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2016年11月20日
扉シリーズ第五章 『狂都』第二十話 「澪2」
『お母さん!?』
その無機質な女性を姿をそうだと思った瞬間、澪は無意識に立ち上がった。
ガチャンという、飲み物が倒れた音が耳に入り、我に戻る。
それに気をとられた一瞬で、母親らしき姿は消えていた…
しかし、今、確かに母親がそこにいたと感じる…
「ちょっと澪ちゃん?ど、どうしたの?」
真由子が目をパチクリさせながら澪を見ていた。
「えっ?あ、いや…」
澪は高鳴る鼓動を抑えつつ席に座りなおす。
真由子が倒れた飲み物を起こし、テーブルを拭きながら、
「だ、大丈夫?」
と、心配そうに控えめな声で尋ねる。
澪は一つ深呼吸をすると、いつもの真顔に戻し、
「ごめん…ちょっと変な物見た…」
と答え、テーブルを拭く。
「変な物って…アレ?」
真由子はそう言って瞳を輝かせる。
藤田真由子は、心霊現象やオカルトに興味のある人間である。
澪の血筋が霊能者の血筋であると知った時の瞳の輝き方を、澪は終生忘れはしないだろう。
「わかんない…でも、もうどっかいっちゃったよ…」
澪は少し笑気を漏らしながら、そう答えた。
「そ、そう…残念…はははっ」
真由子も笑気を漏らしながら飲み物に口をつける。
澪は思った。
普通は知覚できない存在を知覚できるという性質はそれ程魅力的なのだろうか…?
神秘的な感じがするのだろうが、神秘的だと言えるのは晴明レベルの霊力を持つ、ごく一部の限られた人間だけであって、自分みたいなレベルでは知覚できるモノに振り回されているだけだ。
神秘的でもなんでない…
しかし、今のは『霊体』であったのだろうか…?
うまくは表現できないが、そこに映し出された立体映像であったようにも感じる…それも、動画ではない、静止画のように見えた…
『晴明に聞いてみよう』
澪はそう思いながら、真由子の恋話を聞かされて、家路に着いた。
今、澪の自宅は狂都市内の商業ビルに囲まれた築百年を超える二階建ての古民家…所謂、狂町屋造りの木造家屋である。
築百年超と言っても、実際の歴史はもっと古い。
土雲家の本家がそこに居を構えたのは江戸時代中頃であったらしい。
その時代から何度か修理や改築を重ねてきたが、大正初期に建て直されてからは、ほとんど手を入れていない。
晴明が当主になってすぐに、客間を洋風にリフォームしたくらいのものだ。
そこは土雲本家の住居であると共に、全国に散らばる土雲家の総本山『土雲神社』でもあるのだ。
澪は敷地の入り口にあたる赤い鳥居をくぐり、玄関の引き戸に手をかけると、
「ただいま〜」
と言いながら引き戸を開く。
すると、台所から
「おかえりなさい〜」
と言う間延びした女の声が響いて矢崎はるかが現れた。
家に帰ると、この女性が『おかえりなさい』と出てくる事が理解できないし、認めたくない。
澪は明らかな嫌悪感を表にだしながら、
「晴明は?」
と、はるかに尋ねる。
はるかがここに来た直後は、澪の嫌悪感丸出しの顔と声に怯えを見せていたが、二週間程でそれも克服してしまった。
地味で大人しそうな外見とは裏腹に、その性根は図太く、大胆であると、澪は認識している。
何より、その突き出た胸を目にする度に、澪の嫌悪感は募っていくのだ…
「晴明さん、お昼過ぎに外出なされて、帰りは十時過ぎになるとおっしゃってました…」
それを聞いた澪は、
「そう…」
と一言返して、二階にある自分の部屋へ向かう…
「あの、澪ちゃん…」
最初は『さん』だったのに、今は『ちゃん』…
澪がそれに対して露骨に眉をしかめると、はるかは、
「あの、澪さん?夕食用意してあるんだけど…?」
と、澪の名を呼び直して、そう尋ねてきた。
澪は間髪入れずそれに答えた。
「一人で食べて…」
はるかはその答えに哀しそうな表情を見せると、一つ頭を下げてキッチンへと下がっていった。
彼女は弟子入り志願でここに来たはずだ。
誰も料理を作ってくれとか家事をしてくれとか、頼んではいない。
