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2014年02月13日
第五福竜丸
第五福竜丸(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は、1954年3月1日に、アメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉 (くぼやま あいきち、1914年6月21日生まれ)がこの半年後の9月23日に死亡した。
目次 [非表示]
1 沿革
2 被爆事件
3 被爆の影響
4 第五福竜丸を主題とした作品
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
沿革[編集]
第五福竜丸展示館
第五福竜丸船首
第五福竜丸エンジン
1947年、和歌山県東牟婁郡古座町(現:串本町)でカツオ漁船第七事代丸(だいななことしろまる)として進水。その後静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、第五福竜丸(第五福龍丸)となる。
1954年3月1日に、ビキニ環礁での米軍による水爆実験「キャッスル作戦」に巻き込まれて被爆。3月14日に焼津港に帰還し、静岡大学の塩川孝信と山崎文男によって検査を受けた。3月16日の検査では船体から30m離れた場所で放射線を検出したことから、塩川は人家から離れた場所へ係留するよう指示をし、鉄条網が張られた状態で係留された。その後、文部省(現:文部科学省)が船を買い上げ、8月に東京水産大学(現:東京海洋大学)品川岸壁に移される。
この後さらに検査と放射能除去が行われた後に三重県伊勢市大湊町の強力造船所(現:株式会社ゴーリキ)[1]で改造され、東京水産大学の練習船はやぶさ丸となる。この時代の母港は千葉県館山市。
1967年に老朽化により廃船となり、使用可能な部品が抜き取られた後に東京都江東区夢の島の隣の第十五号埋立地に打ち捨てられるが、同年、東京都職員らによって再発見されると保存運動が起こり、現在は東京都によって夢の島公園の「第五福竜丸展示館」に永久展示されている。
心臓部であるエンジン部分は廃船時に船体から切り離されて貨物船「第三千代川丸」に搭載されていたが、この貨物船は1968年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、沈没した。その28年後の1996年12月、民間有志(「第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ」和歌山県民・東京都民運動)によって海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館の脇に展示された。
総トン数 - 140.86t
全長 - 28.56m
幅 - 5.9m
馬力 - 250
速力 - 5ノット
被爆事件[編集]
キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)
1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO) 、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した[2]。実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。
予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初米国がこの爆弾の威力を4 - 8Mtと見積もり、危険区域を狭く設定したことにある。爆弾の実際の威力はその予想を遥かに超える15Mtであった為、安全区域にいたはずの多くの人々が被爆することとなった。
第五福竜丸が米軍による水爆実験に巻き込まれて被爆した出来事は、日本国内で反核運動が萌芽する動機になった(→#被爆の影響)。反核運動が反米運動へと転化することを恐れた米国政府は、日本政府との間で被爆者補償の交渉を急いだ。一方の日本政府も、復興のために米国経済に依存せざるを得ない状況であり、かつ平和的利用の名目で原子力技術を米国から導入できる可能性も出てきた時期でもあったことから、占領国であった米国を刺激したくないという思惑もあった[3]。結果、両者は「日本政府は米国政府の責任を追及しない」確約のもと、事件の決着を図った。1955年に200万ドルが支払われたが、連合国による占領からの主権回復後間もなかったこともあり、賠償金でなく“ex gratia(好意による)”見舞金として支払われた。また事件が一般に報道されると、焼津では「放射能マグロ」による風評被害が発生した。
これに対して米国政府は、第五福竜丸の被爆を矮小化するために、4月22日の時点で米国の国家安全保障会議作戦調整委員会 (OCB) は「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」を起草し、科学的対策として「日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響とする」と明記し、「放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る」と決めていた。実際、同年9月に久保山無線長が死亡した際に、日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、米国は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けている[4]。
米公文書が放射能が直接の原因ではないとの見解を出している理由は、そもそも、久保山無線長の死因の直接原因は重度の急性肝機能障害であること、日本医師団が診断した放射能症(放射線障害)の主な症状は白血球や血小板と言った血球数の減少、小腸からの出血、脱毛等で、肝機能障害は放射線障害特有の特徴的症状ではないこと、被曝が原因で肝機能障害が起きたなら、同様に被曝したはずのマーシャルの被曝者にも多数の肝機能障害を起こした被曝患者が居るはずであるが、実際はマーシャルの被爆者に重度の肝機能障害の患者は全く発生せず、第五福竜丸の被災者17名でのみ発生し、治療中の死亡に至っては久保山無線長のみだからである。
重度の肝機能障害を起こす肝炎、肝癌、肝硬変の原因因子はそのほとんどが肝炎ウイルスの感染であり、アルコールやNASHは肝癌、肝硬変の原因としては全体から見れば少数派であり、放射線被曝での発症率はアルコールよりも低く放射線被曝が原因での肝炎肝癌発症の症例ほぼ皆無である。また、事件当時は医療器具、特に注射針に関してはディスポは殆ど行われず、消毒して使い回しされることもしばしばであり、各種法定予防ワクチンの集団接種で使い回しされた注射針が原因でB型肝炎ウィルス感染が引き起こされ集団訴訟になったのは周知の事実である。第五福竜丸乗組員17名が重度の肝機能障害を引き起こした原因は、ウィルス感染した売血による輸血であるという指摘も存在する[5]。
第五福竜丸被爆者22名の事故後の健康状態調査は、放射線医学総合研究所により長期継続的に行われている。また、2004年度の明石真言博士らの研究所報告によれば、2004年までに12名が死亡、その内訳は、肝癌6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸癌1名、心不全1名、交通事故1名である。また、生存者の多くには肝機能障害があり、肝炎ウィルス検査では、A,B,C型とも陽性率が異常に高い。
第五福竜丸は被爆後、救難信号 (SOS) を発することなく他の数百隻の漁船同様に自力で焼津漁港に帰港した。これは、船員が実験海域での被爆の事実を隠蔽しようとする米軍に撃沈されることを恐れていたためであるともいわれている[6]。
被爆の影響[編集]
焼津の漁船・第五福竜丸の水爆実験による被爆は、長崎への原爆投下に次ぐ「日本を巻き込んだ第三の原子力災害」となり、日本は原子爆弾と水素爆弾の両方による原子力災害(被爆と被曝)を経験した国となった。
そして、第五福竜丸の被爆、特に久保山愛吉無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して死んだ出来事(1954年9月23日)は、日本で反核運動が始まる動機になった。東京都杉並区の主婦による反核運動や、1955年に設立された原水禁に代表される反核兵器運動も、この第五福竜丸の被爆が動機である。
第五福竜丸の被爆により、焼津や東京では「汚染マグロ」が大量廃棄された[7]。
又、第五福竜丸が浴びた放射性物質とその被害は、「ゴジラ」が制作される動機にもなった。
第五福竜丸を主題とした作品[編集]
『第五福竜丸』:事件の5年後の1959年に新藤兼人監督によって同名の映画が作られ、事件の半年後に死亡した久保山愛吉を宇野重吉が演じた。
ベン・シャーンにより同船を主題とした連作絵画『ラッキードラゴン』が描かれている。
岡本太郎作「明日の神話」
ベン・シャーンの連作絵画『ラッキードラゴン』などを用いた創作絵本『ここが家だ-ベン・シャーンの第五福竜丸』 絵=ベン・シャーン、構成・文=アーサー・ビナード(中原中也賞受賞の、米国生まれの日本語詩人)
NHK・特集ドキュメンタリー「廃船」1969年3月22日放送。東京・夢の島に打ち捨てられた第五福竜丸と、乗組員のその後を追う。
ヘルベルト・アイメルト 久保山愛吉のための墓碑銘 Epitaph für Aikichi Kuboyama(朗読を伴う電子音楽作品)
『おーい、まっしろぶね』山口勇子作・童心社:第五福竜丸を題材にした、子供向けの反核童話絵本。
『わすれないで-第五福竜丸ものがたり』赤坂三好、金の星社:第五福竜丸事件を題材にした子供向けの絵本。大人向けの解説と資料も詳しい。
「ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶」 福島弘和:ベン・シャーンのラッキードラゴンから受けた印象を元に創られた福島弘和の吹奏楽曲。春日部共栄高等学校吹奏楽部委嘱作品。
日本テレビ・NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」(制作:南海放送、2012年1月29日放送)[8]
トビウオのぼうやはびょうきです - いぬいとみこ・著、 津田櫓冬・絵 金の星社 1982年刊行の絵本。および同名のアニメ映画。 擬人化されたトビウオの子供と魚たちが主人公。結末では第五福竜丸の事故が語られ、死の灰により魚たちは皆死に、トビウオのぼうやも原爆症に苦しむ。アニメではトビウオが海上を飛ぶ時に写実的な画風に変化する演出がある。教育映画として小学校での回覧上映もされた。
脚注[編集]
1.^ 第五福竜丸の航跡をたどる『廃船』を観る会 6月10日 - 東京都立第五福竜丸展示館
2.^ 原水爆に限らず爆弾などの爆発に直接晒されることを「被爆」、放射線に曝(さら)されることを「被曝」という。東京都立第五福竜丸展示館での表記は「被爆」のため、本項目ではこの記載に統一する。
3.^ 「原子力発電を考える(第17回)電力事業の歴史を追う――第五福竜丸事件と反核運動の成立」、松浦晋也、日経PC Online、2013年3月13日閲覧
4.^ 毎日新聞2005年7月23日「第五福竜丸:『発症原因は放射能ではない』米公文書で判明」
5.^ 高田純 『福島 嘘と真実』 医療科学社 78 - 79頁
6.^ 絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』の記述による。背景には、当時の日本漁船乗組員の中には久保山を始めとして太平洋戦争で徴用され、戦場での体験が豊富な者が多かったため、米軍側が水爆実験の詳細を隠すために第五福竜丸を拿捕・撃沈する可能性が高いと判断したものとされる。乗組員らが監修した、映画『第五福竜丸』でも、無電を使わない理由として言及するシーンがある。
7.^ これらのマグロは東京の築地市場内に埋め立てられ、築地市場には「原爆マグロ塚」が建てられた。近年の都営地下鉄大江戸線の建設工事では、「このマグロが出土するのでは」と話題になった。
8.^ 放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして・・・ - 日本テレビ NNNドキュメント 2012年1月29日(日)/55分枠 24:50〜
ワイド視聴室:NNNドキュメント’12「放射線を浴びたX年後」 - 毎日新聞 2012年1月28日 東京夕刊
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1 沿革
2 被爆事件
3 被爆の影響
4 第五福竜丸を主題とした作品
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
沿革[編集]
第五福竜丸展示館
第五福竜丸船首
第五福竜丸エンジン
1947年、和歌山県東牟婁郡古座町(現:串本町)でカツオ漁船第七事代丸(だいななことしろまる)として進水。その後静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、第五福竜丸(第五福龍丸)となる。
1954年3月1日に、ビキニ環礁での米軍による水爆実験「キャッスル作戦」に巻き込まれて被爆。3月14日に焼津港に帰還し、静岡大学の塩川孝信と山崎文男によって検査を受けた。3月16日の検査では船体から30m離れた場所で放射線を検出したことから、塩川は人家から離れた場所へ係留するよう指示をし、鉄条網が張られた状態で係留された。その後、文部省(現:文部科学省)が船を買い上げ、8月に東京水産大学(現:東京海洋大学)品川岸壁に移される。
この後さらに検査と放射能除去が行われた後に三重県伊勢市大湊町の強力造船所(現:株式会社ゴーリキ)[1]で改造され、東京水産大学の練習船はやぶさ丸となる。この時代の母港は千葉県館山市。
1967年に老朽化により廃船となり、使用可能な部品が抜き取られた後に東京都江東区夢の島の隣の第十五号埋立地に打ち捨てられるが、同年、東京都職員らによって再発見されると保存運動が起こり、現在は東京都によって夢の島公園の「第五福竜丸展示館」に永久展示されている。
心臓部であるエンジン部分は廃船時に船体から切り離されて貨物船「第三千代川丸」に搭載されていたが、この貨物船は1968年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、沈没した。その28年後の1996年12月、民間有志(「第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ」和歌山県民・東京都民運動)によって海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館の脇に展示された。
総トン数 - 140.86t
全長 - 28.56m
幅 - 5.9m
馬力 - 250
速力 - 5ノット
被爆事件[編集]
キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)
1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO) 、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した[2]。実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。
予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初米国がこの爆弾の威力を4 - 8Mtと見積もり、危険区域を狭く設定したことにある。爆弾の実際の威力はその予想を遥かに超える15Mtであった為、安全区域にいたはずの多くの人々が被爆することとなった。
第五福竜丸が米軍による水爆実験に巻き込まれて被爆した出来事は、日本国内で反核運動が萌芽する動機になった(→#被爆の影響)。反核運動が反米運動へと転化することを恐れた米国政府は、日本政府との間で被爆者補償の交渉を急いだ。一方の日本政府も、復興のために米国経済に依存せざるを得ない状況であり、かつ平和的利用の名目で原子力技術を米国から導入できる可能性も出てきた時期でもあったことから、占領国であった米国を刺激したくないという思惑もあった[3]。結果、両者は「日本政府は米国政府の責任を追及しない」確約のもと、事件の決着を図った。1955年に200万ドルが支払われたが、連合国による占領からの主権回復後間もなかったこともあり、賠償金でなく“ex gratia(好意による)”見舞金として支払われた。また事件が一般に報道されると、焼津では「放射能マグロ」による風評被害が発生した。
これに対して米国政府は、第五福竜丸の被爆を矮小化するために、4月22日の時点で米国の国家安全保障会議作戦調整委員会 (OCB) は「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」を起草し、科学的対策として「日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響とする」と明記し、「放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る」と決めていた。実際、同年9月に久保山無線長が死亡した際に、日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、米国は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けている[4]。
