神道の教義。
それは、ありません。
原初的な、生活の中で、見えないモノや、視えるものを【敬う】または、恐れたところから発展してきたものなのでありません。
万葉集では、柿本人麻呂の歌に
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」とあります。
【神については、声を出して行ったり理論だてたりしない】ということです。
ですから、教義も教典もないのです。(江戸時代には古神道として体型されます)
当初は社殿もありません。
布教活動もありません。
社殿の概念も、仏教の【寺】に対応して。布教活動も【社殿】などの維持のために発展したものです。
【記紀が教典ではないのか?】そんな声も聞こえます。
しかし、古事記、日本書紀は【歴史書】です。聖典であって正典ではありません
天武天皇の時代より作成をさせた【歴史書】です。
そこに、神代の時代の【神話】が書かれています。
【三神】からはじまる神代の時代から始まっています。
そこの神様たちは【原初的な人間像】です。
怒り、憎しみなども感情や、清めの喜びにひたる神々が書かれてます。
神様も祟り霊のようなものもいます。
霊(ひ)=神祖霊信仰という気持ちに近いものもあると思います。