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2023年11月07日
コラッツ予想(その7)
さて、生物の進化系統樹が不確実な偶然によって構築されているのと同様に、(これまでに提示されてきた)コラッツの数式のグラフも、数字がただ不確実に羅列しているだけのようにも見えました。
しかし、そもそもが、こんな進化系統樹のような形のグラフを書いてしまうのは、「コラッツの数式で計算した整数は、最後は1になる」という命題を出発点にしていたからだったとも言えます。
あるいは、見方を変えれば、コラッツの数式は、全く違う形のグラフにも書き直せるのではないのでしょうか。
そこで、私は、逆を考えてみる事にしました。
「コラッツの数式で計算した整数は、全て、最後は1になる」
という事は、言い換えれば、
「コラッツの数式を経由する事によって、全ての整数は繋がっている」
という意味にもなります。つまり、
「コラッツの数式をグラフにした時、そのグラフ内に、全ての整数を組み込む事ができる」のであれば、
それは、
「コラッツの数式で計算した整数は、全て、最後は1になる」
の証明にもなるはずなのであります。これこそは、まさに、コラッツ予想の解決です。
残念ながら、現時点の進化系統樹のようなグラフでは、とても、その中に全ての整数が組み込まれているかどうかは確認できません。だからこそ、新しい形のグラフが必要となるのです。
しかし、そもそもが、こんな進化系統樹のような形のグラフを書いてしまうのは、「コラッツの数式で計算した整数は、最後は1になる」という命題を出発点にしていたからだったとも言えます。
あるいは、見方を変えれば、コラッツの数式は、全く違う形のグラフにも書き直せるのではないのでしょうか。
そこで、私は、逆を考えてみる事にしました。
「コラッツの数式で計算した整数は、全て、最後は1になる」
という事は、言い換えれば、
「コラッツの数式を経由する事によって、全ての整数は繋がっている」
という意味にもなります。つまり、
「コラッツの数式をグラフにした時、そのグラフ内に、全ての整数を組み込む事ができる」のであれば、
それは、
「コラッツの数式で計算した整数は、全て、最後は1になる」
の証明にもなるはずなのであります。これこそは、まさに、コラッツ予想の解決です。
残念ながら、現時点の進化系統樹のようなグラフでは、とても、その中に全ての整数が組み込まれているかどうかは確認できません。だからこそ、新しい形のグラフが必要となるのです。
タグ:コラッツ予想
2023年11月05日
「マラコット深淵」
最近、温故知新と言うか、昔の怪奇小説やSF小説ばかりを読んでいます。
こないだ読んだのが、コナン・ドイルの「マラコット海淵」(1929年・別の邦題「マラコット深海」)。
この本は、実は、小学生の時も読んだ事があり、シャーロック・ホームズや「ロストワールド」の印象しかなかったドイルが、こんなSFも書いていた事にひどく感心した記憶があります。
まあ、SFのアイディアとしては、ウェルズの短編「深海潜航」(1896年)の方が、発表した年も奇想天外さも上のような感じもするのですが、代わりに、「マラコット海淵」では、「沈没大陸の古代文明人が、海底でいまだに生き続けている」と言う着想が採用されています。もしかすると、同種のネタとしては、「マラコット海淵」こそが元祖だったのではないのでしょうか。
だとすれば、「マラコット海淵」が無ければ、「海のトリトン」も「海底人8823」も生まれていなかった事になります!
それどころか、外国のB級怪獣映画としてチト有名な「アトランティス7つの海底都市」(1978年)なんて、細かい物語の作りまで「マラコット海淵」に似ていて、精神内を映像にして投影する装置まで出てきます。
もっとビックリしたのが、東宝の特撮映画「海底軍艦」(1963年)でして、「海底軍艦」の敵キャラ・ムウ帝国の描写は、かなりの部分が「マラコット海淵」と一致しています。海底国の守護者の名前がマンダと言う点も同じなのであります。
そもそも、映画の「海底軍艦」は、押川春浪氏の原作小説(1900年「海島冐險奇譚 海底軍艦」)のストーリー面はほぼ無視した内容でしたし、むしろ、「海底軍艦 対 マラコット海淵」と呼んだ方が良い作品だったのかも知れません。