米公文書が放射能が直接の原因ではないとの見解を出している理由は、そもそも、久保山無線長の死因の直接原因は重度の急性肝機能障害であること、日本医師団が診断した放射能症(放射線障害)の主な症状は白血球や血小板と言った血球数の減少、小腸からの出血、脱毛等で、肝機能障害は放射線障害特有の特徴的症状ではないこと、被曝が原因で肝機能障害が起きたなら、同様に被曝したはずのマーシャルの被曝者にも多数の肝機能障害を起こした被曝患者が居るはずであるが、実際はマーシャルの被爆者に重度の肝機能障害の患者は全く発生せず、第五福竜丸の被災者17名でのみ発生し、治療中の死亡に至っては久保山無線長のみだからである。
重度の肝機能障害を起こす肝炎、肝癌、肝硬変の原因因子はそのほとんどが肝炎ウイルスの感染であり、アルコールやNASHは肝癌、肝硬変の原因としては全体から見れば少数派であり、放射線被曝での発症率はアルコールよりも低く放射線被曝が原因での肝炎肝癌発症の症例ほぼ皆無である。また、事件当時は医療器具、特に注射針に関してはディスポは殆ど行われず、消毒して使い回しされることもしばしばであり、各種法定予防ワクチンの集団接種で使い回しされた注射針が原因でB型肝炎ウィルス感染が引き起こされ集団訴訟になったのは周知の事実である。第五福竜丸乗組員17名が重度の肝機能障害を引き起こした原因は、ウィルス感染した売血による輸血であるという指摘も存在する[5]。
第五福竜丸被爆者22名の事故後の健康状態調査は、放射線医学総合研究所により長期継続的に行われている。また、2004年度の明石真言博士らの研究所報告によれば、2004年までに12名が死亡、その内訳は、肝癌6名、肝硬変2名、肝線維症1名、大腸癌1名、心不全1名、交通事故1名である。また、生存者の多くには肝機能障害があり、肝炎ウィルス検査では、A,B,C型とも陽性率が異常に高い。
第五福竜丸は被爆後、救難信号 (SOS) を発することなく他の数百隻の漁船同様に自力で焼津漁港に帰港した。これは、船員が実験海域での被爆の事実を隠蔽しようとする米軍に撃沈されることを恐れていたためであるともいわれている[6]。
被爆の影響[編集]
焼津の漁船・第五福竜丸の水爆実験による被爆は、長崎への原爆投下に次ぐ「日本を巻き込んだ第三の原子力災害」となり、日本は原子爆弾と水素爆弾の両方による原子力災害(被爆と被曝)を経験した国となった。
そして、第五福竜丸の被爆、特に久保山愛吉無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して死んだ出来事(1954年9月23日)は、日本で反核運動が始まる動機になった。東京都杉並区の主婦による反核運動や、1955年に設立された原水禁に代表される反核兵器運動も、この第五福竜丸の被爆が動機である。
第五福竜丸の被爆により、焼津や東京では「汚染マグロ」が大量廃棄された[7]。
又、第五福竜丸が浴びた放射性物質とその被害は、「ゴジラ」が制作される動機にもなった。
第五福竜丸を主題とした作品[編集]
『第五福竜丸』:事件の5年後の1959年に新藤兼人監督によって同名の映画が作られ、事件の半年後に死亡した久保山愛吉を宇野重吉が演じた。
ベン・シャーンにより同船を主題とした連作絵画『ラッキードラゴン』が描かれている。
岡本太郎作「明日の神話」
ベン・シャーンの連作絵画『ラッキードラゴン』などを用いた創作絵本『ここが家だ-ベン・シャーンの第五福竜丸』 絵=ベン・シャーン、構成・文=アーサー・ビナード(中原中也賞受賞の、米国生まれの日本語詩人)
NHK・特集ドキュメンタリー「廃船」1969年3月22日放送。東京・夢の島に打ち捨てられた第五福竜丸と、乗組員のその後を追う。
ヘルベルト・アイメルト 久保山愛吉のための墓碑銘 Epitaph für Aikichi Kuboyama(朗読を伴う電子音楽作品)
『おーい、まっしろぶね』山口勇子作・童心社:第五福竜丸を題材にした、子供向けの反核童話絵本。
『わすれないで-第五福竜丸ものがたり』赤坂三好、金の星社:第五福竜丸事件を題材にした子供向けの絵本。大人向けの解説と資料も詳しい。
「ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶」 福島弘和:ベン・シャーンのラッキードラゴンから受けた印象を元に創られた福島弘和の吹奏楽曲。春日部共栄高等学校吹奏楽部委嘱作品。
日本テレビ・NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」(制作:南海放送、2012年1月29日放送)[8]
トビウオのぼうやはびょうきです - いぬいとみこ・著、 津田櫓冬・絵 金の星社 1982年刊行の絵本。および同名のアニメ映画。 擬人化されたトビウオの子供と魚たちが主人公。結末では第五福竜丸の事故が語られ、死の灰により魚たちは皆死に、トビウオのぼうやも原爆症に苦しむ。アニメではトビウオが海上を飛ぶ時に写実的な画風に変化する演出がある。教育映画として小学校での回覧上映もされた。
脚注[編集]
1.^ 第五福竜丸の航跡をたどる『廃船』を観る会 6月10日 - 東京都立第五福竜丸展示館
2.^ 原水爆に限らず爆弾などの爆発に直接晒されることを「被爆」、放射線に曝(さら)されることを「被曝」という。東京都立第五福竜丸展示館での表記は「被爆」のため、本項目ではこの記載に統一する。
3.^ 「原子力発電を考える(第17回)電力事業の歴史を追う――第五福竜丸事件と反核運動の成立」、松浦晋也、日経PC Online、2013年3月13日閲覧
4.^ 毎日新聞2005年7月23日「第五福竜丸:『発症原因は放射能ではない』米公文書で判明」
5.^ 高田純 『福島 嘘と真実』 医療科学社 78 - 79頁
6.^ 絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』の記述による。背景には、当時の日本漁船乗組員の中には久保山を始めとして太平洋戦争で徴用され、戦場での体験が豊富な者が多かったため、米軍側が水爆実験の詳細を隠すために第五福竜丸を拿捕・撃沈する可能性が高いと判断したものとされる。乗組員らが監修した、映画『第五福竜丸』でも、無電を使わない理由として言及するシーンがある。
7.^ これらのマグロは東京の築地市場内に埋め立てられ、築地市場には「原爆マグロ塚」が建てられた。近年の都営地下鉄大江戸線の建設工事では、「このマグロが出土するのでは」と話題になった。
8.^ 放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして・・・ - 日本テレビ NNNドキュメント 2012年1月29日(日)/55分枠 24:50〜
ワイド視聴室:NNNドキュメント’12「放射線を浴びたX年後」 - 毎日新聞 2012年1月28日 東京夕刊
放射性降下物
放射性降下物(ほうしゃせいこうかぶつ、英: nuclear fallout)またはフォールアウト(英: fallout)[1]とは、核兵器や原子力事故などで生じた放射性物質を含んだ塵を言う[2]。広域な放射能汚染を引き起こす原因はこの放射性降下物である。
一般には死の灰という俗称で知られる[3]。日本では第五福竜丸事件が有名である。
目次 [非表示]
1 概要
2 降下物の発生源
3 降下物の種類 3.1 世界規模の降下物
3.2 局地的な降下物
4 降下物に影響する因子 4.1 場所
4.2 気象
5 降下物の影響 5.1 長期的影響
6 軍事的考察
7 予防と除去
8 脚注
9 関連項目
10 参考文献
11 外部リンク
概要[編集]
核実験については、米ソを中心として大気中での核実験が1950年代から1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで行なわれた[4]。その結果として、ウラン・プルトニウムの核分裂で生じた核分裂生成物が地球環境に拡散し、地上に降下して土壌や水環境中に微量に存在することとなった[5]。そのような核実験などを原因として降下してくる核分裂生成物を放射性降下物(フォールアウト)と呼ぶ。なお、放射性降下物が発生する原因としては原子爆弾、核実験、原子力関連施設事故などがある。
放射性降下物が原因である大きな被曝事件としては、1954年に発生した遠洋漁船第五福竜丸がビキニ環礁での核実験の際、船員が被爆し帰国後死亡した第五福竜丸事件がある[6]。
詳細は「第五福竜丸事件」を参照
原子力発電所事故に伴う放射性降下物(fallout from nuclear power plant accidents)
「チェルノブイリ原子力発電所事故」および「スリーマイル島原子力発電所事故」も参照
原子力発電所の原子炉が事故を起こすと大規模な災害となることがある[7]。
降下物の発生源[編集]
核爆発は、火球の中のすべての物質を気化・プラズマ化させる。核爆発が地表に近かった場合には火球に触れた大地も同様になり、これが残留電離放射線に結合して降下物を生む。その残留電離放射線の発生源としては、主に核分裂生成物[8]、 核分裂に寄与しなかった核物質[9]、 中性子による放射化[10]がある。
降下物の種類[編集]
世界規模の降下物[編集]
核爆発のあと、火球の熱で蒸発した核分裂生成物、未反応の核物質、および兵器の残留物は、凝縮し、直径10nmから20μmの微細な粒子となり、懸濁物をなす。これらの粒子はすぐに成層圏へ上昇し、特に爆発規模が10キロトンを超える場合は、気流によって拡散し、数週間、数ヶ月ないし数年後に地表へ漸次沈降する。これが世界規模の降下物となるのである。
地表に沈降した放射性物質は降雨などにより地下水へ移動し、これらを汚染する他、植物に栄養素の一部として取りこまれてこれらを汚染し、汚染された植物を食べた草食動物、及びこれらを捕食する肉食動物を汚染する。これを生物濃縮という。したがって世界規模の降下物によって生じる生物学的な影響は長期間続く。これらの放射性物質を含んだ食物を人間が摂取した結果、長寿命の放射性核種(ストロンチウム90、セシウム137のような)が体内に蓄積する恐れがあるためである。ストロンチウムは同族元素であるマグネシウムやカルシウムに性質が似ているため骨や代謝系に、セシウムは同族元素であるナトリウムやカリウムに性質が似ているため体液や筋肉にそれぞれ浸透し、そこから放たれる放射線によりダメージを受ける。
この影響は、局地的な降下物による影響よりもはるかに小さいので、ここでは長い議論はしない。局地的な降下物の方が、はるかに大きく直接的な、作戦上の問題である。
英国の作家ネビル・シュートのSF小説『渚にて』では、放射性降下物により死滅していく世界が著述されている。
局地的な降下物[編集]
地表面または水面における爆発では、大量の土または水が火球の熱で蒸発し、レイリー・テイラー不安定性により放射性のキノコ雲となって上昇する。この物質は、凝縮するときに核分裂生成物やその他放射化した物質と結合する。地表/水面爆発により、直径100nm未満から数ミリメートルの大量の粒子と、地球的規模の降下物に寄与する非常に細かい粒子が生成される。大きい粒子は成層圏まで上昇しないので、局地的な降下物として、およそ24時間以内に地表に沈降する。広島で使用された核爆弾の場合、木造家屋や草木等の有機物の多い環境で爆発したため、核爆発によって直接、及び二次的に発生する火災などにより間接的に多量の煤(すす)が生じ、これらを含む粒子が核爆発や火災によって生じた気流の乱れから発生した局地的な降雨と共に地表に降り注いだ。これがいわゆる「黒い雨」である。
局地的降下物による深刻な汚染は、爆発、熱線よりもはるかに遠くまで届く。特に高エネルギーの地表爆発の場合には、爆発から発生した降下物の、地表での形状は、爆発の風下方向に細長くぼやけた楕円形になる。それは一回の爆発で長さ数百キロメートル、幅50キロメートルになることもある。放射線医学的に汚染された区域に人間がいた場合、こうした汚染が即時外部被曝をもたらし、また放射性汚染物を吸い込む、または飲み込むことによる内部被曝も起こりうる。
降下物に影響する因子[編集]
場所[編集]
水面爆発(及び浅い水中爆発)の場合、そこで発生する粒子は軽く小さくなる傾向がある。このため局地的な降下物は少なくなるが、 より広い区域に拡散する。粒子は大部分が水分を含んだ海の塩で構成される。これらは雲の種となって局地的な降雨を生じ、重大な局地的降下物のある地域を生じることがある。 地下爆発では、「ベースサージ」(base surge)と呼ばれる現象が付随して発生する。ベースサージとは地下爆発で生じたきのこ雲の基部に発生する、柱状に下から上へ広がる雲である。水中爆発では、目に見えるサージは、あたかも一体の連続した液体のように流れる、液体(水)の粒子の雲である。 地下爆発では、サージは小さな固体粒子でできているが、液体のようにふるまう。地下爆発では土はベースサージの形成に有利に働く。
気象[編集]
気象の条件は局地的な降下物に影響を与える。風により降下物は拡散する。例えば、1954年3月1日のビキニ環礁における核実験(キャッスル ブラボー(CASTLE BRAVO)作戦、核出力15メガトンの熱核爆発装置(水素爆弾)の地表爆発実験)では、風下方向の太平洋上に長さ約500km、幅は数10kmから最大100kmの海面に降下し、落下地点の海産物が汚染された。この汚染範囲は事前の予想を上回る広さであったため、汚染地域外とされた区域で操業中だった第五福竜丸をはじめとする多くの日本漁船が放射性降下物によって被曝する結果となった。
雪と雨は、特に相当な高度から降る場合は、降下物の沈降を促進する。放射性の雲から降る局地的なにわか雨のような、特定の気象条件では、核爆発の風下直近に汚染地域を生じる恐れもある。
降下物の影響[編集]
地上爆発の風下直近の降下物の初期の放射線は300グレイ毎時(Gy/h)を越える。4.5Gyを越える積算線量は、人間の人口の半数に致死的な影響を与える。6Gyを越えて生き残ったという記録は無い。ほとんどの人間は1Gy以上被曝すると、急性障害として病気になる。妊娠中の胎児は放射線の影響を受けやすく、特に第三期の初期の場合は流産することがある。人体は大量の被曝による突然変異に抵抗する能力を持つ。すなわち、著しく変異した胎児を通常は流産させてしまうのである。平時の一般人の被曝線量率は1年につき30から100マイクログレイである。
降下物の放射能は、半減期の短い放射性核種の放射能の減衰によって、時間と共に指数関数的に急速に減衰する。ほとんどの区域は3〜5週間後には立ち入りや除染作業をするには安全になる。
降下物からの放射線で最も危険なものはガンマ線である。電磁波であるガンマ線は、普通の光と同じく直線状に進む。降下物の粒子は、電球が光を放出するのと同様に、目には見えない有害なガンマ線を放射している。ガンマ線は目には見えないし、匂いも触感も無い。ガンマ線を検出し測定するためには、専用の器具が必要である。
10キロトンを越える爆発規模においては、核爆発から二週間以内以内に発せられる初期の放射線は、核兵器の主要な殺傷力源である。急激な無力化線量(30グレイ)を受けた人体は、ほぼ即座に能力が下がり、数時間で無力化される。しかし、放射線被曝のほかに人体に影響がある負傷を負わなければ、暴露から5〜6日経っても死ぬことは無い。暴露から約10日程度で多臓器不全や皮膚の剥離、骨髄の破壊によって死に至る。合計1.5グレイ未満の被曝をした人間は、まったくそのまま活動できる。 これらの上下限の中間では、1.5グレイ以上被曝した人間は能力が下がり、一部はやがて死亡する。
5.3グレイから8.3グレイの被曝線量は、致命的ではあるが、即座に無力化はしない。この量の放射線に被曝した人間は、行うべき任務の肉体的負荷にもよるが、2〜3時間のうちに能力が下がり、少なくとも2日間は下がったままになる。しかし、この時点で回復期に入り、約6日間は負荷の軽い任務であればこなせるようになる。この場合の回復期というものは一時的に回復したようにみえるだけにすぎない為、その後、能力低下が再発し、これが約4週間続く。この時点で、全面的に無力化するような重さの放射線障害が発症する。暴露からほぼ6週間で、骨髄の破壊感染症や多臓器不全などを起こして死に至る。高度な医療を受けられない限り、確実に死亡する。
長期的影響[編集]
放射線の晩発的影響は、幅広い範囲の線量および線量率で発生する。晩発的影響は被曝から数ヶ月、数年後に発生する恐れがある。 ほとんど全ての器官、臓器に関係する、幅広いさまざまな影響を含む。晩発的影響の一部は、余命の短縮、発がん、白内障、放射性皮膚炎、生殖能力の低下、遺伝的突然変異がありうる。
軍事的考察[編集]
軍事作戦における核兵器の使用においては、多くの場合、爆発と熱線による負傷者が、放射線による負傷者よりもはるかに数が多い。しかし、放射線の影響は、爆発と熱線の影響よりもより複雑で幅広い。
