ゲームの主人公は「ケーズデンキ」の創業者・加藤馨さんと
後継者・修一さんで、72回目前編と73回目後編にわかれています。
今回の前編は、ゲームタイトル《3坪のラジオ店が
水戸に90坪の店を出すまでに成長》になります。
『正しく生きる ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯』
を参考文献に制作しています。
正しく生きる ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯 [ 立石 泰則 ] 価格:2530円 |
ゲームの主な内容は
1戦争体験から「頑張らない」重要性を学習
すべては社員のために 「がんばらない経営」 加藤修一【中古】 価格:1430円 |
2水戸で終戦、通信知識でラジオ店を開業
3誠実な対応と修理技術で人気店に成長
4「3種の神器」発売で家電ブームの到来
5重電3社の市場参入と販売店の系列化
6各社の製品を販売する混売店の時代
7長男・次男を採用、会社の後継者を決定
になります。
1947年、ケーズデンキ創業者の加藤馨さんは、軍人時代の
通信技術をいかして3坪のラジオ店を開業します。
ラジオ店の仕事は、戦争中の部品不足で壊れたままに
なっていたラジオの修理でした。
部品代や手間賃を高くして稼ごうとするラジオ屋さんがいるなかで
加藤さんは修理代の明細を書いた伝票を発行する明朗会計で
お客さんの信頼を得ていきます。
昭和30年代に入ると、「3種の神器=テレビ、洗濯機、電気冷蔵庫」
が話題になり家電ブームが始まります。
1958年ごろになると、白黒テレビの価格はサラリーマンの年収の
約半分7万円まで下がり買いやすくなります。
1959年、皇太子殿下(現上皇さま)のご成婚パレードがテレビ中継
されることになり、それをみるためテレビは爆発的に売れます。
家電市場の成長性から重電3社(東芝、日立、三菱)も積極的に
設備投資を行い、販売網の整備を進め市場での影響力を高めていきます。
1964年、東京オリンピックのカラーテレビ販売が
不発に終わり家電業界は一時低迷します。
しかし、1966年頃からカラーテレビの価格がさがり
売れだすことで第二次家電ブームの時代を迎えます。
販売競争は電気店だけでなく、ダイエーなど
スーパーとの「安売り合戦」も始まります。
加藤電機商会は、水戸では誠実な店として人気で
松下電器の専売店「ナショナルショップ」に加盟していましたが
お店の成長に向け会を退会します。
家電店が成長するには、メーカーの専売店ではなく
「@価格競争力、A各社の製品を混売、B商品を多く展示」
する大型店でなければと判断します。
新たに売り場90坪の大型店「駅南店」を出店
開店に合わせ「我が社の信条」なる5か条を発表
会社の成長に向けた取り組みを強化します。
ケーズデンキの成長はここから始まります。
このゲームでは、ケーズデンキ前編として
「戦後まもなく夫婦2人で始めた3坪のラジオ店を
90坪の家電量販店を出店するまでに成長させた働き方」
について学ぶことができます。
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