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隠されていた空手 〜平安初段の疑問〜

久しぶりに「沖縄空手シリーズ(?)」の続きです。

前にも書きましたが、沖縄の空手が本土に伝えられる際、多くの技が欠落しました。

形の動作も様々な箇所に変更が加えられ、その結果、形の動作と分解の動作との間に大きな乖離がみられ、何か釈然としない点が数多く残りました。

なぜ形の動作と分解の動作が違うのか?

分解の動作で実際の組手に使えるのか?

様々な疑問が残りながら、「形とはそういうものなんだ」と説明されて渋々納得させられたり、結局「形は実践では使えないものなんだ」と思わざるを得ないことが小生もよくありました。

ところが、沖縄古伝の形は、流れの動作と分解の動作が一致し、しかもそのまま組手にも使えるという大変理にかなったものが多いのです。

大ざっぱな言い方ですが、本土の我々が通常習う分解を「表の分解」、沖縄に残る古伝の分解を「裏の分解」と表現することにします。

そうすると、「表の分解」で納得いかなかった部分が、「裏の分解」で見事に説明され、目から鱗が落ちることが多々あるのです。

今日はそのうちの一部を、桧垣源之助先生の著書『隠されていた空手』の内容を一部引用しながら、現役部員の皆さんにご紹介したいと思います。


キーワードは、「前手は攻撃・後手は防御」です。





右の写真は、平安初段の最初の挙動です。

公式の解釈では、前手で受けた際、後手は額の前に構えている状態となっています。

しかし、なぜわざわざ後手(右手)を額の前で構える必要があるのでしょうか?

これでは次の攻撃に移る前にやられてしまう可能性があるのではないでしょうか?

素朴な疑問が浮かびます。




そこで、「前手は攻撃・後手は防御」という原則に従えば、前手は裏拳打ち、後手は相手の攻撃を受けるという解釈も可能であることがわかり、疑問が解決するわけです。

それを実践したのが右の写真です(体の表裏が逆ですが。。。)





右の写真は、松濤館流開祖・船越義珍先生と和道流開祖・大塚博紀先生が行った約束組手の写真ですが、これにも同じような意図が見られます。

このように、空手の解釈はいろいろありますが、これが絶対に正しいということは小生のレベルでは申し上げることができません。

上の平安初段の解釈でも、糸東会の公式解釈と桧垣先生の著書にある解釈とを比べて、どちらが正しくてどちらが間違っているというものではないと思います。

ただ、一つ言えることは、様々な視点を持つことが、見識を広げる上で大切であるということです。


ちなみに、上記の解釈は、船越義珍先生の高弟であった久保田紹山先生(右の写真)による用法だそうです。

久保田先生は、東京商大(現 一橋大学)空手道部OBで、昭和60年から師範として学生の指導をされていたということですので、霜友会諸先輩方の中でも、三商大戦で接点をお持ちの方がいらっしゃるかも知れません。

右の写真をクリックすると関連サイトをご覧いただけます。






では最後に、船越義珍先生を流祖とする松濤館流「平安二段」の分解組手を映像でご紹介します。

松濤館流では、「平安初段」と「平安二段」の呼び名が糸東流とは逆になります。

従って松濤館流の「平安二段」は、糸東流の「平安初段」に相当します。

この映像の中の最初の挙動を見る限りでは、糸東流の解釈とほぼ同じであるように思えます。

モノクロで随分古い映像のように見えますが、中心の人物は恐らく大坂可治先生ではないかと思います。

(もし間違っていればご指摘下さい)



明日も「隠されていた空手」の中の技法をご紹介します。
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