バートランド・ラッセル(1872〜1970)のHistory of Western Philosophy ソクラテスの章において、興味深い指摘がなされています。まずは、原文で確認してみましょう
A stupid man’s report of what a clever man says is never accurate, because he unconsciously translates what he hears into something that he can understand.
続いて翻訳を見てみましょう。
「りこうなひとのいったことに関する愚かなひとの記録は、決して正確ではない。なぜならそのひとは、自分の聞いたことを自分が理解しうる何物かに、無意識のうちに反訳してしまうからである」(『西洋哲学史』市井三郎訳 みすず書房)
読書をする際、著者の真意を把握することや文脈を捉えた上で適切、正確に解釈することは、思いの外難しいものと思われます。
つい、自分勝手な間違った読み方をする危険性があります。
特に古典の場合、著者が知的巨人であることがほとんどであり、内容も豊潤であるため、適切に把握するだけでも一苦労です。
実のところ、自分自身が分かる範囲でしか読み込めないのが現状でしょう。
それ故、古典は繰り返して読む必要があります。
改めて読むたびに新たな発見があります。
このことは然るべき書籍の場合、繰り返し読まなければ読んだことにならず、また、何度読んでも終わりがないということを意味します。
一度だけ読んで、読んだ気になってしまう愚は避けなければなりません。
世の賢明な人々を観察してみると、重要な古典を繰り返し読んでいる人が多いように思われます。
あれもこれもとたくさん読むことも大切ですが、自分自身にとって重要な古典を大切にしている人の方が本来の読書家といえるでしょう。
たくさん本を読むといっても、世の中の書籍のほんの一部しか読むことができません。
いくら、幅を広げようとしても限界があります。
いたずらに量を競うよりは、量を大切にしつつも、質を大切にしたいところです。
重要な古典を自分自身の軸として、その軸を太く強くしなやかにしておきたいですね。
その上で、自分自身の軸にその他たくさんの書籍を有機的に絡めていくような意識で読書していきたいですね。
ラッセルの指摘を参考に、愚者の記録、報告には気を付けて、賢明な人の記録、報告に接するよう心掛けたいものです。