核爆弾の爆発が地上に近いほど、塵と破片が空気中に噴出し、その結果局地的な降下物がより多くなる。戦術的な観点からは、これは占領のための労力の面で不利になる。しかし、もっと直接的には、地面との衝突により爆弾の破壊力が大きく制限されるのである。これらの理由から、ミサイルサイロやシャイアン・マウンテン空軍基地の北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)地下司令部といった強化された地下の目標は例外としても、通常、地上爆発は戦術的メリットはないと考えられている。放射性降下物が多くなる地表核爆発を使って、敵の領土を汚染し、敵が汚染地域を利用できなくさせることもできるが、一般的には反倫理的な軍事行動とみなされる。
予防と除去[編集]
深刻な降下物汚染の場合、防護処置や避難措置が取られなければ致死的な外部被曝をこうむる恐れがある。屋内退避で使用される「降下物シェルター」は、中の人を放射線から遮蔽する。しかし一部の放射性汚染物質は、住人がシェルターから出てきた後にも残っているかもしれない。このような放射性物質で汚染された物や人を浄化する作業を除染と呼ぶ。
放射性降下物の粒子は砂粒に似ているので、ブラシで落としたり、洗い落とすことができる。海水から生じた放射性の霧は注意すべき例外で、洗い落とすことは極めて困難である。粒子はシェルターから取り除くか、遮蔽しなければならない。各国の軍艦には、艦全体を海水のシャワーで包んで防護する装置や、空調を外気と遮断する装置が設置されている。非常用の飲料水は、汚染水を25センチメートル以上の土でろ過することで適切に浄化することができる。密封された食品は降下物で汚染されることは無い。貯蔵された穀物や暴露した果物も、洗ったり皮をむいたりすればよい。乗り物は通常放水ホースで洗い、洗浄水は取り外し可能なフィルターでろ過して下水道に流すか、深地層埋設する。汚染した土は通常ブルドーザーで降下物を取り除き、浅地層埋設し、埋め戻す。
降下物の残留物は、使われた兵器の原料と性質を分析するのに使われる。その兵器に使われた原料は、明白な特徴を持っており、適切に分析すれば、どこで誰がその兵器を作ったかが明らかになる。
脚注[編集]
1.^ 爆発で生じた物質がいったん上空に舞い上がった後、地上に「降下する」ことからフォールアウトと名づけられた。爆発地点から遠く離れた所に落下するものを放射性降下物といい、爆発地点に落ちてきたものを戻り降下物という。
2.^ 服部(2001)
3.^ カール・セーガンらは、全面核戦争の際には、大量に発生した放射性降下物が大気中に拡散し、太陽光線を遮る影響で「核の冬」が起きると主張している。
4.^ 1945年7月16日にアメリカで人類最初の核実験であるトリニティ実験が実施された。その後、日本への実戦使用を経て、第二次世界大戦後はマーシャル諸島のビキニ環礁やエニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行い、米国のネバダ州では928回行われたと言われる。
5.^ 核分裂生成物の中でも半減期の長い137Cs(30年)、90Sr(28.8年)そしてプルトニウムの放射性同位元素(239Pu、240Pu)などは、1990年代においても各地で有意に検出されていた。 草間(1995) p.68
6.^ 船員は多量の放射性降下物を被曝したと日本人医師団は主張したが、米国側は「放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響」として放射線障害を否定した。
7.^ 日本においては、原子力防災の際の体制については『原子力発電所等周辺の防災対策について』で決められている。
8.^ 核分裂生成物は、中程度の質量数を持つ核種からなり、重いウラン235やプルトニウム239の原子核が核分裂反応で分裂したときに生じる。核分裂では300を越える種類の核分裂生成物が生じる。これらの多くは、それぞれ大きく異なる半減期を持った放射性同位体である。半減期が非常に短い(1秒以下)核種もあるが、数ヶ月から数年間におよぶ半減期を持つ核種もある。これら核種の崩壊モードは主にベータ崩壊とガンマ崩壊である。
核爆発では核出力1キロトンにつきおよそ60gの核分裂生成物が生じる。爆発から1分後のこれら核分裂生成物の推定放射能は、1.1×1021Bqであり、子孫核種と平衡状態にあるラジウム3万トン分の放射能と等しい。半減期の短い核種ほど、無害な核種に落ち着くまでの時間は短いが、短時間に多量の放射線を放つため単位量あたりの危険度は高い。
9.^ 核兵器は核分裂性物質をすべて分裂させるわけではない。連鎖反応によって爆発的に生じるエネルギーは、反応中心の周辺にある核分裂性物質に連鎖反応が伝播する以前にこれらを吹き飛ばしてしまうからである。このため多くのウランやプルトニウムは核分裂せずに爆発で分散される。このような核分裂に寄与しなかった核物質は、主にアルファ粒子を放射して崩壊する。アルファ粒子は空気中では数センチメートルから数メートル程度の飛程しかなく、物質を通り抜ける力が小さいため、その発生源が環境中にある場合の危険度は低い。しかしこれらが生命体の中に取り込まれると、アルファ粒子が体内組織を直撃するために重篤な症状を招くことになる。これを内部被曝という。なお、ウラン・プルトニウムは、放射毒性はあるものの、砒素や青酸化合物といった代表的な毒物と比較して生化学的毒性はそれほど強くないといわれている。これらは空気中の酸素と速やかに反応し、粉末状になって周囲を汚染する。この粉末がひとたび気流に乗れば、何千キロメートル先までも拡散しつつ汚染範囲を広げる。核分裂生成物と異なり、これらの半減期は非常に長く、また最終的に放射線を放たない鉛に落ち着くまでには数千億年を超える期間を要する。その期間の長さは地球の歴史(約46億年)や太陽の寿命(約50億年)をも凌駕しており、太陽系が滅亡しても無害化せず、人類の感覚でいうと「永遠」である。
10.^ 原子核が中性子束に曝露され、中性子を捕獲して中性子過剰核となった場合、放射能を持つ核種に転換される。これを放射化といい、出来た放射能を誘導放射能という。それは安定同位体になるまで様々な放射性崩壊を繰り返する。初期の核反応の放射線の一部として放射された中性子は、核兵器を構成する物質の残余を放射化する。その組成と中性子線バーストからの距離にもよるが、核爆発周辺の環境中に存在する物質の原子(例えば土壌、大気、水)が放射化される。例えば、爆心地周辺の狭い地域は、地中の鉱物が初期の中性子線に曝露することにより放射化する。これは、地中のナトリウム、マンガン、アルミニウム、珪素が中性子を捕獲することに起因する。影響される範囲が狭いが、核爆発直後に爆心地に外部から入った者は、核分裂生成物だけではない、これらの放射化された物質、誘導放射能からも被曝する。服部(2001)
関連項目[編集]
核分裂反応
放射能汚染
第五福竜丸
黒い雨
核爆発の効果
参考文献[編集]
「項目「放射性降下物」」『物理事典』 服部武志(監修)、旺文社、2010年。ISBN 978-4-01-075144-2。
草間 朋子、甲斐 倫明、伴 信彦 『放射線健康科学』 杏林書院、1995年。
草間 朋子 『放射能 見えない危険』 読売新聞社〈読売科学選書28〉、1990年。ISBN 4-643-90037-7。
『放射線・アイソトープ 講義と実習』 日本アイソトープ協会(編)、丸善、1992年。
辻本 忠, 草間 朋子 『放射線防護の基礎』、2001年、第3版。
一般には死の灰という俗称で知られる[3]。日本では第五福竜丸事件が有名である。
目次 [非表示]
1 概要
2 降下物の発生源
3 降下物の種類 3.1 世界規模の降下物
3.2 局地的な降下物
4 降下物に影響する因子 4.1 場所
4.2 気象
5 降下物の影響 5.1 長期的影響
6 軍事的考察
7 予防と除去
8 脚注
9 関連項目
10 参考文献
11 外部リンク
概要[編集]
核実験については、米ソを中心として大気中での核実験が1950年代から1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで行なわれた[4]。その結果として、ウラン・プルトニウムの核分裂で生じた核分裂生成物が地球環境に拡散し、地上に降下して土壌や水環境中に微量に存在することとなった[5]。そのような核実験などを原因として降下してくる核分裂生成物を放射性降下物(フォールアウト)と呼ぶ。なお、放射性降下物が発生する原因としては原子爆弾、核実験、原子力関連施設事故などがある。
放射性降下物が原因である大きな被曝事件としては、1954年に発生した遠洋漁船第五福竜丸がビキニ環礁での核実験の際、船員が被爆し帰国後死亡した第五福竜丸事件がある[6]。
詳細は「第五福竜丸事件」を参照
原子力発電所事故に伴う放射性降下物(fallout from nuclear power plant accidents)
「チェルノブイリ原子力発電所事故」および「スリーマイル島原子力発電所事故」も参照
原子力発電所の原子炉が事故を起こすと大規模な災害となることがある[7]。
降下物の発生源[編集]
核爆発は、火球の中のすべての物質を気化・プラズマ化させる。核爆発が地表に近かった場合には火球に触れた大地も同様になり、これが残留電離放射線に結合して降下物を生む。その残留電離放射線の発生源としては、主に核分裂生成物[8]、 核分裂に寄与しなかった核物質[9]、 中性子による放射化[10]がある。
降下物の種類[編集]
世界規模の降下物[編集]
核爆発のあと、火球の熱で蒸発した核分裂生成物、未反応の核物質、および兵器の残留物は、凝縮し、直径10nmから20μmの微細な粒子となり、懸濁物をなす。これらの粒子はすぐに成層圏へ上昇し、特に爆発規模が10キロトンを超える場合は、気流によって拡散し、数週間、数ヶ月ないし数年後に地表へ漸次沈降する。これが世界規模の降下物となるのである。
地表に沈降した放射性物質は降雨などにより地下水へ移動し、これらを汚染する他、植物に栄養素の一部として取りこまれてこれらを汚染し、汚染された植物を食べた草食動物、及びこれらを捕食する肉食動物を汚染する。これを生物濃縮という。したがって世界規模の降下物によって生じる生物学的な影響は長期間続く。これらの放射性物質を含んだ食物を人間が摂取した結果、長寿命の放射性核種(ストロンチウム90、セシウム137のような)が体内に蓄積する恐れがあるためである。ストロンチウムは同族元素であるマグネシウムやカルシウムに性質が似ているため骨や代謝系に、セシウムは同族元素であるナトリウムやカリウムに性質が似ているため体液や筋肉にそれぞれ浸透し、そこから放たれる放射線によりダメージを受ける。
この影響は、局地的な降下物による影響よりもはるかに小さいので、ここでは長い議論はしない。局地的な降下物の方が、はるかに大きく直接的な、作戦上の問題である。
英国の作家ネビル・シュートのSF小説『渚にて』では、放射性降下物により死滅していく世界が著述されている。
局地的な降下物[編集]
地表面または水面における爆発では、大量の土または水が火球の熱で蒸発し、レイリー・テイラー不安定性により放射性のキノコ雲となって上昇する。この物質は、凝縮するときに核分裂生成物やその他放射化した物質と結合する。地表/水面爆発により、直径100nm未満から数ミリメートルの大量の粒子と、地球的規模の降下物に寄与する非常に細かい粒子が生成される。大きい粒子は成層圏まで上昇しないので、局地的な降下物として、およそ24時間以内に地表に沈降する。広島で使用された核爆弾の場合、木造家屋や草木等の有機物の多い環境で爆発したため、核爆発によって直接、及び二次的に発生する火災などにより間接的に多量の煤(すす)が生じ、これらを含む粒子が核爆発や火災によって生じた気流の乱れから発生した局地的な降雨と共に地表に降り注いだ。これがいわゆる「黒い雨」である。
局地的降下物による深刻な汚染は、爆発、熱線よりもはるかに遠くまで届く。特に高エネルギーの地表爆発の場合には、爆発から発生した降下物の、地表での形状は、爆発の風下方向に細長くぼやけた楕円形になる。それは一回の爆発で長さ数百キロメートル、幅50キロメートルになることもある。放射線医学的に汚染された区域に人間がいた場合、こうした汚染が即時外部被曝をもたらし、また放射性汚染物を吸い込む、または飲み込むことによる内部被曝も起こりうる。
降下物に影響する因子[編集]
場所[編集]
水面爆発(及び浅い水中爆発)の場合、そこで発生する粒子は軽く小さくなる傾向がある。このため局地的な降下物は少なくなるが、 より広い区域に拡散する。粒子は大部分が水分を含んだ海の塩で構成される。これらは雲の種となって局地的な降雨を生じ、重大な局地的降下物のある地域を生じることがある。 地下爆発では、「ベースサージ」(base surge)と呼ばれる現象が付随して発生する。ベースサージとは地下爆発で生じたきのこ雲の基部に発生する、柱状に下から上へ広がる雲である。水中爆発では、目に見えるサージは、あたかも一体の連続した液体のように流れる、液体(水)の粒子の雲である。 地下爆発では、サージは小さな固体粒子でできているが、液体のようにふるまう。地下爆発では土はベースサージの形成に有利に働く。
気象[編集]
気象の条件は局地的な降下物に影響を与える。風により降下物は拡散する。例えば、1954年3月1日のビキニ環礁における核実験(キャッスル ブラボー(CASTLE BRAVO)作戦、核出力15メガトンの熱核爆発装置(水素爆弾)の地表爆発実験)では、風下方向の太平洋上に長さ約500km、幅は数10kmから最大100kmの海面に降下し、落下地点の海産物が汚染された。この汚染範囲は事前の予想を上回る広さであったため、汚染地域外とされた区域で操業中だった第五福竜丸をはじめとする多くの日本漁船が放射性降下物によって被曝する結果となった。
雪と雨は、特に相当な高度から降る場合は、降下物の沈降を促進する。放射性の雲から降る局地的なにわか雨のような、特定の気象条件では、核爆発の風下直近に汚染地域を生じる恐れもある。
降下物の影響[編集]
地上爆発の風下直近の降下物の初期の放射線は300グレイ毎時(Gy/h)を越える。4.5Gyを越える積算線量は、人間の人口の半数に致死的な影響を与える。6Gyを越えて生き残ったという記録は無い。ほとんどの人間は1Gy以上被曝すると、急性障害として病気になる。妊娠中の胎児は放射線の影響を受けやすく、特に第三期の初期の場合は流産することがある。人体は大量の被曝による突然変異に抵抗する能力を持つ。すなわち、著しく変異した胎児を通常は流産させてしまうのである。平時の一般人の被曝線量率は1年につき30から100マイクログレイである。
降下物の放射能は、半減期の短い放射性核種の放射能の減衰によって、時間と共に指数関数的に急速に減衰する。ほとんどの区域は3〜5週間後には立ち入りや除染作業をするには安全になる。
降下物からの放射線で最も危険なものはガンマ線である。電磁波であるガンマ線は、普通の光と同じく直線状に進む。降下物の粒子は、電球が光を放出するのと同様に、目には見えない有害なガンマ線を放射している。ガンマ線は目には見えないし、匂いも触感も無い。ガンマ線を検出し測定するためには、専用の器具が必要である。
10キロトンを越える爆発規模においては、核爆発から二週間以内以内に発せられる初期の放射線は、核兵器の主要な殺傷力源である。急激な無力化線量(30グレイ)を受けた人体は、ほぼ即座に能力が下がり、数時間で無力化される。しかし、放射線被曝のほかに人体に影響がある負傷を負わなければ、暴露から5〜6日経っても死ぬことは無い。暴露から約10日程度で多臓器不全や皮膚の剥離、骨髄の破壊によって死に至る。合計1.5グレイ未満の被曝をした人間は、まったくそのまま活動できる。 これらの上下限の中間では、1.5グレイ以上被曝した人間は能力が下がり、一部はやがて死亡する。
5.3グレイから8.3グレイの被曝線量は、致命的ではあるが、即座に無力化はしない。この量の放射線に被曝した人間は、行うべき任務の肉体的負荷にもよるが、2〜3時間のうちに能力が下がり、少なくとも2日間は下がったままになる。しかし、この時点で回復期に入り、約6日間は負荷の軽い任務であればこなせるようになる。この場合の回復期というものは一時的に回復したようにみえるだけにすぎない為、その後、能力低下が再発し、これが約4週間続く。この時点で、全面的に無力化するような重さの放射線障害が発症する。暴露からほぼ6週間で、骨髄の破壊感染症や多臓器不全などを起こして死に至る。高度な医療を受けられない限り、確実に死亡する。
長期的影響[編集]
放射線の晩発的影響は、幅広い範囲の線量および線量率で発生する。晩発的影響は被曝から数ヶ月、数年後に発生する恐れがある。 ほとんど全ての器官、臓器に関係する、幅広いさまざまな影響を含む。晩発的影響の一部は、余命の短縮、発がん、白内障、放射性皮膚炎、生殖能力の低下、遺伝的突然変異がありうる。
軍事的考察[編集]
軍事作戦における核兵器の使用においては、多くの場合、爆発と熱線による負傷者が、放射線による負傷者よりもはるかに数が多い。しかし、放射線の影響は、爆発と熱線の影響よりもより複雑で幅広い。
核爆弾の爆発が地上に近いほど、塵と破片が空気中に噴出し、その結果局地的な降下物がより多くなる。戦術的な観点からは、これは占領のための労力の面で不利になる。しかし、もっと直接的には、地面との衝突により爆弾の破壊力が大きく制限されるのである。これらの理由から、ミサイルサイロやシャイアン・マウンテン空軍基地の北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)地下司令部といった強化された地下の目標は例外としても、通常、地上爆発は戦術的メリットはないと考えられている。放射性降下物が多くなる地表核爆発を使って、敵の領土を汚染し、敵が汚染地域を利用できなくさせることもできるが、一般的には反倫理的な軍事行動とみなされる。
