替医療の項目を参照のこと。

概要[編集]

民間療法は、主に経験則に基づいた医療(もしくは医療の類似行為)である。

伝染病や負傷などの各種疾病や特定の症状や負傷に対応したものもあれば、慢性疾患や更年期障害に対するものも存在している。

治療効果の程はまちまちである。よく効くものもある。あまり効かないものもある。反対に健康被害を招くものもある。




歴史[編集]

民俗学的分類[編集]

日本の民間療法を民俗学の観点から見た場合、古代には巫医・僧医など医学知識を有した宗教者が医療行為を行っており(弓削道鏡が孝謙上皇の治療を行ってその寵愛を受けた故事は彼が僧医としての性格を有していたことを示す)、

民俗学の観点からは、次の4種類の要素に分類可能である(ただし、実際には複数の要素にまたがるものも多い)。また、中には梅干を毎食食べると健康が増進するとか、臍に貼ると船酔い・車酔いに効くといったように予防保健思想を含むものもある。

今日でも「無病息災」を神社仏閣に祈るという形で信仰と医療との結びつきの残滓が残されている。
物理的療法摩擦・圧迫・刺激・加熱・加湿・冷却など、物理的な力や温熱冷熱によるもので、薬物的療法(風邪や喉の痛みに生姜をおろしたものを服用したり布に伸ばして当てる)や信仰的療法・呪術的療法(神社・仏閣の湧水で目などの患部を洗ったり、灸治に適切な日が存在すること)など組み合わせて行われる場合もある。発熱を感じたら患部を冷やす、傷口から血が出ているのに気づいたら傷口を押さえたり舌でなめる、体内に違和感を持ったらその付近を擦ったり揉んだりするなどの行為も物理的療法の初期的な段階と言える。また、鍼灸をはじめ、温泉・サウナを含めた風呂などへの入浴行為やしゃっくりの時に息をせずに冷水を一気に飲むという慣習もその一種であると言える。瀉血もこの範疇に入ると思われるも、実際、有効な場合も、根拠がない場合もある。

詳細は「瀉血」を参照
薬物的療法いわゆる草根木皮の類を用いていわゆる「民間薬」を服用することで、現代において未だに科学的な薬効の成分・原理が明らかにされていない場合でも、現実に効力の存在を認めざるを得ない事例もある。なお、古い時代の民間薬に下剤が多いのは、刺絡などと同じように体内の邪悪なものを病気ごと対外に排出しようとする古い医学観の表れと考えられている。胃痛に熊の胆やセンブリを煎汁(煎じたもの)を用いたり、下痢や消化不良にゲンノショウコの煎汁を用いたり、漆かぶれにサワガニを潰した汁をつける、蜂刺されに小便や里芋の葉の汁を塗る等というものである。また、夏バテに鰻を食べたり、スッポンの血を飲むという慣習もその一種であると言える。信仰的療法神社・仏閣に赴いて祈願したり、加持祈祷や百度参りを行うもので、特定の病気などに対する霊験が伝えられる神社・仏閣及び関連する事物の存在(地蔵尊)などが知られ、巣鴨のとげぬき地蔵のように観光名所となっている場所もある。また、古くは銭湯や温泉に神仏が祀られている例もあった。呪術的療法接触あるいは類似物を用いることで傷病を治癒させようというものである。脳病に猿の脳の黒焼きを飲む、肺結核に石油を飲む、イボをとるのに石の穴に溜った水をつけると石のくぼみとイボが相殺されて治癒する、ものもらいに藁の芯を目の前で結んで燃やす、喉に刺した魚の骨を除くのに魚網を頭から被る、紙の人形(ひとがた)で身をなでて穢れを移して川に流すと病などの災厄から避けられるなどが知られる。これらには科学的根拠が無いものが多いが、前述のようにシャーマンや祈祷師が巫医としての活動は長い歴史を有している。また、律令制の典薬寮においても医学的な治療を行う部門と並んで道教医療の一貫である呪禁を専門に扱う部署が存在していた。なお、今日においても風邪を他人にうつせば治癒するという慣習も風邪という形で露出した穢れを他者に移すという呪術的な意味を含んでいると考えられている。
民間療法の具体例[編集]

様々な物が存在するが、代表的なものは高齢者が普遍的に知っている物が多い。

口内炎[編集]

詳細は「口内炎」を参照

口内炎には梅干の果肉を貼り付ける。梅干には殺菌効果のあるクエン酸が多く含まれるため、口内炎の原因となっている細菌を殺す効果が期待できる。[2]

水虫[編集]

詳細は「水虫」を参照

足に湯を掛けてよく洗い、その後日光に当てて良く乾かす。患部を清潔にして直射日光に晒しながら乾燥させる事は、皮膚表面の軽度な水虫治療には効果があるとされる。ただし、ひび割れたり血が滲むような程に悪化している場合はこの方法での治療はまず不可能である。白癬菌の感染は皮膚の新陳代謝よりも早いため、感染後によく洗って清潔に保っても治癒することは無く、専用の抗真菌薬でなければ治らない。

爪水虫では患部へ薬液が浸透しにくいため民間療法でも市販薬でも治療は極めて難しいとされている。通常医療の専門医を受診した場合は一般的には経口抗真菌剤を中心とした治療が行われる。

足ごと食酢につけるという方法もあるが、逆に酢酸によって足の皮膚がただれることがあるため勧められない。

口角炎[編集]

詳細は「口角炎」を参照

口角炎は、カンジタ菌の日和見感染でおこるが、民間療法も多い。例えば殺菌作用が期待されティーツリーから精製される油が用いられたり、保湿効果からアロエベラ、あるいは単純に皮膚の保湿効果を求めてワセリンやオリーブオイルや無塩バターが唇に塗布される。一般にはメンソレータムをはじめとするリップスティック型の軟膏も広く流通しているため、これらも利用される。

なおビタミンB群の不足で起こることも良く知られているため、これらを効果的に摂取できる食品を食べることも行われる。ただ軽度であればこれら民間療法や民間薬ないし一般用医薬品でも症状の軽減や治癒が期待できるものの、症状が重い場合では病院で処方される内服薬(処方せん医薬品)のほうが効果的である[3]。

痛風[編集]