そんな暇があるなら、早く一人前の霊能者になってここから巣立つ努力をすべきだ。
アンタは家政婦じゃないんだから、と澪は心の中でそう思いながら自室の襖を開いた。
襖を開いた瞬間、いつもと違う雰囲気が澪の肌に伝わった。
冷たい…
エアコンをつけているわけでもないのに、部屋の空気がいつもより冷たく感じる…
澪は不審に思いながらも襖を閉めると、机にカバンを置いてベッドに寝転がった。
ふ〜っと大きく息をすると、ドーナツ屋で見た、母親の姿が頭の中で再生される。
それと同時に、今自分が使っている部屋は、自分の母親が高校卒業まで使っていた部屋であると言う事を思い出した。
押入れには、母親が使っていた様々な物が残されている。
二段の押入れの下段には小さな引き箪笥が収められており、その中には母親の高校卒業までの写真を収めたアルバムが数冊残されている。
それを思い出した澪はベッドから起き上がると、押入れを開け、下段の箪笥からアルバムを取り出す。
埃も被らず綺麗なままのアルバムを、澪は一ページ、一ページ、ゆっくりと開き進めていく。
今まで何回かアルバムを開いたが、その度にフィルム写真の温かみが母親への郷愁を増幅させて涙腺を刺激するのか、澪の瞳には切ない涙が滲む…
やはり似ている…
澪の顔立ちはどうやら父似らしいのだが、澪の母親は晴明とよく似ている…
澪が晴明に抱く好意には、これも関係しているのかも知れない…
母親は中学時代にはテニス部に所属していたようだ。
スポーツとは無縁の自分には理解できないが、試合中の写真であろうか、ラケットを握り試合相手を見据えている母親の真剣な表情が輝いて見える。
時々、母親のこんな表情を見た事があるが、こんな輝きは見たおぼえがない。
高校時代は部活に参加していないようで、友人達と写っているものが多い。
どれも楽しそうで、澪は母親が羨ましい気持ちになった。
アルバムを二冊見終わった。
後は、今まで開いた事がなかった小さなアルバムが一冊残されている。
何故かわからないが、今まで開く気になれなかった一冊だ。
しかし、今日は開いてみたい気持ちになった。
澪は少し緊張しながらページをめくる…
これには、この家でとられた写真が収められているようだ…
主に中学から高校時代あたりの母親が写っている。
しかし、
最後のページには、一族の集合写真が収められている。
二十人程の老若男女の中心に、当時の当主であろう女性、その膝に抱かれている小さな男の子は晴明だ。女性の左に立っている男の子は静馬…女性の右には高校の制服に身を包んだ母親が立っている…
『!!?』
澪は写真の母親を見て、小さな悲鳴を口から漏らした。
女性の隣に立つ母親に纏わりつくように写り込んでいる『透明な男』が、澪には見えた…
続く
その無機質な女性を姿をそうだと思った瞬間、澪は無意識に立ち上がった。
ガチャンという、飲み物が倒れた音が耳に入り、我に戻る。
それに気をとられた一瞬で、母親らしき姿は消えていた…
しかし、今、確かに母親がそこにいたと感じる…
「ちょっと澪ちゃん?ど、どうしたの?」
真由子が目をパチクリさせながら澪を見ていた。
「えっ?あ、いや…」
澪は高鳴る鼓動を抑えつつ席に座りなおす。
真由子が倒れた飲み物を起こし、テーブルを拭きながら、
「だ、大丈夫?」
と、心配そうに控えめな声で尋ねる。
澪は一つ深呼吸をすると、いつもの真顔に戻し、
「ごめん…ちょっと変な物見た…」
と答え、テーブルを拭く。
「変な物って…アレ?」
真由子はそう言って瞳を輝かせる。
藤田真由子は、心霊現象やオカルトに興味のある人間である。
澪の血筋が霊能者の血筋であると知った時の瞳の輝き方を、澪は終生忘れはしないだろう。
「わかんない…でも、もうどっかいっちゃったよ…」
澪は少し笑気を漏らしながら、そう答えた。
「そ、そう…残念…はははっ」
真由子も笑気を漏らしながら飲み物に口をつける。
澪は思った。
普通は知覚できない存在を知覚できるという性質はそれ程魅力的なのだろうか…?