予防と除去[編集]
深刻な降下物汚染の場合、防護処置や避難措置が取られなければ致死的な外部被曝をこうむる恐れがある。屋内退避で使用される「降下物シェルター」は、中の人を放射線から遮蔽する。しかし一部の放射性汚染物質は、住人がシェルターから出てきた後にも残っているかもしれない。このような放射性物質で汚染された物や人を浄化する作業を除染と呼ぶ。
放射性降下物の粒子は砂粒に似ているので、ブラシで落としたり、洗い落とすことができる。海水から生じた放射性の霧は注意すべき例外で、洗い落とすことは極めて困難である。粒子はシェルターから取り除くか、遮蔽しなければならない。各国の軍艦には、艦全体を海水のシャワーで包んで防護する装置や、空調を外気と遮断する装置が設置されている。非常用の飲料水は、汚染水を25センチメートル以上の土でろ過することで適切に浄化することができる。密封された食品は降下物で汚染されることは無い。貯蔵された穀物や暴露した果物も、洗ったり皮をむいたりすればよい。乗り物は通常放水ホースで洗い、洗浄水は取り外し可能なフィルターでろ過して下水道に流すか、深地層埋設する。汚染した土は通常ブルドーザーで降下物を取り除き、浅地層埋設し、埋め戻す。
降下物の残留物は、使われた兵器の原料と性質を分析するのに使われる。その兵器に使われた原料は、明白な特徴を持っており、適切に分析すれば、どこで誰がその兵器を作ったかが明らかになる。
脚注[編集]
1.^ 爆発で生じた物質がいったん上空に舞い上がった後、地上に「降下する」ことからフォールアウトと名づけられた。爆発地点から遠く離れた所に落下するものを放射性降下物といい、爆発地点に落ちてきたものを戻り降下物という。
2.^ 服部(2001)
3.^ カール・セーガンらは、全面核戦争の際には、大量に発生した放射性降下物が大気中に拡散し、太陽光線を遮る影響で「核の冬」が起きると主張している。
4.^ 1945年7月16日にアメリカで人類最初の核実験であるトリニティ実験が実施された。その後、日本への実戦使用を経て、第二次世界大戦後はマーシャル諸島のビキニ環礁やエニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行い、米国のネバダ州では928回行われたと言われる。
5.^ 核分裂生成物の中でも半減期の長い137Cs(30年)、90Sr(28.8年)そしてプルトニウムの放射性同位元素(239Pu、240Pu)などは、1990年代においても各地で有意に検出されていた。 草間(1995) p.68
6.^ 船員は多量の放射性降下物を被曝したと日本人医師団は主張したが、米国側は「放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響」として放射線障害を否定した。
7.^ 日本においては、原子力防災の際の体制については『原子力発電所等周辺の防災対策について』で決められている。
8.^ 核分裂生成物は、中程度の質量数を持つ核種からなり、重いウラン235やプルトニウム239の原子核が核分裂反応で分裂したときに生じる。核分裂では300を越える種類の核分裂生成物が生じる。これらの多くは、それぞれ大きく異なる半減期を持った放射性同位体である。半減期が非常に短い(1秒以下)核種もあるが、数ヶ月から数年間におよぶ半減期を持つ核種もある。これら核種の崩壊モードは主にベータ崩壊とガンマ崩壊である。
核爆発では核出力1キロトンにつきおよそ60gの核分裂生成物が生じる。爆発から1分後のこれら核分裂生成物の推定放射能は、1.1×1021Bqであり、子孫核種と平衡状態にあるラジウム3万トン分の放射能と等しい。半減期の短い核種ほど、無害な核種に落ち着くまでの時間は短いが、短時間に多量の放射線を放つため単位量あたりの危険度は高い。
9.^ 核兵器は核分裂性物質をすべて分裂させるわけではない。連鎖反応によって爆発的に生じるエネルギーは、反応中心の周辺にある核分裂性物質に連鎖反応が伝播する以前にこれらを吹き飛ばしてしまうからである。このため多くのウランやプルトニウムは核分裂せずに爆発で分散される。このような核分裂に寄与しなかった核物質は、主にアルファ粒子を放射して崩壊する。アルファ粒子は空気中では数センチメートルから数メートル程度の飛程しかなく、物質を通り抜ける力が小さいため、その発生源が環境中にある場合の危険度は低い。しかしこれらが生命体の中に取り込まれると、アルファ粒子が体内組織を直撃するために重篤な症状を招くことになる。これを内部被曝という。なお、ウラン・プルトニウムは、放射毒性はあるものの、砒素や青酸化合物といった代表的な毒物と比較して生化学的毒性はそれほど強くないといわれている。これらは空気中の酸素と速やかに反応し、粉末状になって周囲を汚染する。この粉末がひとたび気流に乗れば、何千キロメートル先までも拡散しつつ汚染範囲を広げる。核分裂生成物と異なり、これらの半減期は非常に長く、また最終的に放射線を放たない鉛に落ち着くまでには数千億年を超える期間を要する。その期間の長さは地球の歴史(約46億年)や太陽の寿命(約50億年)をも凌駕しており、太陽系が滅亡しても無害化せず、人類の感覚でいうと「永遠」である。
10.^ 原子核が中性子束に曝露され、中性子を捕獲して中性子過剰核となった場合、放射能を持つ核種に転換される。これを放射化といい、出来た放射能を誘導放射能という。それは安定同位体になるまで様々な放射性崩壊を繰り返する。初期の核反応の放射線の一部として放射された中性子は、核兵器を構成する物質の残余を放射化する。その組成と中性子線バーストからの距離にもよるが、核爆発周辺の環境中に存在する物質の原子(例えば土壌、大気、水)が放射化される。例えば、爆心地周辺の狭い地域は、地中の鉱物が初期の中性子線に曝露することにより放射化する。これは、地中のナトリウム、マンガン、アルミニウム、珪素が中性子を捕獲することに起因する。影響される範囲が狭いが、核爆発直後に爆心地に外部から入った者は、核分裂生成物だけではない、これらの放射化された物質、誘導放射能からも被曝する。服部(2001)
関連項目[編集]
核分裂反応
放射能汚染
第五福竜丸
黒い雨
核爆発の効果
参考文献[編集]
「項目「放射性降下物」」『物理事典』 服部武志(監修)、旺文社、2010年。ISBN 978-4-01-075144-2。
草間 朋子、甲斐 倫明、伴 信彦 『放射線健康科学』 杏林書院、1995年。
草間 朋子 『放射能 見えない危険』 読売新聞社〈読売科学選書28〉、1990年。ISBN 4-643-90037-7。
『放射線・アイソトープ 講義と実習』 日本アイソトープ協会(編)、丸善、1992年。
辻本 忠, 草間 朋子 『放射線防護の基礎』、2001年、第3版。
フェルミウム
フェルミウム(英: fermium)は、元素記号Fm、原子番号100の人工放射性元素である。アクチノイドの1つである。フェルミウムはより軽い元素への中性子照射で生成する最も重い元素であり、そのためマクロ量で生成しうる最後の元素である。しかし、純粋な金属としてのフェルミウムはまだ生成されていない[1][2]。19個の同位体が知られており、その中でフェルミウム257が100.5日と最長の半減期を持つ。
フェルミウムは、1952年の最初の水素爆発の塵の中から発見され、原子核物理学のパイオニアの1人でノーベル物理学賞受賞者のエンリコ・フェルミに因んで名付けられた。化学的性質はアクチノイド後半の元素に典型的なもので、原子価は+3が優占的だが、+2も取り得る。半減期が短く生成量が少ないため、現在は基礎科学研究用途以外ではほとんど用いられていない。他の人工放射性元素が全てそうであるように、フェルミウムの同位体は全て放射性であり、高い毒性を持つと考えられている。
目次 [非表示]
1 発見
2 同位体
3 製造
4 核爆発における合成
5 天然での生成
6 化学的性質
7 毒性
8 出典
9 関連項目
発見[編集]
フェルミウムは、"アイビー・マイク"のフォールアウトの中から最初に見つかった。
元素名の由来となったエンリコ・フェルミ
フェルミウムは、1952年11月1日に行われた最初の成功した水素爆弾実験「アイビー・マイク」のフォールアウトの中から発見された[3][4][5]。当初の塵の分析では、ウラン238が6個の中性子を吸収し、その後2回ベータ崩壊した時にのみ生成しうるプルトニウムの新しい同位体であるプルトニウム244が検出された。当時は、重い原子核が中性子を吸収するのは珍しい過程だと考えられていたが、プルトニウム244の検出により、さらに多くの中性子がウラン原子核に吸収される可能性が表れ、新しい元素の発見につながった[5]。
元素99(アインスタイニウム)は、爆発の雲の中を漂っていたろ紙の中からすぐに発見された(プルトニウム244の検出と同じサンプリング手法)[5]。これは、1952年12月にカリフォルニア大学バークレー校のアルバート・ギオルソらによって発見された[3][4][5]。彼らが発見したのは、ウラン238が中性子を15個吸収し、その後7回ベータ崩壊してできる、半減期20.5日のアインスタイニウム253であった。
{\mathrm {^{{238}}_{{\ 92}}U\ {\xrightarrow {+\ 15n,7\beta ^{-}}}\ _{{\ 99}}^{{253}}Es}}
さらに、ウラン238がこれ以上(恐らくは16個か17個)の中性子を吸収することもあると考えられた。
元素100(フェルミウム)は、元素99よりも1桁少ない収率になると予測されたため、その発見には、さらに多くの材料が必要であった。そのため、ローレンス・バークレー国立研究所の調査団は、船で汚染されたサンゴを回収し、分析した。水素爆弾実験から約2ヶ月後、高エネルギーのアルファ粒子(7.1MeV)を放出する半減期がほぼ1日の新しい成分が分離された。その短い半減期から、このような同位体が生じるのははアインスタイニウムがベータ崩壊した時のみであるため、新しい元素100だと考えられ、実際にすぐにフェルミウム255(半減期20.07時間)と確認された[5]。
この新しい元素の発見と新しい中性子捕獲のデータは、冷戦の緊張の下、アメリカ軍の要請を受けて1955年まで明らかにされなかった[5][6][7]。アイビー・マイクの研究成果が公表されたのは、1955年になってからだった[6]。
同位体[編集]
詳細は「フェルミウムの同位体」を参照
フェルミウム257の崩壊過程
NUBASE2003には[8]、原子量242から260までの19個のフェルミウムの同位体が掲載されている。その中で、フェルミウム257は100.5日という最も長い半減期を持つ。フェルミウム253は3日の半減期を持ち、フェルミウム251、252、254、255、256の半減期は、それぞれ5.3時間、25.4時間、3.2時間、20.1時間、2.6時間である。また、残りの同位体の半減期は、全て30分からミリ秒以下である[8]。フェルミウム257が中性子を捕獲して生成するフェルミウム258は、370ミリ秒で自発的核分裂を起こす。フェルミウム259と260もどちらも不安定で、それぞれ1.5秒、4ミリ秒で自発的核分裂を起こす[8]。これは、核爆発中以外では、中性子捕獲が質量数257以上の原子核を作れないことを意味する。フェルミウム257はアルファ崩壊しカリフォルニウム253になるため、フェルミウムは中性子捕獲過程で生成する最後の元素でもある[1][9]。
製造[編集]
Fm(100), Es(99), Cf, Bk, Cm, Amのクロマトグラフィによる分画
フェルミウムは、核施設において、より軽いアクチノイドの原子核に中性子を衝突させることで製造される。フェルミウム257は、中性子捕獲によって得られる最も重い原子核であり、ナノグラム程度の量しか製造できない[10]。主要な製造元は、85MWの出力を持ちキュリウム以上(Z > 96)の原子核を作る専門施設であるオークリッジ国立研究所の高中性子束同位体生産炉である[11]。この炉の通常の稼働では、数十gのキュリウムが放射線照射を受けて0.1gの桁のカリフォルニウム、mgの桁のバークリウムとアインスタイニウム、ピコグラムの桁のフェルミウムが生産される[12]。しかし、特定の条件の実験では、ナノグラム[13]やマイクログラム[9]の桁のフェルミウムが生産される場合もある。20から200キロトンの熱核爆発で得られるフェルミウムはミリグラムの桁だと考えられているが、これは莫大な量の塵の中に混ざっており、例えば、1969年7月16日の「ハッチ」実験では、10kgの塵の中から40pgのフェルミウム257が回収された[14]。
製造後のフェルミウムは他のアクチノイドとランタノイドから分離する必要があるが、これは、通常は、α-ヒドロキシイソブチル酸アンモニウムに溶解させ、Dowex 50やTEVA等の陽イオン交換樹脂を用いたイオン交換クロマトグラフィーを用いて行われる[1][15]。小さな陽イオンは、α-ヒドロキシイソブチル酸アンモニウム陰イオンと結合してより安定な複合体を作り、そのためカラムから溶出しやすくなる[1]。高速分画結晶法が用いられる場合もある[1][16]。
フェルミウムの最も安定な同位体は、半減期が100.5日のフェルミウム257であるが、アインスタイニウム255の崩壊生成物として容易に分離できることから、最も研究されている同位体は、半減期20.07時間のフェルミウム255である[1]。
核爆発における合成[編集]
10メガトン級のアイビー・マイクの塵の分析は、長期のプロジェクトの一環として行われ、その目的の一つは高エネルギーの核爆発における超ウラン元素の生成の効率に関する研究であった。核爆発は最も強力な中性子源であり、ミリ秒の間にcm2当たり1023個の中性子密度を作る。これと比較して、高中性子束同位体生産炉での中性子密度は、ミリ秒の間にcm2当たり1012個である。いくつかの同位体は、米国本国に運ぶまでの間に崩壊してしまうため、研究所はエニウェトク環礁で塵の予備分析を行った。研究所は、実験後できるだけ早く、ろ紙を備えた飛行機で環礁の周りを飛び、サンプルを回収した。この分析で、フェルミウムよりも重い元素が発見されることが期待されたが、1954年から1956年にこの環礁で行われた何度かのメガトン級の核爆発後の分析でも発見されなかった[17]。
米国による核実験HutchとCyclamenによって生成した超ウラン元素の量の推定[18]。
天然での生成[編集]
フェルミウムは全ての同位体の半減期が短いため、地球形成以来、生成したフェルミウムは全て崩壊している。天然の地殻に存在するウランやトリウムからのフェルミウムを生成するには中性子捕獲が多数回必要なため、非常に珍しいと考えられる。そのため、地球上のほとんどのフェルミウムは実験室や高エネルギーの原子炉、核実験でできたものであり、生成してから数年間のみしか検出されない。アインスタイニウムとフェルミウムはオクロの天然原子炉でも生成されていたが、現在は停止している[19]。
化学的性質[編集]
フェルミウムの化学的性質は、溶液状態で研究されたのみであり、固体状態は作られていない。通常の状態では、フェルミウムは溶液中に三価の陽イオンFm3+として存在し、水和数は16.9、酸解離定数は1.6×10-4(pKa=3.8)である[20][21]。三価のフェルミウムイオンは、酸素のような硬いドナーとともに広範な有機リガンドに結合し、これらの錯体は他のアクチノイドの錯体よりも安定である[1]。また、塩化物や硝酸塩と陰イオン錯体 も作り、やはりこれらもアインスタイニウムやカリフォルニウムの錯体よりも安定であるようである[22]。後半のアクチノイドの錯体の結合は、イオン性が強いと考えられている。フェルミウムの有効核電荷が高いため、フェルミウムイオンは他のアクチノイドイオンよりも小さいと考えられ、そのためフェルミウムは 、より短く強い金属-リガンド結合を作る[1]。
三価のフェルミウムは、例えば塩化サマリウム等で共沈させることで[23][24]、かなり容易に二価のフェルミウムに還元される[25]。電極電位は、イッテルビウム(III)/(II)対と同程度で、基準電極に対して約-1.15 Vと推定され[26]、これは理論的な計算とも合致する。Fm2+/Fm0対の電極電位は、ポーラログラフィー測定によると-2.37Vである[27]。
毒性[編集]
フェルミウムに触れる者はほとんどいないが、国際放射線防護委員会は、2つの同位体について年間曝露限界を定めている。フェルミウム253に対しては、摂取限界107ベクレル、吸入限界105ベクレル、フェルミウム257に対しては、摂取限界105ベクレル、吸入限界4000ベクレルである[28]。
出典[編集]
1.^ a b c d e f g h Silva, Robert J. (2006). “Fermium, Mendelevium, Nobelium, and Lawrencium”. In Morss, Lester R.; Edelstein, Norman M.; Fuger, Jean (PDF). The Chemistry of the Actinide and Transactinide Elements. 3 (3rd ed.). Dordrecht: Springer. pp. 1621–1651. doi:10.1007/1-4020-3598-5_13.