詳細は「痛風」を参照

痛風は関節に尿酸結晶が蓄積する事で発生し得るが、水分を多く取る事で、症状の軽減が図れる事が知られている。また治療効果を期待して、利尿効果のある喫茶が盛んに奨励された。なお喫茶も度が過ぎれば症状の悪化を招いたり、別の意味で健康を害する可能性があるので、今日では注意が必要とされている。

水分を多く取るとよいというのは、尿酸が尿からしか排泄されないためである。ただし、痛風患者には、体内で尿酸が過剰に生成されるタイプと、排泄がままならないタイプとに分かれる。病院で最初に血液検査と尿検査をするのは、そのタイプを見極めるためである。したがって、無闇に飲めばいいというものでもない。なお、水分はアルカリ性のものだと尿酸が溶けやすくなり、排出しやすくなるといわれる。近年、アルカリ性の温泉水が痛風患者に人気なのはそのためであるが、そもそも飲泉は万病に効く民間療法の王道である。

虫刺され・毒蛇の対処[編集]

詳細は「虫刺され」を参照

詳細は「ヘビ毒」を参照

虫(蜂など)に刺された場合に、毒の中和のためアンモニアが含まれている尿を掛けると治るという話があるが、これはまったくの迷信である。排泄直後の尿にはほんの微量のアンモニアしか含まれておらず、アンモニアにも中和作用はない。虫刺されの場合は、刺さった針などを取り除いて流水で洗うなどして患部を清潔に保つべきだとされているが、山登りの最中では水が手に入りにくい事から、応急的に健康であれば無菌(もしくは、アンモニアが含まれている)である筈の尿で患部を洗った(中和した)という逸話があるものの、尿そのものには全く治療効果は無い。場合によっては患部を汚すだけなので避けるべきだとすら言われている。虫に刺された時は針を取り除いて水で患部を洗い清潔に保ち、軟膏を塗布せばよい、とされる。

なお毒虫や毒蛇に刺されたり噛まれた際に、古くから言われている口を使って毒を吸い出すという物もあるが、口内菌で傷口が汚染されるだけではなく、誤って毒を飲んでしまったり、口粘膜から速やかに毒が吸収される可能性もあるため、この方法は危険である。

クラゲ[編集]

詳細は「クラゲ」を参照

クラゲの場合は、危険な毒をもつ物は、皮膚表面に刺胞と呼ばれる毒の詰まった組織片が残っている場合がある。古くは酢やアンモニアで毒を中和できるとか、水道の水でよく洗うべきだと言われていたが、今日では、これらは清潔な海水でよく洗い流して、患部を冷やしながら病院に行く事が勧められている。酢やアンモニアは、刺したクラゲの種類によっては効果が無かったり、逆に刺胞を刺激して、余計に毒液注入を促す危険性がある。

凍傷[編集]

詳細は「凍傷」を参照

軽度の凍傷や凍瘡であれば、氷や雪で患部をマッサージすることで改善が促進される。大陸中央部で古くから使われている。理論的には血管交感神経麻痺による局所充血での循環障害を軽減させるものと考えられる。方法としては、氷塊の場合、滑らかな面で優しく患部をマッサージする。強く擦ると皮膚を損傷する恐れがある。雪は水分の少ない軟らかなパウダースノーで行なう。可能ならば速やかに医師の受診を受ける。中重度の凍傷は、治療が遅れると部分壊死など人体に対する致命的な損傷を与える場合がある。

突き指[編集]

詳細は「突き指」を参照

突き指をしたとき、その指を強く引っ張れば即座に完治する、といわれているのは全くの迷信である。指を引っ張ることによって脱臼や神経破断の危険がある。

また田舎ではマムシの焼酎漬けが効くとの言い伝えがあり、傷をつけずに捕獲したマムシの毒を抜いて焼酎に漬けたものが常備されている家もある。

残像効果

残像効果(ざんぞうこうか)とは、主に人の視覚で光を見たとき、その光が消えた後も、それまで見ていた光や映像が残って見えるような現象のこと。発現場所は網膜内と考えるのが一般的であるが、脳の側とする見方もある。フィクション作品等においては、分身の術などのように非常に素早い(主に身体の)動きを表す、映像や視覚的表現として用いられる事もある。


時間残像[編集]

人の目の時間分解能は約50ms〜100ms程度であり、この時間よりも短い光の点滅は、連続点灯しているように知覚される。例えば、白熱電球の光は、商用電源周波数が60Hzの地域の場合は、1秒間に120回点滅しているが、普通はチラツキを感じない。

映画のフィルム映像やテレビ放送の映像が、実際には静止画(映画では1秒間に24枚、NTSC方式のテレビ放送では1秒間に30枚)の高速な切り替えにすぎないにもかかわらず、点滅しているようには見えないのも、これと同等の現象による。ただし、それがまるで動いているように見えるのは、仮現運動とよばれる別の現象である。

補色残像[編集]

「補色#残像の消去と現出」も参照

ある色をしばらく見つめた後、その色を視界から消去すると、視覚上にはその補色(赤であればシアン、緑であればマゼンタ、青であればイエロー)が残像として残る。これを補色残像(英: complementary afterimage[1])といい、これは元刺激と負の方向の残効が生じる陰性残効(negative afterimage)の一種である。

運動残像[編集]

一定方向に運動しているものをしばらく見つめた後、突然その運動を停止すると、それまでと反対方向に運動しているかのような印象が残像として残る。これを運動残像(英: movement afterimage[1])という。例えば、走っている電車の窓から流れる景色を見たあと電車が止まると、駅が前へ動いていくように感じる。

気功

気功(きこう)は、中国伝統の民間療法、代替治療である。それまで呼び名が様々で統一されていなかったところを1957年に劉貴珍が『気功療法実践』を著し、「気功」という統一された名が一般に定着した。[1]


中国での状況[編集]

気功の基本は、心身のリラックスにある。中国語では体のリラックスのことを「放鬆」(ほうしょう)、心の安定した状態を「入静」(にゅうせい)と言っていて、両者を合わせた「鬆静」(しょうせい)状態が気功を行なうときの基本となっている。心身が安定してゆるんでいる状態で、動作、呼吸法、イメージや瞑想を用いて、総合的に心身の自己コントロールを行なうのが気功の特徴である。また、スポーツでは筋肉を鍛えるが、気功は内臓を鍛えるともいう。

気功の源流は、陰陽五行思想、古代医術やシャーマニズム、中国武術、導引や按摩など民間の養生法、仏教・道教などの宗教の修行法など多岐にわたる。そうした様々な行法の中から、病弱な人でも自分でできる効果が高いものを選び、簡単なことの繰り返しで成果が上がるように工夫されてきたのである。

