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2017年11月05日
会津の旅「会津戦争編・只見」
只見町・河合継之助記念館
継之助の葬式は会津城下にて行われ、遺骨は新政府軍の会津城下侵入時に墓があばかれることを慮り、会津のとある松の木の下(現:会津若松市建福寺前 小田山中腹)に埋葬されました。実際、新政府軍は城下の墓所に建てられた継之助の仮墓から遺骨を持ち出そうとしましたが、中身が砂石であったため継之助の生存を疑い恐怖したということです。現在は会津若松市の建福寺管理の下「河井継之助一時埋葬地」として同所に墓碑(「故長岡藩総督河井継之助君埋骨遺跡」の碑)が残されています。
会津若松市・建福寺
また、只見町塩沢の医王寺にも村人が荼毘で残った細骨を葬った墓があります。
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会津の旅「会津戦争編・御薬園」
御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧きだしたこの地に、永享4年(1432年)、会津蘆名家10代・蘆名盛久が別荘を建てたのがはじまりといわれ、その後、寛文10年(1670年)、会津藩2代・保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代・松平正容が貞享年間に朝鮮人参を試植し、その栽培を民間に広く奨励したことから、御薬園(おやくえん)と呼ばれるようになったとのことです。
庭園は、元禄9年(1696年)、松平正容が園匠の目黒浄定を招き、小堀遠州の流れをくんだ本格的な大名型山水庭園に大改造したものだそうです。
園内の「楽寿亭」や「御茶屋御殿」の建物は、会津戦争時に新政府軍の傷病者の診療所とされたため、戦火を免れました。
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