2.^ Choppin, G. R.; Harvey, B. G.; Thompson, S. G. (1956). “A new eluant for the separation of the actinide elements”. J. Inorg. Nucl. Chem. 2 (1): 66–68. doi:10.1016/0022-1902(56)80105-X.
3.^ a b “Einsteinium”. 2007年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月7日閲覧。
4.^ a b Fermium – National Research Council Canada. Retrieved 2 December 2007
5.^ a b c d e f Ghiorso, Albert (2003). “Einsteinium and Fermium”. Chemical and Engineering News 81 (36).
6.^ a b Ghiorso, A.; Thompson, S.; Higgins, G.; Seaborg, G.; Studier, M.; Fields, P.; Fried, S.; Diamond, H. et al. (1955). “New Elements Einsteinium and Fermium, Atomic Numbers 99 and 100”. Phys. Rev. 99 (3): 1048–1049. Bibcode 1955PhRv...99.1048G. doi:10.1103/PhysRev.99.1048.
7.^ Fields, P. R.; Studier, M. H.; Diamond, H.; Mech, J. F.; Inghram, M. G. Pyle, G. L.; Stevens, C. M.; Fried, S.; Manning, W. M. (Argonne National Laboratory, Lemont, Illinois); Ghiorso, A.; Thompson, S. G.; Higgins, G. H.; Seaborg, G. T. (University of California, Berkeley, California): "Transplutonium Elements in Thermonuclear Test Debris", in: Fields, P.; Studier, M.; Diamond, H.; Mech, J.; Inghram, M.; Pyle, G.; Stevens, C.; Fried, S. et al. (1956). “Transplutonium Elements in Thermonuclear Test Debris”. Physical Review 102: 180. Bibcode 1956PhRv..102..180F. doi:10.1103/PhysRev.102.180.
8.^ a b c Audi, G.; Bersillon, O.; Blachot, J.; Wapstra, A. H. (2003), "The NUBASE evaluation of nuclear and decay properties", Nucl. Phys. A 729: 3–128, Bibcode 2003NuPhA.729....3A, doi:10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001
9.^ a b Greenwood, Norman N.; Earnshaw, A. (1984), Chemistry of the Elements, Oxford: Pergamon, p. 1262, ISBN 0-08-022057-6
10.^ Luig, Heribert; Keller, Cornelius; Wolf, Walter; Shani, Jashovam; Miska, Horst; Zyball, Alfred; Gerve, Andreas; Balaban, Alexandru T. et al. (2000). Radionuclides. doi:10.1002/14356007.a22_499.
11.^ “High Flux Isotope Reactor”. Oak Ridge National Laboratory. 2010年9月23日閲覧。
12.^ Porter, C. E.; Riley, F. D., Jr.; Vandergrift, R. D.; Felker, L. K. (1997). “Fermium Purification Using Teva Resin Extraction Chromatography”. Sep. Sci. Technol. 32 (1-4): 83-92. doi:10.1080/01496399708003188.
13.^ Sewtz, M.; Backe, H.; Dretzke, A.; Kube, G.; Lauth, W.; Schwamb, P.; Eberhardt, K.; Gruning, C. et al. (2003). “First Observation of Atomic Levels for the Element Fermium (Z = 100)”. Phys. Rev. Lett. 90 (16): 163002. Bibcode 2003PhRvL..90p3002S. doi:10.1103/PhysRevLett.90.163002.
14.^ Hoff, R. W.; Hulet, E. K. (1970). Engineering with Nuclear Explosives. 2. pp. 1283-1294.
15.^ Choppin, G. R.; Harvey, B. G.; Thompson, S. G. (1956). “A new eluant for the separation of the actinide elements”. J. Inorg. Nucl. Chem. 2 (1): 66-68. doi:10.1016/0022-1902(56)80105-X.
16.^ Mikheev, N. B.; Kamenskaya, A. N.; Konovalova, N. A.; Rumer, I. A.; Kulyukhin, S. A. (1983). “High-speed method for the separation of fermium from actinides and lanthanides”. Radiokhimiya 25 (2): 158-161.
17.^ Seaborg, p. 39
18.^ Seaborg, p. 40
19.^ Emsley, John (2011). Nature's Building Blocks: An A-Z Guide to the Elements (New ed.). New York, NY: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-960563-7.
20.^ Lundqvist, Robert; Hulet, E. K.; Baisden, T. A.; Nasakkala, Elina; Wahlberg, Olof (1981). “Electromigration Method in Tracer Studies of Complex Chemistry. II. Hydrated Radii and Hydration Numbers of Trivalent Actinides”. Acta Chem. Scand., Ser. A 35: 653-661. doi:10.3891/acta.chem.scand.35a-0653.
21.^ Hussonnois, H.; Hubert, S.; Aubin, L.; Guillaumont, R.; Boussieres, G. (1972). Radiochem. Radioanal. Lett. 10: 231-238.
22.^ Thompson, S. G.; Harvey, B. G.; Choppin, G. R.; Seaborg, G. T. (1954). “Chemical Properties of Elements 99 and 100”. J. Am. Chem. Soc. 76 (24): 6229-6236. doi:10.1021/ja01653a004.
23.^ Mikheev, N. B.; Spitsyn, V. I.; Kamenskaya, A. N.; Gvozdec, B. A.; Druin, V. A.; Rumer, I. A.; Dyachkova, R. A.; Rozenkevitch, N. A. et al. (1972). “Reduction of fermium to divalent state in chloride aqueous ethanolic solutions”. Inorg. Nucl. Chem. Lett. 8 (11): 929-936. doi:10.1016/0020-1650(72)80202-2.
24.^ Hulet, E. K.; Lougheed, R. W.; Baisden, P. A.; Landrum, J. H.; Wild, J. F.; Lundqvist, R. F. (1979). “Non-observance of monovalent Md”. J. Inorg. Nucl. Chem. 41 (12): 1743-1747. doi:10.1016/0022-1902(79)80116-5.
25.^ Maly, Jaromir (1967). “The amalgamation behaviour of heavy elements 1. Observation of anomalous preference in formation of amalgams of californium, einsteinium, and fermium”. Inorg. Nucl. Chem. Lett. 3 (9): 373-381. doi:10.1016/0020-1650(67)80046-1.
26.^ Mikheev, N. B.; Spitsyn, V. I.; Kamenskaya, A. N.; Konovalova, N. A.; Rumer, I. A.; Auerman, L. N.; Podorozhnyi, A. M. (1977). “Determination of oxidation potential of the pair Fm2+/Fm3+”. Inorg. Nucl. Chem. Lett. 13 (12): 651-656. doi:10.1016/0020-1650(77)80074-3.
27.^ Samhoun, K.; David, F.; Hahn, R. L.; O'Kelley, G. D.; Tarrant, J. R.; Hobart, D. E. (1979). “Electrochemical study of mendelevium in aqueous solution: No evidence for monovalent ions”. J. Inorg. Nucl. Chem. 41 (12): 1749-1754. doi:10.1016/0022-1902(79)80117-7.
28.^ Koch, Lothar (2000). Transuranium Elements, in Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry. Wiley. doi:10.1002/14356007.a27_167.
フェルミウムは、1952年の最初の水素爆発の塵の中から発見され、原子核物理学のパイオニアの1人でノーベル物理学賞受賞者のエンリコ・フェルミに因んで名付けられた。化学的性質はアクチノイド後半の元素に典型的なもので、原子価は+3が優占的だが、+2も取り得る。半減期が短く生成量が少ないため、現在は基礎科学研究用途以外ではほとんど用いられていない。他の人工放射性元素が全てそうであるように、フェルミウムの同位体は全て放射性であり、高い毒性を持つと考えられている。
目次 [非表示]
1 発見
2 同位体
3 製造
4 核爆発における合成
5 天然での生成
6 化学的性質
7 毒性
8 出典
9 関連項目
発見[編集]
フェルミウムは、"アイビー・マイク"のフォールアウトの中から最初に見つかった。
元素名の由来となったエンリコ・フェルミ
フェルミウムは、1952年11月1日に行われた最初の成功した水素爆弾実験「アイビー・マイク」のフォールアウトの中から発見された[3][4][5]。当初の塵の分析では、ウラン238が6個の中性子を吸収し、その後2回ベータ崩壊した時にのみ生成しうるプルトニウムの新しい同位体であるプルトニウム244が検出された。当時は、重い原子核が中性子を吸収するのは珍しい過程だと考えられていたが、プルトニウム244の検出により、さらに多くの中性子がウラン原子核に吸収される可能性が表れ、新しい元素の発見につながった[5]。
元素99(アインスタイニウム)は、爆発の雲の中を漂っていたろ紙の中からすぐに発見された(プルトニウム244の検出と同じサンプリング手法)[5]。これは、1952年12月にカリフォルニア大学バークレー校のアルバート・ギオルソらによって発見された[3][4][5]。彼らが発見したのは、ウラン238が中性子を15個吸収し、その後7回ベータ崩壊してできる、半減期20.5日のアインスタイニウム253であった。
{\mathrm {^{{238}}_{{\ 92}}U\ {\xrightarrow {+\ 15n,7\beta ^{-}}}\ _{{\ 99}}^{{253}}Es}}
さらに、ウラン238がこれ以上(恐らくは16個か17個)の中性子を吸収することもあると考えられた。
元素100(フェルミウム)は、元素99よりも1桁少ない収率になると予測されたため、その発見には、さらに多くの材料が必要であった。そのため、ローレンス・バークレー国立研究所の調査団は、船で汚染されたサンゴを回収し、分析した。水素爆弾実験から約2ヶ月後、高エネルギーのアルファ粒子(7.1MeV)を放出する半減期がほぼ1日の新しい成分が分離された。その短い半減期から、このような同位体が生じるのははアインスタイニウムがベータ崩壊した時のみであるため、新しい元素100だと考えられ、実際にすぐにフェルミウム255(半減期20.07時間)と確認された[5]。
この新しい元素の発見と新しい中性子捕獲のデータは、冷戦の緊張の下、アメリカ軍の要請を受けて1955年まで明らかにされなかった[5][6][7]。アイビー・マイクの研究成果が公表されたのは、1955年になってからだった[6]。
同位体[編集]
詳細は「フェルミウムの同位体」を参照
フェルミウム257の崩壊過程
NUBASE2003には[8]、原子量242から260までの19個のフェルミウムの同位体が掲載されている。その中で、フェルミウム257は100.5日という最も長い半減期を持つ。フェルミウム253は3日の半減期を持ち、フェルミウム251、252、254、255、256の半減期は、それぞれ5.3時間、25.4時間、3.2時間、20.1時間、2.6時間である。また、残りの同位体の半減期は、全て30分からミリ秒以下である[8]。フェルミウム257が中性子を捕獲して生成するフェルミウム258は、370ミリ秒で自発的核分裂を起こす。フェルミウム259と260もどちらも不安定で、それぞれ1.5秒、4ミリ秒で自発的核分裂を起こす[8]。これは、核爆発中以外では、中性子捕獲が質量数257以上の原子核を作れないことを意味する。フェルミウム257はアルファ崩壊しカリフォルニウム253になるため、フェルミウムは中性子捕獲過程で生成する最後の元素でもある[1][9]。
製造[編集]
Fm(100), Es(99), Cf, Bk, Cm, Amのクロマトグラフィによる分画
フェルミウムは、核施設において、より軽いアクチノイドの原子核に中性子を衝突させることで製造される。フェルミウム257は、中性子捕獲によって得られる最も重い原子核であり、ナノグラム程度の量しか製造できない[10]。主要な製造元は、85MWの出力を持ちキュリウム以上(Z > 96)の原子核を作る専門施設であるオークリッジ国立研究所の高中性子束同位体生産炉である[11]。この炉の通常の稼働では、数十gのキュリウムが放射線照射を受けて0.1gの桁のカリフォルニウム、mgの桁のバークリウムとアインスタイニウム、ピコグラムの桁のフェルミウムが生産される[12]。しかし、特定の条件の実験では、ナノグラム[13]やマイクログラム[9]の桁のフェルミウムが生産される場合もある。20から200キロトンの熱核爆発で得られるフェルミウムはミリグラムの桁だと考えられているが、これは莫大な量の塵の中に混ざっており、例えば、1969年7月16日の「ハッチ」実験では、10kgの塵の中から40pgのフェルミウム257が回収された[14]。
製造後のフェルミウムは他のアクチノイドとランタノイドから分離する必要があるが、これは、通常は、α-ヒドロキシイソブチル酸アンモニウムに溶解させ、Dowex 50やTEVA等の陽イオン交換樹脂を用いたイオン交換クロマトグラフィーを用いて行われる[1][15]。小さな陽イオンは、α-ヒドロキシイソブチル酸アンモニウム陰イオンと結合してより安定な複合体を作り、そのためカラムから溶出しやすくなる[1]。高速分画結晶法が用いられる場合もある[1][16]。
フェルミウムの最も安定な同位体は、半減期が100.5日のフェルミウム257であるが、アインスタイニウム255の崩壊生成物として容易に分離できることから、最も研究されている同位体は、半減期20.07時間のフェルミウム255である[1]。
核爆発における合成[編集]
10メガトン級のアイビー・マイクの塵の分析は、長期のプロジェクトの一環として行われ、その目的の一つは高エネルギーの核爆発における超ウラン元素の生成の効率に関する研究であった。核爆発は最も強力な中性子源であり、ミリ秒の間にcm2当たり1023個の中性子密度を作る。これと比較して、高中性子束同位体生産炉での中性子密度は、ミリ秒の間にcm2当たり1012個である。いくつかの同位体は、米国本国に運ぶまでの間に崩壊してしまうため、研究所はエニウェトク環礁で塵の予備分析を行った。研究所は、実験後できるだけ早く、ろ紙を備えた飛行機で環礁の周りを飛び、サンプルを回収した。この分析で、フェルミウムよりも重い元素が発見されることが期待されたが、1954年から1956年にこの環礁で行われた何度かのメガトン級の核爆発後の分析でも発見されなかった[17]。
米国による核実験HutchとCyclamenによって生成した超ウラン元素の量の推定[18]。
天然での生成[編集]
フェルミウムは全ての同位体の半減期が短いため、地球形成以来、生成したフェルミウムは全て崩壊している。天然の地殻に存在するウランやトリウムからのフェルミウムを生成するには中性子捕獲が多数回必要なため、非常に珍しいと考えられる。そのため、地球上のほとんどのフェルミウムは実験室や高エネルギーの原子炉、核実験でできたものであり、生成してから数年間のみしか検出されない。アインスタイニウムとフェルミウムはオクロの天然原子炉でも生成されていたが、現在は停止している[19]。
化学的性質[編集]
フェルミウムの化学的性質は、溶液状態で研究されたのみであり、固体状態は作られていない。通常の状態では、フェルミウムは溶液中に三価の陽イオンFm3+として存在し、水和数は16.9、酸解離定数は1.6×10-4(pKa=3.8)である[20][21]。三価のフェルミウムイオンは、酸素のような硬いドナーとともに広範な有機リガンドに結合し、これらの錯体は他のアクチノイドの錯体よりも安定である[1]。また、塩化物や硝酸塩と陰イオン錯体 も作り、やはりこれらもアインスタイニウムやカリフォルニウムの錯体よりも安定であるようである[22]。後半のアクチノイドの錯体の結合は、イオン性が強いと考えられている。フェルミウムの有効核電荷が高いため、フェルミウムイオンは他のアクチノイドイオンよりも小さいと考えられ、そのためフェルミウムは 、より短く強い金属-リガンド結合を作る[1]。
三価のフェルミウムは、例えば塩化サマリウム等で共沈させることで[23][24]、かなり容易に二価のフェルミウムに還元される[25]。電極電位は、イッテルビウム(III)/(II)対と同程度で、基準電極に対して約-1.15 Vと推定され[26]、これは理論的な計算とも合致する。Fm2+/Fm0対の電極電位は、ポーラログラフィー測定によると-2.37Vである[27]。
毒性[編集]
フェルミウムに触れる者はほとんどいないが、国際放射線防護委員会は、2つの同位体について年間曝露限界を定めている。フェルミウム253に対しては、摂取限界107ベクレル、吸入限界105ベクレル、フェルミウム257に対しては、摂取限界105ベクレル、吸入限界4000ベクレルである[28]。
出典[編集]
1.^ a b c d e f g h Silva, Robert J. (2006). “Fermium, Mendelevium, Nobelium, and Lawrencium”. In Morss, Lester R.; Edelstein, Norman M.; Fuger, Jean (PDF). The Chemistry of the Actinide and Transactinide Elements. 3 (3rd ed.). Dordrecht: Springer. pp. 1621–1651. doi:10.1007/1-4020-3598-5_13.