近代中国気功の成り立ちとして、中国人・因是子が日本の調和道や岡田式静座法などを評価、研究した事を以って、日本から多大な影響を受けたとする向きもあるが、個人の研究を中国気功全体にあてはめるのは、やや拡大解釈にすぎると言えよう。

用語、文化呼称としての気功は広い意味を表し、他国の文化をもそれが養生にかなったものであれば気功と呼ぶ。たとえばヨーガは、インド気功と呼ばれる。しかし、それを以って「ヨーガが中国気功へ多大な影響を与えた」とは言わないのである。

中華人民共和国では中医学の経絡理論などと結びついて、健康法として簡化太極拳と同様公園などで広く行なわれていた。また、一定の医療効果を上げてきたので、中国では病院や療養所などで気功科を併設している場合もある。そうした、医療健康面での功績のために、布教活動が禁止されている中国の中でも、気功と言えば宗教的な色彩のものでも容認される傾向が生まれ、1980年代以降、新しい宗教気功が次々と現れた。その結果、中国政府は、中国共産党に批判的な法輪功を弾圧し、1999年の法輪功事件に至った。

法輪功事件以後、集団で気功をすることの規制が厳しくなり、95年以降中国国内の気功団体は一部を除き皆解体させられ、現在の中国では治癌功法として知られる郭林新気功など一部の公認グループを除いて公園で気功をしているのを見なくなった。中国では現在、健身気功という政府公認の気功を編集している。

中国政府が認定した健身気功[編集]

1998年10月、国家関係部門の審査・認定を経て、健身気功が正式に公布された。

中国の健身気功は広く大衆に伝えられ、膨大な数の人々が鍛練を行っている。

ただし、統一的な管理が不足しているため、健身気功も玉石混交であり、鍛練する価値の低いもの、多くの人々を集めて封建的な迷信を吹き込むものもあり、管理しなければならない状況になってきた。

健身気功の審査・認定は、気功の元編成者の戸籍所在地において審査・決定され、国家体育総局武術管理センターによる最終評価に基づいて公布される。

中国四大気功[編集]

ところが現在は、中国政府の気功管理部門は四大気功しか認めていない。この四大気功は八段錦、易筋経、五禽戯、六字訣で、八段錦と易筋経は少林寺で誕生した。

ただ、この二つは近代化されたもので、少林寺で代々伝わってきたものは、日本では現在少林寺気功の一部として指導されている。

世界医学気功学会[編集]

世界医学気功学会は気功が発祥した中華人民共和国の政府から世界で唯一認められている医学気功の振興と研究のための学会である。1989年11月16日に設立された。全世界で20数カ国の気功師と気功を研究する医師や科学者、気功の愛好者が参加している。本部は中国北京 北京中医薬大学内にある。

1993年、中国人気功師による施術中に患者が死亡する事故が連続、この気功師は逮捕され有罪判決を受ける[2] [3] [4]。

世界医学気功学会の主催会議[編集]

2010年6月22日-24日に中国北京市九華山庄大酒店にて第六回医学気功学術交流会議および学会成立二十周年記念会が開催された。

日本・台湾の状況[編集]

日本や台湾では中国と交流が深く、中国国内(香港)のような規制がないため、気功各派の自由な交流があり、武術、健康法や民間体育、各国の伝統療法、現代の臨床心理療法などとも結びつきながら、様々に深化発展している。

気功の分類[編集]

気功は、主に体内に「気」を循環させ「気」の質やコントロールする能力を高める内気功と、身体に必要な「良い気」を外から体内に入れ、身体に合わない「悪い気」を体外に排出させるなど「気」の積極的な交換を行う外気功とに大別される。ある種の気功師による外気功は、ときに超能力的なものとして捉えられる場合もある。また、美容や病気の治癒も含めた健康面に関する気功を軟気功、護身術など相手を倒したりするものを硬気功と分類する場合もある。

他に、法術(祝由十三科)と分類される気功法がある。これは、古くは巫術とよばれ、道教や仏教など宗教でも利用されてきた、「気の情報」を読み取り、または変化させることで病気の治癒や問題の解決を行う気功である。

気功が発祥した中国では数千種類の気功法が存在するといわれており、その練功法についても、体操や呼吸法、イメージ・トレーニングや瞑想のようなもの、それらを併せたようなものなど、気功によって多種多様である。

気[編集]

詳細は「気」を参照

気は目には見えないが何らかの働きのあるものととらえることができる。伝統中国医学では気血と言えば、具体的に体を巡っているものと考えられ、西洋医学で血液が血管を巡るのと同様に気は経絡を巡るものと考えられている。鍼灸治療はそうした気血の巡りをよくすることに主眼がある。気功の気は、明らかにこうした中医学の「気」のニュアンスを強く持っている。実際には、気は体内に、ある変化として感覚されるものを指すことが多い。そうした気の感覚のことを気感と言う。また、気は伝わる性質を持つ。例えば人から人へと瞬時にある状態が伝わる。そうした現象を利用して外気治療などが行われることがあるが、あくびや笑いが伝染するように、そうした気の現象は日常生活の中に常にある。また、公園で樹木と向き合ったり、海辺で波を感じたりしながら、自然界の気と交流することも気功ではよく行われている。気功の修練を積んだものは、気を目視することができるようになるという[要出典]。

気とは[編集]

気の原義は、流れる雲の象徴であり、流動し変化していくことが気の本質である。その意味で、気とは目に見えない自然の働きそのものととらえることができる。また、伝統中国医学では、気が足りないこともまた余分にありすぎることも病気の原因とされ、体内の気の流れを良くしバランスをとることが重視される。

また、中国の思想の中では気の概念は欠かすことができない重要なものである。老荘思想でも、中国武術の世界でも、中医学でも、「気のせい」と言うような漠然としたフィーリングのことではなく、具体的な作用を持ち、生命エネルギーとも喩えられるものとして共通の感覚を持って語られてきた。

