2008年06月24日
何が教諭をそうさせたのか?
小学校5年生だった女児(当時11)に性的暴行を加えたとして、茨城県警は23日、同県行方市立北浦中学校教諭、小島秀和容疑者(38)=同県鉾田市札=を強姦と児童福祉法違反の疑いで逮捕した。「間違いありません」と容疑を認めているという。
以上は、6月24日の朝日新聞朝刊より抜粋したものである。新聞がこの様に報じているのだから、恐らく間違いはないだろう。
前のブログでも記したのだが、このような短絡的で心の痛む事件が何故起きるのだろうか。何かが病んでいる、狂っているとしか言いようがない。
何がこの教諭を病ませたのか、狂わせたのか?
この事件の容疑者は、大阪駅通り魔事件の容疑者、大山和歌と同年代の30歳代、奇しくも同い年の38歳である。
今の30歳代は病んでいるのか、狂っているのか? どの様な教育と躾を家庭と学校で受けてきたのか? 何を学んできたのか?
教諭。教(キョウ)とは、おしえることである。 諭(ユ)とは、さとすこと、いいきかせることである。教え諭すのが教諭である。
教諭、教師、先生。色々な呼び方で構わないと思うが、教師と教育者の違いは何かの議論はさておいて、そのような立場にある小島秀和容疑者を病ませ、狂わせたのは何だろうか?
社会が病んでいる、狂っていると言ってしまえばそれまでである。多面的な観点から、問題点を浮き彫りにしなければなるまい。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image