2.^ Choppin, G. R.; Harvey, B. G.; Thompson, S. G. (1956). “A new eluant for the separation of the actinide elements”. J. Inorg. Nucl. Chem. 2 (1): 66–68. doi:10.1016/0022-1902(56)80105-X.
3.^ a b “Einsteinium”. 2007年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月7日閲覧。
4.^ a b Fermium – National Research Council Canada. Retrieved 2 December 2007
5.^ a b c d e f Ghiorso, Albert (2003). “Einsteinium and Fermium”. Chemical and Engineering News 81 (36).
6.^ a b Ghiorso, A.; Thompson, S.; Higgins, G.; Seaborg, G.; Studier, M.; Fields, P.; Fried, S.; Diamond, H. et al. (1955). “New Elements Einsteinium and Fermium, Atomic Numbers 99 and 100”. Phys. Rev. 99 (3): 1048–1049. Bibcode 1955PhRv...99.1048G. doi:10.1103/PhysRev.99.1048.
7.^ Fields, P. R.; Studier, M. H.; Diamond, H.; Mech, J. F.; Inghram, M. G. Pyle, G. L.; Stevens, C. M.; Fried, S.; Manning, W. M. (Argonne National Laboratory, Lemont, Illinois); Ghiorso, A.; Thompson, S. G.; Higgins, G. H.; Seaborg, G. T. (University of California, Berkeley, California): "Transplutonium Elements in Thermonuclear Test Debris", in: Fields, P.; Studier, M.; Diamond, H.; Mech, J.; Inghram, M.; Pyle, G.; Stevens, C.; Fried, S. et al. (1956). “Transplutonium Elements in Thermonuclear Test Debris”. Physical Review 102: 180. Bibcode 1956PhRv..102..180F. doi:10.1103/PhysRev.102.180.
8.^ a b c Audi, G.; Bersillon, O.; Blachot, J.; Wapstra, A. H. (2003), "The NUBASE evaluation of nuclear and decay properties", Nucl. Phys. A 729: 3–128, Bibcode 2003NuPhA.729....3A, doi:10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001
9.^ a b Greenwood, Norman N.; Earnshaw, A. (1984), Chemistry of the Elements, Oxford: Pergamon, p. 1262, ISBN 0-08-022057-6
10.^ Luig, Heribert; Keller, Cornelius; Wolf, Walter; Shani, Jashovam; Miska, Horst; Zyball, Alfred; Gerve, Andreas; Balaban, Alexandru T. et al. (2000). Radionuclides. doi:10.1002/14356007.a22_499.
11.^ “High Flux Isotope Reactor”. Oak Ridge National Laboratory. 2010年9月23日閲覧。
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13.^ Sewtz, M.; Backe, H.; Dretzke, A.; Kube, G.; Lauth, W.; Schwamb, P.; Eberhardt, K.; Gruning, C. et al. (2003). “First Observation of Atomic Levels for the Element Fermium (Z = 100)”. Phys. Rev. Lett. 90 (16): 163002. Bibcode 2003PhRvL..90p3002S. doi:10.1103/PhysRevLett.90.163002.
14.^ Hoff, R. W.; Hulet, E. K. (1970). Engineering with Nuclear Explosives. 2. pp. 1283-1294.
15.^ Choppin, G. R.; Harvey, B. G.; Thompson, S. G. (1956). “A new eluant for the separation of the actinide elements”. J. Inorg. Nucl. Chem. 2 (1): 66-68. doi:10.1016/0022-1902(56)80105-X.
16.^ Mikheev, N. B.; Kamenskaya, A. N.; Konovalova, N. A.; Rumer, I. A.; Kulyukhin, S. A. (1983). “High-speed method for the separation of fermium from actinides and lanthanides”. Radiokhimiya 25 (2): 158-161.
17.^ Seaborg, p. 39
18.^ Seaborg, p. 40
19.^ Emsley, John (2011). Nature's Building Blocks: An A-Z Guide to the Elements (New ed.). New York, NY: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-960563-7.
20.^ Lundqvist, Robert; Hulet, E. K.; Baisden, T. A.; Nasakkala, Elina; Wahlberg, Olof (1981). “Electromigration Method in Tracer Studies of Complex Chemistry. II. Hydrated Radii and Hydration Numbers of Trivalent Actinides”. Acta Chem. Scand., Ser. A 35: 653-661. doi:10.3891/acta.chem.scand.35a-0653.
21.^ Hussonnois, H.; Hubert, S.; Aubin, L.; Guillaumont, R.; Boussieres, G. (1972). Radiochem. Radioanal. Lett. 10: 231-238.
22.^ Thompson, S. G.; Harvey, B. G.; Choppin, G. R.; Seaborg, G. T. (1954). “Chemical Properties of Elements 99 and 100”. J. Am. Chem. Soc. 76 (24): 6229-6236. doi:10.1021/ja01653a004.
23.^ Mikheev, N. B.; Spitsyn, V. I.; Kamenskaya, A. N.; Gvozdec, B. A.; Druin, V. A.; Rumer, I. A.; Dyachkova, R. A.; Rozenkevitch, N. A. et al. (1972). “Reduction of fermium to divalent state in chloride aqueous ethanolic solutions”. Inorg. Nucl. Chem. Lett. 8 (11): 929-936. doi:10.1016/0020-1650(72)80202-2.
24.^ Hulet, E. K.; Lougheed, R. W.; Baisden, P. A.; Landrum, J. H.; Wild, J. F.; Lundqvist, R. F. (1979). “Non-observance of monovalent Md”. J. Inorg. Nucl. Chem. 41 (12): 1743-1747. doi:10.1016/0022-1902(79)80116-5.
25.^ Maly, Jaromir (1967). “The amalgamation behaviour of heavy elements 1. Observation of anomalous preference in formation of amalgams of californium, einsteinium, and fermium”. Inorg. Nucl. Chem. Lett. 3 (9): 373-381. doi:10.1016/0020-1650(67)80046-1.
26.^ Mikheev, N. B.; Spitsyn, V. I.; Kamenskaya, A. N.; Konovalova, N. A.; Rumer, I. A.; Auerman, L. N.; Podorozhnyi, A. M. (1977). “Determination of oxidation potential of the pair Fm2+/Fm3+”. Inorg. Nucl. Chem. Lett. 13 (12): 651-656. doi:10.1016/0020-1650(77)80074-3.
27.^ Samhoun, K.; David, F.; Hahn, R. L.; O'Kelley, G. D.; Tarrant, J. R.; Hobart, D. E. (1979). “Electrochemical study of mendelevium in aqueous solution: No evidence for monovalent ions”. J. Inorg. Nucl. Chem. 41 (12): 1749-1754. doi:10.1016/0022-1902(79)80117-7.
28.^ Koch, Lothar (2000). Transuranium Elements, in Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry. Wiley. doi:10.1002/14356007.a27_167.
アインスタイニウム
アインスタイニウム (英: einsteinium) は原子番号99の元素。元素記号は Es。
アクチノイド元素の一つ。超ウラン元素でもある。安定同位体は存在しない。銀色の金属。融点は860 °C。原子価は+3価。詳細な物理的、化学的性質は不明。
同位体[編集]
詳細は「アインスタイニウムの同位体」を参照
半減期は、アインスタイニウム253が20日、アインスタイニウム254が276日、発見されているものの中ではアインスタイニウム252が最長で470日である。
通常は原子炉内での中性子の連続捕獲とβ崩壊によって合成される。当初は不作為的な合成で、作為的合成は極めて困難であったが、近年では作為的合成が容易になっている。このため、アインスタイニウムは単体金属が合成・確認されている最も原子番号の大きい金属元素となっている(フェルミウム以降は単体金属の合成が未だ行われていない)。ただし、融点や結晶構造などの物理的性質・化学的性質は不明な点が多い。
歴史[編集]
1952年、ギオルソ、シーボーグ等がカリフォルニア大学バークレー校[1]で、水爆実験(アイビー作戦)の放射性降下物(塵)の中からフェルミウムと共に発見した[1] 。プルトニウム239の多段階の中性子捕獲及び崩壊によって生成された。当時これは機密とされ、1954年、原子炉内で発見と公式には発表された[1]。
元素名は物理学者アルベルト・アインシュタインに由来する[1]。
出典[編集]
1.^ a b c 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、404頁。ISBN 4-06-257192-7。
アクチノイド元素の一つ。超ウラン元素でもある。安定同位体は存在しない。銀色の金属。融点は860 °C。原子価は+3価。詳細な物理的、化学的性質は不明。
同位体[編集]
詳細は「アインスタイニウムの同位体」を参照
半減期は、アインスタイニウム253が20日、アインスタイニウム254が276日、発見されているものの中ではアインスタイニウム252が最長で470日である。
通常は原子炉内での中性子の連続捕獲とβ崩壊によって合成される。当初は不作為的な合成で、作為的合成は極めて困難であったが、近年では作為的合成が容易になっている。このため、アインスタイニウムは単体金属が合成・確認されている最も原子番号の大きい金属元素となっている(フェルミウム以降は単体金属の合成が未だ行われていない)。ただし、融点や結晶構造などの物理的性質・化学的性質は不明な点が多い。
歴史[編集]
1952年、ギオルソ、シーボーグ等がカリフォルニア大学バークレー校[1]で、水爆実験(アイビー作戦)の放射性降下物(塵)の中からフェルミウムと共に発見した[1] 。プルトニウム239の多段階の中性子捕獲及び崩壊によって生成された。当時これは機密とされ、1954年、原子炉内で発見と公式には発表された[1]。
元素名は物理学者アルベルト・アインシュタインに由来する[1]。
出典[編集]
1.^ a b c 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、404頁。ISBN 4-06-257192-7。
カリホルニウム
カリホルニウム (英: californium) は原子番号98の元素。元素記号は Cf。アクチノイド元素の一つ。超ウラン元素でもある。比重は15.1、融点は900 °Cである。安定同位体は存在しない。物理的、化学的性質も不明な部分が多い。原子価は+3価。 はっきりとした用途がある最後の元素でもある。
目次 [非表示]
1 同位体
2 歴史
3 原子爆弾
4 関連項目
5 出典
同位体[編集]
詳細は「カリホルニウムの同位体」を参照
いくつかの同位体が発見されているが、最も半減期が長いのはカリホルニウム251で898年である。原子炉内でウラン235が中性子の捕獲を繰り返して出来るカリホルニウム252は、半減期が2.65年である。このカリホルニウム252は、自発核分裂(平均3.8個の中性子を出す)するので、中性子線源や、非破壊検査、その他研究用に使用される。カリホルニウム252は原子炉建設後、最初の中性子源として利用される。必要量はμg単位にすぎない。しかしながら、仮に100 gの価格を単純に計算すると約7兆円になる。
歴史[編集]
1949年、カリフォルニア大学バークレー校[1]のグレン・シーボーグ (G.T.Seaborg)、トンプソン (G.Thompson)、ギオルソ (A.Ghiorso) らが、キュリウム242にサイクロトロンで35 × 106 eVに加速したα粒子をぶつけてカリホルニウム245(半減期45分)を発見した。
元素名は、地名であるカリフォルニア(米国)、及びカリフォルニア大学に由来する[8]。そのため「カリフォルニウム」と日本語表記されることもあるが、学術用語集で定められた日本語表記は「カリホルニウム」である[8]。
原子爆弾[編集]
原子爆弾にカリホルニウムを使用した場合、非常に小型化できる可能性が高いため研究されていた時期があり、サイエンス・フィクションでも個人が持ち運びできるものとして描写されている。
しかし、先述のとおり大変高価な物質なので、兵器としての運用は現実的でないと考えられている。
関連項目[編集]
トップをねらえ!シリーズ - 劇中でカリホルニウムを用いた核ミサイルが登場する。
アダルト・ウルフガイシリーズ - カリホルニウムを使用した核小銃弾が登場するエピソードがある。
出典[編集]
1.^ CRC 2006, p. 1.14.
2.^ a b c CRC 2006, p. 4.56.
3.^ Greenwood 1997, p. 1265.
4.^ Emsley 1998, p. 50.
5.^ CRC 2006, p. 10.204.
6.^ CRC 1991, p. 254.
7.^ CRC 2006, p. 11.196.
8.^ a b 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、400〜401頁。ISBN 4-06-257192-7。
目次 [非表示]
1 同位体
2 歴史
3 原子爆弾
4 関連項目
5 出典
同位体[編集]
詳細は「カリホルニウムの同位体」を参照
いくつかの同位体が発見されているが、最も半減期が長いのはカリホルニウム251で898年である。原子炉内でウラン235が中性子の捕獲を繰り返して出来るカリホルニウム252は、半減期が2.65年である。このカリホルニウム252は、自発核分裂(平均3.8個の中性子を出す)するので、中性子線源や、非破壊検査、その他研究用に使用される。カリホルニウム252は原子炉建設後、最初の中性子源として利用される。必要量はμg単位にすぎない。しかしながら、仮に100 gの価格を単純に計算すると約7兆円になる。
歴史[編集]
1949年、カリフォルニア大学バークレー校[1]のグレン・シーボーグ (G.T.Seaborg)、トンプソン (G.Thompson)、ギオルソ (A.Ghiorso) らが、キュリウム242にサイクロトロンで35 × 106 eVに加速したα粒子をぶつけてカリホルニウム245(半減期45分)を発見した。
元素名は、地名であるカリフォルニア(米国)、及びカリフォルニア大学に由来する[8]。そのため「カリフォルニウム」と日本語表記されることもあるが、学術用語集で定められた日本語表記は「カリホルニウム」である[8]。
原子爆弾[編集]
原子爆弾にカリホルニウムを使用した場合、非常に小型化できる可能性が高いため研究されていた時期があり、サイエンス・フィクションでも個人が持ち運びできるものとして描写されている。
しかし、先述のとおり大変高価な物質なので、兵器としての運用は現実的でないと考えられている。
関連項目[編集]
トップをねらえ!シリーズ - 劇中でカリホルニウムを用いた核ミサイルが登場する。
アダルト・ウルフガイシリーズ - カリホルニウムを使用した核小銃弾が登場するエピソードがある。
出典[編集]
1.^ CRC 2006, p. 1.14.
2.^ a b c CRC 2006, p. 4.56.
3.^ Greenwood 1997, p. 1265.
4.^ Emsley 1998, p. 50.
5.^ CRC 2006, p. 10.204.
6.^ CRC 1991, p. 254.
7.^ CRC 2006, p. 11.196.