ただし、実際はさまざまなものを一括して気と呼んでいる。その為、人によって気の説明が異なることもある。気功師によっても見える気が異なっていて、暖かく感じたり冷たく感じることもあるという。炭火や携帯用カイロ、焼き立てのパン、白湯、体温などから熱を発するものなら全て検知される赤外線が気功師の手のひらなどからも出ていることも判明していると主張する人も居る。[5]。オーリングテストの研究によって、大村恵昭教授は人体の表皮に小口径の光刺激を与えると、ツボが反応することを発見している。電磁場に対する体の反応が、オーリングテストの基礎メカニズムとして存在していると考えられており、これらの現象と気功を結びつけて考えるむきもある。

気の正体については、赤外線説だけでなく、微弱な生体磁気の変化に伴う情報伝達であるという動物磁気(フランス語版、英語版)説も古くから存在する(動物磁気説については、フランツ・アントン・メスメルの項目に記載があるが、メスメルは、動物磁気を今日知られている磁気とはまったく別なものであるとして提唱している)。人の脳には磁気に敏感に反応する生体マグネタイトと呼ばれる磁気感知の為の物質が大量に存在することが分かってきており[要出典]、普通の人は通常意識出来なくとも無意識のうちに脳はそれらの情報を感知しているとも言われている。ダウジングが可能なのも、人の脳がごく微弱な磁気の変化を感知できる優れた能力を潜在的に備えていることに由来するという説を唱える人もいて、これについては、特命リサーチ200Xなどのテレビ番組で繰り返し採り上げられている。人の体は神経を流れる脳からの電気信号で動いているが、これに伴って生体磁気のあり方も様々に変化する。気功師が気を発するときには、てんかんの発作に似た特殊な脳波の状態になっていることなどが確認されているケースもあり、平常時とは異なる生体磁気のパターンが見られることが注目されている。生体磁気の情報が人から人へと伝わることが、背後の人の視線を気配として感じ取る、殺気を感じるといった、気にまつわる様々な現象として日常的にも知覚されているのだと説明を試みる人もいる。オーリングテストの研究によって、人体が無意識のうちに磁場に反応し、脳の活動にも影響を与えていることが確認されている。[要出典]

気功のメカニズムを生体磁気説の側から解き明かそうとする幾つもの実験が行われている。たとえば、気功師が発する生体磁気を脳磁場計測装置(超伝導量子干渉素子MEG)などを用いて計測し、電磁流体(プラズマ)をコンピューターで緻密に制御する技術を応用して、無数の電磁石に相当するものを作り出せるタイプの特殊な経頭蓋磁気刺激装置を用いて再現することで、外気功による治療過程を再現する試みなどである[要出典]。しかし、いまだ全ての現象を解明するには至っておらず、不明な点も多い。近年コンピュータと人間の脳を電磁気的な手段で接続する技術(ブレイン・マシン・インターフェース)の分野の研究が急速に発達してきているものの、最先端分野の研究の詳細は企業秘密とされてなかなか公開されないことが、気功の正体を生体磁気の側から解明する研究を進める大きな障壁になっていると指摘する人もいる。[要出典]

近年、人間同士の間で非接触で作用する、気功の遠当てや合気道の類似の技を、量子脳力学の視点から解明する試も行なわれている。物理学者保江邦夫氏などがこの方面から合気の原理の一部を説明している。[要出典]

催眠、療養と気功[編集]

気功による治療、外気功は暗示による催眠効果、偽薬効果であるという主張する向きもある。しかし、外気功による幾つかの実験では被験者の視界の外、つまり被験者に気付かれない所から外気功を行なっても気功の効果があったと言う事例もある[要出典]。

最近の研究では、気功による療養のメカニズムとして、気功師は自分の手の体温を上昇させることにより独特な遠赤外線を発生させ、これが人体のツボに作用していることが発見されている[要出典]。

一方、イメージ・トレーニング、自己催眠の自律訓練法やトランスパーソナル心理学と気功は共にある種の観応現象を利用して無意識の変化を促すという部分で非常に近い面がある。

タッチセラピー[編集]

ニューヨーク大学看護学教授のデローリス・クリーガーが中国から伝わる「気功」を基本にタッチセラピーを開発し、手術の補助手段として用いられた。1996年、小学校4年生だったエミリー・ローザは学校からの課題をタッチセラピーの研究と決め、科学展で発表する研究に協力してほしいとコロラド州ボールダーでタッチセラピーを開業する21名のセラピストに試験の協力を申し出る。エミリーは被験者とテーブルを挟んで向かい合って座り、そのテーブルはスクリーンで仕切られて互いを見る事は出来ない。セラピストはスクリーンに穿った穴に両手のひらを下に向けて広げる。エミリーは自分の片手をセラピストの片手の下に置くが、相手の手には触れない。セラピストのどちらの手に置くかはコイントスで決める。セラピストはエミリーのエネルギー場を感知し彼女の手がどちらかにあるか当てるという研究方法をセラピストに説明して試験を行った。実験の模様は全て録画され280回の実験の内、セラピストが当てる事が出来たのは44%という結果が算出された。

後、エミリーは母親と医療統計学者の助力を得て実験結果を論文にまとめ、国際的な査読制の医学雑誌「The Journal of the American Medical Association」に寄稿。統計学の専門家と編集者が目を通し「二重盲検法のお手本であり、研究結果は本物である」と太鼓判を押した。これによりエミリー・ローザは学術誌に論文が掲載された最年少科学者となり、この偉業はTVでも取り上げられ「ジェームス・ランディ教育基金」よりエミリーの次研究プロジェクトに1000ドルの補助金を授与した。この試験にかかった研究資金はスクリーンなどの材料費10ドルであった。タッチセラピーは全米70以上の病院で患者が希望すれば施術を受けることが可能となっている。タッチセラピーの創始者であるデローリス・クリーガーは、セラピューティック・タッチの効用を実証したことに対して1998年度のイグノーベル科学教育賞を受賞するも授与式は欠席した[6] [7] [8]。

錬功[編集]

錬功(れんこう)とは、気を練ること。練功とも書く。気功の修行は練習とは言わず錬功という。気功では難しい動作ではなく単純な動作を繰り返し行い、気を鍛錬する日々の積み重ねが大事とされる。功とは積み重ねた功夫のことである。

気の見方[編集]

気は修練を積めば、誰にでも見えるものだと言われている[要出典]。次に紹介する方法で確認できるかもしれない。
1.部屋をやや暗くして、白い壁に向かって両手の手の平をかざし、手の甲を自分に向ける。
2.五本の指をすべて伸ばし、左手の中指と右手の中指を向かい合わせるようにする。
3.指と指の間を1cm位離して、視線は指ではなく指と指の間を見るようにする。
4.そのまま、30秒ほど見つめ、視線は動かさず、両手を左右に広げる。
5.慣れてくると、両手の指先から気が放出しているのが見えるようになる。