神秘的な感じがするのだろうが、神秘的だと言えるのは晴明レベルの霊力を持つ、ごく一部の限られた人間だけであって、自分みたいなレベルでは知覚できるモノに振り回されているだけだ。
神秘的でもなんでない…
しかし、今のは『霊体』であったのだろうか…?
うまくは表現できないが、そこに映し出された立体映像であったようにも感じる…それも、動画ではない、静止画のように見えた…
『晴明に聞いてみよう』
澪はそう思いながら、真由子の恋話を聞かされて、家路に着いた。
今、澪の自宅は狂都市内の商業ビルに囲まれた築百年を超える二階建ての古民家…所謂、狂町屋造りの木造家屋である。
築百年超と言っても、実際の歴史はもっと古い。
土雲家の本家がそこに居を構えたのは江戸時代中頃であったらしい。
その時代から何度か修理や改築を重ねてきたが、大正初期に建て直されてからは、ほとんど手を入れていない。
晴明が当主になってすぐに、客間を洋風にリフォームしたくらいのものだ。
そこは土雲本家の住居であると共に、全国に散らばる土雲家の総本山『土雲神社』でもあるのだ。
澪は敷地の入り口にあたる赤い鳥居をくぐり、玄関の引き戸に手をかけると、
「ただいま〜」
と言いながら引き戸を開く。
すると、台所から
「おかえりなさい〜」
と言う間延びした女の声が響いて矢崎はるかが現れた。
家に帰ると、この女性が『おかえりなさい』と出てくる事が理解できないし、認めたくない。
澪は明らかな嫌悪感を表にだしながら、
「晴明は?」
と、はるかに尋ねる。
はるかがここに来た直後は、澪の嫌悪感丸出しの顔と声に怯えを見せていたが、二週間程でそれも克服してしまった。
地味で大人しそうな外見とは裏腹に、その性根は図太く、大胆であると、澪は認識している。
何より、その突き出た胸を目にする度に、澪の嫌悪感は募っていくのだ…
「晴明さん、お昼過ぎに外出なされて、帰りは十時過ぎになるとおっしゃってました…」
それを聞いた澪は、
「そう…」
と一言返して、二階にある自分の部屋へ向かう…
「あの、澪ちゃん…」
最初は『さん』だったのに、今は『ちゃん』…
澪がそれに対して露骨に眉をしかめると、はるかは、
「あの、澪さん?夕食用意してあるんだけど…?」
と、澪の名を呼び直して、そう尋ねてきた。
澪は間髪入れずそれに答えた。
「一人で食べて…」
はるかはその答えに哀しそうな表情を見せると、一つ頭を下げてキッチンへと下がっていった。
彼女は弟子入り志願でここに来たはずだ。
誰も料理を作ってくれとか家事をしてくれとか、頼んではいない。
そんな暇があるなら、早く一人前の霊能者になってここから巣立つ努力をすべきだ。
アンタは家政婦じゃないんだから、と澪は心の中でそう思いながら自室の襖を開いた。
襖を開いた瞬間、いつもと違う雰囲気が澪の肌に伝わった。
冷たい…
エアコンをつけているわけでもないのに、部屋の空気がいつもより冷たく感じる…
澪は不審に思いながらも襖を閉めると、机にカバンを置いてベッドに寝転がった。
ふ〜っと大きく息をすると、ドーナツ屋で見た、母親の姿が頭の中で再生される。
それと同時に、今自分が使っている部屋は、自分の母親が高校卒業まで使っていた部屋であると言う事を思い出した。
押入れには、母親が使っていた様々な物が残されている。
二段の押入れの下段には小さな引き箪笥が収められており、その中には母親の高校卒業までの写真を収めたアルバムが数冊残されている。
それを思い出した澪はベッドから起き上がると、押入れを開け、下段の箪笥からアルバムを取り出す。
埃も被らず綺麗なままのアルバムを、澪は一ページ、一ページ、ゆっくりと開き進めていく。
今まで何回かアルバムを開いたが、その度にフィルム写真の温かみが母親への郷愁を増幅させて涙腺を刺激するのか、澪の瞳には切ない涙が滲む…
やはり似ている…
澪の顔立ちはどうやら父似らしいのだが、澪の母親は晴明とよく似ている…
澪が晴明に抱く好意には、これも関係しているのかも知れない…
母親は中学時代にはテニス部に所属していたようだ。