8.^ a b 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、400〜401頁。ISBN 4-06-257192-7。
バークリウム
バークリウム (英: berkelium) は原子番号97の元素。元素記号は Bk。アクチノイド元素の一つ。超ウラン元素でもある。安定同位体は存在しない。比重は14.78、融点は986℃(1000K程度)。原子価は+3、+4価(+3価が安定)。物理的、化学的性質の詳細は良く分かっていない。
目次 [非表示]
1 歴史
2 特徴
3 用途
4 同位体
5 出典
歴史[編集]
1949年、シーボーグ等(米国)が、アメリシウム241にアルファ粒子を当てて、バークリウム243を作った(発見した)[1]。
元素名は、初めて発見された場所(カリフォルニア大学バークレー校)の地名(バークレー)に由来する[1]。
特徴[編集]
バークリウムは320日の半減期を持つバークリウム249を目に見えるほどの量を使ってその特徴のうちいくつかを決定した。
バークリウムの単体は銀白色の金属であることが判明しているが、結晶構造を始めとして物理的性質や化学的性質は大半が推定に基づく物である。バークリウムは高い温度で容易に酸化され、希鉱物酸にも容易に溶ける金属だと思われる。
X線回折によって、酸化バークリウム(IV) (BkO2)、フッ化バークリウム(III) (BkF3)、一塩化酸化バークリウム(III) (BkOCl)、酸化バークリウム(VI) (BkO3) のようなさまざまなバークリウム化合物が識別された。
1962年には、重さ10億分の3 gの塩化バークリウム(III) (BkCl3) が合成された。これは初めての純粋なバークリウム化合物であった。
用途[編集]
バークリウムは他のアクチノイド系列と同じように体内に蓄積する。バークリウムは基礎研究以外の既知の用途がなく、生物学的機能を持たない。また、バークリウムの放射能は強力で非常に危険である。
同位体[編集]
詳細は「バークリウムの同位体」を参照
バークリウムには19の同位体が存在する。質量範囲は235から254まで。比較的安定している同位体は、1380年の半減期を持つバークリウム247、9年の半減期を持つバークリウム248、サイクロトロンで作られ、320日の半減期を持つバークリウム249である。残りの同位体は、5日未満である半減期を持っている。また、これらの同位体のほとんどは、5時間未満の半減期を持っている。バークリウムはさらに2つの核異性体が存在する。23.7時間の半減期を持つ 248mBk は核異性体の中で最も長い半減期を持つ。
出典[編集]
1.^ a b 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、397頁。ISBN 4-06-257192-7。
目次 [非表示]
1 歴史
2 特徴
3 用途
4 同位体
5 出典
歴史[編集]
1949年、シーボーグ等(米国)が、アメリシウム241にアルファ粒子を当てて、バークリウム243を作った(発見した)[1]。
元素名は、初めて発見された場所(カリフォルニア大学バークレー校)の地名(バークレー)に由来する[1]。
特徴[編集]
バークリウムは320日の半減期を持つバークリウム249を目に見えるほどの量を使ってその特徴のうちいくつかを決定した。
バークリウムの単体は銀白色の金属であることが判明しているが、結晶構造を始めとして物理的性質や化学的性質は大半が推定に基づく物である。バークリウムは高い温度で容易に酸化され、希鉱物酸にも容易に溶ける金属だと思われる。
X線回折によって、酸化バークリウム(IV) (BkO2)、フッ化バークリウム(III) (BkF3)、一塩化酸化バークリウム(III) (BkOCl)、酸化バークリウム(VI) (BkO3) のようなさまざまなバークリウム化合物が識別された。
1962年には、重さ10億分の3 gの塩化バークリウム(III) (BkCl3) が合成された。これは初めての純粋なバークリウム化合物であった。
用途[編集]
バークリウムは他のアクチノイド系列と同じように体内に蓄積する。バークリウムは基礎研究以外の既知の用途がなく、生物学的機能を持たない。また、バークリウムの放射能は強力で非常に危険である。
同位体[編集]
詳細は「バークリウムの同位体」を参照
バークリウムには19の同位体が存在する。質量範囲は235から254まで。比較的安定している同位体は、1380年の半減期を持つバークリウム247、9年の半減期を持つバークリウム248、サイクロトロンで作られ、320日の半減期を持つバークリウム249である。残りの同位体は、5日未満である半減期を持っている。また、これらの同位体のほとんどは、5時間未満の半減期を持っている。バークリウムはさらに2つの核異性体が存在する。23.7時間の半減期を持つ 248mBk は核異性体の中で最も長い半減期を持つ。
出典[編集]
1.^ a b 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、397頁。ISBN 4-06-257192-7。
キュリウム
キュリウム (英: curium) は原子番号96の元素。元素記号は Cm。アクチノイド元素の一つ。超ウラン元素でもある。安定同位体は存在しない。
銀白色の金属で、常温、常圧で安定な結晶構造は面心立方構造 (FCC)。比重は理論値で13.51、融点は1340 °C (1350 °C)、沸点は3520 °C。原子価は+3、+4価。
目次 [非表示]
1 歴史
2 特徴
3 同位体
4 キュリウムの化合物
5 出典
歴史[編集]
1944年、シーボーグ等(米国)により、プルトニウム239に32 × 106 eVのα粒子をぶつけることにより、キュリウム242(半減期163日)が作られた[2]。その後、いくつかの同位体が発見されたが、最も半減期が長いものはキュリウム247の1560万年である[2]。最も大量に入手できるのはキュリウム244(半減期18.1年)。
アメリシウムに中性子を照射することによってキュリウムが人工的に作られる(アメリシウム243 + 中性子 → キュリウム244)。
元素名は、キュリー夫妻(ピエール・キュリー、マリ・キュリー)に由来する[2]。
特徴[編集]
キュリウムは銀白色の金属で安定同位体は存在せず、すべてが放射性である。化学的性質はガドリニウムに似るが、ガドリニウムよりも複雑な結晶構造を持つ。
同位体[編集]
詳細は「キュリウムの同位体」を参照
キュリウムには19の同位体が存在する。しかし安定同位体は存在せず、すべてが放射性である。さらにキュリウムには四つの核異性体が存在する。質量範囲は233から252まで。最も半減期が長いのはキュリウム247で1560万年の半減期を持つ。その他にも、34000年の半減期を持つキュリウム248、9000年の半減期を持つキュリウム250、8500年の半減期を持つキュリウム245などが比較的安定している。
残りの同位体は30年未満の半減期を持っており、その大半は35日未満の半減期を持っている。
キュリウムの化合物[編集]
フッ化キュリウム(III) (CmF3)
酸化キュリウム(III) (Cm2O3)
酸化キュリウム(IV) (CmO2)
出典[編集]
1.^ a b Schenkel, R (1977). “The electrical resistivity of 244Cm metal”. Solid State Communications 23: 389. doi:10.1016/0038-1098(77)90239-3.
2.^ a b c 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、394〜395頁。ISBN 4-06-257192-7。
銀白色の金属で、常温、常圧で安定な結晶構造は面心立方構造 (FCC)。比重は理論値で13.51、融点は1340 °C (1350 °C)、沸点は3520 °C。原子価は+3、+4価。
目次 [非表示]
1 歴史
2 特徴
3 同位体
4 キュリウムの化合物
5 出典
歴史[編集]
1944年、シーボーグ等(米国)により、プルトニウム239に32 × 106 eVのα粒子をぶつけることにより、キュリウム242(半減期163日)が作られた[2]。その後、いくつかの同位体が発見されたが、最も半減期が長いものはキュリウム247の1560万年である[2]。最も大量に入手できるのはキュリウム244(半減期18.1年)。
アメリシウムに中性子を照射することによってキュリウムが人工的に作られる(アメリシウム243 + 中性子 → キュリウム244)。
元素名は、キュリー夫妻(ピエール・キュリー、マリ・キュリー)に由来する[2]。
特徴[編集]
キュリウムは銀白色の金属で安定同位体は存在せず、すべてが放射性である。化学的性質はガドリニウムに似るが、ガドリニウムよりも複雑な結晶構造を持つ。
同位体[編集]
詳細は「キュリウムの同位体」を参照
キュリウムには19の同位体が存在する。しかし安定同位体は存在せず、すべてが放射性である。さらにキュリウムには四つの核異性体が存在する。質量範囲は233から252まで。最も半減期が長いのはキュリウム247で1560万年の半減期を持つ。その他にも、34000年の半減期を持つキュリウム248、9000年の半減期を持つキュリウム250、8500年の半減期を持つキュリウム245などが比較的安定している。
残りの同位体は30年未満の半減期を持っており、その大半は35日未満の半減期を持っている。
キュリウムの化合物[編集]
フッ化キュリウム(III) (CmF3)
酸化キュリウム(III) (Cm2O3)
酸化キュリウム(IV) (CmO2)
出典[編集]
1.^ a b Schenkel, R (1977). “The electrical resistivity of 244Cm metal”. Solid State Communications 23: 389. doi:10.1016/0038-1098(77)90239-3.
2.^ a b c 桜井 弘 『元素111の新知識』 講談社、1998年、394〜395頁。ISBN 4-06-257192-7。
魔法数
魔法数(まほうすう)とは、原子核が特に安定となる陽子と中性子の個数のことをいう。陽子数または中性子数が魔法数である核種を魔法核と呼ぶ。
核構造のシェルモデルでは、殻(シェル)が「閉じている」状態は安定性が高く、崩壊や核分裂が起きにくくなる。計算上特定の値が該当し、魔法数となる。陽子と中性子はよく似ているので同じ値となる。
現在、広く承認されている魔法数は 2, 8, 20, 28, 50, 82, 126 の7つで、原子番号がこれらにあたる元素は、周辺の元素に比べて多くの安定同位体を持っている。中性子数が該当する同中性子体についても同様で、例えば核種の一覧を見ると、縦の20と横の20には安定同位体が並んでいるのがわかる。
一部の中性子過剰核では、8, 20, 28は消えて、別の魔法数である 6, 16, 32, 34 が現れる事が研究によって示されている[1][2]。
魔法数は1949年にマリア・ゲッパート=メイヤーとヨハネス・ハンス・イェンゼンによって発見され、ノーベル賞授与対象となった。
目次 [非表示]
1 二重魔法数
2 不安定核領域
3 電子の魔法数
4 参考資料
5 関連項目
二重魔法数[編集]
陽子数と中性子数が、ともに魔法数の核種(Zは陽子数、Nは中性子数)
N
2
8
20
28
50
82
126
Z
2
4He
安定 10He
2.7×10-21秒
8
16O
安定
20
40Ca
5.9×1021年以上 48Ca
4.3×1018年
28
48Ni
0.01秒? 56Ni
6.075日 78Ni
0.12秒?
50
100Sn
1.1秒 132Sn
39.7秒
82
208Pb
2×1019年以上
ニッケルとスズは短寿命(周辺核種中では比較的安定)で、鉛164 (Z=82, N=82) は確認もされていない。これは、安定核種が集中する中心(ベータ安定線)から外れると、陽子や中性子の間に働く三体力が核力による繋ぎ止めを妨げるため[3]。原子核が成立できる限界をドリップライン(英語版)と呼び、鉛のひとつ前のタリウムでは中性子数100以上となっている。
不安定核領域[編集]
魔法数は量子力学の効果を考える事で説明され、理論的な予測もされているが、シェルモデルは素粒子数が多くなると成り立たず、安定核近傍を離れた中性子過剰不安定核領域やドリップライン周辺では、他の理論に基づく推測から追加の魔法数が提案されている。 スキルムモデル(バリオンを扱う)についての、ハートリー-フォック方程式のボゴリューボフ変換による非相対論的エネルギー密度の研究では、N=184, 196が魔法数とされる。 このほか、N=162、Z=108, 114, 120, 126も同様に魔法数と見られる。
Z=108, N=162 - ハッシウム270 270Hs 半減期10秒
Z=108, N=184 - ハッシウム292 292Hs 未発見
また、超重元素における未発見元素のうち、二重魔法数をもつものは安定の島仮説の中心となっている。
Z=114, N=184 - フレロビウム298 298Fl 未発見
Z=120, N=184 - ウンビニリウム304 304Ubn 未発見
Z=126, N=184 - ウンビヘキシウム310 310Ubh 未発見
Z=126, N=196 - ウンビヘキシウム322 322Ubh 未発見
電子の魔法数[編集]
原子の化学的性質はその電子配置でほぼ決定されるが、電子殻における電子にも化学的に極めて安定する特定の数(配置)がある。
電子が魔法数となる原子(希ガス元素)は極めてイオン化しにくく、逆に魔法数に近い原子はイオン化傾向・電気陰性度が大きい。このため、魔法数の電子配置を原子核とは別の意味で「核」と呼ぶことがある。
2 - ヘリウム K殻が閉殻 (2)
10 - ネオン L殻が閉殻 (K+8)
18 - アルゴン M殻のp軌道が閉殻 (K+L+8)
36 - クリプトン N殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+8)
54 - キセノン O殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+18+8)、N殻の4f軌道は空位
86 - ラドン P殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+N+18+8)、O殻の5f軌道は空位
118 - ウンウンオクチウム Q殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+N+O+18+8)、P殻の6f軌道は空位
ネオンまでは主殻が閉じるが、以降は副殻であるp軌道が閉じることで安定する。これは内側のd軌道より1つ外側のs軌道エネルギー準位が低いためで、ナトリウム以降は主殻だけが閉じる状態は存在しない。
また、ラドンは化学的反応性を持ちフッ素と容易に反応するなど、魔法数であっても重いほど安定性が低下することは、核子と共通している。
参考資料[編集]
1.^ “重いカルシウムで新しい「魔法数」34を発見 -原子核物理学の夢の1つ「安定原子核の島」到達の手掛かりに-” (プレスリリース), 埼玉県, 日本: 理化学研究所, (2013年10月10日) 2013年10月14日閲覧。
2.^ Steppenbeck, D.; Takeuchi, S.; Aoi, N.; et al. (2013-10-10). “Evidence for a new nuclear ‘magic number’ from the level structure of 54Ca”. ネイチャー 502: 207-210. doi:10.1038/nature12522 2013年10月14日閲覧。.
3.^ 3体力と物質の存在限界 東京大学大学院理学系
関連項目[編集]
核種の一覧
量子力学
殻模型
希ガス
核構造のシェルモデルでは、殻(シェル)が「閉じている」状態は安定性が高く、崩壊や核分裂が起きにくくなる。計算上特定の値が該当し、魔法数となる。陽子と中性子はよく似ているので同じ値となる。
現在、広く承認されている魔法数は 2, 8, 20, 28, 50, 82, 126 の7つで、原子番号がこれらにあたる元素は、周辺の元素に比べて多くの安定同位体を持っている。中性子数が該当する同中性子体についても同様で、例えば核種の一覧を見ると、縦の20と横の20には安定同位体が並んでいるのがわかる。
一部の中性子過剰核では、8, 20, 28は消えて、別の魔法数である 6, 16, 32, 34 が現れる事が研究によって示されている[1][2]。
魔法数は1949年にマリア・ゲッパート=メイヤーとヨハネス・ハンス・イェンゼンによって発見され、ノーベル賞授与対象となった。
目次 [非表示]
1 二重魔法数
2 不安定核領域
3 電子の魔法数
4 参考資料
5 関連項目
二重魔法数[編集]
陽子数と中性子数が、ともに魔法数の核種(Zは陽子数、Nは中性子数)
N
2
8
20
28
50
82
126
Z
2
4He
安定 10He
2.7×10-21秒
8
16O
安定
20
40Ca
5.9×1021年以上 48Ca
4.3×1018年
28
48Ni
0.01秒? 56Ni
6.075日 78Ni
0.12秒?
50
100Sn
1.1秒 132Sn
39.7秒
82
208Pb
2×1019年以上
ニッケルとスズは短寿命(周辺核種中では比較的安定)で、鉛164 (Z=82, N=82) は確認もされていない。これは、安定核種が集中する中心(ベータ安定線)から外れると、陽子や中性子の間に働く三体力が核力による繋ぎ止めを妨げるため[3]。原子核が成立できる限界をドリップライン(英語版)と呼び、鉛のひとつ前のタリウムでは中性子数100以上となっている。
不安定核領域[編集]
魔法数は量子力学の効果を考える事で説明され、理論的な予測もされているが、シェルモデルは素粒子数が多くなると成り立たず、安定核近傍を離れた中性子過剰不安定核領域やドリップライン周辺では、他の理論に基づく推測から追加の魔法数が提案されている。 スキルムモデル(バリオンを扱う)についての、ハートリー-フォック方程式のボゴリューボフ変換による非相対論的エネルギー密度の研究では、N=184, 196が魔法数とされる。 このほか、N=162、Z=108, 114, 120, 126も同様に魔法数と見られる。
Z=108, N=162 - ハッシウム270 270Hs 半減期10秒
Z=108, N=184 - ハッシウム292 292Hs 未発見
また、超重元素における未発見元素のうち、二重魔法数をもつものは安定の島仮説の中心となっている。
Z=114, N=184 - フレロビウム298 298Fl 未発見
Z=120, N=184 - ウンビニリウム304 304Ubn 未発見
Z=126, N=184 - ウンビヘキシウム310 310Ubh 未発見
Z=126, N=196 - ウンビヘキシウム322 322Ubh 未発見
電子の魔法数[編集]
原子の化学的性質はその電子配置でほぼ決定されるが、電子殻における電子にも化学的に極めて安定する特定の数(配置)がある。
電子が魔法数となる原子(希ガス元素)は極めてイオン化しにくく、逆に魔法数に近い原子はイオン化傾向・電気陰性度が大きい。このため、魔法数の電子配置を原子核とは別の意味で「核」と呼ぶことがある。
2 - ヘリウム K殻が閉殻 (2)
10 - ネオン L殻が閉殻 (K+8)
18 - アルゴン M殻のp軌道が閉殻 (K+L+8)
36 - クリプトン N殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+8)
54 - キセノン O殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+18+8)、N殻の4f軌道は空位
86 - ラドン P殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+N+18+8)、O殻の5f軌道は空位
118 - ウンウンオクチウム Q殻のp軌道が閉殻 (K+L+M+N+O+18+8)、P殻の6f軌道は空位
ネオンまでは主殻が閉じるが、以降は副殻であるp軌道が閉じることで安定する。これは内側のd軌道より1つ外側のs軌道エネルギー準位が低いためで、ナトリウム以降は主殻だけが閉じる状態は存在しない。
また、ラドンは化学的反応性を持ちフッ素と容易に反応するなど、魔法数であっても重いほど安定性が低下することは、核子と共通している。
参考資料[編集]
1.^ “重いカルシウムで新しい「魔法数」34を発見 -原子核物理学の夢の1つ「安定原子核の島」到達の手掛かりに-” (プレスリリース), 埼玉県, 日本: 理化学研究所, (2013年10月10日) 2013年10月14日閲覧。
2.^ Steppenbeck, D.; Takeuchi, S.; Aoi, N.; et al. (2013-10-10). “Evidence for a new nuclear ‘magic number’ from the level structure of 54Ca”. ネイチャー 502: 207-210. doi:10.1038/nature12522 2013年10月14日閲覧。.
