「仕事や働き方クイズ17」を公開しています。
今回のクイズは家電量販店の売上1位競争で
「2002年、5年間売上業界1位だったコジマを追い抜き
ヤマダ電機が逆転1位になった原因」が問題です。
家電の激しい安売り競争は
「北関東安売り合戦=YKK戦争」から始まります。
コジマは1984年頃から「安値に挑戦」をスローガンに
群馬・茨城へ多店舗展開します。
コジマは開店セールで、「ご縁セール」を目玉に
数量限定でカラーテレビ・ファミコン・ラジカセ
電気掃除機などを「5円」で販売します。
ヤマダ電機もこれに対して「パソコンの1円セール」などで対抗
過激な安売り合戦が始まります。
ケーズデンキも「1円セール」を行いますが
行き過ぎた安売りには反対でした。
コジマは、「全国制覇」を目指し
北関東での安売り競争を全国各地に持ちこみます。
それに対抗して、ヤマダ電機も全国展開の販売競争に参戦します。
一方、カトーデンキは、「無理はしない、させない。背伸びをしない」の
企業方針から関東や首都圏を超えた進出を自重します。
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1997年、コジマはベスト電器を追い抜き
売り上げ業界1位になります。
2001年、コジマは売上が5000億円を突破、5,071億円を記録します。
翌年2002年、ヤマダ電機は売上5608億円
コジマの4950億円を逆転して首位を奪います。
それでは問題です。
1997年から2001年まで売上業界1位だったコジマが
2002年ヤマダ電機に逆転された原因はなんでしょうか?
@ABの中から、間違った原因を一つ選んでください。
@コジマは、中・小型店(500u未満)で多店舗化する
2002年、店舗数はコジマ254店、ヤマダ電機146店でした。
全国展開を一番早く進めたコジマは
大店法規制もあり店舗は中・小型店でした。
1店舗当たり売り場面積が小さいので
ヤマダと比べ売上の拡大が難しくなりました。
Aヤマダ電機は大型店(1000uクラス)で多店舗展開する
1992年大店法が改正され、1000u以上の出店が可能になります。
ヤマダ電機はコジマとのシェア争いを優位に進めるため出店を
1000u以上に切り変えていき、1店舗当たりの売上で差をつけます。
B 各地の有力販売店がコジマの進出に対抗する
コジマの強引な全国進出に怒りを感じた各地の有力店が
協力してコジマに販売競争をしかけ全国進出を妨害します。
コジマは、各地で同業者と戦うことになり
売上げを伸ばすことが苦しくなりました。。
回答は、「間違いは
B 各地の有力販売店がコジマの進出に対抗する」です。
コジマの全国進出に、協力して立ち向かう動きはありませんでした。
むしろ各地の家電量販店は、コジマの安売りに歯が立たず
経営難に陥ったり、転廃業に追い込まれていきます。
ただ、コジマとヤマダの売上競争では、ヤマダ電機は大型店
(1000uクラス)、コジマは中・小型店(500u未満)
販売店の大きさが販売の効率性につながり
両社の売上の差を生んでいきます。
大型店舗の出店規制は、ダイエーや西友、イトーヨーカドーなど
総合スーパーが全国各地で出店攻勢をかけたことで、倒産や経営危機に
陥った中小の小売業の救済や保護を目的としたものでした。
具体的には、政府が「小売業の正常な発展」を掲げて
1974年(昭和49年)3月に施行した「略称・大店法」が始まりです。
この法律で規制されたのは「開店日、店舗面積、
閉店時刻、休業日数の4項目」ですが、
特に問題とされ紛争となったのは「店舗面積」です。
家電量販店は、500u以上の店が規制の対象になりました。
1992年5月、日本政府はアメリカからの出店規制の緩和を
求める声にこたえる形で大店法の運用適正化をはかります。
出店抑制地域の廃止に踏み切り
大型小売業が出店場所を自由に選べるようにします。
その2年後には、大店法を改正・施行して店舗面積が1000uクラス
の大型店舗の出店が自由に行えるようになります。
ヤマダ電機は、この大店法の廃止のタイミングを生かし
大型店化でコジマを追い抜きます。
ヤマダ電機に敗れたコジマは、その後も苦戦して
いまはビッグカメラの傘下に入っています。
「北関東家電戦争=YKK安売り合戦」については
「スゴロクで学ぶユーチューブ」のNo.73回目
『「無理しない、頑張らない経営」で売上は業界4位
家電量販店ケーズデンキ・後編』でご覧いただけます。
このゲームでは、従業員を大切にする「無理しない、
頑張らない経営を推進するケーズデンキ
加藤馨、修一さん親子の働き方」を学ぶことができます。
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