スポーツとは無縁の自分には理解できないが、試合中の写真であろうか、ラケットを握り試合相手を見据えている母親の真剣な表情が輝いて見える。
時々、母親のこんな表情を見た事があるが、こんな輝きは見たおぼえがない。
高校時代は部活に参加していないようで、友人達と写っているものが多い。
どれも楽しそうで、澪は母親が羨ましい気持ちになった。
アルバムを二冊見終わった。
後は、今まで開いた事がなかった小さなアルバムが一冊残されている。
何故かわからないが、今まで開く気になれなかった一冊だ。
しかし、今日は開いてみたい気持ちになった。
澪は少し緊張しながらページをめくる…
これには、この家でとられた写真が収められているようだ…
主に中学から高校時代あたりの母親が写っている。
しかし、
最後のページには、一族の集合写真が収められている。
二十人程の老若男女の中心に、当時の当主であろう女性、その膝に抱かれている小さな男の子は晴明だ。女性の左に立っている男の子は静馬…女性の右には高校の制服に身を包んだ母親が立っている…
『!!?』
澪は写真の母親を見て、小さな悲鳴を口から漏らした。
女性の隣に立つ母親に纏わりつくように写り込んでいる『透明な男』が、澪には見えた…
続く
扉シリーズ第五章 『狂都』第十九話 「澪」
土雲澪は、高校二年生である。
少し小柄だが長い手足に白い肌、黒目がちな目をした和風の顔立ちに、ツインテールがトレードマークであり、街ですれ違う男性が思わず振り返る美少女である。
シングルマザーだった母を亡くし、昨年の春、それまで育った釜倉から、狂都の土雲本家に引き取られた。
現在は叔父にあたる土雲家当主、土雲晴明の養育下にある。
母親は、土雲晴明の十二離れた姉である。
霊感の鋭い女性だったが、保険の外交員として働き、澪を育てた。
父親の事については知りたいと思った事もないので、全く知らないに等しい。
しかし、霊能関係の人間であった事は聞かされていた。
澪も、土雲の血を受け継いで霊感が鋭い。
今は晴明について霊能者としての訓練を受けている。
元来孤独を愛すし、他人に興味を持たない性格である為、友人と呼べる人間は非常に少ない。
今までの人生で澪が自分の好意を自覚できているのは、母親、母親の同僚で親友だった女性、現在唯一の友人の藤田真由子、そして現在の養育者、土雲晴明のみである…
母親の親友だった女性は、母親と同年齢で独身だった。
澪は、その女性から母親と変わりないくらいの愛情を受けており、母親が亡くなった時には一月程その女性の元で暮らした。
澪は幼い頃、父親がいなくても母親が二人いる自分は皆より恵まれていると思っていたくらいだ。
藤田真由子は学校でできた初めての友人だ。
決して嘘をつかず、どうしようもなく不器用だが、何に対しても正直に体当たりでぶつかっていく生き方に、澪は自分に無いモノを感じ、妙に魅了されてしまっている。
そして晴明…
幼い頃にはわざわざ狂都から釜倉まで遊びに来て、遊んでもらったり一緒に風呂に入ったりもした。
晴明は、ただ底ぬけに優しい。
ついつい甘えて反抗的な態度をとってしまうが、澪の全てを受け入れてくれる。
しかし、澪は子供の時に晴明を一度だけ『恐い』と感じた事がある。
母親の葬儀の時である…
そこには晴明と共に土雲家の人間が何人か来ていた。
澪には全く面識の無い面々であったが、その面々は憎々しい表情で、
『家を出たから罰が当たった』
『本家でありながら能無し』
などと、澪にはわからない事で母親の悪口を口にしていた。
それを耳にした晴明は、それまで澪が見た事のない明らかな『怒り』の表情を見せた。
その面々に向かい、晴明は瞬き一つ見せず、まるで氷のような…いや、氷でさえ氷つくような冷たい目でただじっと見ている。
熱の無い冷たい怒り…
その怒りが生み出す冷気は、そこにいた面々にも伝わった。
その面々はバタバタと倒れ、救急車に乗せられ、その後どうなったかは澪は知らないし、知りたくもないが、おそらく無事ではあるまい…
澪は、その時初めて人間が氷つく様を見た…
澪には、彼等の生命の流れ…つまり血液の流れが止まったのだと感じられたのだ…