3.^ 3体力と物質の存在限界 東京大学大学院理学系
関連項目[編集]
核種の一覧
量子力学
殻模型
希ガス
安定の島
安定の島(あんていのしま、Island of stability)とは、原子核物理学で理論上予測される安定な超重核の分布のこと。グレン・シーボーグによって唱えられた仮説。
天然に存在しない重い原子核は非常に不安定で、人工的に作ってもすぐに崩壊してしまう。しかし、陽子と中性子がともに魔法数の場合、特異的に安定する可能性がある。これは、核図表上でこれまでに知られている天然元素や人工元素の連なりから隔絶した、島状の分布を持つと考えられている。
現在、安定の島で中心を占めると考えられているのがハッシウム292、フレロビウム298、ウンビニリウム304及びウンビヘキシウム310であり、重い原子核同士を衝突させてひとつにする粒子加速器の実験が試みられている。これらの元素は「安定元素」である確率は皆無に等しいが、半減期が他の超アクチノイド元素に比べると何倍も長いことが予想される。
天然に存在しない重い原子核は非常に不安定で、人工的に作ってもすぐに崩壊してしまう。しかし、陽子と中性子がともに魔法数の場合、特異的に安定する可能性がある。これは、核図表上でこれまでに知られている天然元素や人工元素の連なりから隔絶した、島状の分布を持つと考えられている。
現在、安定の島で中心を占めると考えられているのがハッシウム292、フレロビウム298、ウンビニリウム304及びウンビヘキシウム310であり、重い原子核同士を衝突させてひとつにする粒子加速器の実験が試みられている。これらの元素は「安定元素」である確率は皆無に等しいが、半減期が他の超アクチノイド元素に比べると何倍も長いことが予想される。
超ウラン元素
超ウラン元素(ちょうウランげんそ)とは化学において、ウランの原子番号である92よりも原子番号の大きい元素のこと。
目次 [非表示]
1 概要
2 発見したグループ 2.1 冷戦期 2.1.1 カリフォルニア大学バークレー校
2.1.2 重イオン研究所(GSI、ドイツ)
2.1.3 ノーベル物理学研究所(スウェーデン)
2.1.4 ドブナ原子核共同研究所(ソビエト連邦)
2.2 冷戦後 2.2.1 ローレンス・バークレー国立研究所(アメリカ合衆国)
2.2.2 重イオン研究所(GSI、ドイツ)
2.2.3 ドブナ原子核共同研究所(ロシア)
2.2.4 理化学研究所(理研、日本)
3 超ウラン元素の一覧
4 脚注
5 関連項目
概要[編集]
原子番号が1〜92の元素は、4つの元素(43-テクネチウム、61-プロメチウム、85-アスタチン、87-フランシウム)を除いて、自然界には比較的豊富に存在する。
しかし、原子番号93以降の元素は、基本的に全て人工的に作り出さねばならない。また、全て放射性で、半減期は地球の年齢よりかなり短い。よって、これらの元素が地球誕生の頃に存在していたとしても、はるか以前に消滅してしまっている。
現在地球上で発見される超ウラン元素は、基本的に原子炉や粒子加速器で人工的に作られたものである。但し、極微量のNp-239とPu-239は自然に生成され続けている。具体的には、ウラン鉱石が自発核分裂による中性子を捕獲した後、更に二段階のベータ崩壊を起こし、Pu-239となる(U-238 > U-239 > Np-239 > Pu-239)。
発見されていない超ウラン元素や、発見されていてもまだ公式に名前がつけられていない元素は、IUPACの定めた元素の系統名を用いる。超ウラン元素の命名は、冷戦時には議論の原因となっていた。
発見したグループ[編集]
2013年現在、超ウラン元素の発見が認められた国はアメリカ、ロシア(旧ソビエト連邦)、ドイツの3カ国だけである(スウェーデンは後述の通り認められていない)。
冷戦期[編集]
カリフォルニア大学バークレー校[編集]
現在のローレンス・バークレー国立研究所、アメリカ合衆国
エドウィン・マクミラン - 超ウラン元素の最初の生成者。 93-ネプツニウム(Np)
グレン・シーボーグ - 後任者。 94-プルトニウム(Pu)
95-アメリシウム(Am)
96-キュリウム(Cm)
97-バークリウム(Bk)
98-カリホルニウム(Cf)
アルバート・ギオルソ - キュリウム、バークリウム、カリフォルニウムの発見時、シーボーグのチームに属しており、後任となった。 99-アインスタイニウム(Es)
100-フェルミウム(Fm)
101-メンデレビウム(Md)
102-ノーベリウム(No)
103-ローレンシウム(Lr)
104-ラザホージウム(Rf)
105-ドブニウム(Db) - ハーニウムを提案していた。
106-シーボーギウム(Sg)
重イオン研究所(GSI、ドイツ)[編集]
ペーター・アルムブルスターの下での発見。 107-ボーリウム(Bh)
108-ハッシウム(Hs)
109-マイトネリウム(Mt)
ノーベル物理学研究所(スウェーデン)[編集]
このグループは冷戦期に新元素発見の報告をしたが、現在では当初の報告の正当性が疑われている。
102-ノーベリウム(No)の発見を主張した。発見は否定されたが、「ノーベリウム」という名称は最終的に認められた。
ドブナ原子核共同研究所(ソビエト連邦)[編集]
このグループは冷戦期に新元素発見の報告をしたが、現在では当初の報告の正当性が疑われている。
ソビエト連邦時代 104-ラザホージウム(Rf) - クルチャトビウム(Khurchatovium)を提案していた。
105-ドブニウム(Db) - 主張は認められていないが、「ドブニウム」という名称が正式名称となっている。
106-シーボーギウム(Sg)
107-ボーリウム(Bh) - ニールスボーリウム(nielsbohrium)を提案していた。
108-ハッシウム(Hs)
109-マイトネリウム(Mt)
冷戦後[編集]
ローレンス・バークレー国立研究所(アメリカ合衆国)[編集]
116-リバモリウム(Lv) - 1999年に発見したと発表したが、2002年に捏造だと判明した。
118-ウンウンオクチウム(Uuo) - 1999年に発見したと発表したが、2002年に捏造だと判明した。
重イオン研究所(GSI、ドイツ)[編集]
ホフマンの下での発見。 110-ダームスタチウム(Ds)
111-レントゲニウム(Rg)
112-コペルニシウム(Cn)
ドブナ原子核共同研究所(ロシア)[編集]
114-フレロビウム(Fl)[1]
同研究所とローレンスリバモア国立研究所(アメリカ)との合同研究チームによる発見。 116-リバモリウム(Lv)[1]
113-ウンウントリウム(Uut)を発見したとしているがまだ命名権を得ていない。
115-ウンウンペンチウム(Uup)を発見したとしているがまだ命名権を得ていない。
118-ウンウンオクチウム (Uuo) の崩壊を観測したと2006年に報告[2]。
理化学研究所(理研、日本)[編集]
113-ウンウントリウム(Uut)を発見したとしているがまだ命名権を得ていない。
超ウラン元素の一覧[編集]
93-ネプツニウム(Np)
94-プルトニウム(Pu)
95-アメリシウム(Am)
96-キュリウム(Cm)
97-バークリウム(Bk)
98-カリホルニウム(Cf)
99-アインスタイニウム(Es)
100-フェルミウム(Fm)
101-メンデレビウム(Md)
102-ノーベリウム(No)
103-ローレンシウム(Lr)
104-ラザホージウム(Rf)
105-ドブニウム(Db)
106-シーボーギウム(Sg)
107-ボーリウム(Bh)
108-ハッシウム(Hs)
109-マイトネリウム(Mt)
110-ダームスタチウム(Ds)
111-レントゲニウム(Rg)
112-コペルニシウム(Cn)
113-ウンウントリウム(Uut)
114-フレロビウム(Fl)
115-ウンウンペンチウム(Uup)
116-リバモリウム(Lv)
117-ウンウンセプチウム(Uus)
118-ウンウンオクチウム(Uuo)
(第8周期以降は以降の未発見元素は未発見元素の一覧を参照)
脚注[編集]
1.^ a b “News: Start of the Name Approval Process for the Elements of Atomic Number 114 and 11” (英語). IUPAC. 2011年12月4日閲覧。
2.^ Yu. Ts. Oganessian et al. Phys. Rev. C 2006, 74, 044602. DOI: 10.1103/PhysRevC.74.044602
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1 概要
2 発見したグループ 2.1 冷戦期 2.1.1 カリフォルニア大学バークレー校
2.1.2 重イオン研究所(GSI、ドイツ)
2.1.3 ノーベル物理学研究所(スウェーデン)
2.1.4 ドブナ原子核共同研究所(ソビエト連邦)
2.2 冷戦後 2.2.1 ローレンス・バークレー国立研究所(アメリカ合衆国)
2.2.2 重イオン研究所(GSI、ドイツ)
2.2.3 ドブナ原子核共同研究所(ロシア)
2.2.4 理化学研究所(理研、日本)
3 超ウラン元素の一覧
4 脚注
5 関連項目
概要[編集]
原子番号が1〜92の元素は、4つの元素(43-テクネチウム、61-プロメチウム、85-アスタチン、87-フランシウム)を除いて、自然界には比較的豊富に存在する。
しかし、原子番号93以降の元素は、基本的に全て人工的に作り出さねばならない。また、全て放射性で、半減期は地球の年齢よりかなり短い。よって、これらの元素が地球誕生の頃に存在していたとしても、はるか以前に消滅してしまっている。
現在地球上で発見される超ウラン元素は、基本的に原子炉や粒子加速器で人工的に作られたものである。但し、極微量のNp-239とPu-239は自然に生成され続けている。具体的には、ウラン鉱石が自発核分裂による中性子を捕獲した後、更に二段階のベータ崩壊を起こし、Pu-239となる(U-238 > U-239 > Np-239 > Pu-239)。
発見されていない超ウラン元素や、発見されていてもまだ公式に名前がつけられていない元素は、IUPACの定めた元素の系統名を用いる。超ウラン元素の命名は、冷戦時には議論の原因となっていた。
発見したグループ[編集]
2013年現在、超ウラン元素の発見が認められた国はアメリカ、ロシア(旧ソビエト連邦)、ドイツの3カ国だけである(スウェーデンは後述の通り認められていない)。
冷戦期[編集]
カリフォルニア大学バークレー校[編集]
現在のローレンス・バークレー国立研究所、アメリカ合衆国
エドウィン・マクミラン - 超ウラン元素の最初の生成者。 93-ネプツニウム(Np)
グレン・シーボーグ - 後任者。 94-プルトニウム(Pu)
95-アメリシウム(Am)
96-キュリウム(Cm)
97-バークリウム(Bk)
98-カリホルニウム(Cf)
アルバート・ギオルソ - キュリウム、バークリウム、カリフォルニウムの発見時、シーボーグのチームに属しており、後任となった。 99-アインスタイニウム(Es)
100-フェルミウム(Fm)
101-メンデレビウム(Md)
102-ノーベリウム(No)
103-ローレンシウム(Lr)
104-ラザホージウム(Rf)
105-ドブニウム(Db) - ハーニウムを提案していた。
106-シーボーギウム(Sg)
重イオン研究所(GSI、ドイツ)[編集]
ペーター・アルムブルスターの下での発見。 107-ボーリウム(Bh)
108-ハッシウム(Hs)
109-マイトネリウム(Mt)
ノーベル物理学研究所(スウェーデン)[編集]
このグループは冷戦期に新元素発見の報告をしたが、現在では当初の報告の正当性が疑われている。
102-ノーベリウム(No)の発見を主張した。発見は否定されたが、「ノーベリウム」という名称は最終的に認められた。
ドブナ原子核共同研究所(ソビエト連邦)[編集]
このグループは冷戦期に新元素発見の報告をしたが、現在では当初の報告の正当性が疑われている。
ソビエト連邦時代 104-ラザホージウム(Rf) - クルチャトビウム(Khurchatovium)を提案していた。
105-ドブニウム(Db) - 主張は認められていないが、「ドブニウム」という名称が正式名称となっている。
106-シーボーギウム(Sg)
107-ボーリウム(Bh) - ニールスボーリウム(nielsbohrium)を提案していた。
108-ハッシウム(Hs)
109-マイトネリウム(Mt)
冷戦後[編集]
ローレンス・バークレー国立研究所(アメリカ合衆国)[編集]
116-リバモリウム(Lv) - 1999年に発見したと発表したが、2002年に捏造だと判明した。
118-ウンウンオクチウム(Uuo) - 1999年に発見したと発表したが、2002年に捏造だと判明した。
重イオン研究所(GSI、ドイツ)[編集]
ホフマンの下での発見。 110-ダームスタチウム(Ds)
111-レントゲニウム(Rg)
112-コペルニシウム(Cn)
ドブナ原子核共同研究所(ロシア)[編集]
114-フレロビウム(Fl)[1]
同研究所とローレンスリバモア国立研究所(アメリカ)との合同研究チームによる発見。 116-リバモリウム(Lv)[1]
113-ウンウントリウム(Uut)を発見したとしているがまだ命名権を得ていない。
115-ウンウンペンチウム(Uup)を発見したとしているがまだ命名権を得ていない。
118-ウンウンオクチウム (Uuo) の崩壊を観測したと2006年に報告[2]。
理化学研究所(理研、日本)[編集]
113-ウンウントリウム(Uut)を発見したとしているがまだ命名権を得ていない。
超ウラン元素の一覧[編集]
93-ネプツニウム(Np)
94-プルトニウム(Pu)
95-アメリシウム(Am)
96-キュリウム(Cm)
97-バークリウム(Bk)
98-カリホルニウム(Cf)
99-アインスタイニウム(Es)
100-フェルミウム(Fm)
101-メンデレビウム(Md)
102-ノーベリウム(No)
103-ローレンシウム(Lr)
104-ラザホージウム(Rf)
105-ドブニウム(Db)
106-シーボーギウム(Sg)
107-ボーリウム(Bh)
108-ハッシウム(Hs)
109-マイトネリウム(Mt)
110-ダームスタチウム(Ds)
111-レントゲニウム(Rg)
112-コペルニシウム(Cn)
113-ウンウントリウム(Uut)
114-フレロビウム(Fl)
115-ウンウンペンチウム(Uup)
116-リバモリウム(Lv)
117-ウンウンセプチウム(Uus)
118-ウンウンオクチウム(Uuo)
(第8周期以降は以降の未発見元素は未発見元素の一覧を参照)
脚注[編集]
1.^ a b “News: Start of the Name Approval Process for the Elements of Atomic Number 114 and 11” (英語). IUPAC. 2011年12月4日閲覧。
2.^ Yu. Ts. Oganessian et al. Phys. Rev. C 2006, 74, 044602. DOI: 10.1103/PhysRevC.74.044602