ただし、この方法によって見えるのが本当に「気」であるのかどうかは不明である。残像効果も参照のこと。

レイキ

レイキ(靈氣、霊氣、霊気などとも表される)とは、日本発祥の民間療法である臼井靈氣療法が日本国内外で発展し普及した代替医療であり、一種の手当て療法である。国外ではReiki(あるいはRay-Ki)と表され、国によっては[どこ?]医療補助の対象となる。日本国外に伝わった後に日本に逆輸入された系統を「西洋レイキ」と区別することもある。また、臼井靈氣療法が元になっていることを明示するため「臼井」または「ウスイ」を前に付加して表記することもある[1]。

「Reiki」は日本語発祥の言葉として、欧米を中心とする海外で認知度が高い。2001年に発行されたイギリスの辞書「Collins English Dictionary」の新版では、新たに収録する日本語の一つとして、「Ramen」「Bento」「Gaijin」などと共に「Reiki」が選ばれている[2]。

有効性を示唆する研究はあるが、その多くには対照群の設定が適切でないなどの欠陥がある。信頼できる研究の成果によれば、レイキが何らかの病気に有効だとする科学的根拠はない[3]。


概要[編集]

「西洋レイキ」については臼井甕男の始めた臼井靈氣療法が海外で一部簡略化しつつ独自に発展したものである。臼井の弟子の一人であった林忠次郎からハワイ在住の日系人、高田ハワヨへと伝わったものが主だが、若干の別ルートから伝わったものもあることが判明している。

日本国内では実践者が少なくなっていたが、代替医療の受け入れに柔軟な海外の国々で流行し、1980年代のニューエイジブームと共に逆輸入される形で受け入れられ広まった。

効果としては生命の活性化をはかり、生体内のエネルギー・バランスを調整するとされている。ただし即効性のあるものではない。リラックス効果は高く、レイキを受けながら入眠すると熟睡しやすい。レイキは手のひらを通じてエネルギーが流れるというものである。西洋レイキにおける基本的な施術のやり方は、受け手が横になり施術者が全身の12ヶ所に順に手をあてていく。終了まで約30分から60分。しかしレイキは型にはまったものではないので応用をきかせる等、ある程度は自由なやり方で構わない。受け手側は施術中にもし不快感や尿意などを感じた場合は我慢してはならない。ストレスを感じては本末転倒だからである。レイキの習得に特別な修行は必要なく、誰でも身につけられる。

臼井が創設して今日も続いている臼井靈氣療法學會(臼井霊気療法学会)の内部伝承によると、新宗教の教祖の中には臼井靈氣療法を学んだことがある人が少なからずあるといい、生長の家の谷口雅春や世界救世教の岡田茂吉などの名が挙げられている。

最近の傾向として、民間療法としてだけではなく、実践者の自己啓発、能力開発の一環としても広まりつつある。レイキは宗教ではないが、レイキの教室では自己啓発セミナーのようになっている所がある。

また日本では途絶えていたとされる霊氣の伝授者だが、臼井霊気療法学会が現在も存続していることが判明した上に民間療法として石川県の山口家に残って伝わっていたものが近年になって発見された。山口家への伝授の系列は林忠次郎の直伝ということも資料などから証明され、心身改善臼井靈氣療法・直傳霊気として再度組織編制され広く知られるようになった。

歴史[編集]

伝承によれば臼井甕男(1865年-1926年)が「wikt:安心立命」の境地を求めて1922年(大正11年)3月に鞍馬山にこもり21日間の絶食を行い、21日目の深夜に脳天を貫く雷のような衝撃を受けて失神し、目覚めた時には治癒能力を得ていたという。それを霊気(靈氣、霊氣)と名付け同年4月東京に「臼井霊気療法学会」を設立。翌年1923年には関東大震災が起きたが、その際には負傷者の手当てに活躍したとされる。1926年に死去。

臼井は霊気の伝授レベルを初伝、奥伝(前期・後期)、神秘伝に分けており、英語ではそれぞれファーストディグリー(レベル1)、セカンドディグリー(レベル2)、サードディグリー(レベル3)またはマスターズディグリー等と訳された。臼井が神秘伝まで伝授した(師範)のは21または20人とされるが、その中の1人海軍大佐、林忠次郎(1879年-1940年自死)は退役後1925年(昭和6年)に治療所を開設「林霊気研究会」を設立した。1935年にハワイ生まれの日系2世高田ハワヨ(1900年-1980年)が日本に帰国した際、重度の難病を林忠次郎のレイキにより完治したことから弟子入り。1938年にハワイを訪れた林忠次郎から神秘伝の伝授を受ける。高田は林から神秘伝を受けた13人のうちの最後の1人となる。

高田ハワヨは1970年まではセカンドディグリーまでしか伝授していなかったが、1970年以降サードディグリーの伝授を始め22人がマスターの伝授を受けた。高田ハワヨの孫、フィリス・レイ・フルモトを含めた21人の所属した「レイキ・アライアンス」、22人のうちの1人であった文化人類学者バーバラ・ウェーバー・レイは1982年に、アメリカン・インターナショナル・レイキアソシエーション(現ラディアンス・テクニーク)を設立してレイキの普及に貢献した。アメリカをはじめ、イギリス、カナダ、スペイン、ドイツ、オランダ、オーストラリア、インド、シンガポール、中南米、台湾、香港など世界各地に広まっている。

日本では一旦廃れるも、1980年代にニューエイジブームと共に「REIKI」として逆輸入の形で広まった。その当時は国内ではセカンドレベルまでの伝授にとどまっており、1990年初めにマスターレベルの伝授が行われるようになった。日本国内のみで続けられている霊気は臼井甕男によって創設され現在も存続している「臼井霊気療法学会」がある。

オーラ

オーラ(aura) とは、人体から発散される霊的なエネルギーのこと[1]。転じて、ある人物や物体が発する、一種の独得な霊的な雰囲気も指す[1]。

「息」を意味するギリシア語「アウラー (αύρα / aura)」に由来し、英語としてはやや文語的な表現である。 漢字表記では「奥拉」となる。


オーラに関する様々な説明[編集]





en:Walter John Kilner (1847-1920) の描いた健康な女性のオーラ。2重に描かれている。この図での色はあくまでふたつを区別するために彩色されたもので、他の意味は無い、とのこと。
オーラの概念の説明するにあたって、そこに個人差が生まれる事もある。

