ベートーヴェンの宗教観について、『知ってるようで知らない ベートーヴェンおもしろ雑学事典』(ヤマハミュージックメディア)では、以下のように説明しています。
「宗派などにはこだわらず、広範な知識を懸命に吸収することによって、理性に基づく合理的な神のイメージを抱こうと努めていたのでしょう」(同書 100頁)
ベートーヴェンは、カトリックではありましたが、プロテスタント、古代インドの宗教にも関心があり、勉強熱心であったようです。
ベートーヴェンは、「教会」という空間に留まらない宗教観を持っていたと思われます。
世界的な、もっと言えば宇宙的な規模で神を捉えていたのでしょう。
それ故、西洋人という範疇に留まらず、日本人の範疇にまで届く音楽を創造し得たと思われます。
キリスト教圏でない日本においてベートーヴェンが好まれる理由は、カトリックやキリスト教という枠組みをはみ出しているからともいえ、西洋人向けの音楽という枠組みではなく全世界の人々向けの音楽であったからといえるでしょう。
「第九」第四楽章で合唱されるシラーの「歓喜に寄す」の神も、「教会」や西洋という次元を超え、星空のかなたという次元で捉えられており、本来的な宗教性が見て取れます。
ベートーヴェンがこのシラーの詩に曲をつけようと思ったのも同様の宗教観があったからでしょう。
日本においては、仏教、神道が大きな影響力を持っていますが、このような宗教性、宗教観であれば、宗派という枠組みを超え、ベートーヴェンの音楽は違和感なく日本人に溶け込むことができます。
宗派の違いは違いとして正確に理解しつつも、自らの宗教性、宗教観においては、宗派に囚われないあり方が求められます。
ベートーヴェンの音楽には囚われのないあり方が感じられ、人々から親しまれているといえるでしょう。