今回は、全国的に有名な駅弁「峠の釜めし」を開発した
荻野屋がテーマで、前編と後編に分かれています。
前編のスゴロクタイトルは
《1958年、「横川駅」で荻野屋は駅弁「峠の釜めし」を販売!》です。
主人公は、前編が「弁当の開発者・荻野屋・4代目 高見澤みねじさん」
後編は「5代目社長・恭子さん(“みねじ“さんの娘)とご主人・忠顕さん
2人の息子6代目社長・志和さん」になります。
『諦めない経営 峠の釜めし荻野屋の135年』
を参考文献に制作しました。
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ゲームの主な内容は
1) 横川駅で駅弁販売を開始、戦争による事業縮小
2)3代目が死亡、4代目の妻「みねじ」さんの駅弁開発
3)「峠の釜めし」がヒット、1日1,000個以上を販売
4)急行・特急の増発、駅弁事業者は経営の危機
5)5代目体制を構築、4代目「みねじ」さんは死去
6)観光事業に着目、ドライブイン事業を強化
・・・になります。
ゲームの舞台は、「峠の釜めし」を看板商品に
135年にわたり事業展開してきた「荻野屋」です。
1885年(明治18年)高見澤政吉・トモ夫婦の経営する「荻野屋」は
信越本線の横川駅構内の営業権を取得し駅弁販売を始めます。
終戦直後の1946年(昭和21年)荻野屋の経営は
「2代目・勝一」から「3代目・一重」に引き継がれます。
ところが、1951年、34歳の一重が脳出血でたおれ死去します。
1951年4代目をついだのが、一重の妻「みねじ」さんです。
そのころ荻野屋の業績は
「軽井沢駅〜横川駅間」の開通により低迷していました。
高崎駅や軽井沢駅で弁当を買う人が多く
横川駅ではあまり駅弁はうれませんでした。
「みねじ」さんは、魅力的な駅弁作りをはじめ
益子焼の釜を使った「峠の釜めし」を開発します。
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意気込んで商品化した釜めし弁当でしたが
陶器の釜が重すぎて売り子が売ろうとせずあまり売れませんでした。
しかし、ある日月刊『文藝春秋』の小さなコラム欄で
「峠の釜めし」が紹介されたことから大ヒットします。
そして、昭和天皇に献上されたりして
「峠の釜めし」は大人気となります。
1966年トヨタがカローラを発売
モータリゼーション時代が始まります。
1976年、「みねじ」さんの長女・恭子が結婚、1979年恭子さんが
5代目社長、婿の忠顕さんが副社長に就任し実質的な経営を担います。
観光事業に注目した忠顕さんは
1983年「ドライブイン・諏訪店」を開業します。
1987年、日本はバブル経済に突入、スキーブームとなります。
「ドライブイン・諏訪店」は、若いスキー客を乗せた
深夜バスの休息所になり、冬の季節は夜間営業に踏み切ります。
バブルの時代でもあり、連日昼夜を問わず忙しい時代でした。
4代目「みねじ」さんは、「ドライブイン・諏訪店」の
成功から半年後に亡くなっています。
1988年、長野オリンピックの開催が決まり
在来線の「軽井沢〜横川駅」間は廃線となります。
横川駅での駅弁販売が減少することは明らかであり
荻野屋はドライブイン事業を加速させます。
このゲームでは、「専業主婦から経営者になり、駅弁『峠の釜めし』を開発
荻野屋を成長させた“みねじ”さんの働き方」を学ぶことができます。
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