テッド・アンドリューズは、「人間のオーラというのは肉体を取り巻くエネルギーフィールド」で「人間をすっぽりと包み込む立体的なもの」「健康な人の場合、オーラはからだのまわりを楕円形、あるいは卵型に包んでいる」「平均的な人で、身体のまわり2.5〜3mにわたって包んでいる」と、解説した[2]。

ジェーン・ストラザーズは、オーラというのは人を取り巻く「気の場」だとし、人の健康、気分、エネルギーレベルについて教えてくれる、とした[3]。

ウィリアム・アトキンソンは、オーラとは実在する力だとし、「念体」だとする。オーラにもいくつかタイプがあるとし、その基本形の「プラーナオーラ」は生命の現物質でもある、とする[4]。

科学者であり神秘思想家であるエマヌエル・スヴェーデンボリは、人間の周りには「波動体」が存在し、その中に人間の思考が視覚的に現れると述べている。

また、宗教画などに描かれる後光(ハロー)をオーラとみなすことがある。ユダヤの神秘学カバラでは、オーラの事を「星気光」と表現している。キリスト教の宗教絵画には、光のオーラに包まれた(イエスなどの)人物が描かれている。

オーラの数や色や意味[編集]

オーラの数は複数あるとか、色があるとされることもある。ただし、数、名称、色の数や意味は説明する人によって異なっている。

江原啓之はある著書で、オーラの色は本質的な人格を表している、と解説し、特徴的な12色のオーラを感じ取る方法と、それぞれの色が持つとする意味やパワーを解説。また感情や状況の影響を受けるとした。第一のオーラ、第二のオーラがあると説明、第一のオーラについてはブッダやキリストを含んだチャートで説明した[5]。

オーラは右のWalter John Kilnerの図のように二重に描かれていることがある。

また、神智学などの霊的伝統によると、体を取り巻くオーラはエーテル体、アストラル体などいくつかの階層に分かれている。

バーバラ・バウアーズは著書でオーラの色を14色挙げ、質問リストに答えることでその色彩を推定することも可能とした[6]。

寺尾夫美子は著書で、オーラには魂からのメッセージ(あるいは永遠の命の記憶)が秘められていて、魂は、人が物質に囚われた眠りから目覚め、この世に生まれてきた目的を生き始めるのを待っている、と解説。また、人々のオーラが輝くようになると世界は愛と調和に満ちた時代を迎えることになる、と解説した[7]。

ヨガとオーラの知覚[編集]

寺山心一翁は、ヨガを行っていて、ある日のこと、第一チャクラから頭頂部にある最後の第七チャクラまで意識を移動させてゆくことがとてもうまくいった時に、尾てい骨の部分が唸りを生じて、上部に上がってゆくように感じ、気持ちが高まり涙が流れた。つまりクンダリーニを体験したという。そして自宅の二階に戻り身体を休めるために一眠りした後起きた時には、家族の皆の顔の周囲に白い光、人々の頭に輝くオーラを見ることができるようになっていたという[8]。その日以来、人のオーラを容易に見ることができるという[8]。

後日、白隠禅師の書いた『夜船閑話(やせんかんな)』と『遠羅天釜(おらてがま)』という解説書を読む機会があり、自身が体験したことはそこに書かれている「軟酥の法(なんそのほう)」そのものであった、ということに気づいたという[8]。

伝統思想とオーラ[9][編集]

古代からインドにおいては、プラーナと呼ばれる宇宙エネルギーが伝承により伝えられている。ヨーガの行者は瞑想や呼吸法を通じてプラーナを操作するとされる。

中国では紀元前3000年には既に気の概念が存在した。気は「陰と陽」の2極から成る生命エネルギーである。この2極がバランスが取れていると肉体は健康を示し、バランスが悪いと病気になるという。鍼療法は、これら2極のバランスを取ることを目指すものである。

日本の超心理学者である本山博は、気とプラーナの概念は同じ生命エネルギーを指すと結論した。

古代ヒンドゥーのヴェーダ聖典やアメリカインディアンの呪術医師、チベット・インドの仏教や日本の禅仏教、バラ十字教や神智学などの教えでもオーラの概念が伝えられている。

ジョン・ホワイトの著書「Future Science」によれば、オーラの概念は少なくとも97の文化圏で見られる。

医療用語のオーラ[編集]

神経医であり精神科医であるシャフィカ・カラグラ(Shafica Karagulla)は、オーラを視ることで患者を治療する医師たちを訪ね歩き、その体験談をまとめ著書(Breakthrough to Creativity)として出版した。カラグラは当初オーラの概念に懐疑的であったが、そうした医師たちが患者たちの肉体の内奥を透視したり、患者たちに正確な医学的判断を下せる能力がある事を認識し意見を改めた。カラグラの著書によると、1960年代当時、オーラを視る能力のある医師は他にそうした能力を持つ者がいることを知らずに孤立しており、自らの能力を秘密にしていたという。[10]また、カラグラは研究により、肉体の病気はチャクラの障害に関係があると結論付けた。

ニューヨーク大学看護学部の教授ドロレス・クリーガーは、あるハンガリーのヒーラーが病人のオーラを調整するだけで患者全員のヘモグロビンを上げる事ができる事を発見して以来、オーラを用いた治療法に関心を抱いた。ドロレスは自分の手を用いて患者のオーラを調整する治療法を「癒しのタッチ(therapeutic touch)」と呼んだ。1985年にはサウスカロライナ大学の看護学部研究所長であるジャネット・クインが、「癒しのタッチ」により心臓病患者の不安感のレベルを下げることが出来ることを実証した。この実験結果は当時のニューヨーク・タイムズの科学セクションの一面を飾った。[11]

また、医療の領域で「前兆」という意味でauraオーラという言葉が使われることがある[12]。 てんかんの発作が起きる前に、患者にある種の感覚や感情が引き起こされることがあり、こうした感覚や感情がオーラと呼ばれることがある[12]。こうしたauraによって発作が起きることが予測できる。この意味でのオーラの種類は、関連する脳の部位によって様々なタイプがあり、ある人は体温の変化を、ある人は不安感やパニックを、ある人はめまいを、ある人は異味・異臭を感じる。オーラの内容を医師に言えば、最初に発作が起きている脳の部位を特定する手がかりになる場合があり、診断の情報として使える[12]。 オーラは発作にいたらず、ただのオーラで終わる場合がある[12]。

科学風用語とオーラ[編集]





キルリアン写真で写した指先の跡
科学風の用語を使うときは、オーラは、「微弱な電気エネルギー」、「電磁場である」、「光のエネルギーである」などとされる。[13] キルリアン写真に映るコロナ放電の光や、生化学反応の副産物である微弱生体発光(バイオフォトン)を、オーラだとする人もいる。[誰?]

