2021年04月07日
2018年8月韓国江原道旅行(その11:船橋荘)
韓国江原道旅行のレポート第11回は、船橋荘についてお届けします
烏竹軒から更に自転車を漕いで向かった先は船橋荘。
(ソンギョジャンと読みます。「ふなばしそう」じゃないですよ〜)
船橋荘は、李氏朝鮮時代の上級両班の個人邸宅となっております
(両班とは、当時の官僚であり、王族を除く人々の中では最上級の地位を有していました。)
当時の上流階級の邸宅ということもあり、美しい庭園もありとても豪華な感じがありました
船橋荘の全景はこんな感じ。
早速、中に入ってみましょう。
貴族の邸宅というだけあり、母屋もとても広く、たくさんの建物がありましたね〜
(写真は、あまり撮れていなくて申し訳ないですが)
こちらの右側の建物は「悦話堂」(ヨルファダン)と呼ばれる建物でいわゆるリビングに相当するところです。
軒先のひさしが、他の屋根とちょっと趣向が違うことにお気づきなられたかもしれません。
こちら実は、当時のロシア大使が船橋荘に送ったとされる銅製のロシア式ひさしとなっています
当時の外国との友好関係も伺い知れますね
次回のレポートは、鏡浦台・草堂スンドゥブ村・安木海岸についてお伝えします
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烏竹軒から更に自転車を漕いで向かった先は船橋荘。
(ソンギョジャンと読みます。「ふなばしそう」じゃないですよ〜)
船橋荘は、李氏朝鮮時代の上級両班の個人邸宅となっております
(両班とは、当時の官僚であり、王族を除く人々の中では最上級の地位を有していました。)
当時の上流階級の邸宅ということもあり、美しい庭園もありとても豪華な感じがありました
船橋荘の全景はこんな感じ。
早速、中に入ってみましょう。
貴族の邸宅というだけあり、母屋もとても広く、たくさんの建物がありましたね〜
(写真は、あまり撮れていなくて申し訳ないですが)
こちらの右側の建物は「悦話堂」(ヨルファダン)と呼ばれる建物でいわゆるリビングに相当するところです。
軒先のひさしが、他の屋根とちょっと趣向が違うことにお気づきなられたかもしれません。
こちら実は、当時のロシア大使が船橋荘に送ったとされる銅製のロシア式ひさしとなっています
当時の外国との友好関係も伺い知れますね
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