しかし、それは優しい晴明をそこまで怒らせてしまった彼等の自業自得であり、同情の余地は微塵もないとも、澪は思った。
しかし、それと同時に晴明の力に対する『恐れ』も、澪の心の奥深くに刻まれた…
澪には、今嫌いな人間が三人いる。
まず、都古井静馬という男である。
土雲家の支配下にある都古井家当主で、晴明とは幼馴染である。
根が悪い人間でない事はわかっているが、ニヒリストを気取っている所が生理的に気にくわない。
でも、晴明の役には立っているようなので、我慢するしかないと思っている。
次に、矢崎はるか。
一度晴明に除霊してもらいに来たのだが、それから間もなく弟子入りさせてくれと押しかけてきたのが3ヶ月前…
その目的は、明らかに晴明狙いである。
晴明は何故か簡単に受け入れ、今は住み込みで家事や事務仕事もこなしている。
しかし、澪は彼女の偉そうに突き出た大きな胸が気に入らない。
一日でも早く出ていって欲しいと、毎日考えている。
そして、一番気にくわないのは三角綾である。
テレビにもよく出ている有名な霊能者…美人霊能者であるのは否定しないが、澪には計算高い策略家にしか見えない。
この女も、明らかに晴明狙いで、腹の立つ事に、晴明はすっかりこの計算高い女の策略に乗せられているように見えるのだ。
とにかく、静馬はいいとして、矢崎はるかと三角綾は土雲神社から排除せねばならない。
しかし、彼女等を排除する有効な策を見いだせず、皮肉や嫌味を言う小姑のような事しかできていない状況だ。
その日、澪は学校の授業を終えると、友人の藤田真由子と狂都駅構内にあるマスタードーナツで寄り道をしていた。
「晴明さん、本当に美形で優しいもんね〜」
真由子はそう言うとドーナツをほうばった。
その答えに、澪はイラッときた。
どうすれば目障りな年増女達を排除できるのかと言う澪の相談に対する答えにはなっていなかったからだ…
澪は、店の外に目を向ける…
店の外を行き交う人を眺めていると…
澪の目に、一人の着物姿の女性が映り込んだ…
純白の着物、襟からは赤い襦袢がのぞき、豊かな黒髪を結い上げた色白な女性が、店内の澪から十メートルと離れていない場所から、澪の方を向いて立っていた…
いや、立っているというよりは、そこにあると表現するのが正しいと思える程無機質な感じがする…
まるで、その女性だけ時間が止まっているかのような…
澪は目を細めた…
その女性に、見覚えがあるように思えたからだ…
澪は視力が悪い方ではないが、十メートル離れた人間の顔を確認できる程の視力を持ち合わせてはいない…
しかし、澪は女性が誰であるかわかった…
四十を過ぎてはいるが、色白で美しい顔立ちのその女性は…
まぎれもなく、母親だった…
続く
少し小柄だが長い手足に白い肌、黒目がちな目をした和風の顔立ちに、ツインテールがトレードマークであり、街ですれ違う男性が思わず振り返る美少女である。
シングルマザーだった母を亡くし、昨年の春、それまで育った釜倉から、狂都の土雲本家に引き取られた。
現在は叔父にあたる土雲家当主、土雲晴明の養育下にある。
母親は、土雲晴明の十二離れた姉である。
霊感の鋭い女性だったが、保険の外交員として働き、澪を育てた。
父親の事については知りたいと思った事もないので、全く知らないに等しい。
しかし、霊能関係の人間であった事は聞かされていた。
澪も、土雲の血を受け継いで霊感が鋭い。
今は晴明について霊能者としての訓練を受けている。
元来孤独を愛すし、他人に興味を持たない性格である為、友人と呼べる人間は非常に少ない。
今までの人生で澪が自分の好意を自覚できているのは、母親、母親の同僚で親友だった女性、現在唯一の友人の藤田真由子、そして現在の養育者、土雲晴明のみである…
母親の親友だった女性は、母親と同年齢で独身だった。
澪は、その女性から母親と変わりないくらいの愛情を受けており、母親が亡くなった時には一月程その女性の元で暮らした。
澪は幼い頃、父親がいなくても母親が二人いる自分は皆より恵まれていると思っていたくらいだ。
藤田真由子は学校でできた初めての友人だ。