だが、現在のところ、こうした用語の使用方法が科学的方法にかなっているわけでもないので、これをそのまま科学だと信じてしまうと、それは疑似科学ということになる。

NASAの元物理研究員でありヒーリングスクールの創始者であるバーバラ・アン・ブレナン(en: Barbara Brennan)は、通常の知覚の範囲外に波動領域が存在している、というカール・プリブラム(en:Karl_H._Pribram)の考えが、オーラ現象を理解するには最も良いモデルであると考えている。[14]そしてブレナンは「人間の肉体から放出される光は健康と密接に関りあっているので、信頼できる一般的な光測定機器を用いて光放出を計量する方法を見つけることが非常に重要である」と述べている。ブレナンによれば、肉体から放射されたオーラは既に、静電気や磁気、電磁気や音波などの成分として実験室で測定されつつある。(→#オーラの科学史)

南カリフォルニア大学の心臓専門医であるブルー・ジョイは、オーラを読み取る能力があると告白している。ジョイやバーバラ・アン・ブレナンによれば、オーラを理解するにはホログラムの概念が有効であるという。[15](なお、ジュラシック・パークやER緊急救命室などの原作者であるマイケル・クライトンは、ジョイのもとでオーラを視る能力を開発したと自伝で述べている。[16])

オーラの科学史[17][編集]

紀元前500年のピタゴラス学派にて、オーラの概念は初めて西洋文献に記された。それによれば、全ての自然に浸透している生命エネルギーの発光体が人間の組織に影響を及ぼし、病気を癒す効果もあるという

1200年代のスイスにて、医者であり錬金術師であったパラケルススは人間の癒しをもたらす未分化の生命エネルギーを「イリアステル」と名付けた。

1800年代において、ヤン・ファン・ヘルモントとフランツ・アントン・メスメルは、肉体が離れた相手に互いに影響の及ぼすことのできる“流体”の存在を報告し、ある種の電磁界に似たフィールドが存在しているかもしれない、と示唆した。

1800年代中期には、カール・フォン・ライヘンバッハが 電磁界とよく似た特性を示す「オディック(en: Odic force)」と呼ばれるフィールドの実験を行った。オディックは磁極のように、互いを引きつける力の特性を有しており、また磁極もオディックと関連する極性を有している。ライヘンバッハは、オディックが人間の身体に水晶の力に似た極性を生み出す事を発見した。それによれば身体の生命力には磁石のような有極性があり身体の左側が負で右側が正とされる。この概念は道教やヨーガ、緘療法で知られている。

1911年、内科医のウィリアム・キルナーは人間の身体を取り巻く、3つのゾーンからなるエネルギーフィールドの研究を発表した。キルナーはこのフィールドを「オーラ」と呼んだ。オーラには年齢・性別・健康・精神力などによりかなりの個人差が見られ、キルナーはそれを基にした診断システムを開発した。キルナーによればオーラの状態と肉体の病気には相関関係がある。

現在ではライヘンバッハやキルナーらの実験は、疑似科学としてみなされている。[18]

1939年、精神科医のヴィルヘルム・ライヒは生命エネルギーであるオルゴンの概念を提唱した。これは性エネルギーと関連があるとされ、病気治療に有効であると考えられた。ライヒはオルゴンエネルギーが空間や生物・無生物に脈動していることを確認した。ライヒはジークムント・フロイトの分析法を応用し、肉体の中のオルゴンエネルギーを自然な流れにするための物理療法を開発した。

1939年、イェール大学のハロルド・バー(en: Harold Saxton Burr)が植物の種のエネルギーフィールド(オーラ)を測定した。新芽のまわりにある電場はもとの種子の形ではなく、すでに「生長後の草木のかたち」を示していた。つまり、このフィールドを測定することにより、植物がどの程度育つかが予測できるという。またバーは蛙の卵のエネルギーフィールドを測定して、成長した蛙の神経系の位置を予測できることも発見した。[19]。そしてバーはサンショウウオの周囲に、身体と同じ形をした電場が存在し、その電場が、脳と脊髄をとおる一本の「電気的な軸」をもっていることを発見した。[20]

1979年、ニューヨークの骨形成外科医であるロバート・ベッカー(en: Robert O. Becker)は肉体を流れる直流電流を測定し、そのパターンを表す肉体電気フィールドの地図を作製した。このフィールドは人間の生理的・心理的変化によって形態を変化させること、健康状態や病気と相関して状態を変える事が判明した。

1970年代にドレクセル大学では、超感覚知覚能力者であるカレン・ゲスラらが参加した実験が行われ、オーラエネルギーが2ミリワットのレーザー光線を曲げたり弱めたりすることが可能である事が確認された。この実験結果はNBCテレビで全国的に放送された。

1970〜90年において、日本の超心理学者であり宗教家である本山博は、長年ヨーガを実践してきた人々から放出される低い光レベルの測定に成功している。また本山は経絡を電気的に測定し、その結果を鍼灸の治療に利用している。

「本山博」を参照

1970〜90年において、カザフ大学のヴィクトール・イニューシンはコロナ放電写真を通して人体の「ツボ」の位置を示す事ができたと発表した。またオーラには自由イオンから成るバイオプラズマが含まれることなどを発見した。

同じく1970〜90年において、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の筋運動学の名誉教授、ヴァレリー・ハント(en:Valerie V. Hunt)は、筋電位記録計(人間の筋肉内の電気活動を計測する装置)が、人間のオーラがもつ電気を捉えられることを発見した。ハントは、オーラ透視能力者が人間のオーラが特定の色をしていると視る時に、筋電位記録計がいつも特定の周波数パターンを示すことも発見した。人間の肉体上の交流電流の周波数及び波長と、オーラ透視能力者によって感知された色の間には直接の相関がある事になる。[21](→#ヴァレリー・ハントによる研究)

