善光寺
山号 定額山
宗派 無宗派
(護持運営は天台宗と浄土宗が担当)
本尊 一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)
創建年 伝・皇極天皇3年(644年) 伝・皇極天皇(勅願)
武田信玄と、上杉謙信の名人勝負で名高い
川中島の戦い。
その戦いが行われた善光寺平(現 長野盆地)。
名前の由来は、もちろん 善光寺。
本尊は「一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)」。
無宗派の寺院です。
宗派が別れる前の皇極天皇の頃、
大化の改新の前年より存在していて、
現在も諸宗派の宿願ができるとされています。
開帳の時期に訪れる事が出来ました。
【開帳】というと、秘仏公開のように思いますが、
御本尊の阿弥陀像は絶対秘仏であるため、
その代わりである【前立て本尊開帳】になるそうです。
神社とお寺の違い−−その「祈り」のかたち
私たちの暮らしに寄り添う神社とお寺。
それぞれの場所で手を合わせるとき、
ふと感じる「祈り」の違いについて、
考えてみました。
神社での祈り−−恭しく、神聖な気持ち
神社に足を踏み入れると、
どこか空気が澄んでいるように感じませんか?
鳥居をくぐり、神様の御前に立つと、
自然と背筋が伸び、厳かな気持ちになります。
神社での祈りは、外的な力に働きかけるもの、
つまり「お願い事」をするような感覚が強いかもしれません。
「〇〇を叶えてください」「無事を守ってください」という
願いを込める場所として、多くの方に親しまれています。
お寺での祈り−−静かに、内面を見つめる
一方、お寺ではどうでしょうか?
本堂に向かい合掌するとき、あまり言葉を選ばず、
ただ心を静めて「今」に意識を向ける感覚があります。
お寺の祈りは、外側に向けるというより、
自分の内側を見つめる行為に近いように思います。
手を合わせると、不思議と心が穏やかになり、
自分自身の内的な成長や
「悟り」へとつながるような
感覚が湧いてくるのではないでしょうか。
ご利益とは何か?
神社では現実的な「ご利益」を求めるイメージがある一方で、
お寺で感じるご利益は、より内面的なものです。
たとえば、自分の心を整えることで、
結果的に周囲との関係が良くなったり、
新たな気づきを得たりすることもあります。
ヒーラーとして思うことは
これこそが「開運のポイント」と感じています。
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