決して嘘をつかず、どうしようもなく不器用だが、何に対しても正直に体当たりでぶつかっていく生き方に、澪は自分に無いモノを感じ、妙に魅了されてしまっている。
そして晴明…
幼い頃にはわざわざ狂都から釜倉まで遊びに来て、遊んでもらったり一緒に風呂に入ったりもした。
晴明は、ただ底ぬけに優しい。
ついつい甘えて反抗的な態度をとってしまうが、澪の全てを受け入れてくれる。
しかし、澪は子供の時に晴明を一度だけ『恐い』と感じた事がある。
母親の葬儀の時である…
そこには晴明と共に土雲家の人間が何人か来ていた。
澪には全く面識の無い面々であったが、その面々は憎々しい表情で、
『家を出たから罰が当たった』
『本家でありながら能無し』
などと、澪にはわからない事で母親の悪口を口にしていた。
それを耳にした晴明は、それまで澪が見た事のない明らかな『怒り』の表情を見せた。
その面々に向かい、晴明は瞬き一つ見せず、まるで氷のような…いや、氷でさえ氷つくような冷たい目でただじっと見ている。
熱の無い冷たい怒り…
その怒りが生み出す冷気は、そこにいた面々にも伝わった。
その面々はバタバタと倒れ、救急車に乗せられ、その後どうなったかは澪は知らないし、知りたくもないが、おそらく無事ではあるまい…
澪は、その時初めて人間が氷つく様を見た…
澪には、彼等の生命の流れ…つまり血液の流れが止まったのだと感じられたのだ…
しかし、それは優しい晴明をそこまで怒らせてしまった彼等の自業自得であり、同情の余地は微塵もないとも、澪は思った。
しかし、それと同時に晴明の力に対する『恐れ』も、澪の心の奥深くに刻まれた…
澪には、今嫌いな人間が三人いる。
まず、都古井静馬という男である。
土雲家の支配下にある都古井家当主で、晴明とは幼馴染である。
根が悪い人間でない事はわかっているが、ニヒリストを気取っている所が生理的に気にくわない。
でも、晴明の役には立っているようなので、我慢するしかないと思っている。
次に、矢崎はるか。
一度晴明に除霊してもらいに来たのだが、それから間もなく弟子入りさせてくれと押しかけてきたのが3ヶ月前…
その目的は、明らかに晴明狙いである。
晴明は何故か簡単に受け入れ、今は住み込みで家事や事務仕事もこなしている。
しかし、澪は彼女の偉そうに突き出た大きな胸が気に入らない。
一日でも早く出ていって欲しいと、毎日考えている。
そして、一番気にくわないのは三角綾である。
テレビにもよく出ている有名な霊能者…美人霊能者であるのは否定しないが、澪には計算高い策略家にしか見えない。
この女も、明らかに晴明狙いで、腹の立つ事に、晴明はすっかりこの計算高い女の策略に乗せられているように見えるのだ。
とにかく、静馬はいいとして、矢崎はるかと三角綾は土雲神社から排除せねばならない。
しかし、彼女等を排除する有効な策を見いだせず、皮肉や嫌味を言う小姑のような事しかできていない状況だ。
その日、澪は学校の授業を終えると、友人の藤田真由子と狂都駅構内にあるマスタードーナツで寄り道をしていた。
「晴明さん、本当に美形で優しいもんね〜」
真由子はそう言うとドーナツをほうばった。
その答えに、澪はイラッときた。
どうすれば目障りな年増女達を排除できるのかと言う澪の相談に対する答えにはなっていなかったからだ…
澪は、店の外に目を向ける…
店の外を行き交う人を眺めていると…
澪の目に、一人の着物姿の女性が映り込んだ…
純白の着物、襟からは赤い襦袢がのぞき、豊かな黒髪を結い上げた色白な女性が、店内の澪から十メートルと離れていない場所から、澪の方を向いて立っていた…
いや、立っているというよりは、そこにあると表現するのが正しいと思える程無機質な感じがする…
まるで、その女性だけ時間が止まっているかのような…
澪は目を細めた…
その女性に、見覚えがあるように思えたからだ…
澪は視力が悪い方ではないが、十メートル離れた人間の顔を確認できる程の視力を持ち合わせてはいない…
しかし、澪は女性が誰であるかわかった…
四十を過ぎてはいるが、色白で美しい顔立ちのその女性は…
まぎれもなく、母親だった…
続く