ヴァレリー・ハントと共同研究を行ったアンドレア・プハリックは8ヘルツの磁気パルスがヒーラーの手から出ている事を測定した。これより高い周波数も低い周波数も人体には有害であるとした。

1980〜90年代に、原子物理学者のロバート・ベックは世界中の多くのヒーラーが、ヒーリング中に7.8〜8ヘルツの脳波パターンを示すことを発見した。またヒーリング中のヒーラーの脳波の周波数と位相は、シューマン共振と呼ばれる地球の磁場の変動と同調していることを発見した。ここから、ヒーラーはヒーリングのために地球の磁場からエネルギーを取り入れている、と推測できる。

同じく1980〜90年代に、ネヴァダ州の生体電磁気研究所の創設者兼所長であるジョン・ツィマーマンによれば、ヒーラーが一度シューマン共振とリンクすると、脳の右半球と左半球が調和し、7.8〜8ヘルツのアルファ波を出すとされる。またツィマーマンはヒーリングで手を当てられた患者の脳波もまたヒーラーの脳波と同調してアルファ波を示すことを発見した。またツィマーマンは、ヒーラーの手から放出されるシグナルの強度や周波数が、生体組織の修復や促進を目的として開発された医療用の電磁パルス発生装置のシグナルと一致することを発見した。この発見は、気功や瞑想などの実践者を対象とした中国おのび日本での研究から裏付けられた。[22]

1990年代には、A.S.Popowのバイオ・インフォメーション機構のロシアの科学者グループにより、生きた有機体が300〜2000ナノメーターの周波のエネルギー振動を放出していることが確認された。このエネルギーは「バイオプラズマ」と呼ばれた。この発見はモスクワの医療科学学会で立証され、イギリス・オランダ・ドイツ・ポーランドでの研究で支持されている。

中国の蘭州大学のチェン・ロンリアンは光量子装置(低光測定装置)や生体検査機を用い、人間の肉体から放出されるエネルギーを測定する実験を行った。その結果によれば気功の達人と透視能力者から発せられるエネルギーには如実に違いが見られたという。

グラナダ大学のOscar Iborraらの研究によると、オーラが視えることで他人のヒーリングができると報告する人々は、通常の人々に比べ、共感覚と呼ばれる知覚を持っている場合が多いとされる。[23]

ヴァレリー・ハントによる研究[24][25][編集]

ヴァレリー・ハントは、霊能者などが霊視して報告する「人体の周囲のオーラの色」と、人体が発する低ミリボルテージ信号の周波数のパターンとの相関関係を実証したと述べている。

(「ボルテージ (voltage)」とは、電圧、電圧量、ボルト数などの意味であり、「人体が発している低ミリボルテージ信号」とは、「人体が通常、発している、ごく微量の電圧(ミリボルト単位)の電気信号」を指す。「全人類が発している、ありふれた電気信号」である)

ハントは被験者の体表に筋電図用の電極をあてて、生体電場エネルギーの測定を行った。電極には銀/銀塩化物製の基本電極が用いられた。電極からのデータは遠隔測定装置をつうじて別室の測定室に転送され、記録された。

ハントは、ロザリン・ブルイヤーという、人体オーラ場の変化を判読する遠隔視能力者の協力をえた。オーラを観察しているあいだ、被験者のからだの筋電図電極からのデータがなんらかの電気的変化を示してもブルイヤーには知らせないことになっていた。ハントはブルイヤーの観察結果が筋電図電極で記録された変化と「完全に」相関していることに気づいたという。

実験に協力した科学者たちは、記録された波動パターンをフーリエ解析法とソノグラム周波分析法で数学的に分析した。その分析の結果も、ハントの研究成果を裏づけた。

ブルイヤーがレポートしたオーラの色と、それに対応する固有の波動形と周波数とが完全に一致していたのだ。ブルイヤーがオーラ内のある特定の場所に青色を観測すると、電子測定は同じ場所に青色と対応する固有の波動形と周波数を記録した。

ハントは、さらに7人のオーラ観察者と同じ実験を繰り返した。1988年2月の結果は、次のような色と周波数の相関を示しているとされる。

青 250 - 275 Hz プラス 1,200 Hz
緑 250 - 475 Hz
黄色 500 - 700 Hz
オレンジ 950 - 1,050 Hz
赤 1,000 - 1,200 Hz
青紫 1,000 - 2,000 Hz プラス 300 - 400 Hz 600 - 800 Hz
白 1,100 - 2,000 Hz

これらの周波数は、全体的には虹の色の逆の順序になっている。

ただし、青と青紫だけは例外である。青と青紫の場合は、最初に記述してある数値が固有の主要な周波数帯である。そのあとに「プラス……」と記述してある二番目、三番目の数値は、飛び火したように存在している固有の、より狭い周波数帯である。

ハントは、「超感覚知覚能力者がオーラの放射を見、描写してきた何世紀もの間、彼らの主観的な色放出の観察を証明する、これが最初の客観的な周波・振幅・時間の電子的証拠である」と語っている[26] [27]。

ヴァレリー・ハントの英語の論文。 http://www.somatics.de/HuntStudy.html http://www.rolf.com.au/downloads/ucla.pdf#search='Valerie V Hunt aura'

この研究に対し、第三者による検証実験は行われていない。

オーラ撮影[編集]

21世紀初頭においては、ヒーリングサロンの一部でオーラ撮影と称するサービスが行われている。 アメリカのInneractive Enterprises社製のオーラビデオステーション、PROGEN社製のウィンオーラなどの機材が使われている。

原理としては、人体内を流れる微弱な電気信号をセンサーにて読み取り、得られたデータを元にコンピュータグラフィックにて現在のオーラの状態を画面上に描画しようとするものである[28]。これにCCDカメラなどで撮影した被写体をデジタル合成し、写真のように表示する。また、チャクラも同時に表示する機能を持つ場合もある。 CCDカメラが付属しているので誤解を招きやすいが、これは被写体をデジタル合成するために必要なものであって、一般の人間の目に見えないオーラをCCDカメラから撮影しているのではない。出力される画像はあくまで“CGで描いたもの”である。

オーラをモチーフに使った作品や番組[編集]
オーラの泉
聖戦士ダンバイン
リーンの翼
光戦隊マスクマン
サイキックアカデミー煌羅万象
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